第2章 保健室クライシス
———ここで待ってろ。
声が、響く。
———あいつは、俺が必ず連れて帰る。
記憶のどこか片隅に存在しているような気がする、懐かしい声。
———大丈夫だ、俺を信じろ。
そう言って過ぎ去っていく、大きな背中。
このまま行かせてはいけない。
そんな気がして必死に手を伸ばす。
必死に手を伸ばす、が、
———ちゃんと、母さんの言うことを聞けよ、奏。
「........ッ!」
ガバッと、俺は体を起こした。
「..............今のは、夢......?」
ぼんやりとした意識を振り払うかのように、俺は自分の額に手を当てた。
自分の記憶を必死に辿る。
何か大事なものを、見ていた気がしたからだ。
「..........あれ.......?」
気がつくと、こぼれ落ちる一筋の涙。
頬を伝い、そのまま顔の輪郭を通って床へと落ちていった。まるで、さっきまで見ていた何かの記憶が、頭から抜け落ちていくかのように。
「なんなんだよ、今のは........というか、そもそもここはどこなんだ?」
言って俺は周囲を見回す。
白っぽいコンクリートの見慣れない天井。そして俺はベッドの上......ではなく、なぜかその隣の床に座っているという状況。
他にも複数のカーテン付きのベッドがあり、所々違和感はあるが、造りは完全に病院のそれだ。
「病院........そうか。俺、あの時気を失って」
今朝のことをようやく思い出す。
そうだ。俺は、あの少女を〈ハイ•ワイヴァーン〉から助けるために、決して軽くはないケガを負ったのだ。
その後、俺は、
「痛ッ........!!」
ズキリ、と、腰のあたりに痛みが走る。
改めて自分の体を見ると、腰のあたりや肩の部分には包帯が巻かれており、体の自由が制限されていた。
体を動かすたびにつっかえているような感じがして非常に動きづらく、これでは激しい運動は困難だ。
きっと、それだけ大きなケガだったということなのだろう。
———まぁ、どちらにせよ、今一番にやることはただ一つ。
「まずは人を探しに行こう。これでは状況が分からん」
人を探し、話を聞く。それが今俺にとっての最優先事項だ。
病院ということは、担当の医師や看護師といった人間がいるはずだ。腰は痛むが、このまま立ち往生してても仕方がない。
そう思い、俺は立ち上がろうと床に手をついた。
瞬間———
むにゅん。
(......??なんだ、これ......?マシュマロ?)
むにゅん、と。
温かく柔らかな感触が、俺の手を包み込む。
もちもちとして、弾力があり、指に吸いついてくるような肌触り。本当にマシュマロのような、餅のような、柔らかい何かを鷲掴みにしているような、そんな感触。
(........なんで、こんなところにマシュマロが?)
むにむにと、形を変えながら俺の指に吸いついてくる柔らかい何か。
この気持ちの良い触り心地......やっぱりマシュマロとしか思えない。
......って、いやいや、普通に考えてそれはおかしいだろ。こんなところにマシュマロなんてあるわけがないし、というか、そもそも大きさ的にありえない。
その正体を確かめるべく、俺は視線を手の方に落とす。
と、
「......???
って、うぉわぁぁぁぁ!!!???」
痛みを忘れ、飛び起きるようにその場から立ち上がる俺。
だが、それもそうだろう。
そこにはとてつもなく奇妙な光景が広がっていたのだから。
———端的に言うと、そこには白衣を着た女性が横たわっていた。
年齢は20代前半くらいだろうか?意識があるのかは、ここからでは分からない。
「?????どういうこと......?というか誰?」
どこまでも意味がわからない状況に、その場で立ち尽くす俺。
なんでそんな場所にいるのか?そもそもどこの誰なのか?
疑問が次々出てくるが、結局いくら考えても答えには辿り着きそうにない。
......いや、落ちつけ。こういう時こそ、一度冷静になるべきではなかろうか?
ふぅ............よし。
一旦これまでの状況を整理するとしよう。
———まず、俺は今朝の戦いで気を失ってしまい、ここへ運び込まれた。
で、目を覚ますとなぜかベッドの隣の床にいた。
そして理由は分からないが、謎の白衣の女性が俺の下敷きになっていた。あの場を離れるまでずっと。
となるとあの柔らかな感触は........
