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第一章

基本はアクションですが、BL、GL、NL、人外、なんでもありな作者が作成しています。

何に転んでもおかしくないと思ってください。

 第一章

 コロナウイルスが世界に蔓延して一年が経とうとしている。新たな生活様式が浸透しつつある中、明日のため、社会のため懸命にそれぞれのフィールドで戦う人がいる。

「誰かがこれをやらねばならぬ。期待の人が俺たちならば」

 どこかで聞いたことがある文言だ。辛いけれども、これをする自分は危険でも、誰かがやらなければならない仕事は意外と身近に存在するものだ。

 俺らはそんな仕事に従事していた。その仕事とは、人からは早々理解されないだろうが、迷える死者を導く仕事だ。今時、死後の世界などは眉唾物として捉えられやすいため、現代社会において僕らの仕事は幻想的で狂気的に映るだろう。

 死した後、いくべき場所が分からず迷う人間がどうなると思うか。この問いに対し、即答できる人間は非常に少数であり、殆どの人間が「は?」と鼻で笑うか、眉を寄せて「何?」と低い声で聞き返してくるだろう。分からない人には全く分からないため、聞く方が愚かしい。尚、この問いの正解は、

「生を謳歌する人間を恨み、最終的に魔物になってしまう」

 である。生を謳歌するとは、つまるところ幸福に日常生活を送ることだ。彷徨い続けた死者はその姿を見て、自分が置かれた状況とそれを対比し、

「なぜ彼は、彼女はあんなに幸せそうに生活しているのだろう。なぜ私は生きていないのだろう。なぜ私は死んでしまったのか、なぜ、なぜ」

 とぐるぐると感情が渦を巻くようになる。手を伸ばしても生者に触れられず、声をかけても返事もされない。延々と存在を無視されていくに従い、最初は小さな羨ましいという気持ちが、徐々に憎悪へと変換されていく。

 憎い!なぜ私は彼らのように生きられないのか。

 そうして憎悪に飲まれた彼らは、生きている人間を喰うことで幸福を体内に取り込むことを考える。暗澹とした体内に次々と人間を飲み込んでいくことで、体内に彼ら自身の楽園を作ろうとしていくのだ。飲み込む側の死者にとっては、中の世界が楽園になっていく喜びにうち震えるのかもしれないが、襲われる側の生者にとってはたまったものではない。これは単に襲われて怪我や病理、死に至るからではない。というのは、既に肉体が無い彼らの世界は終わることが無く、彼らの理想の世界の中で同じ時間を延々と繰り返し続けてしまうことになるからだ。初めは飲み込まれた生者は抵抗する。けれども、抵抗すると手痛い罰が与えられる。帰りたいと叫べば、帰る場所など無いと懇々と説かれる。暴れれば、それと同等以上の身体的痛みを伴う何かしらの暴力を受ける。その内、彼らの抵抗する気力は失せていき、徐々に自我も失っていく。最終的に、彼らは自身が生きていたことを忘れ、遂に人間であることも忘れ、その魔物の展開する世界に完全に同化していく。同化プロセスが終了した場合、彼らは魔物が持つ世界の地面となり、壁となり、次の生者が上空から降ってくるのを呻きながら待ち続けるのだ。永遠に。

 実は太古の昔から彼らは、便宜的に「魔物」としよう、は存在し続けている。特に、生きている間からネガティブな感情を持ち続けていた人、また、不運の死を遂げた人は魔物になりやすい。一般的には、多くの死者が葬式や祈りにより行くべき場所へ導かれる。なぜなら、敬虔な神職、住職やシスターなどの「祈り」は非常に強力であるため、彼らの祈りを受ける機会を得た人々は原則的に何の問題もないのだ。なにより、彷徨っている人に

「貴方はもう次へ行くのですよ」

 と教えてあげられれば、それで終わることも多いのだ。ただ残念ながら、そもそも死者を認識できる人間が少数であること、そしてその魔物に対抗する手段を持つ人間ご少数であることから、この事実を知っている人も少ない。自分が認知できないものは、存在しない。このような考え方をする人間は多いだろうし、現代社会では主流な考えの一つだろう。

 俺らは、認知できる人間の代表として、こういう魔物や迷子を導くことに日々の労力を注いでいる。一度魔物になって一定以上経過してしまっている場合、残念だが消滅させるしか方法がない。時間がそれほど経過していない魔物ならば浄化も可能だが、重度は手遅れなのだ。バディで行動する理由は、一人が飲み込まれても、もう一人が救出できるようにするためである。少し離れたところからバディを援護し、万一の際には強制的に引きずり出す役割があるのだ。

 工藤利久はそのある「仕事」のため、人通りが少ない道を歩いていた。鎌倉の道は狭い。しかし、一定以上の交通量があり、一定の間隔で車が工藤のすぐそばを通っていく。工藤は住宅街のある一角で一人佇む若い女性らしきそれに声をかけた。

「幼稚園バス、遅いですねえ」

 声をかけられた女性は驚いたように工藤を見た。

「え、まあ」

 女性の驚きをよそに、工藤はその女性に笑顔を向けた。

「何時ごろ到着予定なんですか?」

「14時ですが」

 女性は怪訝そうな顔をしている。幼い子供を持つ女性が、突然見知らぬ男性から声を掛けられれば、こういう反応を示すのも無理はないだろう。

「そうですね。ところで、僕時計忘れちゃって。今って何時でしょうか」

「へ、あ、あれ?」

 突然その女性が動揺し始める。きょろきょろと視線を不安げに動かし、どこかそわそわとし始めた。何かがおかしいが、それが何か分からないようだ。

「お母さん。今、夕焼けがご覧になれますか」

 慌てふためく女性に工藤は静かに微笑み、空を指さした。指さした先の空は真っ赤に染まっていた。美しい山々へ帰っていくカラスの群れが見える。明日は晴れるに違いない、そう確信させるような美しい夕焼けと、山とのコントラストがそこにはあった。

