第3章 〈大災厄〉♢2
それからは特に何事もなく自分の教室へと辿り着いた。
腰の痛みはまだ残るが、今朝のようにいきなり意識を失うようなことはない。やはり、普通に生活する分には問題なさそうだ。
ただ、
「............ふぅ。さて、どうしたもんかな」
問題なく教室へとたどり着いたのはいいのだが、いざ入ろうと思うとかなり緊張する。
それもそうだろう。
どこまで事情が伝わっているかは分からないが、いきなり今日の授業のほぼ全てを休み、今さら登校をした生徒がいれば、大なり小なり注目されるものだ。
しかもそれが、学園唯一のデバイスを使えない落ちこぼれともなれば注目度はさらに跳ね上がる。入室した後のことも容易に想像できるだろう。
「———って言っても、いつまでもここにいるわけにもいかないしな」
せっかくここまで来たのに、ずっとドアの前で立ち往生というのもあれだ。
......よし、と。俺は意を決して教室の扉へと手を伸ばす。
ガラガラガラと、そこそこ大きな音を立てて開かれる教室の扉。
瞬間、
「「「「.............」」」」
授業を受けていたクラスメイトたちだったが、俺が入ってくるなり一斉に視線をこちらによこす。
今の今までざわめきや小声での会話が聞こえてきてたが、俺の登場でそれすらも一切なくなり、完全な静寂が完成する。
「.............」
なるべく気にしないように、俺は自分の席に向かおうとするも、周りからの視線は非常に痛い。
不審な目や奇異の目。中には、刺すような視線を送ってくる生徒さえもいる。
いくら慣れているとはいえ、ここまで晒し者扱いされるとさすがにキツイものがある。
「———お?奏じゃねぇか!」
そんな中ただ1人、俺の姿を見るなり、タタタタッと駆け寄ってくる男子生徒がいた。
「なぁ、なぁ、大丈夫だったか?なんか色々大変だったんだろ?俺、超心配してたんだぜ?」
「......まぁな。けど、この通りもう大丈夫だ。心配かけたな、天堂」
そう返すと男子生徒———天堂 輪は「にへへ〜」と人懐っこい笑みを浮かべる。
この外ハネの癖っ毛が特徴的な友人は、落ちこぼれである俺の、この学園で唯一の話し相手だ。
端的に言うと、こんな最悪な空気の中でも変わらず話しかけてくれ、分け隔てなく接してくれるいいやつ。
俺が学園で完全に孤立しないでいられるのは、間違いなく彼のおかげだ。
「でさでさ、結局何があったんだよ?イリーナ先生、いくら聞いても教えてくれなくってよ〜」
「ん?あ、えーと......そうだな———」
体を揺らしながら、飼い主の合図を待ってる犬のような様子で視線を送ってくる天堂。
さて、どう答えたものか。
そう考えていると、
「コラ!今は授業中ですわ。嬉しいのは分かりますが、早く席にお戻りなさい」
教壇の方より聞こえてくる、叱咤する女性の声。
それを聞いた天堂は「は〜い」と気のない返事を返しつつ、その言葉に素直に従う。
「あなたもですわ、宇野 奏君。早く席にお付きなさい。......それと、体調はもう大丈夫なんですの?」
「あ、はい。普通に生活する分には。色々ご心配おかけしました」
「そうですの?フフっ、なら良かったですわ。......ただし、無理は禁物ですわ。あと少しだからといってくれぐれも油断しないよう、何かあったら遠慮なく仰ってください。いいですわね?」
「はい。ありがとうございます、イリーナ先生」
俺がそう答えると、女性教師は「よろしい!」と、華のような笑顔を浮かべ、教壇へと戻っていく。
この上品な雰囲気の女性教師の名はイリーナ•ヘルシエル。
この春から〈星麗学園〉にやってきた教師であり、俺たちの担任だ。
流れるような水色の髪に、恐ろしく整った美貌。モデルのような長身に、凛とした佇まい。
大きく開かれた胸元も相まって、まさに大人のレディといったような雰囲気の女性だ。
先程の五月雨先生とは違い、こちらは完全無欠の美人といった感じで、男子たちからの人気も非常に高く、いい意味での有名人だ。
俺たちと同じ時期にこの学園へやって来たというのに、今や学園のマドンナとなっている、ある意味とんでもない人物であったりもする。
「———さて、それでは授業を再開しますわ。さっきの内容の復習ですの」