うん、やめよう。この話はここで終わり。
この時点で意味が分からないし、なんかこれ以上考えるのは危険な気もするし。
そうだ、そうに決まっている。
これは踏み込んではいけない事なのだ。
断じて、怖いからとかそういう理由ではない。
断じて。
———と、その時だった。
「........あ..........ぁ......」
ゆらり、と。
小さな呻き声とともに、突如、横たわっていた白衣の女性が起き上がる。
「え......?え?」
突然の出来事に、思わずそんな声を漏らす俺。
先程まで———というか俺が上にいる時ピクリともしなかったはずの女性は、なぜか突然、しかも嫌にゆっくりとした仕草でその場に立ち上がっていく。
まず左手を脇にあるベッドに、その後は右手をベッドに。ゆっくり、ゆっくりと、体を徐々に起こしていく。
(いや何!?何事!?怖いんだけど!!)
その仕草は、なんというか......かの有名なホラー映画に出てくる女幽霊のような、墓場から蘇るゾンビのような、なんとも不気味で、ただただ恐怖をそそられるようなものだった。
(これ、逃げた方がいい奴だよな!?)
俺は少しずつ距離を取りながら必死に考える。
この状況は一体なんなのか、なぜ自分がこんな目に合っているのか、というかそもそもこの女性は本当に人間なのか。
......ダメだ、全く分からん!考えが上手くまとまらねぇ!!
「..................ぁ..............ぁ......」
と、そうこうしている間にも、女性は嫌にゆったりとした動きでこちらとの距離を詰める。
あれ?これ、ガチで死ぬやつか?もう助からないやつでは?
......ってダメだダメだ。冷静になれ冷静に。
まずは深呼吸。
もう一度よく考えろ。相手をよく見ろ。
自分にそう言い聞かせ、俺は改めて女性の全貌を見やる。
......20代くらいの白衣の女性、長い髪、ゾンビのようなゆったりとした動き———
「......っ!そうか、もしかして———!!」
ようやく閃いた一筋の光。
俺は辿り着いたその真実を、思いきり叫び上げる。
「あなた、だったんですね———“ゾンビ教師” 五月雨 睡蓮!!」
ピシャーン、と。
そんな雷の演出がありそうな、推理ドラマの名探偵の如く、俺は真犯人に真実を突きつける。
———五月雨 睡蓮。
それは、我が〈星麗学園〉における、保健医の名だ。
非常に腕利きの実力者召繋師であり、どんな病気やケガでもたちまちに治してしまう“神の腕”を持つとされている女性。
数々の功績が讃えられており、噂では、難病を患っていてほとんど登校できなかった生徒を、皆勤賞の常連にしてしまったとかなんとか。
———そうだ。
よくよく見てみると、ここは病院じゃなくて学園の保健室だ。入学当初の案内でうっすらと見覚えがある。
ちなみに、その時五月雨先生は不在だったため、俺も実際に会うのは今日が初めてだ。
だからこそ、彼女のことは噂でしか知らない。
だが、彼女の名は有名だ。それもこの学園で知らない人間はいないほど。じゃなきゃ俺も気づくことはできないし。
———ん?確かにすごい逸話ではあるが、それだけでここまで有名になってしまうものなのかって?