「あのね、お母さん。先程僕は嘘を吐きました。今は17時で、もうここにバスは来ないんです」

「そんなわけ」

 震える声で女性は否定する。それを見て、工藤は視線を赤い空へと向けた。

「お母さん。だって、空を見てくださいな。もうバスが来るような時間じゃないでしょ」

「でも、あの子がまだ」

「ええ、そうですね。帰ってきませんね」

「だから、ほら、おかしくなんか」

「ねえ。お母さん。あの子を待つ必要なんて、本当は無いんですよ。バスはずっと前に到着して、そして発進したではありませんか」

 一言、一言、工藤は噛み締めるように彼女に伝えた。彼女は工藤の発言を理解できないとでも言いたげな表情をしている。

「苦しいけれど、本当は分かっているのでしょう?ここに、もうお子さんは来ません」

 カラスが鳴く。燃えるような赤さに塗られていた空が、段々と濃紺に染められていく。一番星が一際大きく輝いた。

「貴方のお子さんは今入院していて、貴方は、残念ながら事故で亡くなってしまったではありませんか」

「嘘、そんなこと」

 工藤はスマホを軽く操作し、画面を女性に見せた。そこには、痛ましい事故の内容が書いてある記事が映されていた。

「つい先日。鎌倉市で歩行者と自転車の交通事故がありました。自転車利用者が猛スピードで走行し、さらに彼の我儘で信号無視をした結果発生した悲劇です。非常に凄惨な事故で、お子さんを庇った女性は亡くなってしまいました。…それは貴方です」

 工藤がじっと彼女の顔を見つめた。彼女は記事にある被害者の名前が自分のものと一致することを確認し、衝撃を受けた顔をした。彼女は茫然としながら、ずるずると灰色の道路を見つめて地べたに座り込んだ。彼女は頭を抱え、地面に蹲る。工藤もしゃがみ込み、彼女のポニーテールを見つめながら

「お母さん。貴方は確実に死んでしまったけれど、でも、貴方の子供は生き残ったのですよ。しかし、彼はまだ目を覚ましません。生死を彷徨っています。彼をこちらの世界に留めることができるよう、説得してくれませんか」

 と優しく、しかし力強く言う。そして大竹は続ける。

「今ならまだ間に合うかもしれません。今の医療と、『僕ら』には彼をこちらに引き留める術がありません。死んでしまった貴方だからこそできる、最大で最後の善行をお願いしてもいいですか?次の未来のために」

 この言葉に、女性は震える手を頭から外し、そして声が降ってきた方向を見た。女性の視線の先には、紺色に染まった空を背景に、さみしそうな表情で笑う男性がいた。

「お子さんを愛しているのでしょう?」

 寂しそうな表情の彼は、まるで独り言のように言う。その姿が、迷子になり母を求め泣く我が子となぜか重なった。あの子は、いつも迷子になると目に涙を沢山ためて母の姿を探す。なぜかその姿を彷彿とさせる表情だった。

 男性の寂しそうな顔のおかげで、彼女は全てを思い出した。早く迷子の息子を見つけて、正しい道へ導かなければならないと気づいた。それまで茫然と地面に座り込んでいた女性は決心した表情で立ち上がり、工藤と目線を合わせた。

「息子のもとへ参ります」

 工藤は心底嬉しそうに

「良かった」

 と笑った。

 工藤と女性が事故現場に到着すると、道の端で体育座りをしている少年がいた。少年は小さな体をさらに小さく丸め、肩を震わせながら泣いている。それを見つけた女性は、少年の名前を呼びながら急いで少年のもとへと走っていった。

「幸太郎!」

「ママ?ママ!」

 少年が勢いよく膝から顔を上げる。母親を認識すると、立ち上がり両腕を伸ばして駆け出した。女性がそれを思い切り受け止め、強く抱きしめている。

「ママどこ行ってたの、おうち帰ろうよ」

「うん」

 女性の腕に込める力がぐっと強くなった。

「ママ」

 少年が不思議そうに母親を見上げる。

「うん?」

 女性は俯いて息子の顔を見た。

「なんで泣いてるの?」

 母親の目から流れている涙の意味が分からず、息子は困惑した表情を浮かべた。すると、

「幸太郎、よく聞きなさい。私たちはね、保育園からの帰り道に自転車にはねられたの」

「え?」

 少年は目を見開いた。言っている意味が分からないという表情をしている。母親は息子の表情に胸が締め付けられる感触がした。

「幸君は生きてるの。ママと一緒にこっちに来なくていいの」

「ママ?」

 母親はしゃがんで息子と視線を合わせた。息子はどうしたら良いのか分からないという表情で母親の顔を見ている。

「ママ、ぼくママと一緒がいい」

「幸太郎。幸太郎。ごめんね。一緒にママは帰れないの。どんな時でもずっと一緒にいるから。早く目を覚ましなさい」

 母親は少年と暫く話した後、少年は小さく首を縦に振った。そして、少年は母親にもう一度抱き着いたあと、工藤に手を振ってどこかへと消えていった。

 工藤の携帯電話が鳴る。工藤が電話に出ると、

「こちら中村。今、幸太郎君が目を覚ましたことが確認できた」

 という聞きなれた声が聞こえた。

「了解。お母さんに伝えておくね」

「はいよ、あとちょっと気を抜くなよ」

「任せろって」

 電話を切り、女性の方を向く。女性は工藤の言葉など聞かなくとも、全てを理解しているとでもいうような顔をしていた。

「幸太郎、目を覚ましたようですね」

「はい。これで彼は人生を送ることができます」

 女性は諦念と清々しさが入り混じったような声で、

「私は次の場所へ行くことになるのですか」

 と言った。大竹は頷き、

「はい。ここに留まる必要は全くありません。そちらから息子さんをずっと見守ってください」

 と言った。すると、女性は無言でうなずき、そのままあるべき場所へと帰っていった。

 工藤は女性が完全に消えるのを見送ってから、中村に電話をかけた。

「終わったぞ」

「はいよ、よかったな。特に問題が起きなくて」

「うん。何よりだよ、あ、そうだ。あとで話したいことあるからさ、このままどっかで夕飯食べて行こうよ」

「いいぜ。今は時短営業で店がすぐ閉まるからな。すぐ車回すから、そこで待機してて」

「頼む。じゃ、気を付けて」

 電話を切り、ズボンのポケットに入れる。空を見上げると、すっかり暗くなってしまっていた。いつの間に、先ほど目にした、目を焼くような赤が、こんなすべてを飲み込むような黒に変わっていたのだろうか。風はすっかり冷たくなり、じわじわと体温を奪っていく。

