彼女の猫に負けない
【登場人物】
國近悠乃:高校二年生。クラスメイトの小雛に猛アタックした結果付き合うことが出来た。わりとさばさばした性格。
佐々岡小雛:悠乃のクラスメイト。性格はおとなしめ。悠乃のスキンシップにはまだ慣れない。
ミィコ:小雛の飼っている猫。三歳、メス。毛はキジトラ柄。
彼女だから可愛く見えるのか、可愛いと思ったから彼女になって欲しかったのか。
どちらでも私にとってあんまり違いはない。結果として佐々岡小雛は私の彼女でありこれ以上ないくらい可愛いことは事実なのだから。
「次の体育でバドミントンするって言ってたけど、小雛はラケット競技系は得意?」
「あんまりかな。中学のときに授業でバドミントンと卓球をちょっとやったくらい」
「じゃあ一緒にやろ。私がしっかり手取り足取り教えてあげる」
「……言い方がその……」
「ん? なにか?」
私は分からないフリをして、隣に座る小雛の顔を見つめた。
付き合ってまだ一カ月の小雛は反応の全てが可愛らしい。
かすかに赤くなったほっぺ。早くなるまばたき。小さく引き結んだ唇。どれも見ていてにやけそうになる。
今私達がいるのは小雛の部屋。人は私達以外に誰もいない。肩を寄せて小雛にもたれかかる。
「――――」
小雛が息を飲む音が聞こえた。私は手をゆっくりと伸ばし小雛の手と重ねる。肌に触れる心地というのは何故こうも胸を高鳴らせてくれるのだろうか。親指以外の指を小雛の指の間に差し込み、何度も前後させて指の腹でさする。
「――っ」
小雛が唇を噛んだ。くすぐったいのではなく恥ずかしいのだろう。しかし拒否はしない。小雛の優しさもあるけど私を受け入れてくれてることの表れなのだと思う。
でも私には物足りない。
付き合って一カ月。そろそろ手を繋ぐ以上のことをしてもいいのではないか。
「小雛……」
耳元で囁き掛ける。ぴくりと小雛の肩が震えた。構わず私は唇を横へ移動させていく。目指す場所は一つ。小雛の可愛らしい唇。
小雛の頬を鼻でつんとつついてみる。なおも小雛は体を強ばらせるだけで私を突き飛ばすことさえしない。
(これはもう、いいってことだよね?)
興奮を抑えることが出来ない。私は顔を正面に回した。小雛と目が合う。潤んだ瞳は怖がっているのか恥ずかしがっているのか。でもそんなことはもうどうでもいい。今すぐこの唇に自分の唇を押し付けてむちゃくちゃにしてやりたい――。
「ぐぇっ」
今まさにキスをしようとしたそのとき、私の頭の上に何か重いものが乗っかった。
首がやられそうになったのを耐えつつ目だけで頭上を見上げて声を絞り出す。
「ミーイーコーちゃーん?」
ミィコは何も答えずに足の踏み心地を確かめるように何度かその場で足踏みをした。
ミィコとは小雛が飼っている猫だ。三歳のメス、毛はキジトラ柄。
この部屋には人間は私と小雛しかいないが、猫が一匹いた。そしてこのミィコは事あるごとに私を敵視してくるのだ。
「ミィコ、人の頭に乗っちゃダメだよ。ほら、こっちおいで」
小雛が呼びかけるとミィコは飛び降りて小雛の膝の上で丸くなった。小雛がミィコの首から背中にかけて撫でると、ミィコは気持ち良さそうに目を細めてヒゲを揺らした。
(くぉぉんにゃろぉぉ~!)
