第5章 〈共心〉 ♢3
「はい、お待たせ。今日は奏の好きなハンバーグだよ」
それから少しして。俺たちは手洗いうがいを済ませ、食卓についた。
すると数分後、目の前に母特製のハンバーグが運ばれてくる。
「......あ、ソースはデミグラスにしちゃったけど、良かったよね? 一応まだソースかけてないのもあるから、嫌なら変えるけど」
「ああ、いや、そのままでいいよ。母ちゃんの作ってくれるものなら、なんでも美味しいから」
「あら、そう? ふふふ......嬉しいこと言ってくれちゃって。そっちの君も遠慮しないで食べていいからね?」
「ん」
と、フブキがそう返事をする頃には、その場に母ちゃんの姿は無く、次から次に、せっせとその他の料理をテーブルへと並べていく。
自分の分の食事は後回しにして。
(本当......感謝してもしきれない........)
ちなみに、ここで俺が手伝いを申し出ると、思いっきり断られる。
ただこれは、俺が戦力外通告を受けているからとか、余計に散らかしてしまうからだとか、そういった理由ではない。
単純に、母ちゃんがやりたいから。
俺たちに、ゆっくりと食事をしてもらいたい一心で、誰の手も借りずに支度をするのだ。
親父がいなくなってから、ずっと。
......ただ、やっぱり俺としてもずっとやってもらいっぱなしというのも嫌なので、無理やり手伝おうとしたこともある。
あるのだが、
『学校で疲れてる人が何言ってるの? そんなことする暇があるなら、早くこうちゃんみたいな立派な召繋師になりなさいな。ずっと遊んでばっかりだったんだから』
......と、我が母ながらかなり手痛い反撃を喰らった。
さすがにその日は、1日沈んだ気分で過ごしたのを覚えている。
ちなみに、『こうちゃん』というのは俺の父親のことだ。
『宇野 洸太』だから『こうちゃん』。
詳しい話は何度聞いても教えてくれないのだが、昔からの幼馴染だったんだとか。
......とまぁそれはともかく、今日のハンバーグは一段と美味そうだった。
フブキが来たことによって気合いが入っているのか、焼き加減やソースのコクが見た目からまるで違う。こんなの食べなくたって、絶対美味しいに決まっている。
俺は半分無意識に、用意されている箸に手を伸ばし———
「......って、待て待て! そうじゃないだろ!!」
伸ばそうとしていた手を引っ込め、俺は慌ててその場に立ち上がった。
......危ない、危ない。
俺としたことが、危うくそのまま流されるところだった。
「どうしたの、奏? いきなり大声なんか出して。お食事中に行儀悪いよ?」
「あ、はい、ごめんなさい......じゃなくて!!」
「?」
なおもスルーを続ける母ちゃんに、俺はとうとうフブキを指差して続ける。
「コイツだよ、コ イ ツ! 彼女いない歴=年齢の息子が、家に女の子を連れてきたんだぞ? なんでそんなノーリアクションなんだよ!」
「あー」
『あー』ってなんだ、『あー』って!
俺の渾身の一言によって、ようやく反応らしい反応を返してくれる母ちゃんだったが、それでもなお、リアクション自体は非常に薄かった。
いつまでも話が進まなそうだったから、俺の方から切り込んだわけなんだが、いくらなんでもこの反応はひどくないか!?
そんなに気にならないか、俺が女の子を連れてきても!!
俺の人生史上初めてのことなのに!!!
......あー、くそ。自分で言っていてめちゃくちゃ悲しくなってくるな、これ。
だが、そんな俺の内情などつゆ知らず、顔を上げた母ちゃんの口からは、予想だにしない言葉が飛び出した。
「でも奏、その子あなたのサーバントなんでしょ?」
「え———?」
まるで、一瞬時が止まったかのような感覚。
母ちゃんのその言葉に、今度は俺の方がフリーズした。
やがて数秒の時を経て、ようやく脳が正常さを取り戻し、俺は頭に思い浮かんだ疑問をぽつりと口にした。
「えっと......どうしてそう思ったんだ?」
「どうしてって、そんなの見れば分かるでしょ。それとも違うの?」
「あ、いや......合ってる、けど........」
至極当然のような反応をする母ちゃん。
......この反応。もしかしなくても、最初から気づいていた、ということなのか?