「迷子、か」

 工藤のつぶやきは、闇に霧散した。

 まだ夕飯を食べていない工藤と中村は、偶々開いていた東南アジア料理の店に入った。二人は生春巻きを摘みながら、今日の案件について話し続けた。エビの触感がぷりぷりで、添えてあるチリソースは甘さと辛さのバランスが絶妙だ。工藤は口に入れた生春巻きを咀嚼しながら、見慣れた中村の一重の目と、よく動く厚い唇を見ていると妙に気持ちが落ち着いた。工藤の視線に気づいた中村は、ぐっと生春巻きを飲み込むと、気の抜けた表情で

「で、話ってなに」

 と言った。工藤は箸を箸置きに置き、姿勢を正した。中村は工藤のその様子にただならぬ気配を感じた。

「俺さ、どこか変か?」

「変じゃないと思うけど、なんで」

 中村が聞き返す。

「いや、最近仕事の記憶が飛んでてさ」

「なに、遂にストレスで記憶まで飛び始めたか。良い医者紹介しようか?」

「ぶっとばすぞ。なんていうかさ、仕事の違和感がすごいんだよ」

 中村の小さな目が大きく開かれた。

「それって」

 中村が次の言葉を発しようとしたとき、

「お待たせ致しマシタ、フォーとグリーンカレーです」

 という少し片言の店員の声が横から聞こえた。そちらを見ると、店員が料理をもっている。

「フォーのお客サマ」

 店員の問いかけに

「あ、はい」

 と中村が手を挙げた。中村の前にフォーが置かれる。そして、グリーンカレーを工藤の前に置き、

「ごゆっくりドウゾ」

 と言って消えていった。それぞれの料理からとても良い香りがする。グリーンカレーのスパイシーな香り、そしてフォーのパクチーとスープの香りが仕事終わりの二人の食欲を一気に刺激した。工藤はグリーンカレーを口に入れ、

「おいしい」

 とにこりと笑った。中村もそれを見てフォーを食べる。美味しい。中村は口いっぱいにフォーを頬張り、

「違和感って主にどんなところが?」

 と工藤の顔を見た。工藤は思わずその表情に噴き出した。

「なんだろう、根底的な何かだ。俺らの仕事ってこうだったか」

「こうっていうのは」

 中村が聞くと、工藤の眼が輝いたように見えた。

「俺はもっと前線に出ていた気がする。俺はスピーカーの適正が高いが、僕自身でさえ前に出ていた。こんな穏やかな日常を送った記憶がない」

 工藤の発言に、中村はついに瘴気で頭がやられたかと返した。工藤と中村はしばらく談笑した後、明日の仕事の話をし、そのまま解散となった。


 翌朝、工藤は目を覚ました。目を窓の方にやると、まだ暗いが青空が見える。朝か。壁のアナログ時計を見ると、7時とあった。

 時計を見ながら今日の予定を思い出す。今日は確か中村と俺、そして新人のファイターと一緒にいわくつきの屋敷に行く日だった。夜になると魔物の力が増幅されることから、明るい昼間の間に諸々黄泉送りを済ませてしまおうという話だったはずだ。

 ベッドの脇においてある携帯を見ると、彼女の葵からLINEが来ている。

「おはよう、今日もお仕事頑張ろう」

 葵のアルトでよく通る声が脳内で再生された。業種が全く異なるのに、こうして互いに応援できる。「えいえいおー」という緩いスタンプを送信すると、何かキャラクターのスタンプが送られてきた。

 工藤はベッドから抜け出し、朝食のためにキッチンへと向かった。何を食べようか。冷蔵庫と戸棚を一通り見るが、碌なものが入っていない。スポーツドリンクとエナジードリンクが置いてあるが、それ以外には魚肉ソーセージと卵などがある程度だ。野菜なども見当たらず、主食となるパンや米、シリアルなどもなかった。

 我ながら生活力がない。外で済ませるか。でも、流石にシャワーを浴びよう、とぼんやりとした頭のまま浴室へと向かった。服を脱ぎ、洗濯機に放り投げる。洗濯機に向かって丸めたTシャツを投げると、空中でTシャツが開き思い描いていた放物線を描かずに床に落ちた。

「惜しい」

 工藤は後頭部を掻きながら床に落ちた服を回収しに行った。ちら、と横目に鏡に映った体を見ると、いつの間にできたのか左胸のあたりにあざがあった。さらに、右胸から腹の辺りにかけて縦に傷跡がある。

 工藤は知らぬ間に増えていた傷に疑問を抱き、右胸にある傷跡に触る。鋭利な刃物で切られたようなそれは、常人の生活環境では発生するはずがないものだ。

 工藤はスピーカーである時点であまり攻撃的な魔物には当たらないようにされているのだが、なぜこんなファイターが作るような傷があるのか。しかも、左胸のあざは心臓の上にくる場所だろう。ブラック企業どころか、死と隣り合わせの危険たっぷりな企業だ。俺はなぜこんな訳の分からない職業に就いているのだろう。彼女と結婚するとか言っているけど、これじゃいつ死ぬか分からないな。…むしろ、死亡保険金とかが給付されて安泰なのか?

「よく死んでないな、俺」

 工藤は数秒自分の体をしげしげと眺め、浴室へ入った。

 工藤はシャワーを浴びて、朝食を食べるために財布と携帯、家の鍵だけを持ち街へ繰り出した。コンビニでおにぎりとかを調達するもよし、ファミレスでも良いな。マスクをしているから良いだろうと、工藤は人目をはばかることなく大きなあくびをした。生理的に分泌された涙を拭くため、眼鏡を外して目元をこすっていると、見慣れたシルエットが視界に入った。眼鏡をかけなおすと、厚手のトレンチコートに赤いチェックのマフラーをつけた大竹純一が見えた。俺の前のバディで、銃火器を得意とするファイターだ。大竹はコンビニに入ろうとしているようだった。

「おーい純一!お前も朝飯?」

 手を振りながら大きな声で呼びかけると、大竹は一重の目を大きく見開いてこちらを見た。何か言っている様だが、遠くて聞こえない。

「なに?」

 近づくと、彼は体をこちらへ向けた。

「おはよう、そうだよ。さっき解放されてさ。漸くなにか口に入れられるんだ。お腹がすいたよ」

 二人は連れだってコンビニへ入り、適当に食べられるものを調達した。

 鎌倉はだんだんと春の陽気になって来ており、外で震えることも少なくなった。しかし、外で優雅にピクニックができるほど暖かくない。そのため、折角会った元バディと食事はしたかったが、外で食べるのは嫌だった。工藤が