.......それを聞いてしまうのか。まぁ、そりゃ当然の疑問か。
では、なんで彼女がそこまで有名になってしまったのか。それは、彼女にまつわる噂の続きを聞けばよく分かる。
———美しい薄紫色の長い髪。前髪が邪魔しているためハッキリは見えないが、それでも分かるよく整った顔立ち。スラっと伸びる長い手足に、まるで現役のモデルを連想させるような抜群のスタイル。
美人という要素を集めて固めたような、まさに『白衣の天使』という表現がよく似合う、全男子憧れの魅力満点な大人の女性。容姿だけでも、人の注目を集めるには事足りる。
......しかしなんともまぁ、残念ながら彼女が有名になってしまった主な理由はそれではない。
確かにそれも理由の一つではあるのだが、現実というのは、そう上手くはいかないものだ。
「..................」
色合いは美しいのだが、伸び切っており、所々《ところどころ》ボサボサの髪。
せっかく顔立ちは整っているのに、ちらりと見える目元にはハッキリとした隈。
アイロンをかけてないのか、白衣の下に着ているシャツはよれよれ。
そして、せっかくの長身を台無しにしている、猫背気味の背中。
パーツだけなら『白衣の天使』、しかしてその実態は『残念美人』。
一体何を考えているのやら、覇気のない表情で、校舎内をふらふらと彷徨うその姿から、“ゾンビ教師”なんて不名誉なあだ名で呼ばれる、学園屈指の変人。
———そう。
それこそが、今俺の目の前で対峙している保健医。“ゾンビ教師”こと五月雨 睡蓮なのである。
「............」
「............」
沈黙。
そしてなぜか、俺に真実を突きつけられた真犯人こと五月雨先生は、ある程度進んだ位置から一歩も動いていない。
その表情も噂通り、全くと言っていいほど覇気が無くボーっとしており、何を考えているのか意図がさっぱりつかめない。
結局どうしていいか分からず、俺と五月雨先生の間には奇妙な時間が流れ始めてしまうのであった。
(うーん......どうすればいいんだろうか)
正体が判明した以上、先程までの恐怖はないが、これはこれで非常に気まずい。
さすがに悪人ということはないのだろうが、変人であることは間違いない。しかも学園の誰しもが認める、れっきとした変人。初対面でいきなり対処できるわけがない。
実際さっきから、
「えっと......五月雨先生———で、いいんですよね?」
「........................」
「これやってくれたの先生ですよね?ありがとうございます」
「..............................」
「それはそうと、さっきはなんであんなところに?ごめんなさい、俺気づかなくて......重くなかったですか?」
「......................................................」
「あの......先生?聞こえてます?......もしもーし?大丈夫ですか?」
「...............................................................」
......とまぁ、こんな感じでなのである。
何を言っても終始微動だにせず、その場でぽけーっとしており、コミュニケーションが全く成り立たない。
(ねぇ、これどうしろと?どうするのが正解なの?ねぇ、誰か教えてよ、ねぇ?)
助けを求めて心の中で懇願しようとも、当然だがそれに答えてくれる者はいない。
正直、俺は自分の力不足(?)に、内心泣きそうにさえなっていた。
もう無理だ、さっさとここから離れよう。
そう半ば諦めかけていた、その時だった。
「............................ぶ.......」
「?今、なんか———」
「...................ょ.........ぶ.......」
蚊の鳴くような、それこそ、その気にならなければ聞こえないかのような音量。けれども確かに、一瞬声のようなものが耳に入る。
もしやと思い、前方に少し顔を近づいてみると、
「.......だ......い............じょ.......う.......ぶ.......」
「だ、い、じょ、う、ぶ......大丈夫?今『大丈夫』って言った!?」
「............」
間違いなく、間違いなく声だった。非常に辿々しい、けれども綺麗な女性の声。
聞き間違いなどでは決してない。
彼女は今、確かに言葉を発したのだ。
あの変人、五月雨 睡蓮がだ!
「———先生、頷くとかだけでいいから答えてください。今、『大丈夫』って言いましたよね?」
「.................................(こくり)」
「......!そうですか!」
俺の問いかけに対し、とてつもないスローペースで頷く五月雨先生。
非常にぎこちない感じにはなってしまったが、ついに、ついにコミュニケーションが成立した!あの変人、五月雨 睡蓮と!