なるほど。だからこその、やけに薄いこのリアクション。
まぁそりゃ、見習いとはいえ、召繋師が自分のパートナーを連れてるのは当然なわけだし、突然連れてきたところで、『いつの間にパートナーが出来たのか』くらいの反応になっても不思議ではない。
でも、一体どこで? 彼女の見た目は普通の人間のようにしか見えないのに?
母ちゃんは、一体どこでそれに気づけたんだ?
「まぁ......なんとなく、かな。昔、似たような雰囲気の子に会ったこともあるし」
「え......? コイツみたいに、人間のようにしか見えないサーバントにか?」
「うん。もう、何年も前の話だけど、ね........」
頬杖をつき、どこか懐かしむような遠い目をする母ちゃん。
前にも言ったとは思うが、ここまで人間に近い容姿をした〈異世界よりの来訪者〉というのは、本当に珍しい。
というか、フブキ以外に聞いたことがない。
確率で言えば、生きてるうちに会えるか会えないかのレベルだ。
......だがまさか、そんな存在が他にもいて、しかもうちの母ちゃんはすでに出会っているとは。
本当、世の中何があるか分からない。
「でも、その子の場合は、けっこう分かりやすいと思うよ?」
「どこがだよ? どう見たって普通の女の子じゃねぇか」
「はぁ........それ、本気で言ってるの? だからいつまで経っても彼女ができないんだよ?」
「うぐっ........!!」
母ちゃんの突然の不意打ち!
彼女いない歴=年齢の俺には効果は抜群だ!!
「奏。その子の耳、よく見てみて?」
「耳........?」
心底呆れたようなトーンで促され、俺はフブキの耳の方へと視線を向ける。
「ん? 何?」
すると、俺の視線に気づいたフブキが顔を上げ、不思議そうな表情を向けてくる。
———そしてそれと同時に、彼女の両耳がピコピコと動いたのを、俺は見逃さなかった。
主な作りは人間とさほど変わらない。
ただし、その先端は大きく尖っており、全体的に見ると人間よりも細長い。
そこにあったのは、俗に言うエルフ耳というやつだった。
「ね? 分かりやすいでしょ? もっと女の子の容姿には気を配らなきゃ。そんなんだからモテないんでしょ」
(うっ......確かに!!)
これに関しては、ぐうの音も出なかった。
おそらく髪に隠れたりでもしてたんだろうが、それにしたってこんな特徴的なことに気づかないなど、我ながら無関心が過ぎる。
これでは女性経験がどうとか、それ以前の問題だ。もっと周りに気を配れと言われても仕方がない。
......はぁ。さすがにこれは、少しどうにかしないとダメだ。
今度、天堂先生にでも教えを乞うようかもしれないな。
「はい! この話はここで終わり! そんな顔してないでご飯食べるよ、ね?」
ぱん!と手を叩き、暗くなりかけた空気を戻そうと、必死に明るく振る舞ってくれる母ちゃん。
さすがは、我が偉大なる母。
息子がやりたくてもできない気配りを、こんな簡単にやってのけてしまうとは。
......でも、確かにその通りだ。
俺がいつまでもこんな気分じゃ、2人も食事を楽しめない。
俺のことはともかく、他の2人が楽しく食事をできないなんて嫌だ。
落ち込んだり、反省会はまた今度でいい。今じゃなくたってできることだ。
そうだ、そんなのは後回しでいい。
今は夕飯、目の前にある食事を、じっくりと味わう時なのだ。
ここにいる、家族皆で。
「ねぇねぇ」
「ん? どうしたフブキ?」
と、思っていた矢先。
袖が引っ張られる感覚とともに、突然フブキが声をかけてくる。
「これって、何........?」
「これ?」
珍しく、戸惑ったような表情で、前方を指差すフブキ。
釣られてそちらに目をやると、そこには母ちゃんお手製のデミグラスハンバーグがあった。