「大竹のアパート行っても良い?どんな仕事だったか聞きたい」

 と聞くと、大竹は

「いいよ。仕事の情報交換は大事だしね」

 と二つ返事で了承した。工藤はその反応に驚いて大竹の顔を見た。

 工藤は大竹の疲れた顔と性格から、

「いいか、僕は疲れているんだ、嫌に決まっている!」

 と憤慨されるかと思ったからだ。

「珍しい」

 大竹が素直に驚きを表明して先程の予想を伝えると、

「お前の中で僕はかなり気難しい奴なんだな」

 と心外だという顔をされた。

 危険度中級以上の魔物が出現した場合、スピーカーの能力だけで任務を完了できるか、ファイターが出撃しなければならないか判断が難しいことがある。その際は、スピーカーとファイターが手を組んで任務にあたる。危険が発生しない場合は、スピーカーが主に黄泉送りの業務を担当し、ファイターは魔物の手下や気配に集まって来た有象無象を始末する。

 一方、本格的な有事の際には、ファイターが前に出てスピーカーは援護に徹する。ファイターとスピーカー、どちらがいつ主導権を持つ側になるか分からないため、互いの能力と限界を把握する必要がある。熟練のスピーカーとファイターのコンビは中程度の魔物出現の際に、よく駆り出されるものだ。二人は人気のコンビだったため、よく依頼が来ては魔物以前に過労で死ぬとぼやいたものだった。

 工藤は近くにある大竹の家に上がり込み、買ったおにぎりを食べていた。具は鮭である。少しパサついた鮭と、米と海苔の味を楽しみながら、大竹から今回の事件のあらましを聞いていた。そして、キッチンに立っている大竹の手に巻かれた包帯を見つめる。

「朝帰りは大変そうだね」

「魔物が姿を現すのが夜だから慣れるしかない。もちろん、昼間に済ませられるのならそれが楽だけどさ」

 大竹はガーゼが当てられた左腕をさすった。工藤はおにぎりを口に入れながら、大竹の言葉の続きを待つ。

「今回は思い切り吹き飛ばされたし、これくらいで済んで僥倖かな」

 チン、という音がして加熱が終わった。大竹がレンジから中華丼を取り出し、工藤の向かいの椅子に座った。大竹は工藤の中華丼の香りに、自分も何か丼ものを選ばなかったことを後悔した。

 工藤は口内のおにぎりを飲み込み、大竹に質問をすることにした。

「銃とか火を扱う大竹に突っ込んでくるって中々癖が強いね。銃ならともかく、火は明るいから嫌がりそうなのに」

 大竹が使用する戦法の特長は、小型銃から火炎放射器など様々な武器による多彩な攻撃手段にある。武器に頼った遠距離攻撃を中心とした戦法は、他のファイターの面々から邪道とされることもあった。

 ファイターは特殊能力と恵まれた身体能力で戦うことが多いため、大竹の戦法はかなり異質なのだ。そして、彼が使える他の魔術は精々身体能力を底上げする、相手の動きを瞬間的に言霊で止める程度のものであった。大竹は扱える魔術の特性から、スピーカーやその上位職のコマンダーにスカウトされているとも聞く。昔から疑問だが、なぜ大竹はファイターなどやっているのだろう。

 工藤は、前にいる細い男がすました顔をして中華丼を口に入れていく様を見る。俺より圧倒的に頭が回る彼は、本来あんな危険度が高い前線に、しかも力技による解決を強いられる場所に配属されるべき人材ではないのだ。

 工藤の悩みをよそに、大竹は中華丼を咀嚼し終わった後、

「音で居場所を感知するタイプだったから光を忌避しなかったんだよ。目が潰えていた。よっぽど見たくない現実があるのか、それか、嫌なものを見てもう二度と目を開けたくないと思ったのかな」

 と答えた。

「魔物の変形理由って一々探り始める鬱になるよ。あと、そいつって銃声とかで近づいてくるんじゃ」

「ああ」

「どうやって倒したの?」

 大竹が黙ったままにっこり笑う。大竹は恍惚とした表情、緩やかなスピードで

「光を当ててじわじわと弱体化させて、そこにゆっくり近づいて」

 と謳う。

 彼のその姿は、春のうららかな日差しを浴びて、春の訪れを歓ぶ生き物の様であった。もしくは、スラーの多い曲のように、伸び伸びとしなやかである。

 突然、スラーの曲はスタッカートにて区切られる。大竹はぐっと体を乗り出し、工藤の胸を人差し指でつき、

「銀の杭を心臓に二撃」

 と低い声で言い放った。瞬間、工藤の視線と、大竹の視線が数秒合わさった。

 大竹からは、男の眼鏡の奥にある、たれ目で大きな二重がさらに見開き、そして次の瞬間すっと細められたのが見えた。

 工藤からは、男が妖しげに片眉を引き上げ、そして切長で一重の涼しげな目元が朝日を反射し、愉しげに光ったのが見えた。

 工藤が無感情に

「吸血鬼だね」

 と言う。大竹はゆっくりと前のめりになっていた姿勢を元に戻す。そのまま彼は頬杖をついた。

「人間を丸ごと飲み込むことはないけど、血を器用に持っていって自分のものにしちゃう性質は厄介だよな」

「血を吸われて干からびてない?」

「僕は今ビーフジャーキーになってないだろ。吸われたっていうより、触手でつつかれて流血だな。プスプス刺してきた」

「痛そう」

「そりゃあな。あと、お前、時間大丈夫か」

 工藤がはっとスマホを見ると、そろそろ出なければいけない時間になっていた。工藤はいそいで身支度を整える。大竹の見送りを背に、大竹の家を飛び出した。


 工藤は中村、そして今日任務を共にする新人ファイターの高橋健斗と合流した。工藤は車の運転を代わり、説明が上手い中村が高橋に色々と事前説明をすることになった。

 工藤は運転をしながら、高橋が集合場所の鎌倉駅前に立っている姿を思い出した。背はすらりと高く177センチ程度あるのだろう。マスクをしていて顔の下半分は分からなかったが、きりりとした印象を与えるその青年は、布にまかれた長い獲物を背負っていた。一見すると、これから練習へ赴く弓道家にみえるが、背にあるそれは弓ではなく太刀である。なにより、その武器は現代日本人が武道を嗜むために作られた代物ではない。異質を断つための真剣である。

