第4章 〈フブキ〉♢3
「........はぁ、はぁ、あいつ、どこ行った......?」
それから少しして。
仮面の男を追ってきた俺は、第一棟からだいぶ離れた場所までやって来てしまっていた。
「........な、なんなんだよあいつ。全然追いつけないぞ」
肩で息をしながら、独りごちる俺。
あれからすぐに男の後を追ったのだが、どれだけ歩っても距離が縮まることはなかった。
あくまで一定の距離を保ち、離れるわけでも、近づくわけでもない。
ただ、ずーーっと、同じ距離感のままここまで連れて来られたのだ。
そうして、最終的には男を見失い、気づいたらこんな場所までやって来てしまった。
今朝のケガがあるから仕方ないとはいえ、ずっと早歩きしてたこともあり、息はもう絶え絶えだ。
「............はぁ、というか、ここはどこなんだ?」
俺はキョロキョロと、周囲を見回した。
周りは木々で囲われており、人の気配はない。
まるで、ここだけ別世界のような、妙な感覚だった。
「........なんなんだ、ここは。それに、なんかヤバそうな建物もあるし......」
俺は、あえて意図的に外していた方向へと視線を向ける。
———そこには、とてつもなく物々しい雰囲気の建造物が建っていた。
まず目に入るのは、第一棟、第二棟には存在しない、赤茶色の金属性の門。
この建物だけ、なぜか背の高いレンガの壁で囲われており、門以外の場所から侵入できないようになっている。
奥に見える建物本体も校舎というよりかは、裁判所のような、何かの事務所のような外観であり、学園の敷地内だとかなり異質な存在に思える。
どの要素も、相手をそう簡単に寄せ付けない、侵入者を拒むような、そんな排他的な雰囲気を醸し出している。
明らかに、普通の場所ではない。
「このヤバそうな雰囲気......もしかして、ここが噂の第三棟なんじゃないか......!?」
———第三棟。
それは、この〈星麗学園〉内に存在する3つの建造物のうちの1つであり、一般生徒は立ち入りが禁じられている禁忌の場所。
入学当初から、ここだけは絶対に入るな、とだけ言われており、何があるのかは具体的に分かっていない。
距離が遠いからというのもあるが、そんな得体の知れない場所にわざわざ足を運ぶ生徒もいないため、その実態は謎のままだ。
もちろん好奇心が掻き立てられないのかと言われると嘘になる。
が、幸いというか、小心者の俺にそんな度胸はない。
今俺がここにいるのだって、間違いなく偶然によるものだ。
だが俺は、その偶然によって知ってはいけない真実を知ってしまったのかもしれない........
「............」
俺はチラリと、豪邸のような門扉の方へと目をやった。
そこには、翼の生えた蛇とレイピアが描かれた紋章。
そして表札には、この学園の生徒であるならばその文言の意味を理解できない者はいないであろう———『執行者本部』の文字。
【執行者】
それは、この学園に存在している、権力組織のことだ。
分かりやすく言うと、風紀委員会と生徒会、それら2つを合体させた上で物騒にしたような組織。
選ばれた生徒しかなることを許されず、かつこの学園では絶対的な象徴として皆の目標になっている。そんな、エリート達を集めた集団である。
俺も詳しいことは知らないが、噂では、教員以上の権力を有しており、絶対に逆らうことは許されない。実質学園の支配者的な立ち位置におり、何か違反をした者に罰を与えることもできるとかなんとか。
......そして、今俺が目の前にいるのはそんな組織の本部。
なぜ第三棟が立ち入り禁止だったのか、その理由を俺は今、とうとう知ってしまったのである。
言うまでもないが、俺がこの先に行くことは許されない。少しでも侵入しようものなら———想像するだけでゾッとする。
こんな場所、いくら侵入していないとは言ったって、長居するような場所ではない。用もない以上、早々に退散するべきだ。
そう思い、体の向きを変え、元来た道を引き返そうとした、その時だった———
「どわっ!?」
「............!」
突如、横から来た衝撃に、俺は平衡感覚を失う。
それが誰かとぶつかったのだと分かったのは、俺が尻餅をついてからのことだった。
「っつつ........わ、悪い、大丈夫か?」
じんわりと広がる腰の痛みに顔をしかめつつ、俺はゆっくりと身を起こす。
と......