嬉しさのあまり、俺は思わずその場で小さくガッツポーズを取ってしまう。
.......いったい俺は、何をやらされているのだろうか。急に冷静になってきて、心の底から恥ずかしくなってくる。
———いや。
それでも、これは俺にとって大きな前進であることには変わりない。意思疎通ができないとされる相手と、コミュニケーションを取ることができたのだ。これは誇るべきことではなかろうか。
よし、決めた。
誰がなんと言おうとも、これは俺の進歩だ。これからは胸を張って言っていこう。
そう、俺は決意を新たにしたのであった。
「———って、ん?ちょっと待て。『大丈夫』って........先生何が『大丈夫』なんですか?」
「..............」
「あ!ゆっくりでいいですからね。俺、ちゃんと最後まで聞いているんで」
「.................................(こくり)」
少しだけ驚いたような様子で、またもや、超絶スローペースで頷く五月雨先生。
動きが全てゆっくりではあるが、反応を返してくれるあたり、相手の話をちゃんと聞いているようだ。
というか、もしかしたら、今までもこちらが分からなかっただけで、全部返事をしてくれていたのだろうか?さっきから、ずっと。
......だとしたら、悪いことをしてしまったな。
あろうことか、噂と見た目だけで相手を勝手に決めつけて、自分の方から遠ざけてしまったのだ。
これは大いに反省すべき点だ。
「.................上............」
「『上』.......?あ、もしかして俺が先生の上に乗っちゃってたことですか?そのことに対する『大丈夫』」
「.................................(こくり)」
ようやく全ての合点がいき、俺は心底納得する。
『さっきのことは気にしなくていい』と、五月雨先生がずっと伝えたかったことはこれだったのだ。
(なんだ、そうだったのか)
変人変人と皆は言うが根はちゃんとしてるし、時間をかければコミュニケーションだって成立する。
やはり噂なんてものは当てにならない。全部鵜呑みにしてはいけなかったのだ。
......まぁ、変人であるのは事実だったんだけど。
———その後も時間をかけながら、俺は一つ一つ話を聞いていった。これによって、ようやく全ての謎が解明することに成功する。
要約すると、まず誰かが呼んでくれた救急車が、気を失っている俺をここまで運んできた。
どうやら、早急の手当が必要だったらしく、1番距離が近く、かつ“神の腕”を持つ五月雨先生のいるここへと運んできたらしい。
医療単語ばかりでよく分からなかったが、話を聞く限り、やはりかなりの重症だったようだ。
その後、五月雨先生が手当てをしてくれ、つきっきりで様子を見てくれていた。
が、途中で俺がベッドから落ちそうになってしまう。
異変に気づいた五月雨先生が急いで(と言ってもめちゃくちゃゆっくりなのだろうが)その場に駆けつけるも、支えきれずそのまま巻き込まれる。
結果、五月雨先生は俺の下敷きになってしまい、身動きが取れずにいた。
こうして、あの奇妙な状況が完成していた、ということだったのだ。
「そうだったんですね......本当、何から何まですいません」
「...................いい............気にして.......ない............それ............より.......も.............」
そう言うと、五月雨先生はゆっくりとした動作で近くのベッドに腰をかけ、改めて俺の方へと顔を向ける。
「................だ.......だいじょう............ぶ..............?.............体......ケガ......... それに.................涙.............」
表情は変わってないが、心底心配そうな様子で尋ねてくる五月雨先生。
そうだ。
すっかり忘れてかけてたが、五月雨先生はさっきまで俺の下にいたのだ。
つまり、寝起きのアレも見られていてもおかしくない。
心配されるのも当然だ。
「大丈夫ですよ。なんでもない、なんでもないんで!」
「............本当....................に.............?」
「本当、本当!」
「................怪........し......い............」
表情は変わってないはずなのに、不思議とジトッとしたように見える視線を送ってくる五月雨先生。
けれど、その灰色の瞳の奥には、心配の色が滲み出ているのがよく分かる。
言葉ではああ言ってはいるが、五月雨先生は俺に気を遣ってくれているのだ。
だけど、
(さっきのアレ......多分、言っちゃいけないやつだ)
心のどこかで、俺は薄々気づいていた。
アレは昔の記憶で、俺が無意識のうちに忘れてしまっていたものだ。
......二度と、思い出すことがないように、と。
おそらくだが、アレはいわゆる走馬灯というやつだ。
生死の境目を彷徨ったが故に見えてしまった、走馬灯。
思い出したくない記憶が、一時的に蘇ったのだ。
そしてその記憶は、俺が召繋師を目指す理由に関係してくることだ。召繋師になって、俺が成すべき使命。それに関する記憶。
だからこそ———