そう言ったイリーナ先生は胸元からデバイスを取り出して操作すると、黒板へテキスト文章を映し出す。
内容を見る限り、どうやら現代社会の授業のようだ。
「皆様のご存知の通り、20年前に世界は大きく変わってしまいましたわ。〈大災厄〉......“大罪人”白楼 天邪によって引き起こされた、あの忌々しい事件によって........」
イリーナ先生がその単語を口にした途端、教室内に重苦しい空気が広がっていく。
〈大災厄〉
おそらく、この世界に生きているならば、知らない者はいないであろう忌々しき事件の名称。世界を変えるきっかけとなり、夥しい数の犠牲者を出したとされる、人類史上最悪とされる出来事だ。
「“大罪人”が、異なる世界同士を繋げるというバカげたことをした結果、人間の世界は〈異世界よりの来訪者〉たちで溢れかえることとなりました。力無い人々は恐怖に怯え、日に日に犠牲者も増えていく一方ですわ。
......幸いにも、それを引き起こした白楼 天邪は、4人の英雄によって倒されましたが、それでも人類に対する被害は減りません」
「「「「............」」」」
この事件が史上最悪と言われる理由は大きく2つ。
一つは文字通り規模の凄まじさ。
そしてもう一つは、それがたった1人の人間によって引き起こされたという点だ。
世界中を巻き込むほどの規模にも関わらず、それをたった1人で成し遂げたという事実は、今もなお、人類に対して大きく圧迫をかけている。
また、その元凶を取り除けたとしても、溢れ出した〈異世界よりの来訪者〉たちが帰ってくれるわけではない。
イリーナ先生の言う通り、日に日に力無い人々が蹂躙されているのが現状だ。
「———でも、そこで立ち上がった者たちこそが、あなた方の目指す召繋師———人類の希望ですわ」
「「「「............!」」」」
イリーナ先生は教壇へ身を乗り出し、声高々に語る。
「〈異世界よりの来訪者〉たちは確かに強力です。普通の武力なんかでは、到底太刀打ちできません。そんな彼らに対抗できる唯一の手段を、あなた方はお持ちなのですわ」
イリーナ先生は再び黒板の方へ体を向け、胸元から取り出した(一体いくつ物が入っているのだろうか)レーザーポインターでテキストを指す。
「〈異世界よりの来訪者〉たちは、この世界にやって来た時点で力が半減されます。当然ですわ。人間だって、環境が変われば大なり小なり影響を受けますもの、それと同じことですわ。
ただ、半減されるとは言ったって、強力であることには変わりません。少なくとも、生身の人間や通常の軍事兵器が勝利することなんて不可能ですわ」
俺は今朝の〈ハイ•ワイヴァーン〉のことを思い浮かべる。
実を言うと、奴はあれでも力が制限されていたのだ。信じられないかもしれないが、あの怪物の本来の力はあんなものではない。
その時点で、〈異世界よりの来訪者〉たちがどれほど強力な力を有しているのか、考えるだけでゾッとする。
しかも、奴より強力な怪物だって何種類も確認されている。普通に考えれば人類に未来はない。なすすべなく蹂躙されていって、それで終わりだ。
———だが、
「だけど、もしその強力な力を人類が手にしたら?もしも、〈異世界よりの来訪者〉たちが人間の味方をしてくれたなら?そんな空想を実現してしまう者こそが———あなたたちの目指す召繋師なのですわ」
そう。
———召繋師たちの持つ特別な力。
それは、〈異世界よりの来訪者〉たちと絆を結び、契約するというものだ。
「〈異世界よりの来訪者〉にも様々な種類がいます。動物のようなものや、ドラゴンのような怪物。はたまた、言葉を発することができるものや、ワタクシたち人間と容姿が近い人型と呼ばれるものまで、たくさんの種類が存在しておりますわ。
もちろん中には———というよりほとんどが、人間に害意を持ったものや、被害をもたらすものなのも事実です。特に、怪物系統かつ言葉を発せないタイプは、ほぼほぼ意思の疎通は不可能と思った方がいいですわ」
いくら召繋師の力が特別と言えども、万能というわけじゃない。
あくまで、彼らと絆を結ぶ力である以上、意思疎通ができない相手との契約は不可能だ。
例を挙げるのであれば、今朝の〈ハイ•ワイヴァーン〉みたいなタイプ。