「ぃ............ッ!?」
思わず、引きつった声をあげてしまう俺。
なぜなら、そこには見てはいけない光景が広がっていたからだ。
———端的に話そう。
そこには、ローブのような羽織を着た少女がいた。おそらく、ぶつかってきた少女だ。
そして、少女はその場で尻餅をついていた。ぶつかってきたのだ、ここまではなんら不思議ではない。
........さて、問題はここからだ。
この少女、ちょうど方向が悪く、こちら側に脚を開いたような格好になってしまっている。
さらに運が悪いことに、両膝を立てた構図となってしまっているため、スカートが大きく捲れ上がっているのだ。
———つまり結論から言うと、見えてはいけない布が丸見えだったのである。
「ッ........!」
慌てた様子で身を起こす少女。
すぐに体勢を直し、脱げてしまっていたフードを被り直す。
それに習い、俺も慌てて顔を背ける。
「............」
「............」
......やばい、めっちゃ見てる。
俺はあえてそちらを見ないようにしていたが、背後からはずっと刺すような視線を感じていた。
「........ねぇ」
「は、はい!?」
先に沈黙を破ったのは少女だった。何かを言いたそうな表情で、ジトっとした視線をこちらへと送ってくる。
対する俺はと言うと、非常にきょどりまくりだった。彼女の方をまともに見れず、声も裏返り、心臓も先程からバクバクしっぱなしだ。
......いや、待て。落ち着くんだ俺。
彼女はまだ何も言っていない。どんな要件かだって、まだ一つも聞いていないのだ。
ここで彼女の意思を決めつけるのは早計ではなかろうか。
そう、まだ決して、純白の花園の話と決まったわけ
では———
「見た......でしょ?」
はい、終わった。
さようなら、俺の青春。
これで俺は晴れて変態の仲間入り。
噂はすぐに広まり、明日からきっと、落ちこぼれ変態とか言われるに違いない。
今までも充分目立っていたが、明日からはさらに周りの視線が痛くなることだろう。
......だがもう、なってしまったものは仕方ない。
事故とはいえ、見たことは事実。俺はもう、取り返しのつかない罪を犯した最低な変態であることには違いないのだ。
ならばせめて、潔く自らの罪を認めるべきだろう。
こんなことで許されるとは到底思えないが、これが、俺にとってのケジメだ。
「......ああ、見た」
「........そう」
真っ直ぐ少女の方へと体を向け、全て包み隠さず話す俺。
俺の返事を聞いた少女は、フードの両端をつまみ、ギュッと顔を隠すように深く被り直す。
......きっとこれはもう、顔も見たくないということなのだろう。
彼女の心理を思うと当然の反応なのだろうが、けっこうぐさりと来るものがある。
せめて怒ったり、責めたりしてくれたらまだやりようはあったのだが、それすらもしないのは相当なショックを受けたということなのだろう。
そんな思いをさせるなど、我ながら本当に情けない話だ。
ならばもう、俺はここにいるべきではない。せめて、俺が彼女にできるのはそれぐらいだ。
俺は彼女に背を向け、この場を去ろうと立ち上がる。
「待って」
すると突然、立ち上がる俺を引き止めようと、少女が声をかけてくる。俺は思わずその場で立ち止まり、視線だけを少女の方へと向ける。
さすがにこれは予想外だった。
ショックを受けて、塞ぎ込んでいたとばかり思っていたのだが、違かったのだろうか?
しばらく待っていると、少女はその重い口を開いた。
「どう......だった?私の、これ......は......」
「は———?」
一瞬、俺は自分の耳を疑った。
こいつ、今なんて言った?
「聞き違いか......?悪いがもう一回言ってくれ」
「だから———どうだった?私の、これ......変じゃ......なかった?」
少女の言葉に、思わず俺は絶句する。
だってそうだろう?
自分の下着を見られておいて、その感想を聞いてくるなど誰が予想できるか。
とてもじゃないが、正気とは思えない。
「えーと......一応聞くけど、さっきので頭とか打ってないよな?」
「打ってない。なんで?」
「......いや、なんでもない。忘れてくれ」
なんでそんなことを聞かれるのか、と言わんばかりの様子の少女。どうやら聞き間違いでも、勘違いでもないようだ。
これはもう、認めるしかないのだろう。
———間違いない。
この少女、とんでもない変態だ。
(これ......どう答えるのが正解なんだ?)