外面は『しょうがないなぁ』と笑いながらも心のなかで悪態をつく。ミィコの介入でさっきまでの良い雰囲気がぶち壊しになった。
ミィコはいつもこうやって私が小雛といちゃいちゃしようとするのを邪魔してくる。会ったばかりのときこそあまり私に近寄らなかったくせに、今では私が小雛にキスしようとしたり肩に手を回して抱き締めようとすると間に割って入ってきたり頭や肩に飛び乗ってきたりする。正直猫なんか横にどけて小雛といちゃつきたいと思うのだけど、一応ミィコに会いにくるという名目で小雛の家に来ているのでないがしろにするわけにもいかない。
(私だって猫は好きだし)
これまで仲良くなるためにアプローチを試みてきたが一向に手ごたえはなかった。ミィコのお気に入りの猫じゃらし型おもちゃを振っても見向きもしてくれない。小雛が振るとすぐに遊びだすくせに。
(嫌われてるってわけじゃないとは思うんだけど)
私が撫でても逃げたりはしない。片目を開けて『しょうがねぇなぁ』というオーラは感じるものの私を引っ掻いたりすることもない。だから少しは私の存在を認めてくれてはいるはずだ。
『悠乃のこと、気に入ってると思うよ』と小雛も言っている。猫は人間より自分が偉い(可愛い)と自覚しているところがあるから、そういう態度になったりするのだという。小雛のこともご主人様というよりエサをくれて撫でてくれて座り心地のいい膝を用意してくれる便利な人扱いしているのかもしれない。
なので私に対して当たりが強いのは、自分のお気に入りの人にちょっかいを掛けるな、という牽制の意図が含まれているような気がする。
(たとえそうでも、私が小雛の一番で、小雛の一番が私なんだ! 猫に邪魔なんかさせてたまるか!)
ミィコの腰のあたりを指でマッサージしながら胸中で叫んだ。私の想いはただひとつ。
(なんとしても――なんとしても小雛とキスをしてやる!!)
「次の土日だけど、どっちか私の家にこない?」
猫に邪魔されるのなら猫がいないところでいちゃつけばいい。簡単な話だ。
「……うん。いい、よ」
躊躇いがちに頷く小雛。これはもしかして期待してもいいのだろうか。私が隙あらば小雛にくっついたり顔を寄せたりしていることに気が付いていないはずがない。部屋で二人っきりになって私が何もしないわけがないことだって少し考えれば分かる。
(これはいよいよ――)
期待に胸を膨らませていると、金曜の夜に小雛から連絡がきた。
『明日なんだけど、お父さんとお母さんがお昼に出掛けるらしくて私がミィコを見ないといけなくなったから悠乃の家に行けなくなった。日曜も用事が出来て無理そう。ごめんなさい』
はぁぁ、と深く息を吐いて落胆する。これでミィコを責めるのは筋違いだ。小雛にとってミィコは大事な家族なのだからそっちを優先するのも致しかたない。
残念だと思うのと同時に『お父さんとお母さんが出掛ける』という言葉に目を奪われた。つまり、ミィコさえなんとかすれば、二人っきりのいちゃいちゃ空間が作れるということ。
ミィコをなんとかすれば……。
明日小雛の家に行く旨を伝えたあと、対ミィコに向けての作戦をスマホで調べ始めた。
「やっほ~、ミィコちゃーん」
翌日のお昼過ぎ、小雛の部屋に入るなりクッションでくつろぐミィコの元へ近寄った。
案の定ミィコの反応は薄く、私を一瞥すると小雛の足元へとすり寄っていく。小雛が苦笑いを浮かべて腰を降ろしミィコを抱きかかえた。私も小雛の隣に座りミィコの首の後ろを指でぐにぐにする。
「ミィコちゃんはもうお昼ごはん食べたの?」
「うん。って言っても猫の食事は少ない量を何回かに分けて食べさせた方がいいからたくさんじゃないけど。夕方と夜にもまたちょっとごはんあげる」
よし、と内心ガッツポーズをとる。猫の一日の平均睡眠時間は14時間と言われている。昼食後の昼下がりは絶好のお昼寝タイム。このままマッサージを続けて眠ってもらい、その間に小雛といちゃついてやる。
両手の指でミィコの首や背中、腰周りからお腹にかけて押して揉んでマッサージする。ミィコは小雛の腕の中で目を瞑り、気持ち良さそうに表情を緩ませていた。
いい調子だ。そろそろ小雛にミィコをクッションの上に降ろしてもらうようにお願いしようか。
私が視線を上げたとき、小雛の表情にどきりとした。
愛猫に向ける優しい眼差し。微笑んだ唇は今この瞬間が幸せであることを存分に私に伝えてくる。慈愛と幸福を兼ね備えた小雛は私には聖母のように見えた。
(私にも、その表情を向けて欲しい……)
嫉妬というよりは単なる欲望だ。もし小雛が同じ表情で私のことをじっと見てくることがあったら、多分私の理性が飛ぶ。
(いや、別にここで私が我慢する必要ある? この家には私達しかいないし、ミィコちゃんは微睡んでるし、今がチャンスなのでは?)
