第2章 急撃
———6月中旬。
梅雨の時期には珍しい、麗らかな日差しに包まれながら、カタカタと、教室に黒板とチョークの触れ合う音が響く。
「え〜、であるからして、この人物が政権を握ったわけですね」
静まり返る教室で響く、教卓の前に立つ、老齢の男の声。
差し込む日差しの温かさと、講義の内容の難解さから、自然と眠気を誘われてしまう。
本当に穏やかで、なんの変哲もない、いつも通りの日常だ。
「それでは次のページを........鏡美 雛子さん。読んでいただけますか?」
「は、はい......!」
と、可愛らしい声を上げながら、特徴的なおさげの髪が揺れる。
———鏡美 雛子。
小柄で小動物を思わせる茶色で丸っこい瞳を持つ少女。
彼女こそ、かの“召繋師狩り”事件の犯人であり、俺たち【レジスタンス】の一員である少女だ。
———あの騒動の後、正式に学園側が調査へと乗り出し、“召繋師狩り”事件について徹底的に調べ上げられた。
結果、現場から見つかった多数の証拠や、その場にいた生徒の目撃証言から、マインドの悪行は明るみとなり、余罪を含む厳しい処分が下されることとなった。
無論、鏡美自身も無関係というわけにはいかず、学園側から厳しい言及を受けたのだが、放送を聞いていた他の生徒や学園長の声もあり、今回は情状酌量の余地ありということで、事は収まっている。
......ま、当の本人に関してはずっと、『それじゃあまりにも......』的なことを口にしていたのだが、被害者たちも含め、彼女を責める者は誰もいない。今や学園中の人間が、彼女の味方となったのだ。
そのおかげもあってか、彼女が学園生活で苦しむようなことはなくなり、むしろマインドのやり方があまりにも横暴なのだと、ヘイトは全て【執行者】側に向いている。
———これも全て、彼女の健気さと勇気がもたらした結果。
あの時、彼女が一歩を踏み出したからこそ、多くの人間が心を動かされたのだ。
「———えっと........故に、そのシステムが取り入れられることとなり......基盤となったことによって、後の国が栄えるきっかけに......な、なりました........」
「はい、よくできました」
辿々しくも、健気に頑張る鏡美の姿を見届けて、老齢の男性教師——— 白土 御角が柔和な笑みを浮かべる。
彼こそ、俺たちクラスの歴史の授業の担当教師にして、我が〈星麗学園〉の誇る考古学者だ。
特に文化や伝統といった分野で功績を挙げており、彼の執筆した論文は度々学会にて取り上げられている。
しかも、そこから太古の昔に召繋師のような存在がいたことを解明しており、その技術を自らの研究に取り入れることまで成功したというのだ。
だからこそ、彼の召繋師としての功績も凄まじいもの........らしい。
というのも、俺たちの中で、先生が直接戦っている姿を見た者がいないのだ。
本人曰く、戦闘が不得手だからとのことだが、その温厚な性格故に、謙遜しているだけのようにも聞こえる。
ただ、彼の担当教科は、あくまで選択科目の歴史であり、戦闘系の授業は担当していない。
実際、彼のサーバントを見た者も誰もいないらしいし、その真実は未だ闇の中だ。
(それに比べて、うちのフブキときたら........)