「———ありがとうございます、先生。......だけど、俺は大丈夫です。ちょっと———嫌な夢を見ただけなんで」
ヘラヘラとした笑みで、俺はやんわりと嘘をつく。
本当のところは、あれが単なる夢なのか、それとも昔の記憶なのか、よく分からない。
でもだからこそ、こうするしかない。
もし本当にそうならば、まだ誰にも話すわけにはいかないから。
すると、何も言わずにずっと聞いてくれていた先生は、「...................そう............」とだけ短く相槌を打つ。
どこか、少し寂しそうな様子で。
......これでいい、これでいいんだ。
そう、自分に言い聞かせていたら———
「わぷっ!?」
ふわり、と、甘い香りが鼻腔をくすぐり、全身が温かく柔らかな感触に包まれる。
俺が先生の胸に抱かれたことを認識したのは、それから少し時間が経ってからだった。
「ちょっ......五月雨先生!?何してんですか......!?」
「..................よし......よし...........」
「いや、よしよしって!?俺もう子供じゃないんですよ!」
必死に抵抗し続ける俺を、なおも優しげな手つきで撫でてくる五月雨先生。
スキンケアを意識しているタイプには見えないのだが、頭を触れられる度にふわりとした甘い香りが漂ってきて、柔らかさやらなんやらとごちゃ混ぜになって襲いかかってくる。
無論、女性経験ゼロの俺の意識は、この時点ですでにオーバーヒート気味だ。
「ッ!はぁ、はぁ......い、いきなり何するんですか!?」
幸い力はそんなに強くなかったため、俺はその拘束からあっさりと抜け出すことができた。できたのだが........なんというか、精神的にドッと疲れた気がする。
「.............?................男の子......って.................ああ......すると............喜......ぶ..................でしょ..................?」
「いや、違———くはないけど、誤解です!一体どこ情報ですか、それは」
「...................学校......の...................先輩............」
「なんてこと吹き込んでんだ、おい!」
俺の反応を見て、未だきょとんとした(ように見える)顔をしている五月雨先生。
先生の様子を見る限り、冗談を言っているような気配はない。どうやらその先輩とやらの言葉を、本気で信じているようだった。
全く、一体どこの誰だかは知らないが、とんでもないことを吹き込んでくれたものだ。
......まぁ、嬉しくないと言えば嘘になるが、それを素直に信じてしまうのもどうかと思う。
どちらにせよタチの悪いイタズラであることには変わりはない。
......というか、まさか他の男子にも同じようなことをしてるわけではないだろうな?
あんな与太話を有言実行に移してしまうあたり、ちょっと心配になってくる。
他にも何か吹き込まれてるような気もするし、これは今のうちに色々教えてあげた方がいいのではなかろうか。
「いいですか?五月雨先生。今後、ああいうことは絶対、軽々しくやっちゃダメですからね。———それと、今後その先輩って人の言葉を全部鵜呑みにしちゃいけませんからね。分かりました?」
「..........ん...........分かった.....................気を.......つけ......る............」
分かっているのか、いないのか。
俺がそう言うと、五月雨先生は表情すら変えずに、二つ返事で了承を示す。
......いくらなんでも、素直すぎやしないだろうか?
いや、無論、いいことではある。
いいことではあるのだが......いくらなんでもちょっと度が過ぎる。
将来悪いやつに騙されないか心配だ。今回みたいに。
「..................でも............何......か............ある......なら..........1人で......抱え込んじゃ............ダメ..........それだけは......守って............」
「......分かりました。善処します」
「.............ん..................約......束.............」
と、俺の返答に満足したのか、相変わらずゆっくりした動きで、ふらふらと自分の机の方に戻っていく五月雨先生。
元々仕事の途中だったのか、机には開きっぱなしになっている書類が散乱しているのが見える。多分、自分の業務に戻るつもりなんだろう。
これでようやく、一段落したようだ。
「やれやれ......それじゃ、俺も授業に行くとしますか」
そう言って、俺はその場で伸びをする。
包帯で動きにくいが、手当のおかげか、腰はともかく他の痛みはない。普通に生活するには問題なさそうだ。
これ以上ここにいても疲れるだけのような気もするし、そろそろ自分の教室へ向かうべきだ。
ただまぁ、
(........久々に、誰かに......本気で心配された気がする)
疲れはしたが、決して最悪な気分ではない。
心のどこかで、そう思う自分がいたのだった。
次回の更新は、1月19日12:00分です。
よろしくお願いします。