 怪物との戦いにルールなどなく、反則なども勿論ない。後部座席にいる彼はスポーツマンどころか、迅速、着実に元人間の処刑を執行する人間なのだ。彼がそれだけの冷徹さを持つファイターだなんて気づく人間などいないだろうなと、工藤は中村の話を聞きながら考えていた。

 工藤は中村と高橋が会話する姿をもう一度ミラーで見て、そして曰く付きの屋敷へとハンドルを切った。そして、今回の現場である曰く付きの屋敷から数メートル離れた場所に車を停めた。

「着いたよ」

 工藤が声をかけると、

「お疲れ様です。運転ありがとうございました」

 という高橋の声がした。中村が説明用に使用していた見取り図を鞄にしまい、

「よし!最終確認。チェンジするタイミングはできる限り俺らが指示するから、スピーカーが何やっているかを見ておいて。まずは俺が結界を張って、仕事する範囲を指定するからね」

 と高橋に確認をしていた。中村の話を熱心に聞いているファイターの青年は実に輝いて見えた。俺も中村も20代後半で、世の中的にまだまだ若い部類に入るはずだが、こういう輝きのある若さはもうないかもしれない。逆に、中村は結構体格が良い優しいお兄さんという感じで、これの同い年かと自分の年齢を嫌でも自覚させられた気がした。なんだか少し悲しい。

 中村が、

「俺は一体だけ白狐を連れていくが、基本は姿を見えなくしてある。それが現界して相手に噛みつきだした時は問答無用で前に出てくれ」

 と言うと、白狐を見たことないのか高橋の顔が疑問を露わにした。

「びゃっこ、ですか」

「そ!白い狐の方で、虎じゃないよ。俺の式神なんだ。名前は佐助」

「神社みたいですね」

「俺の家は佐助稲荷さん近所だしなー」

 中村が笑う。そこに、工藤が

「僕らスピーカーは霊と話す必要があって、マスクがあると色々術の効果が疎外されるから外していきます。コロナで死ぬ以前に、ここであっさり殺されちゃうからね」

 と高橋の方を見た。

 高橋も

「私も嗅覚で相手の居場所を判別する技能があるので、外させて頂きます」

 と言った。

 全員がマスクを取った瞬間、高橋は初めて見るスピーカー二人の顔に

「漸く街中やオフィスで会っても分かるようになった」

 と胸中で安堵の息を吐いた。

 鬱蒼とした森を数分歩くと、今回の現場である古い日本家屋にたどり着いた。曰く付きのその場所は、「夏のホラー特集」なんて特番を組まれそうな雰囲気がある。また、とにかく巨大だった。

「おお、お誂え向きじゃん」

 中村が感想を言う。

「いかにも色々居そうだね」

 工藤もそれに頷いた。そして、高橋の方を向く。

「高橋さん、じゃあ俺らの警護をよろしくお願いします。これから札を使って、範囲を指定しますね。で、徐々に追い詰めていくから」

 中村と工藤は札を家の壁や扉に貼っていく。その間、高橋は周りを警戒しながら、中村の説明を聞いていた。

「俺らスピーカーは戦闘力が高いわけじゃないからさ、こうやって護符とか使って事前に相手の攻撃を弱体化しておくわけ。対策のために呪いとか、毒とか使う奴らもいるね。俺はシンプルに札を使った術しかできないんだけど、お香を焚く人とかもいる」

「工藤さんはどんな術をお使いになるのですか?」

「工藤も同じ。似た方式を取るもの同士、効果を倍増させあっていることが多いかな。今回は工藤が引っ張り出す側だから、工藤の札とかは見れないけど」

「なかむらー、もう中入っても大丈夫!」

 工藤が中村に叫ぶと、中村は

「おう!じゃあ行くか」

 と緊張した面持ちの高橋に笑いかけた。

 高橋が太刀を構えながら、単身で土間に入ると、肌にびりびりとした感触がした。結界の効果かもしれない。目や音、そして匂いを嗅いで辺りを警戒するが、今のところ問題なさそうだ。中村さんに合図をすると、静かに俺の後ろに来た。

「どう?様子は匂いで分かるのかな」

 小さい声で中村さんが聞く。

「魔物特有の禍々しい匂いはしないので、多分まだ魔物にはなっていません。ただ、血の匂いが奥の寝室からします」

「ありがとう。結界の反応的にもいるのは奥の寝室だ。行こうか」

 ブリーフィングの際に見せられた、この家の間取り図を思い描く。中村さんは俺の背後からするりと抜け出し、術を唱えながら家の中へと進んでいった。

「東は喧嘩、南は大火事。さあさ、夜の帳が下りる、見えるぞ君や」

 中村さんの謎の歌が家に響く。暗い廊下で、俺らの足音と中村さんの歌だけが聞こえる。

「鳴らぬ。飛ばぬ。沈まぬ。ただ前へ。おいでやおいで」

 太刀を握り締めながら、なんだかなあ、優しいし面白いけどと思っていた時、ぐっと霊の匂いが強くなった。前に出ようとした時、片手をあげて

「待て」

 と制止させられた。中村さんも結界の様子で気配に気が付いたようだ。匂いと気配、双方から目前の部屋に標的がいることは確かである。

「一応霊をここに追い詰めてはある。あまり暴れている様子もないから大丈夫なはず。次の歌の後に扉を開ける。それで飛び出してくるようなら遠慮せず前へ出て切れ」

「はい」

 俺は中村さんの指示に太刀をぐっと握り締める。前へ意識を集中していると、中村さんが扉に掌を向け、

「難波潟 みじかき葦の 節の間も 逢わでこの世を すぐしてよとや」

 と唱えた。術に反応してぐっと血の匂いが弱くなる。匂いがかなり薄まった時、

「入るよ」

 と中村さんが扉を開けた。

 扉を開けると、主寝室か畳貼りの大きな部屋があった。ライトで部屋を照らしていると、壁に張り付き震えながらこちらを見る男がいた。体格が良く、組み合ったらそれ相応に強いだろう。しかし、今はなぜか小鹿のように震えている。