視線をズラし、俺は隣のイスに腰掛ける人物へと目をやった。
そこにいるのは、足を組みながら、仄かな灰色の髪を揺らす可愛らしい少女。
授業中にも関わらず、堂々とした態度で読書に耽る俺の相棒
———そう、〈双雪〉フブキである。
なぜ授業中にも関わらず彼女がこの場にいるかというと、それは俺がデバイスの格納機能を使えないからだ。
リンク•アライズに関してはどうにかなるものの、未だにデバイスを使えない俺は、彼女を呼び出したままにしておくしかないのだ。
一応、事情は学園側に話してあるし、許可も取ってある。
ただし、それで本人がどんな行動をするかは話が別だ。
最初こそ、授業内容や教科書といったものに興味を示していたものの、それも3日くらいで終わった。
それからは寝息を立てていたり、教室内をふらふらするなど、あまりよろしくない行動を取るようになってしまったのだ。
......まぁ、彼女の精神年齢は決して高くないし、授業なんて聞いたところで理解できないのは分かり切っている。それを考えてしまえば、この結果になるのも無理はない。
そこで苦肉の策として出したのが、彼女に本を読ませることだった。
本ならば彼女も退屈しないだろうし、集中してしまえば、教室内をふらふらするなんてことはなくなる。一応、読書は勉学の一種ともされているし、印象自体も他の行動よりかは悪くならないはずだ。
昔こそそれも教室では異彩を放っていたのだが、今ではありふれた光景になりつつある。
謎のベールに包れる白土先生のサーバントと違い、もはやクラスのマスコット的な存在となりつつあるのだった。
「えーと......では次の四角の中を、愛澤 恋歌さん。読んで頂け———」
と、そこまで言いかけたところで、彼の言葉が大きな物音によってかき消される。
それが、教室の扉がレールと擦れ合う音だと分かるのと同時に、俺は現れた2人の来訪者へと、視線が吸い寄せられた。
(嘘———だろ———)
1人は、浅黒い肌の、不良のような外見をした大柄な少年。
そしてもう1人は、メガネをかけた、細身で陰湿そうな少年だ。
一見、正反対な印象を受ける2人だが、その服装はどちらも同じ。軍服と学ランを混ぜたような、赤を強調するものだ。
......こんな特徴的な容姿をしている奴ら、俺も———そして鏡美も、見間違えるはずがない。
(なんで———アイツらがいるんだよ———!!!!)
【執行者】幹部———ハスティルとマインド。
俺たちにとって因縁の相手が、穏やかな日常を踏み荒らす。
「えっと......あなたたち、今は授業中なんですけど......一体どういったご用件で........?」
「それは自分が説明するっス」
と、奴らの立っている、そのさらに奥。
黒い髪を揺らしながら、同じ服装をした細身の少年が入ってくる。
(な、なんなんだアイツは.........)
前の2人と違い、特に特筆することのない、どこにでもいそうな普通の少年。
......だけど、なんだろう。
アイツの瞳を見ていると、不思議と嫌な感覚に襲われる。
マインドたちともまた違う、生理的な嫌悪感を感じさせる不気味な瞳だ。
「突然の訪問失礼するっス........と言っても、やることやってさっさと帰るつもりなんで、そこは安心してもらっていいっスよ」
「いやぁ、そういう問題では———あ、ちょっと......」
そんな、白土先生の制止を無視して、少年はマイペースに歩みを進める。
一歩、また一歩と、特に急ぐわけでも、特段ゆっくりというわけでもない。
あくまでも、彼独自の歩調で、真っ直ぐとこちらに向かってくる。
「......あの気配」
「フブキ......?」
と、読んでいた本から目を離し、隣に座るフブキが顔を上げる。
表情自体は、いつもと同じ無表情なのだが、体をそわそわとさせ、明らかに落ち着きがない。
彼女のチャームポイントであるエルフ耳は逆立ち、その水面のような瞳も見開かれ、そして鋭い。
———こんな彼女を見るのは、俺の知る中で初めてだ。
「アンタが、宇野 奏......でいいんスね?」
少年は俺の前で立ち止まると、覗き込むかのように、その正気の感じられない瞳を向けてくる。
———こうして間近で見ると、やはりその異質さが際立つ。
例えるなら、闇そのものが覗いてきてるかのような、濃い藍色。
見ているこっちが、闇の奥底へと引きずり込まれてしまうのではないかという、そんな嫌な幻想を彷彿とさせる。
「自分は、【執行者】総部隊長、カワード......ま、どうぞよろしくっス」
気怠そうに首を傾けながら、少年は自らのコードネームを口にする。
———カワード。
......確か、臆病とか意気地なしとか、勇気の感じられないような相手に使う単語だ。
臆病———つまりはこの単語も、人の内面に関係してくる単語だ。
ならばこの少年も———なんて以前に、奴は聞き捨てならないことを口にしている。
「今回ここに来たのは他でもない、アンタに話があるんスよ。宇野 奏」
「俺に......?」