普通に考えて、あんなのと言葉なんて交わせないし、絆なんて結べるわけがない。
「しかし、中には人間に好意を持ってくれ、力を貸してくれるものたちも存在しますわ。そんなものたちと絆を結び、契約し、パートナーとする。それこそが、ワタクシたち召繋師の使命ですの」
「そ•こ•で」と、イリーナ先生は目つきを少し鋭くし(といっても、元々が優しげな目つきだからあまり迫力はなかったが)、改めて俺たちの方へ視線を向ける。
「ここからが重要ですわ。
召繋師と絆を結び、契約した〈異世界よりの来訪者〉は、その召繋師の契約サーバントとなります。
そして、そのサーバントはリンク•アライズをすることにより、力の制限が解除されますわ」
「ゴクリ......」と、クラスメイトたちの息を呑む音が聞こえてくる。
召繋師が特別やら希望やらと言われる所以。
それこそが、契約サーバントの力の制限の解除する能力———すなわち、リンク•アライズという部分にある。
無論、これには召繋師の技量や、相手との相性も関係してくる。
一時的な制限解除ならばほとんどの召繋師はできるだろうが、それだって持続時間は少ない。仮にプロの召繋師だとしても、時間制限のある一時的なものであることは変わらない。ましてや常時発動など、天才でもない限り不可能だ。
———だがそれでも、一時的にでも力の制限を解除できるというのは、非常に大きなアドバンテージとなる。
ましてや、通常の兵器では歯が立たない〈異世界よりの来訪者〉相手ならばなおさら、だ。
〈異世界よりの来訪者〉に対抗できるのは、同じ〈異世界よりの来訪者〉。
そして、その力を使役し、最大限発揮させられる召繋師こそが、この世界の絶対の抑止力になっている———というわけなのだ。
「召繋師の素質を持つ人間は限られます。そしてご存知の通り、この力は非常に危険な力です。一歩でも間違えれば、〈異世界よりの来訪者〉以上の被害を、ワタクシたち自身がもたらすことになりますわ。
......だからこそ、ワタクシたちはこの力を正しく使う必要があります。そのための術を、これから皆様には学んで頂きますわ」
イリーナ先生は普段の柔和な笑みを崩し、至極真面目な表情で言う。
「次回は———いよいよ実戦形式授業となります。皆様に出す宿題は.......覚悟、ですわ。もう一度自らと向き合い、召繋師としての覚悟を、決めてきてもらいますわ」
イリーナ先生の言葉をきっかけに、教室内はどこか期待した空気に満ちていく。
いよいよ始まるんだ、と。これからの未来に寄せる不安と期待。
誰しもがそんな感情を抱き、これからやってくるであろう輝かしい時間を夢見ていた。
(そう........俺1人を除いて、な)
俺は1人、そんな教室内の空気を、どこか冷めた様子で見ていた。
ただこれは、思春期特有のすかしや、一匹狼を気取っているわけではない。
ただ、そんな単純な話ではないから、あまり希望を持てないでいるだけだ。
「............」
イリーナ先生の話していたことは事実だ。
20年前の〈大災厄〉。
〈異世界よりの来訪者〉のこと。
召繋師誕生について。
これら全てに間違いはない。これらは全て事実であり、また誰もが皆知っていることだ。
だけど実は1つだけ間違い———否、皆が勘違いしていることがある。
俺は、それを知っている。
(———白楼 天邪、奴はまだ、生きている)
———そう。
“大罪人” 白楼 天邪はまだ生きている。
白楼 天邪は、英雄によって倒されてなどいない。
奴は今もこの世界のどこかで、のうのうと生きているのだ。
自らの所業によってぐちゃぐちゃになったこの世界を、嗤いながら。
(まだ何も、終わってなんかいない。きっとまた、奴は何かを仕掛けてきてる。......だから、アイツは俺たちの前からいなくなったんだ)
そう心の中で言うと、俺は1人窓の外を見つめた。かつての、アイツの言葉を思い出しながら。
(アイツはきっと、俺たちの知らない何かを掴んだんだ。だって、アイツは———)
———世界を救った英雄、なんだから。
そう。
俺が召繋師を目指す理由。
それは、4人の英雄の1人にして実の父親———宇野 洸太を探すためだ。
次回の更新は1月26日です。
よろしくお願いします。