第5章 反撃 ♢1
———黒っぽい禍々しい光が、巨大な一つの渦を作り出す。
カラーリングや、そのやけにゆっくりと中心へ向かっていく光景はまるで、宇宙に漂うブラックホールの如く。
俺たちの意識や視線といったその全てをも吸い込んでいき、重圧を放ちながら黒く禍々しく輝く。
(リンク•ブレイク......だって?)
この異様な現象が始まる前、俺は確かに渦中で佇む男がそんな言葉を口にするのを聞いていた。
——— リンク•ブレイク。
俺たちがずっと口にしている力の名前と似通ってはいるが、その言葉自体は、今の今まで一度も聞いたことがない。
初めて見る現象、そして初めて耳にする言葉———それらが一体何を意味するのか、今の俺たちでは全くの未知の領域である。
と———
「なんだ、あれ......」
そんな戦慄にも近い何かに支配されかかっていた最中、すぐさま異変は目の前で起こり始めた。
黒く禍々しい光の中に浮かび上がるシルエット———おそらくハスティルのものと思われる影が揺れ、その形状が変わった。
背中からは翼のような何かが生え、人間らしかったフォルムも、バキバキと嫌な音を立てながら刺々しいものへと変容していく。
「———なるほど......こういうふうになるのか。存外やればできるもんなんだなァ」
光が消え、煙のように広がるもやの中から、変わり果てた敵意が今、ようやくその姿を現す。
それは———デス•ゲイズそのものを纏ったかのような、鎧姿の狂戦士。漆黒の鉤爪のような翼を背中に生やし、人間としての部分を残しながらも、あの異形の怪物と同じ凶刃を、ちょうど指の部分に生やしている。
しかし光の中、確かにその場にいたはずのかの異形の姿はなく、文字通り本当に一体化したかのようであった。
『っ......何をしたのかは知らんが、神の物量を前に、貴様如き矮小な存在など———』
「ごちゃごちゃうるせェよ」
ミヅチの放った言葉が終わるよりも前に、ハスティルが疾駆———否、消えた。
ここからそこそこの距離があるはずなのに目で追うこともできず、気がつくと竜化したミヅチの眼前で両腕の鉤爪を構えている。
「ハッ! デカけりゃデカいで、喰らい尽くしがいがあるってもんだろおォッ!!!!!」
———そこからは、まさしく蹂躙とでも呼ぶべき一方的な斬撃が始まった。
右肩から右腕、胴体部分をなぞるように一閃し、そのまま逆側の肩と腕をも切り裂く。
悲鳴の声を漏らす間もなく繰り出される斬撃の嵐は、もはや視認するのすら難しく、俺がかろうじて見えているであろう倍以上の数の傷を、ミヅチの身体に刻み込む。
そんな、あまりにも痛々しく悲惨な光景を目の前に、フブキは俺が攻撃の指示を出すよりも前に、ハスティルに拳を打ち込む。
が———
「......温ィな。そんなんじゃ、今のオレ様はどうにもできねェぞ?」
信じ難いことに、顔色一つ変えずに、ハスティルが左腕でフブキの一撃を受け止めた。
鋭い鉤爪で彼女の拳を掴んだまま、強引にフブキのことを宙へと放り投げる。
「全て腐り堕ちろ!! 死獣轟衝波———ッ!!!!!!!」
フブキを放り投げた逆側の腕———噴射口のような形状をした右腕を構え、ハスティルがドス黒いエネルギー波のような何かを放つ。
毒々しいカラーリングや、その無数の人の顔が集まったようなグロテスクな見た目。それらの要素は全て、奴のサーバントであるデス•ゲイズが放つものとよく似ているものの、俺の知ってるものとそれはあまりにも次元が違いすぎた。
「くっ......抑えきれない......!!」
フブキを守護する宝石のような雪たち———その全てが尽く打ち破られ、そして腐敗する。
事象の改変すらをも飲み込むそれは空中でさらに密度を増していき、やがて爆発。
無数の漆黒の雨となり、フブキと地上にいる俺にも強烈な追撃を与えていく。
「ッ、この———!」
「だから遅ェんだよ」
背後より人間の姿に戻ったミヅチが奇襲を仕掛けるも、ハスティルはノールックで躱し、逆に右腕の鉤爪を後ろ側に振るうことで反撃。
鋭い凶刃がミヅチの胸部を切り裂き、動きが止まったところで、ターンしながら溝内に強烈な蹴りを入れる。
「......あー、あー、つまらねェ、つまらねェ、本っっっ当につまらねェ。ちょっと本気を出しただけでコレとか、テメェらほんとにヤル気あんのか??」
......遠くに倒れるフブキに、数メートル先でぐったりと横たわるミヅチ。
視界の先に小さく体を震わせている流門と、奴らの力を喰らい、一歩も動けなくなっている俺———まさしく、死屍累々とでも呼ぶべき地獄の中心で、獣はつまらなそうに、自らの首をゴキゴキと鳴らしていたのだった。
「チッ......まァ、今さらどうでもいいか。どの道次の死獣轟衝波で、全員まとめて終わりなんだからなァ」
さらっとした様子で死刑宣告を済ませ、ハスティルはゆっくりと、やけにゆっくりに感じる歩調で向かってくる。
それがこの男の持つ嗜虐性故のことなのか、あるいは瀕死になってる俺がただそういうふうに見えているだけなのか。
もはや、今の俺にはそんな時間の感覚すらもごちゃ混ぜになり、気がついた時には、厳つく黒っぽい鎧の右足が、視界の全てを支配していた。
「......ハッ、いいザマだなァ? 宇野 奏。
テメェのそんな表情見ていると、オレ様の方が昂ってきやがるぜ」
......この構図といいそのセリフといい、コイツ、もしかして新手の変態か何かなのか?