「お前......もしかしてハンバーグ見るの初めてなのか?」
「はん、ばーぐ?」
可愛らしい片言で、俺の言葉を繰り返すフブキ。
考えてみれば当然か。
フブキがどこの〈異世界〉からやって来たのかは不明だが、その世界にハンバーグが存在してるとは思えない。
俺たちにとっては見慣れたものであっても、彼女にとっては得体の知れない茶色い物体でしかないのだ。
食べ物であるという認識すら、きっと持ち合わせてはいないだろう。
「ハンバーグ。豚とか牛といった動物のひき肉と、玉ねぎなんかを混ぜて焼いた肉料理だ」
「肉......料理........」
「ああ、美味いぞ」
恐る恐るといった様子で、手に持った箸で目の前のハンバーグをつつき始めるフブキ。
だがもちろん、つつかれたハンバーグが動き出したり、襲いかかってくるようなことはない。
やがて安全なものだと判断したのか、持ち方がめちゃくちゃな箸で、その一切れを口の中に放り込む。
「............」
「どうだ? 美味いか?」
可愛らしく、ゆっくりと咀嚼をするフブキに問いかける俺。
なるべく朗らかに振る舞うように意識している俺だったが、その内心はかなりドキドキしていた。
もし口に合わなかったらどうしようとか、口にしたことで何か悪影響が出てしまったらどうしようとか、そんな心配事が、ずっと頭の中にチラついていたからだ。
正直言って、気が気ではない。
......やがてフブキは一通りそれを終えると、俺の方へと顔を向ける。
「ん........これ、好き。もっと食べたい」
耳をピコピコと動かし、(非常に分かりづらいが)満足げな表情を浮かべるフブキ。
良かった......口に合ったようで何よりだ。
見た感じ、何か悪影響が出てるようにも見えないし、俺の心配は杞憂に終わったようだった。
俺は内心、ほっと胸をなでおろす。
「知らなかった......動物の死骸を焼いた物が、こんなに美味しいなんて........」
———瞬間、その場の全てが凍てついた。
ほっとしたのも束の間、楽しい団欒の場が、一瞬にして極寒の氷獄へと変わった。
全ては、彼女が投下した、爆弾発言によって。
「フ ブ キ〜〜〜〜????」
「まぁまぁ。この子も悪気があってやってるわけじゃないんだし、少し落ち着きなよ」
へにゃっとした苦笑を浮かべながら、俺を制止する母ちゃん。
いや、まぁ、確かに、言いたいことは分かるけどさ......それでも今は食事中なんだぞ?
そんなこと言われちゃったら食欲失せるじゃん、せっかくのハンバーグなのに!
「———まぁ、でも良かったよ。奏が新しいサーバントを見つけることが出来てさ。......ほら、前の子とはちょっとアレだったし、ね?」
「前の子?」
意外なことに、母ちゃんのその言葉に、黙々と食事を続けようとしていたフブキがピクっと肩を揺らす。
「ねぇ、前の子って何? 今は私が、そのサーバント?ってやつなんでしょ? 奏には、他にサーバントがいたの?」
「いや、それは........」
「答えて」
身を乗り出して、顔をずいっと近づけてくるフブキ。
......ち、近い。
なんとびっくり、その距離わずか数センチ。
文字通り目と鼻の先であり、互いの吐息が感じられるくらいの近さである。
(というかコイツ......こんな顔もするのか........)
元々どこか無機質な雰囲気の少女だ。
表情自体は相変わらず、ほぼほぼ変化していない。
が、この距離であるが故に、彼女の右側の眉が数センチ上がっているのが俺には分かった。
よくよく見ると、頬も少しだけ膨らんでおり、その可愛らしい口元もきゅっと固く結ばれている。
端的に言うと、拗ねている(?)ような様子だった。
(これは俗に言う、あれか........? 『私の前で元カノの話はしないで』的な?)
