帝都数学科学生会議第四数将 三田留値愛
「フフ、さらさらトン茶はおいしいな」
この季節は生協食堂の店頭にトンカツの入った茶漬けが並ぶ。揚げ物を水浸しにするなんてと思うかもしれないが、これがうまい。冷やされた白米の上に水菜と大きなカツ、梅干しと大根おろしを載せ氷が二つ入った優れ物なのだ。なのだが、今年は去年よりもカツが小さく、白米も温いし氷も一つしか入っていない。まあうまいからいいが来年以降このまま値段据え置きでカツがどんどん縮んだりしないだろうな。
プェーーーーーー
「呼びましたかっ!?」
「呼んでいませんよ。それともさらさらトン茶に改名なさったんですか?」
吟遊である。今日はピアニカか。いつでも誰に対してもこんな調子なんだろうか。なんだろうなあ。
「今日はお一人じゃないんですね。——ルチアさん? でしたっけ」
「そう。既約な閉前層。それは層——」
数学を知らない人からは謎めいて聞こえるであろう言葉を発する彼女はこの間会った三田留値愛さんである。確か帝数の幹部でオラプロノビス女子大学でも成績優秀とのことだった。
層は数学概念で、位相空間の上になんか載っているやつである。既約な閉前層というのも層のことで、会話で指示や同意の「そう」と紛れるときなどこちらを使う。そのことから逆に冗談で会話で使う方の「そう」を「既約な閉前層」と言うこともある。しかし意外だ。こういう茶目っ気のある人だったのか。
「いったい今日はどのようなご用向きですか」
「ん。勇気出してのうけ狙い発言をスルー。負の感情」
「意外性があって面白かったですよ。わりと笑いをこらえていました」
「正の感情」
留値愛さんは両の人差し指で口角をあげてみせた。これキャラ作りでやってんのかな。なら大した役者だと思う。
プァーーーー
「いやボクたちはですねっそろそろコンパクトとか扱う頃じゃないかと思いましてっセミナーを覗こうかなってですねっ」
「そうなんですか。まあこれからやるのは連結性と分離性なんですが」
「ええっ? 先に距離空間のコンパクト性とかやりませんっ?」
食い下がるなあ。
「コンパクトに対してあるんですか? なんらかが」
「彼女がですねっ、最近ジェネトポがアツいっとのことでっ」
「いい。連結と分離公理でも。知らないコト、教えてくれそう」
プァーー
「でもボクは興味ないから下がっていますねっ! コンパクトの話になるあたりでお邪魔しますっ」
吟遊が引き下がり、留値愛さんと残されることとなった。
「……」
「あの、よろしくお願いします」
「——よろしく。お願いします」
吟遊とは別の形でペースが掴みづらい人だな。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「というわけでこの人が出席することとなった」
「まあ話は影の中で聞いていたから知っているけどね。よろしくお願いします、ルチアさん」
「ん——」
「……」
「——しょこら君。ギュってして、いい?」
「え? いいけど?」「いやダメだぞ」
留値愛さんの突然の要求にしょこらが承諾の姿勢を見せて両手を広げ服の隙間から触手を「ぞろっ」と出したのと俺が拒否したのは同時だった。
「いいのかよ」
「ユラは嫌なのかな、これが」
嫌というか、なんというか。
「嫉妬。してる?」
「へえ? どっちにかな?」
バカなこと言っているんじゃあない。
「ぎゅー」「ぎゅー」
そう言っているうちに抱擁を交わしていた。好きにしろ。
「で、今回は連結性だったね。あっ、今のはそれにちなんでということで一つ」
一つ、じゃないが。
【空でない位相空間 X が連結であるとは、X=A∪B, A∩B=Ø となるような開集合 A,B が存在しないこと】
「言い換えると開かつ閉集合が空集合か全体しかないってことだね」
「さらに言い換えると {0,1} 二点集合に離散位相を入れたものへの連続関数が定数しかないということだな」
「さらにさらに言い換えると。中間値の定理が成り立つということ」
「で、連結は連続像と任意個の直積で保たれると」
「あと弧状連結っていうのがあって」
【空でない位相空間 X が弧状連結であるとは、X の任意の二点 x,y に対して連続関数 c:[0,1]→X が存在して c(0)=x, c(1)=y となること】
「単位閉区間が連結なのと、集合演算にまつわるいくつかの補題から弧状連結ならば連結になることがわかる。あとはあれだな、局所連結と局所弧状連結」
「あれって連続像に写らないよね? 直積は?」
「商空間には写るな。直積は有限だとOKで可算だと二点離散の可算直積が反例」
「連結で他に何かあるかい?」
「ジェネラルトポロジーだと連結周りはめちゃくちゃ基本的なことかめちゃくちゃマニアックなことしかない印象だしなあ」
「ジェネトポ以外で連結性を扱うってこと?」
「代数トポロジ。——では、単位閉区間や単位球面と位相空間の関係を調べる。連結性の探求の延長上にある、かも」
「へえ、面白いかもしれないな——それはさておき、分離性か」
【位相空間 X が
・ T_1 ⇔ 各点についてその点一点からなる集合が閉