俺は必死に思考する。
この質問を、果たして適当に聞き流していいのかと。適当な返答をしてしまっていいのかと。
確かに彼女は変態だ。
それも、見られた自分の下着の感想を聞いてくるような、まごうことなき変態だ。
でもだからと言って、あんなに真剣な様子の彼女の意思を蔑ろにすることが、果たして許されるのだろうか。
今もなお、上目遣いに見つめてくる彼女の瞳に宿っているのは、冗談やおふざけといった類のものではない。
本気で、そして勇気を出して聞いている。
そんな彼女の問いを、適当になんて答えていいのか?
———否、そんなこと、あっていいはずがない!
例え相手が変態だったとしても、せっかく女の子が勇気を出して俺に聞いてきてくれたんだぞ?
それに応えもしないで、何が男だ!!
それに、魅力的なものを魅力的だと言って何が悪い!!
事実、彼女は魅力的なんだ。それを口にしないでただただ呑み込むなどと、世間が許しても俺は許さん!!
「すごく、綺麗だった......と、思う」
「............!」
———そうだ。
見ただけで分かる滑らかな布地。
透き通るような白い生地。
......そして、その間から見え隠れする、彼女の白い柔肌。
一つ一つが合わさることにより生まれる、輝かしいコントラスト。
まさに絶対の神秘。
まさに、世界に一つだけの奇跡。
あれはただの布にあらず。
そこに広がるは、可能性の———小さな新しい世界なのだ!!
「本当......?変じゃ、ない?」
「変なわけあるか!むしろ最高だ!!」
変なのは俺の頭だ。
何だ今のは。冷静に考えて、あんなのありえないだろ。
あんなことを思いつく時点で、やっぱり俺も間違いなく変態だ。
明日、俺は警察にでも行くようかもしれない。
「そ、そうなんだ。ふーん......」
一方、視線をそっぽに向けながら、その絹糸のような自分の髪をいじる少女。
落ち着かない様子で、体をもじもじさせており、明らかに照れているといった様子だ。
......こんなことで喜ぶとは、やはり彼女もれっきとした変態みたいだ。
まぁ、でも喜んでくれたならそれでいい。
同じ変態冥利に尽きるというやつだ。
「......でも、そっか。うん........ありがと。
そんなこと、初めて言われた。———本当に、嬉しい」
そりゃ誰もそんなこと言わないだろ———という俺のツッコミは、強制的に遮断されることになる。
なぜなら———
そんなことが些細に思えるくらいに、彼女の笑顔は美しかったからだ。
(改めて見ると、とんでもない美少女だ........)
透き通るような白い肌に、薄い桜色の唇。人形のように整った顔立ちの、儚げな印象の美少女。
———そして何よりも特徴的なのは、鏡面のような白い瞳と、ホワイトブロンドの美しい髪。
ローブのようなフード付きの羽織を着ていたため全容は分からないが、それでも思わず見惚れてしまうような、そんな印象の少女だった。
「———そ、そうか?まぁ、喜んでくれたなら何よりだ。......ほら、手貸してやるから、そろそろもう立てるだろ?」
「ん、ありがと」
少女は素直に俺の手を取り、立ち上がる。なるべく意識しないようにしてはいるが、あの美しい笑顔を見てしまった後だと中々それも難しい。
変な汗とか、かいてないといいのだが。
......真面目な話、けっこう危なかった。
変態じゃなければ、間違いなく一目惚れしていたことだろう。
そう、変態じゃなければ、ね。
「っと。それじゃ、俺はもう行くから、お前も気をつけろよ」
「ん、またね。色々、ありがと」
「お、おう。また———」
と、次の瞬間。
俺の言葉は、後方より飛んできたエネルギー弾によってかき消された。
「———ッ!?
な、なんだ、今のは......!?」
響く炸裂音に、吹き荒れる熱風。
たまらず俺は、腕で自分の顔を覆う。
......当たっては、いない。
だが確実に、あの攻撃はこちらを狙って撃ってきたものだ。
何者かが、敵意を持って攻撃してきたものだった。
「———ハッ、探したぜ?まさか、こんなところにいるとはなァ?」
そんな声とともに、響く足音。
と、次の瞬間、土煙の中から同じ服装をした集団が姿を現す。
赤を強調した、軍服と学ランを混ぜたような服装。紋章のついたつば付き帽子を被り、左腕にはそれと同じ紋章のついた腕輪。
そして、彼らが身につけている紋章は全て、一目見たら忘れないであろう、翼の生えた蛇とレイピアが描かれた、門扉にある模様と全く同じ。
———【執行者】
学園の絶対的支配者にして権力者が、俺たちの前へと姿を現した。
次回の更新は、2月2日 12:00分です。
よろしくお願いします。