「いました」

 中村さんは俺の困惑を他所に、ぐんぐんと男に近づいていく。それに合わせて太刀を構えたまま男を警戒する。中村さんが今まで聞いたことのないような、楽しそうな声で、

「お前がここの主か!」

 と問うた。雰囲気にそぐわないその声のトーンに、思わず口から驚きの声が出る。しかし、中村さんは俺の驚きなど無視して

「俺はお前の名前を聞きたいな」

 と話しかけた。だが、壁に張り付き震えていた男は、絶叫を上げながら中村さんに飛び掛かろうとした。

 高橋が前に出て切り捨てようとした直前、

「止まれ!」

 と圧倒的に強制力を持った言葉が空間に響いた。高橋も驚きで、一瞬体が固まる。ぱっと前を見ると、中村さんに襲い掛かろうとしていた男は完全に固まっていた。

 禍々しい雰囲気を湛えた空間に、中村さんの声は雷鳴のように轟いていた。しかし、中村さんは声を張り上げたわけではないのだ。むしろ楽しそうに今もにこにこしている。先程、突如として脳内にコマンドを叩き込まれたようだ。

 スピーカーの声って、こんなに強制力を持つのか…!

「お話をするには名前が分からないと困る。名前はなんていうの?あ、俺は中島っていうよ」

 中村さんは、即時に反応できるような類似性を持ちつつ、絶妙とずれた名前を男に教えていた。

「私は、黒、木陸、だ」

 何度か口をパクパクとさせながら、男は途切れ途切れに答える。

「黒木さん!話をしよう」

 これが学生のコンパであったら、中村さんは談笑をしようと近づく先輩などに見えるだろうが、圧倒的に異なる点として、黒木とやらに一切拒否権は残されていないことだった。

「黒木、今はお腹すいている?最近何か食べた?」

 中村さんが顔を覗き込む。黒木は

「…食べていない。何も、ここに来てから。あいつに追いかけられている」

 とぶつぶつとした話し方で応答した。

 その後、中村さんは暫く他愛のない話を黒木として、彼の家族関係や仕事のこと、そして好きな食べ物まで聞き出していた。黒木は中村さんのペースに呑まれて、すっかり普通に話していた。俺は得体のしれない黒木とかいう霊と話す中村さんの精神力にただただ打ちのめされていた。

 血の匂いがして、常時嫌な気配のするこの部屋で、中村はさんまるで居酒屋で旧友に会ったかのように話している。

 これじゃあ刀を握っている俺が馬鹿みたいだ。

 中村さんは、

「じゃあ他の連中はどこにいるか知っている?ここら辺で三人くらい行方不明になってさあ。それ教えてくれたら、旨い飯屋の行き方を教えてあげるよ」

「口裂け女が食べた」

「おお、こええ。ありがとう。あとで確認してみるよ。そうしたらさ、飯屋なんだけど、これお店の名前と行き方」

 中村さんはペンでスラスラ何かを書き、すっかり顔がまともになった黒木に紙きれを渡した。そして、

「もうそこへ行けよ。奥さん、予約して待ってるってよ。米と酒が旨いってさ」

 と笑った。

 黒木は初対面の頃とは打って変わって、人間らしい顔をして

「米とあいつの味が恋しい」

 と笑って、消えた。

 高橋は中村が黄泉送りをあっさりと会話だけで終わらせたことに驚きながらも、先程黒木が口裂け女がいると言っていたことが気にかかっていた。

「中村さん。口裂け女の件ですが」

 中村はさっきずっと黒木と高橋に見せていた楽しそうな顔から、一気に真剣な表情に変わった。

「ここは俺がたっぷり言葉詰め込んで作った結界の中だ。そいつもここには入ってこない。ただ、外に出たら確実になわばりの異変に気づいたその女が襲ってくる。女をまるごと切ったら中にいる奴まで死ぬから、一回内部に高橋さんが入って引っ張ってくるようだ。行けるか?無理なら応援を呼ぶか、中の奴は残念だが見殺しにしよう」

 すると、高橋はぐっと口元を引き締め、

「問題ありません。いつかは内部侵入もしなければならないのですから」

 と言った。それに中村は頷いた。

「分かった。俺と工藤がサポートするから、安心していってこい!」

「はい!」

 高橋は太刀を握り締め部屋を飛び出した。

 高橋が部屋を飛び出すと、廊下に若い女がいた。茶髪で、今時のフェミニンなファッションに身を包んだよく街にいるような人だった。しかし、そんな普通な人がこんな所にいる筈はない。

「私、きれい?」

 これはセオリー通りらしい。

「綺麗系っていうか可愛い系じゃない?」

「じゃあこれでも?」

 女はにっこりと笑った。その口は御伽噺にある通り、横に思い切り裂けた。

「少なくとも俺は好みじゃないけど」

 女はその言葉に般若のような顔をして、むくむくと体を2倍近くに膨らませた。真っ黒で目ばかり血走った、口の大きな化け物である。愛くるしい女だったものは、高橋を一口で飲み込んだ。

 女は高橋を自分の世界の一部として同化させるため、体をグニョグニョと動かしながら固まっている。中村は高橋の身を案じつつ、女の形をした魔物と、周囲の様子を観察した。

 魔物は核が攻撃されているとき、基本的にあまり動かない。内部の再構築や、異物の排除に必死になるからだ。だから、今高橋が女の核と戦っている間、この魔物は碌に動けやしない。

 中村が援護攻撃をしようと部屋から出る。女の方へ白狐を向かわせようとした時、隣の部屋から、紫色で四足歩行の魔物が二体飛び出してきた。双子のように似た形をしたそれは、我先にと大きな口を開けて中村の右腕を飲み込もうとする。

 中村は、突然の魔物の接近に気づき、間一髪で体を翻して躱した。そして、

「行け!佐助!」

 と彼の式神に号令を出した。すると、突如姿を現した、中村の胸の高さほどある大きな狐が片方の魔物に飛びかかった。ガブガブと佐助が魔物を噛み砕く中、もう一体が中村へと向かってくる。中村は意識を魔物に集中させ、