しかも、レイとは正反対で、愛嬌もなければ一方的な加虐に悦ぶという、もはや救いようのない変態。
狂気と嗜虐———まさしく、その狭間とでも呼ぶべき暴威が今、無慈悲にも俺の方へと向けられている。
だが———
「......どうした? 撃ってこないのか?」
「............」
変形した右腕を構えこそすれど攻撃せずに、なぜだかずっと微妙そうな表情を向けてくるばかり。
そんな、奇妙な膠着状態が続いたと思ったら突然、何を思ったのかハスティルは攻撃の構えを解き、俺たちの方へと背中を向けたのであった。
「気が変わった。テメェらのことは、ここで見逃してやるよ」
聞き間違いか———とでも疑いたくなるくらいにあっけらかんとした様子で、鉤爪の生えた右手を、ハスティルはヒラヒラとさせて見せる。
顔すら向けずにゆっくりと遠ざかっていく鎧の後ろ姿を前に、俺は思わず奴を呼び止めるように声を上げた。
「お前......本気で言ってるのか? お前にとってこれは、俺という敵を排除するまたとないチャンスなんだぞ?」
......正直、自分でも何を口走ってるのかは分からない。
こんな絶望的な状況で見逃してくれるなど幸運でしかないし、むしろその気になられた方が俺たちにとってはゲームオーバーとなってしまう。
その気になられたら終わりという状況においては、余計なことを言うのが一番危険だということは分かっているし、今自分がどれだけ危険な橋を渡ってしまっているのかその自覚もきっとある。
だが、なんだろう......そういった理屈を超えた言いようのない何かがずっと、落ち着きなく、今も俺の中で動き回っている。
「ああ、知ってんぜ......そんなことは知ってるし、テメェに言われずとも分かってる。
だから———代わりにテメェら以外の有象無象を皆殺しにしてやるんだよ」
「「ッ!!」」
それは、俺たちにとって最悪極まりないもので———自分自身が害されるよりも辛く、そして残酷な選択。
自分の鼓動や呼吸がより鮮明さを帯びていき、視界に映るハスティルがますます怪物じみた何かへと変貌していく。
「何も知らねェやつの首を掻っ切って、今度はそれを止めにきたやつをバラバラにする。生徒とか教員とか、人間とかサーバントだとかも全部関係ねェ......目についた片っ端、その全てをぐちゃぐちゃにしてやるのさ」
背中に生えた翼、そして両手に生えた鉤爪———その全てを大きく広げ、ハスティルは狂気に満ちた乾きを咆哮する。
「有象無象の雑魚どもを殺して回って、それに怒り狂ったテメェが本気で殺しにくる......あァ、想像しただけで震えが止まらねェぜ!!!!!!!! ヒャハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!」
......あぁ、そうか。そういうことか。
ようやく今、この言いようのない何か———否、恐怖の正体が分かった。
この男は、普段戦いの中で嗜虐に満ち溢れる瞬間こそあれど、決してその先にあるものを見誤ることなく、常に正しい選択をする。攻撃的で、まるで何も考えてないかのように思えるが、それはあくまで過程の中での話であり、その実は常に、誰よりも正しい一手を模索している。
今回奴があの力を使ったのだって、フブキの力を目の当たりにして、今の自分では勝てないと判断したが故のことなのであろう。
———だがそれこそが、奴にとっても、そして俺たちにとっても誤算となった。
リンク•ブレイク———その力が具体的にどういうものか、何をするべくものなのか、この目で直接見てもなお、理解することは叶わない。
だから俺は、そんな男が快楽を優先するよう歪める未知の力に、言いようのない恐怖を感じていたのだ。
「そんなこと......俺は絶対許さんぜよ......!!!」
「......ほう?」
俺が自分の中に目覚めた恐怖と対峙する中、体の震えを無理やりに抑え、流門は1人ハスティルの前へとその身を乗り出す。
そんな彼の姿を前に、ハスティルは一瞬訝しげな視線を向けた後、ようやく愉しげな笑みを浮かべた。
「ハッ、だったらここでオレ様に一発入れてみろ。
ほら? そうしたら、また気が変わるかもしれねェぞ?」
わざわざ流門の目の前までやってきては、煽るかのように、大きく腕を広げて見せるハスティル。
しかし、相手は武装してるのに対し、流門の方は生身。
動けばやられる、反撃を受ければ致命傷になる。そう分かっている中で、簡単には一歩を踏み出すことはできない。
「......やっぱりな。テメェみてェな雑魚、初めから毒にもクスリにもなりやしねェ。
いい加減、そこでおとなしく寝てろ、独りぼっちのエセ番長が」
「っ......」
もしも彼に、鏡美のような勇気があったのならば———隣に心を共にする仲間がいたのならば、結果は変わっていたのかもしれない。
幸いにも、直接の危害を与えられたわけではない。その価値すらないと判断されたのかもしれないが、流門は血を流すこともなく無事でいる。
だがそれでも......その言葉は、その気迫は、彼の心を引き裂く刃となるには充分すぎた。
「待て......ハスティル......!!」
「待たねェよ。んなことしてたら、テメェはいつまで経っても本気を出してくれねェだろうが」
そう言って、ハスティルは再び背中を向け、抑え切れないと言ったばかりに口角を上げて見せる。
「ククッ、今はそこでゆっくり寝てるといい。
......すぐに嫌でも、悲鳴や叫び声で目ェ覚ますことになるんだからなァ!!!!!」
「ヒャハハハハハ!!!」と、文字通り血に飢えし獣が、平穏広がるこの地へと解き放たれてしまったのだった。
次回投稿は、11月23日 日曜日 12:00です。
よろしくお願いします。