【執行者】総部隊長などと名乗る男の来訪......それだけで、ただ事ではないのは分かる。
フブキを狙っているのか、はたまたそこの2人の件での報復なのか。
普通なら授業中に、しかもこんな大勢の前でなんて思うかもしれないが、奴らにとってそんなことは関係ない。
口調こそフレンドリーであるものの、俺は警戒の姿勢を崩さなかった。
が———
「———すまなかったっス」
「え?」
一瞬、俺は自分で何を言われているのかが理解できなかった。
カワードの口から発せられたのは、恨みつらみの呪言でも、俺に対する報復宣言でもない。
およそ、【執行者】の口から出たものとは思えない誠実な言葉に、俺は自分の耳と頭を疑った。
「自分というものがありながら、あんな暴挙を見逃す失態......もはや、弁明の余地もないっス。
本当に、申し訳なかったっス」
ざわざわと、ざわめきが広がる中、至極真面目な態度で、カワードはさらに深く頭を下げる。
......ここまで来たら、もはや疑いようはない。
コイツは本気で、俺に謝罪をしようとしている。
【執行者】の、しかも総部隊長などと名乗る男がだ。
「......ほら、何ボサっとしてるんスか。アンタたちも早く謝って」
「チッ......誰がんなガキに謝るかよ」
「そうですよ! 正義の【執行者】たるこの私が、なんであんな男になぞ———」
「黙りなさい」
一瞬、誰が発したか分からないような低い声音とともに、カワードがその闇のような瞳を後方へと向ける。
「大体、誰のせいで自分が頭を下げることになったと思ってんスか? アンタたちさえ余計なことをしなければ、わざわざ自分が出てくることもなかったんスからね?」
「「............」」
向けられた、カワードの刺すような視線に、マインドだけでなく、あのハスティルまでもが押し黙る。
その姿は、かつて俺に挑みかかってきたものとはまるで違う。
立場というものもあるのだろうが、俺には、カワード自身に対して奴らが気圧されたように見えた。
「........悪かったよ」
「........す、すいません......でした........」
と、視線は合わせずに、ハスティルとマインドが俺に頭を下げる。
謝罪としてはふざけてるとしか言いようがないが、あの2人が俺に頭を下げるなど、それだけで前代未聞だ。
それこそ、奴らだけなら、天地がひっくり返ってもあり得ることではない。
これも全て、カワードという存在が影響しているのか。
「もちろん、これで全て許してもらえるなんて思ってないっス。
......ただ、ここは自分の顔に免じて、どうか寛大なご配慮をお願いしたいっス」
「............」
......正直なことを言うと、俺は今どうするべきなのかが分からなかった。
無論、奴らの行いを考えれば全てを信用することなどできないし、大事な家族や仲間を傷つけられ、俺自身の怒りも収まりそうにない。
———だけど、気怠そうな仕草とは裏腹に、カワードの口調はどこまでも真剣だ。
本気で自分たちに非があるのだと、クラス中の視線に晒されてもなお、自分なりに誠意を見せようとしている。
嘘を言っているようには見えないし、少なくとも、支配者や正義などと謳っているような連中と同じには見えなかった。
「......分かった。そこまで言われちゃ、こっちとしても聞き入れない理由はない」
「........そうっスか」
「ああ。ただし———」
一瞬、横目でフブキの方に目をやってから、俺はその闇のような藍の瞳を見つめ返す。
「もう二度と、周りのやつら......フブキに手を出すような真似はするな。悪いが、そこだけは譲るつもりはない」
「ええ」
一瞬、俺の願いを聞き入れるかのように、穏やかな表情を浮かべ———
「......もちろん、善処するっスよ」
———そう言い終えたカワードの雰囲気が、ゾッとするほどに冷たいものに変わった気がした。
先程までの、気怠そうだけど、どこかフレンドリーな態度とは全くの逆。
まるでゴミと会話してるかの如く、さっさと終わらせたくて仕方がないといった様子で、その闇の奥底のような瞳を向けてくる。
「......それじゃあ、自分はこれで。そろそろ次の仕事があるんで———ん?」
と、そこまで言いかけたところで、カワードが視線を前に向ける。
つられてそちらを見やると、視界の端に、見覚えのある仄かな灰色の髪が映った気がした。
(おい、まさか......!?)
ギョッとして隣を見るも、イスの上には誰もいない。
先程までイスに座っていたはずのフブキが、カワードの前に立ちはだかっていたのだ。
「なんなんスか、アンタは? 自分にまだ何か用スか?」
「........は———ぁせない........」
「はい? よく聞こえないんスけど———」
「あなただけは、行かせない......!」
そんな言葉とともに、フブキがその場で跳躍。
小さな拳を構えながら、生身のカワード相手に飛びかかっていく。
(バカ! アイツ何考えて———!?)