「止まれ!」

 と叫んだ。四足歩行で走って来ていた魔物が一瞬ひるむ。しかし、中村の言葉を振り切り、我に帰った魔物はそのまま中村へ向かって突っ込んできた。

「やっぱり部屋の外は難しいな」

 逃げる隙を作るために中村が言葉を発しようとした瞬間、大きな衝撃と共に魔物が横に吹き飛んだ。何事かと衝撃が来た方を見ると、複数目を持ったさらに大きな魔物がいた。

 おいおい、なんだこの大きさ!さっきまで大した気配なんかしなかった癖して、なんでこのクラスがそこから出てくるんだ!そんなのありかよ!俺と工藤で札を家中に貼って、外部からの侵入経路だって塞いでいる筈だ。この家に小物が数体居るならまだしも、このクラスの奴がいるわけが無い。これじゃあまるで戦場だ、あまりにカオスすぎて話にならないぜ。

「マジかよ!」

 中村の混乱を他所に、大型はズンズンと接近してくる。頼みの綱の佐助を呼び戻そうとするが、今はまだ紫色の二体目の始末中だ。どうする。もう一体式神を使役するにせよ、言霊を使うにせよ、あまり霊力が残っていない時点でジリ貧だ。まずいことになった。もっと簡単だって聞いていたのによ!

 大型の魔物が電車のような速度で中村へ太い幹のような手を伸ばした。中村が反応する間もなく、腹に思い切り絡みつきグッと体を締め上げる。そして、中村は空中へと吊り上げられた。中村は足をジタバタとするが、地面には届かず上へと持ち上げられるばかりだ。

「が、あ」

 肋骨が割れそうだ。息ができない。目の前が白んできた。痛い。苦しい。

 中村の眼前に大きな口が迫ってくる。このクラスの奴に飲み込まれたら最後、俺はまともに帰還できるのか?

 口が鼻先まで来ている。中村が覚悟を決め、じっと中を見つめた時、視線のはじに何か入った。

 な、これは俺ちゃん特性閃光玉だ!やばい!

 キン!という音と共に強烈な光が一気にあふれ出す。目を焼くような光が館内を白く染め上げた。

「キエエエエ」

 驚いた魔物があまりの眩しさに目を庇うために手を離した。すると、魔物の腕に抱かれていた中村は重力に従って自由落下しはじめた。

「うわああ!」

 地面が迫る。だめだ、足を骨折するかも。さっと嫌な予感がした時、着地地点に何か滑り込んできた。それが何かを認識する前に、中村はそれの上に着地した。急激に肺の中へ来た酸素と独特の匂いにせき込む。おかげで何とか大型にまだ飲まれずに済んだようだ。ありがたい。ありがたいのだが、まずこれは一言佐助に言いたい。

「佐助、お前が俺を受け止めに来る選択肢はないわけね!お前がこの魔物食いちぎっているから、クッションが血でぐっちゃぐちゃなんだけど!」

「助けてもらっておいてその態度は何だ、慎之介」

 文句を言うと、かなり不満そうな声が佐助から聞こえた。

「はいはい、ありがとうさん!」

 佐助に感謝しつつ、ぱっと中村が体を起こす。次に文句を言いたいのは、向こうにいるあいつだ。

「おせーよ、工藤!」

 工藤が札の束を持って立っていた。工藤は中村が元気よく怒っているところを見て、安堵したかのようにため息をついていた。

 工藤は、魔物の肉片と血ですっかりぐちょぐちょになった中村と、主人の隣にいる佐助を見た。よし、二人に大きな損害はまだなさそうだ。しかし、このクラスの大型は厄介だ。

 向こうにいる口裂け女の様子からして、高橋は女の中にいる。このまま高橋が中から帰ってくるのをじっと待ちつづけるのは無理だ。今すぐ引っ張り出さなければ…!そうだ、大型に気を取られないところで、高橋を口裂け女の体内から慎重に引っ張り出し、体勢を整えさせ、迅速に大型の相手をさよう。

 一秒でも早く、今女の腹に入っている高橋をなんとか引っ張りだして、大型の相手をしてもらうしかない…!

「中村!佐助と女を部屋に連れ込んでくれ!俺がこいつの気を逸らしておく!この束と家の札の効果的に、大型と俺が拮抗できるのは2分だけだ!」

 工藤の提案に中村は

「やっぱそれしか方法がないか…。死ぬなよ!行くぞ、佐助!」

 と言い、佐助を連れて元居た部屋の方へ走っていった。工藤は中村と佐助が口裂け女を引きずっていく所を見届けて、大型と向き合った。

 中村印の閃光玉はやはり質が良かったらしい。魔物の視力が回復するのにまだかかりそうだ。よし、この間に大型の魔物の四方に弱体化の札を貼って、時間を稼ごう。

「見えナイ、イタい、イタ」

 魔物がわめいている間に、横をすり抜け地面に札を一枚貼る。そのまま忍び足で後ろに回り込んで、札をもう一枚を壁に貼ろうとした時、魔物の広い背中から大きな目が出現した。突然出現したその目は一瞬周りを見渡すかのようにぎょろぎょろと動いたが、工藤の姿を見つけると工藤をじっと見つめた。

「ミツケタ」

 見られた、と思った次の瞬間、魔物が体を回転させ、遠心力に任せて工藤の方へ腕を叩きつけようとした。工藤は咄嗟に体を伏せて躱す。ビュン、という音が頭上でした。そのまま横に転がり、壁にもう一枚札を貼り付ける。延長線上に貼れなかったが、一定の効果はあるだろう。

「緊縛、杭打ち!」

 両手を合わせて呪文を唱えると、大型の足が止まったのが分かった。杭を打ったように足がその場に固まる呪文だ。あとは腕の攻撃を躱しつつ、腕にも杭打ちを唱えるしかない。

 工藤が立ち上がろうとした時、自分と魔物の影が重なったのが分かった。咄嗟に体を左へ回転させる。爆音と共にさっきまでいた場所が崩壊した。魔物が蝿を叩きつけるかのように、俺に対し腕を大きく振り下ろしたらしい。なんて馬鹿力だ。直撃していないのに、衝撃で眼鏡が飛んだぞ。ただ、この大型は非常に動きが分かりやすい。これなら札を直接貼れるかもしれない。