俺は柄にもなく、そんな俗っぽい感想を抱いてしまう。
彼女にそんな嫉妬のような概念があるのかは、正直なところ分からない。
......ただまぁ、嫉妬はともかく、これからパートナーになろうとしている相手に、前のサーバントのことを話すのはデリカシーに欠けただろう。
少なくとも、俺が逆の立場だったら絶対に不快感を抱く。
だからこそ、この反応は彼女なりの不満の表れなのかもしれない。
そんな相手の話なんか聞きたくない、と。
実際に言ったのは俺ではないが、それでも気づいてあげられなかったのは俺の失態。
ならば、彼女の言葉に正面から向き合うのもまた、俺の務めだ。
「......確かに、お前の言う通り、俺がサーバントと契約するのはこれが初めてじゃない。パートナーになるのはフブキで2人目だ。
......けど、誤解しないでほしい。あれ以降、アイツとは会ってないし、よりを戻すつもりだってない」
「............」
見事なまでにノーリアクション。
どうやらこれでは、彼女のご機嫌を直すことはできなかったらしい。
しどろもどろになりながらも、俺はなんとか次の言葉を絞り出す。
「........えーと......それにほら、アイツとはもう終わった話だし。向こうだって、俺のことは嫌ってるだろうし、な?」
........うわぁ。我ながら最低な言い回しだ。
というか、なんなんだ今のは。
あれじゃ、元カノと実は縁を切ってないで浮気している最低男のセリフじゃねぇか。
明らかに最後の一言は余計、墓穴を掘るとはまさにこのこと。
まぁ、前のアイツは元カノでもないし、そもそも性別は男なんだけど......どちらにせよ、大失敗なのは事実。
その結果、フブキもフブキで完全に拗ねてしまったのか、ぷいとそっぽを向いてしまう。
「......奏? 自覚があるならその言い方はやめなさい。奏には、もっと他に言わなきゃいけないことがあるでしょ?」
そんな中、意外にも助け舟を出してくれたのは、俺の向かいに座る母ちゃんだった。
さすがは、我が母君。
こんな地獄のような空気の中でもなお、状況を変えようと手を差し伸べてくれるとは........。
やはり、持つべきものは良きパートナーと、良き母親だ。
「———ちゃんと、前の子とは金輪際縁を切るから一生愛させてください、僕と結婚してくださいって言わなきゃダメでしょ?」
「誰が言うかぁぁ!!」
前言撤回。
ダメだ、この脳内お花畑。
何をどうやっても、話がそっち方向に転んでしまう。おかげで、さっきとは違う意味での地獄になっちったじゃねぇか。
........いや、違うな?
その顔———コイツ絶対分かってやってやがるな? 俺はコイツに嵌められたんじゃないか?
くそ、やられた........年甲斐もなくニヤニヤしやがって。
そんなに小悪魔気取るのは楽しいか? もう30超えてるくせに。
......はぁ。 もう、いい。
誰かを当てにするのはやめだ。
そもそもこれは、俺と彼女の問題なんだ。他の誰かに、橋渡しをさせようという方が間違いだったのだ。
やっぱりここは、自分の言葉で伝えなくちゃダメだ。例えどんなにカッコ悪くなったとしても、そうしなくちゃいけない場面なんだ。
「.........フブキ。お前は確かに2人目のサーバントだけど、決してアイツの代わりだとか、そういうわけじゃない。
———お前だから、パートナーに選んだんだ」
「!」
ずっとそっぽを向いていたフブキだったが、ピクリと、やっとこ反応らしきものを見せてくれる。
「........本当?」
「ああ、本当だ。 ........いや、むしろお前じゃなきゃダメだ!!」
「っ!?」
俺のその言葉に、落ち着かない様子で体を揺らし、耳をピコピコと動かし始めるフブキ。
これは手応えあり........のように見える。さっきのノーリアクションの時とは明らかに違う。
後は、ここで最後のダメ押しだ!
「俺はもう、お前無しじゃいられない!! だからずっと、俺のそばにいてくれ!!!!」
瞬間、我が家の食卓に訪れる静寂。
........あれ? 俺、何か間違ったのか?
自分なりに正直な気持ちを伝えたんだが......なんでそれで場の空気が凍りつくんだ?
「あの〜〜、フブキさん? どうしたの? もしもーし?」
「っ〜〜〜〜〜〜!!!!」
俺が覗こうとすると体を反対側に向け、絶対に顔を見せようとしないフブキ。
あの反応は手応えありだと思ったんだが、どうやら俺の見当違いだったらしい。
やれやれ........俺たちの間にはまだまだ時間が必要なようだ。
「まさか、本当に言っちゃうとはね........。
奏。あなた、夜道で刺されないようにだけは注意してね?」
「は? どういうことだ?」
なぜか、何かを察したような表情で母ちゃんがそんなことを言ってきたが、結局どういう意味なのかはさっぱり分からなかった。
次回の更新は、3月2日 12:00 及び 平日中に1話です。
平日投稿に関しては、活動報告にてお知らせします。よろしくお願いします。




