第139話 進化
「ストライク! バッターアウト!」
「え〜。聞いてたのとピッチングが全然違うじゃん!」
1回裏の攻撃で今日は1番バッターの田白が溜息をつきながらベンチに戻ってくる。
まあ、それは準備をしながら眺めていたオレにも一目でわかるほどの変わりようだった。
橘商業のエース山之口さんは、春季大会での対戦では豪速球で押しまくり、時折チェンジアップを混ぜてくるという投球スタイルだった。
当時は旧連合チームだったから実際に経験してないメンバーが多く、オレとしょーたでそれを前提にみんなに伝え、対策を一緒に考えてきたんだけど……。
田白に対してはチェンジアップ中心の『変化球投手』と言っていい内容だったのだ。
どういうことなんだ? 背中と腰の具合は良いって聞いてたけど……まさか、あのストレートを投げるのをやめて負担が減ったから?
いや、その方が対策は立てやすいのだが……オレは個人的にショックだ。
でもまあ次は2番のしょーただし、とりあえず様子を見よう。
ちなみに今日の打順は3番オレ、4番阿戸さんと続く。オレが最初の打席に入る前に少しでも余裕を持って準備できるようにと配慮した……と古池監督が自分で説明したんだけど。
豪速球投手は最初にガツンと叩いて調子に乗らせないようにしたい、ってことらしい。
そういうわけで、ネクストバッターズサークルから少しでも山之口さんのボールを見ておきたい。
だが田白が言っていたことはやはり事実であった。
「ストライク!」
コーナーにコントロールされたチェンジアップが気持ちいいくらいに決まる。
春の時は、あくまでストレートとの緩急でバッターのタイミングを崩すのが目的のボールだったけど……今はストライクのカウントを稼ぐ手段になってる。
オレも実際にバッターボックスに立たないとはっきりわからないが、しょーたの視線はただボールの軌道を追いかけるばかりでバットを出すのを躊躇しているかのようだ。
「ストライク! カウント0−2!」
またもやしょーたはスイングしない。
そして3球目……今度こそスイングしたのだが。
スカッ!
「ストライク! バッターアウト!」
最後は、なんと右打者の外角へ逃げていくスライダーで空振り三振!
ストレート無しでしょーたが手も足も出ないなんて……。
「ドンマイしょーた。そんなに打ちにくいのかよ? 今日の山之口さんは」
「……おれたちの頭にはストレートの意識があるからだろうけどさ。チェンジアップが絶妙な間合いで沈んでいくんだよ」
「でもストライクなら打ってかないと」
「いや……打ってもアウトにしかならない。そういう場所にそういうタイミングで決まったんだ。言葉でなかなかうまく説明できないけど」
「……わかった。サンキューな」
「とにかく無理に打ちに行くと術中にハマるから気をつけろよ」
要するに、とにかく打ちにくいボールということだ。どれほどなのかをじっくり見定めてやろうじゃない。
それと同時に、心にポッカリと穴が空いたような……オレはそんな空虚感を感じてもいた。
それでも淡々と左打席に立つと、マウンドから山之口さんの声が聞こえてきた。
「オージロウ! 今日の対戦を俺は心待ちにしとったぞ!」
「……はい。オレもです」
「俺はすこーしだけピッチングを変えたがなあ。お前もパワーアップしとるみたいだから、これから投げるのが楽しくて仕方がない」
「はあ。それはオレもです」
「なるほど。言いたいことはわかるが、結論を出すのはこの対戦が終わってからにしとけ。それじゃあ行くぞ!」
どういう意味だよ、と考える間もなく相手は投球フォームに入る。
そして踏み込んだ左足を踏ん張って、倒れこむような豪快なフォームで投げ込んでくる!
「ふんっ!」
「……チェンジアップ!」
ズバッ!
「ストライク!」
確かに打ちにくいボールが外角低めいっぱいに決まった。
投げた瞬間からよくわかる良い回転で一瞬ストレートと見間違う程……そこから手前までは一気に接近してくるまでは春の時と同じ。
だが、ここからの挙動が違う。以前はパラシュートが開いたかのような急ブレーキでドロンと落ちていったのだが。
今回のは球速はほぼ変わらずに、緩やかにブレーキが効いて沈んでいくのだ。その間も回転はそのままでコントロールされた落ち方っていうか。
それが良い所に決まると、どういうタイミングで打てばいいのか分からなくなる。下手に打つと詰まって野手の正面にしかいかない、そんな印象を植え付けられるのだ。
投球フォームも似て非なるものだ。春に見た豪快なフォームと一見変わってないように見える……だが形は同じでも、あの鬼気迫るような迫力が感じられない。
改めてガッカリしていると、またもや山之口さんが話しかけてきた。
「まあ、今のは確かに前と違うな。だけどここからは同じ……いや、パワーアップしたと言ってもいい。よーく見ときや!」
またまたどういう……お構い無しに豪快だが静かな投球フォームへと移っていく。
「フンッッ!」
ズバンッ!!
「す、ストライク! カウント0−2!」
……ど真ん中に決められた! 軌道が見えないストレートを!
球審も大体の位置で判断してるんじゃ……そう思わせる速さだった。
しかも球威は以前と同じ。ミットに収まった時の音と空気の流れでわかる。
さすがに戸惑って打席に突っ立ったまま動けない。すると山之口さんは容赦なくそこを攻めてくる。
「もひとつ行くでなあ! フンッッ!」
「何もせずに終われるか! うりゃああっ!」
スカッ!!
バットに手応えが無いまま手元を見ると。
まさにドロンと落ちるボールがキャッチャーミットにパスンと静かに収まるところであった。
今度は前と同じ、急激にブレーキのかかるチェンジアップかよ!
「ストライク! バッターアウト!」
「うおおおーっ! さすがは山之口さんだぁーっ! オージロウを簡単にヒネリ潰した!」
「もうこの試合橘がもらったあーーっ!!」
「ま、まさかオージロウがあんな簡単に」
両ベンチと、ベスト16ということで今までより明らかに多いスタンドの観客から歓喜の叫びと大きなため息が入り交じって聞こえてくる。
それにしても、夏休み直前とはいえ橘商業側のスタンドには観客がかなり入ってる。よく見ると年寄りのオッサンが多いけど。
あっ、そうだった。橘商業は戦前から野球部があった古豪……強かった時代のOBたちだなあれは。
そういう意味ではウチの5校連合は観客もまばらで声援も小さい。雰囲気的にはアウエーみたいなもんだ。
しかもオレが三球三振したことでそれに拍車がかかってしまう。
それに何よりも痛いのは、試合前に想定した山之口攻略プランが全て白紙に戻ってしまったことだ。
あえて力感を取り除いたフォームから今までと同じ威力のボールを……いや、進化してオレたちの前に立ちはだかっているのだ。
これまでよりも遥かに厳しい試合になる……そんな予感を抱きつつ、オレはベンチでマウンドに登るための準備を進めるのであった。