 大型の魔物は工藤に拳を叩き込むため、もう一度大きく腕を振り上げた。工藤はそのタイミングにあわせて魔物の死角へ走り出そうとすると、まぶたの裏が光るような感触で、ビリリと直感が走った。

 ここは一度左に重心をかけてそのまま進むようにみせ、その後一気に右へ飛び出そう。直進し、壁を使って上空へ跳ね上がり、上からXXを思い切り叩き入れれば一気に首を取れる。

 工藤が走馬灯のように巡ったイメージを元に体を動かそうとする。これなら確実にダメージを与えつつ、時間稼ぎができる。高橋が出てくるまでの時間は稼がなければいけない。左足に重心を置き、一気に右へ飛び出そうとした時、呪文にかかったかのようにピクリとも体が動かなくなった。

「なん…だ!?」

 なんで動けないんだ!今ならあいつを足止めできるのに、今更恐怖で動かないとかじゃないよな?工藤はぐっと体を捻って足を地面から離そうとするが、杭を足の甲に打ち付けられたかのように動かない。こいつまさか反転の術式なんて使えたのか!?

 工藤の慌てた様子に気が付いた大型が、勝機と思ったか笑いながらこちらを見てくる。弱体化用の札を貼るために壁に手がつけばと思うが、体は雁字搦めになったかのように動かない。まずい、こいつのフルスイングをもろに食らって、今の俺がまともに立っていられるとは思えない。下手したら上半身と下半身が分離して死ぬ。体に動けと命じるが、神経がブロックされているかのように一ミリも反応しない。

 大型は工藤の混乱を他所に、もう一度体を大きくねじり、そして、勢いをつけて工藤の体を殴ろうとしていた。

「あ」

 工藤は体が半分吹き飛ぶことを覚悟した。これは流石に駄目だ。

 大型は回転のエネルギーを使って、今度は札のついた壁ごと破壊しながら、太い腕を工藤にぶつけようとしている。家にかけた弱体化の術が破壊されたら、俺らではもう全く手がつけられない。応援が向かっているとはいえ、これは2分どころか30秒も怪しいぞ!

 壁が崩れる轟音と、大型の雄叫び、そして巨木のような腕が一気に工藤に襲いかかる。体の回転で巻き起こした風を体いっぱいに感じ、工藤の視界いっぱいに大型の前腕入った。息を呑む間も無く、拳が鼻先に触れそうになる。その時、今度は後方から前方へ吹き抜ける猛烈な強風を感じた。そして、

「ギャアアア」

 という大型から頭を掻きまわすような悲鳴が聞こえた。何事かと目を瞬かせていると、瞬きの間に人影が目の前に来ていた。

 なんだ、突然現れたぞ…?

「もうちょっと早く召喚してくれなきゃ。じゃなかったらお前死んでたぜ」

 軽い口調の男の声が前にいる人影から聞こえた。

 いつの間にか前に現れた紺地の和服を着た褐色の男は、こちらに背を向けて立っている。手には長い槍を持っていた。工藤は体が動かない状態のままで、

「応援のファイター?でもこのクラス相手にコマンダーは?」

 と実に情けない声を出した。男がその声に反応して、少しだけ振り向いた。目が細く、鼻筋の通った男だった。男はちら、と工藤を見て不敵に笑った。そして、

「俺が何か、アンタ知っている筈だけどな。ま、俺のことは、『ハジメ』って呼べよ」

 とだけ言って、大型へ槍を持って突進していった。


 ☆


 高橋は体育座りのまま周りを見渡した。ここはどこだろう。前も後ろも分からない。困った、と思いながら、それでも何かをする気は起きなかった。それがなぜだかわからない。ただ、この静寂の中体を休めていられるのなら、それも良いと思えた。このまま静かな場所で、穏やかに朽ちていく。特にそれが悪いとは思えない。じっとりとこの暗さに包まれているのはどこか心地よく、何も考えずにいられるなら最も幸いだと思える。

 高橋がもう一度顔を膝に埋めようとした時、どこかから光が差し込んだ気がした。突然のことで、一瞬どちらから光が来たか分からない。後ろだ、と光が来た方向を見ると狐が見えた。白い毛並みが艶やかなその狐はこちらを見て鳴いている。

 魔物だろうか。それにしては禍々しい気配もしないが、どこから湧いたのだろう。狐を見据えるが、狐はなにもせずこちらを見ている。そもそも、これが魔物なら光を忌避するはずだ。では、なんだろうか。

 高橋は立ち上がって狐のほうへ向かう。残り1メートルになっても狐は高橋に何もせず、近づいてきた高橋を見上げるだけだった。耳が赤く、白銀の毛並みを持つ狐の眼に見覚えがあった。

 高橋が、

「中村さんの狐か。あれ、俺」

 そう言うと、逆光の中にいる狐は楽しそうに笑った。そして、低い男の声で

「気づくのが遅いわ、愚か者」

 と言った。可愛い動物から聞こえた声の低さと内容に高橋は唖然とした。そして、高橋は佐助に誘導されるまま、急いで口から飛び出した。

「高橋!大丈夫か!」

 高橋は満身創痍で女の口から飛び出し、地面に転がった。遠くから中村さんの必死な声が聞こえる。かなり体力も魔力も消耗してしまった。焦点を合わせると、中村さんと最初にいた部屋の内装が見えた。

「現状は!」

 上半身を起こすと、中村さんが肩を叩いた。

「外で工藤が大型と交戦している。向かってくれ。こっちは俺が始末するよ。この人のことよくわかったからもうお送りできる」

 中村さんが俺の横を通り過ぎ、ガタガタと震えている女の方へ向かった。女の隣で佐助が毛繕いをしていた。高橋は一瞬深呼吸した後、刀を持って外へと飛び出していった。

 中村は高橋が部屋から出たのを確認してから、女に術をかけ始めた。女は高橋を吐き出した後の、最後の気力で中村に飛びかかろうとした。しかし、それはあまりに弱々しく、最早佐助も動かなかった。

「はは、まだやるんか」

 中村は自分の右手を一度下へ向け、そして回転させて左手と合わせる。そして、次に飛びかかろうとして来た女の胸に両手を押し当てた。

「御恵みこそが清き慰め。我らが力、我らが言葉、我らが万軍。君よ、我ら深く慕い祀る。『秘術 白百合葬列』」

 女が立ち上がることは二度となかった。



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