私はミィコを撫でていた手をずらし、小雛の手首を握った。反応して小雛が私を見る。視線が合い、目を丸くしたあと恥ずかしそうにわずかに顔を俯かせた。
「可愛い」
本心からそう呟く。小雛が上目づかい気味に私を見た。
「……ミィコのこと?」
「小雛のこと」
分かりきっていることを答えてから顔を近づけていく。ミィコを抱えたままだろうがもうどうでもいい。むしろ小雛の両手が塞がっているので都合がいいくらいだ。今の小雛は逃げることも抵抗することも出来ない。じっくりたっぷり時間をかけてキスを堪能させてもらおう――。
少しずつ小雛の方へと唇を寄せていると、ちくり、と腕に軽い痛みが走った。
痛みの発生源はミィコだった。ミィコが私の腕に小さなおててを乗せ、爪をたてていた。引っ掻いたりはしないが動かせばすぐにでも私の腕に跡を刻むことだろう。ミィコが眠たげに開いた目の奥、縦長の瞳孔が私を捉えた。それは『うちの小雛に変なことしたらただじゃおかないよ』と言っているようだった。
(くぅっ!!)
私は涙を呑んで小雛から離れた。ここで無理をして暴れられたら台無しだ。
だが私の策はこれからだ。
「そ、そうそう、ミィコちゃんに新しいおもちゃを持ってきたんだけど」
カバンの中から取り出したのはねこじゃらし型のおもちゃ。無論それだけなら前も試したし私がやってもあまり効果がなかったのは分かっている。なので今回持ってきたのはカシャカシャと音が鳴るタイプのやつだ。しかもそれを種類違いで四本。
私は爪状の武器のように四本全て右手の指の間に挟んだ。先端のおもちゃを揺らしながらミィコに見せびらかす。
「ほれほれ~、食いつきたくなるでしょ~?」
「わざわざ買ってきてくれたんだ」
「うん。ミィコちゃんに気に入って欲しくて」
おもちゃではなく私を、という意味だけど。
私がねこじゃらし四本を左右に振ると、ミィコは音に反応してか耳をぴくりと立てて先端のおもちゃの動きを目で追いはじめた。
小雛がミィコを床に降ろした。いつもは私が構おうとしても見向きもしないのに、今回は体を低くして獲物を狙う態勢になっている。
(くくく……猫の三歳は人間でいう二十八歳くらい。まだまだ新しいもので遊びたいでしょう? そうやって散々遊んだあとにぐっすりと眠るがいいわ!)
くつくつと内心で笑いながら、私は目の前の愛玩動物の狩猟本能を呼び起こすべくスナップを効かせてねこじゃらしを振るった。
結論から言うと、猫の体力を舐めてた。
「はぁ……はぁ、疲れた……」
小雛のベッドに上半身を預け息を整える。遊び始めて一時間以上経過した。こちらが激しく振れば振るほどミィコの攻撃もヒートアップしていき、ネコパンチや突進やらを躱していただけでこの有様だ。ミィコはというと投げ出されたねこじゃらしの一本を前足でぺしぺし叩いていた。まだまだ元気そうだ。
「大丈夫? ミィコ一度火がついちゃうととことん遊んじゃうから」
「あはは、このくらい余裕だって……」
「何か飲み物持ってこようか?」
「うん……ありがと」
小雛が気を利かせて台所に飲み物を取りに行ってくれた。ひとり残った私はベッドにもたれたまま落ちていたねこじゃらしを拾ってふりふりと動かす。ミィコが反応して近くにきた。右に左に揺らす度にしっぽがぴくぴく動く様子がなんとも可愛らしい。
「……くそぅ、人の恋路を邪魔する憎らしい敵なのに、可愛いのがむかつく」
ミィコとちょっと仲良くなれたことは純粋に喜ばしい。あとは私と小雛の邪魔をしてこなければ。
ねこじゃらしを置き、ミィコが一瞬動きを停止した隙をついて持ち上げる。若干の抵抗を受けながら私はミィコに顔を近づけた。
「ミィコちゃんお願い! ミィコちゃんが小雛のことを好きなように、私だって小雛のことが大好きなの。だから私にも小雛と仲良くさせて! もっともっと小雛と仲良くなりたいの!」
きょとんと見返すミィコ。言葉が通じるわけもない。はぁ、と溜息をついてからミィコを解放した。
少しして小雛が帰ってくる。
「お、お待たせ。麦茶でいいかな?」
「全然いいよ。ありがと」
お盆に乗せてきてくれたコップを受け取り、麦茶を一気に飲み干した。喉を冷たい液体が通り抜け、水分が全身を巡る心地に一息つく。