......思えば、カワードを見てからのフブキの様子はずっと変だった。
いつもの、敵を前にした時の反応ともまた違う、怯えてるような、焦っているような、そんな焦燥感に似た何かに駆られていた。
けれど、昔のような無鉄砲さがない今の彼女は、それだけに身を任せるような真似は絶対しない。
この行動も字面だけ見れば突拍子もないが、彼女には彼女なりの考えがあってのことなのだろう。
だけど———
(......それじゃ、ダメなんだ———!!)
彼女の感覚を否定するつもりはない。
彼女の感覚が、間違っているとも思えない。
......だけどそれで、相手の命を奪ったのでは、悪者になるのはフブキの方だ。
それに俺自身、彼女が誰かの命を奪う姿なんて見たくない。
———そう思い、俺が駆け出そうとしたその刹那。
フブキの拳は、何者かによって止められていた。
「———おいおい、こんなところで暴れちゃ危ないだろ? かわい子ちゃん?」
「「ッ!?」」
突如乱入してくる聞き覚えのない声に、俺もフブキもほぼ反射的にその場から後退する。
———そこに立っていたのは、色合いが派手な着物に身を包んだ、二本角を生やした男。
人の形を保ちながらも、人間のそれとは違う鋭い牙を覗かせる怪物。
太古の昔に存在したと言われる妖魔———鬼と呼ばれる異形が、俺たちの前に立ちはだかっていた。
「......茨木童子。いつも勝手に出てくるなって言ってるじゃないっスか」
「まぁまぁ。そう固いこと言いなさんなって」
すると、茨木童子と呼ばれたその鬼は、露出の多い着物の裾を揺らし、カラカラと笑った。
「大体よぉ、あそこでオレが止めてなかったら、今頃お前の頭は粉々だったんだぜ? あの嬢ちゃん、本気でお前を殺るつもりみたいだったからよぉ」
「そういうことを言ってるんじゃないんスよ。すぐ勝手に出てくることについてを言ってるんス。召繋師の力というのも無限じゃない。無駄なところで使っていては、いざという時に困るでしょう?」
「チッ......あー、はいはい、分かりましたよ。以後気をつけま〜す」
そんな物騒な内容とは裏腹に、奴らの口調はどこまでも軽い。
カワードも表情一つ変えてないし、茨木童子に致っては、フブキの一撃を受けたのにニヤケ面だ。
......リンク•アライズをしていないとはいえ、あの時のフブキは本気の一撃を打ち込んでいたはずだ。
それこそ、彼女の身体能力を以てすれば、人間なんて簡単に壊せてしまうだろう。
———だというのに、奴はあっさりと止めて見せた。
あろうことか、なんの力も使わずに素手だけで止めてしまったのだ。
言動こそふざけてるものの、茨木童子の持つ力は、あまりにも驚異的だった。
「......さて。さっきの行為について聞きたいところではあるんスけど、今回だけは見なかったことにするっス。
突然訪問したこっちにも非があるし、それによって混乱させてしまった......と、思っていいんスよね?」
「......ああ。そうしてくれると助かる」
「どうも。理解が早くて、こちらこそ助かるっス。貸し借りなんて、あればあるだけ面倒っスからね」
と、向けられた瞳の奥より、真っ黒い闇の深淵が覗き込む。
......フブキの一撃をあっさりと止められてしまったというのもあるが、俺はカワード自身の持つその異質さに飲まれそうになっていた。
フレンドリーに話してても突然冷淡になったり、命の危機に瀕しても、言っていることの論点がズレている。
果たしてそれは、上位者故の余裕なのか、はたまた奴自身の異質さなのか。
......端的に言うと怖い。
その人とは一線を画す感覚や、感情の起伏の異質さが。
その何もかも全てが、自分の理解を超えており、本能的な嫌悪感となって襲ってくる。
もはやこれ以上奴を刺激させまいと、俺の中では、それだけが先行していた。
「———それじゃあ、今度こそ自分はこれで。お互い、面倒のないよう、お願いするっス」
そんな、いかにもやる気の無さそうな台詞とともに、嵐は過ぎ去っていったのであった。