小雛も自分の分の麦茶を飲み、私の隣に腰を降ろした。
「ミィコ、おいで」
膝の上でミィコを撫でつけながら躊躇いがちに呟く。
「……私ともっと仲良くなりたい?」
「…………」
どうやら聞かれていたようだ。でも聞かれていたからどうした。私が小雛を好きなことも、小雛ともっと仲良くなりたいのも何も間違っていない。胸を張ってそう言える。
「うん、仲良くなりたい。小雛がイヤじゃなければ」
小雛は視線を落としたままミィコを撫で続けている。そうすることで落ち着きを取り戻そうとしているかのように。
「……嫌じゃ、ない、と思う」
気持ちを振り絞った声は消えてしまいそうなくらい小さい。けれど私の耳にははっきりと届いた。
「悠乃が家に誘ってくれたときからずっと、悠乃と会うたびにどきどきして、なんでなんだろうって考えてた。今日は起きてからずっとどきどきが治まらなくて、隣に座るだけで胸の奥がきゅうって縮まるような感じがして、でも嫌な感じじゃなくて――」
頬を朱に染めて、小雛が揺れる瞳を私に向けてくる。
「多分私も、悠乃ともっと仲良くなりたい」
「……いいの?」
小雛がこくりと頷き、はにかんで笑う。
「今ならミィコの邪魔もないよ」
ミィコは小雛に撫でられながら丸まっていた。動き出しそうな気配はまったくない。たとえ動こうとしても小雛が抑えててくれるのだろう。
この部屋には私達二人だけ。障害となるものは何も無い。
小雛の顔を見つめ、私の心臓がどくんと跳ねた。
恥ずかしそうにしながら、それでも恥ずかしさを必死に隠して精一杯微笑みを浮かべている。世界で一番可愛いと思った。きっとこの世に天使がいるのなら、目の前の少女のような姿をしているに違いない。
もう止められなかった。
小雛に身構える隙すら与えずにキスをした。最初は固く閉じていた小雛の唇だったが、キスをするうちに徐々にほぐれ私の唇を受け入れてくれた。
「……大好きだよ、小雛」
囁きかけると小雛は何も言わずに小さく頷いた。その仕草がたまらなく可愛くて、私は小雛を抱きしめた。
時間を忘れるほどの長いキスの間、ミィコは小雛の膝の上で静かに微睡んでいた。
窓の外には夜が広がり始めている。心底名残惜しくはあるけれど、そろそろ帰らなければいけない。
「も、もうこんな時間か。えっと、晩ごはんまでに帰らなきゃいけないから……」
「う、うん」
互いにぎくしゃくしながら私は帰る準備をする。ついさっきまでここでキスをしていたのかと思い返すと顔の温度が上がってきた。主に『やりすぎちゃったかな』という意味で。
(次はもうちょっと抑えてキスしよう)
でも多分、次もキスした途端に小雛のこと以外何も考えられなくなるんだろうな、と思う。
(小雛も同じ気持ちだったら嬉しいんだけど)
私の方をちらちら窺っている小雛を見るに、その辺はあまり気にしなくてもいいかもしれない。
「あ、そういえばミィコちゃんへのお土産もう一個あったんだ」
私はカバンをあさって赤いパッケージを取り出した。
ち○~る、かつお味四本セット。
「そ、それ……!」
驚く小雛よりも早く、ミィコが素早く私の元に駆け寄り、二本足で立って私の太ももをがしがし前足で叩き始めた。ミィコの鋭い眼光はずっと私の持っているち○~るに向けられている。
私は困惑して小雛に尋ねる。
「え、開けてもないのにこんななの?」
「うん、その袋がち○~るだってもう分かってるから」
恐るべし。さすが数多の猫をとりこにしてきたおやつなだけはある。
私がち○~るを渡して以降、ミィコは私たちの邪魔をほとんどしなくなった。
その代わり、私が行く度に『今日は持ってきたんだろうな?』という期待のこもった眼差しで見上げてくるようになってしまったが。
こんな簡単に懐柔できるなら最初から食べ物で釣れば良かったかもしれない、と小雛と肩を並べてミィコを撫でながら思うのだった。
終
リクエストがあったので『彼女の猫になりたい』の続きのようなものを書いてみました。
動物を百合と絡める塩梅は相変わらず難しい。
猫は飼ったことないのですが、ち○~るに熱中する猫たちを動画で見て『(色んな意味で)すごい』と思いました。