・Hausdorff ⇔ 相異なる二点 x,y について x∈U, y∈V, U∩V=Ø となるような開集合 U,V が存在する
・正則 ⇔ 点 x とそれを含む開集合 U について、開集合 V が存在して x ∈V⊂Cl V⊂U】
「あっ一旦そこで止めて——分離性については教科書に付け加えるべきことがあるな。今 {0,1} 離散空間への連続写像が定数しかない空間の話をしたけど、実数値連続写像が定数しかない正則 T_1 空間がある。そこで」
【位相空間 X が完全正則 ⇔ 点 x とそれを含む開集合 U について、写像 f:X→[0,1] で f(x)=1, f(y)=0 (y∈X-U) となるものが存在する】
「こういう定義をする。これはかなり便利なクラスをなす」
「人工的」
「まあ見ていてほしい」
【定理 (Tychonoff) 完全正則 T_1 空間 X は [0,1] の直積のある部分集合に同相である】
「これは証明も大事なやつだから——」
【X から [0,1] への連続写像全体の集合を C とおく。[0,1]^C に積位相を入れ、X から [0,1]^C への写像 Φ を Φ(x)=(f(x))_f∈C として定める。これは積の各射影との合成が連続なので連続である。
p≠q とするとある連続関数 f が存在して f(p)=0, f(q)=1 となる。この f について Φ(p)_f=0≠1=Φ(q)_f なので Φ は単射である。
p∈U⊂X, U は開集合とする。f(p)=1, f(x)=0 (x∈X-U) なる連続関数 f をとると V={(x_g)_g:[0,1]^C: x_f≠0} は開集合で Φ(p) を含み、x∈X について Φ(x)∈V とすると f(x)≠0 なので x ∈U が成り立つ。よって Φ の像からの Φの逆写像は連続である】
「そして T_1, Hausdorff, 正則、完全正則はどれも積と部分空間をとる操作で保たれる」
これはそう難しくないのでやってみるといい。
「つまり。単位閉区間の直積に埋め込めることと完全正則は同値」
「そうだな。ついでにいえばコンパクト空間の部分空間と同相になることとも同値だ」
「コンパクトの部分空間と同相と同値。なら自然かも」
「で、これを使うと Urysohn の距離化定理がちょっと見通しよくなる。まず補題だな」
【補題 B を第二可算空間 X の開基とするとき、B の高々可算部分集合で X の開基となっているものが存在する
証明 A を X の高々可算開基とする。A'={(U,V)∈A^2: ∃N∈B U⊂N⊂V} は高々可算集合である。A' の元 (U,V) に対して U⊂N⊂V なる N を与える B への写像を作り、像をB' とする。これは高々可算集合である。x∈O⊂X, O は開集合とするとある V∈A があって x∈V⊂O, さらにある N∈B があって x∈N⊂V, さらにある U∈A があって x∈U⊂N, よってある M∈B' があって x∈M⊂O となる。故に B' は開基である///】
「あとは Tychonoff の証明をよく見ると第二可算完全正則 T_1 空間が [0,1] の可算直積に埋め込めることがわかる」
「投げ出した。面倒になった?」
そうとも言いますね。
「完全正則を正則まで弱めた形で成り立つ。正則と第二可算から正規を言うパートはコンパクトのくだりでやるとして、正規から完全正則は」
「「Urysohn の補題——」」
「そうだな。補題というにはあまりに偉大な定理だ。ちなみに Urysohn はウリゾーンと読まれがちだし間違いでもないだろうがロシア人名としての読み方はウリソーンだな。これの証明はあれ以上簡単にはならない。長いのは長いがアイディアは等高線を作るという所にあるな。まあ証明しないんだが」
「しないの」
「しろよ」
「——しないんだが、より強い主張である Tietze の拡張定理を等高線を用いて証明する」
「「おー」」
【定義 位相空間 X が正規であるとは閉集合 A⊂X, B⊂X について A∩B=Ø ならば A⊂U, B⊂V, U∩V=Ø なる開集合 U,V が存在することである。
定理 (Tietze-Urysohn) 正規空間 X の閉部分集合 A と連続写像 f:A→[0,1] に対し、連続写像 F:X→[0,1] が存在し F|A=f となる
証明 {(r,s)∈Q^2: 0≤r<s<1} を番号づけ、(r_0, s_0), (r_1, s_1),……とする。そして数学的帰納法により
・f^-1([0,r_n])⊂Int F_n⊂F_n⊂X-f^-1([s,1])
・ F_j⊂F_k (j,k=0,1,……,n r_j<r_k, s_j<s_k)
なる閉集合 F_n を構成する。
A_(r_n)∪(∪{F_j: j=0,1,……,n, r_j<r_n, s_j<s_n}⊂Int F_n⊂F_n⊂U_(s_n)∩(∩{Int F_k: k=0,1,……,n, r_n<r_k, s_n<s_k}) なる閉集合 F_n の存在が正規性により保証されていた。これで帰納法が回る。
F_n を F_(r_n)(s_n) で書くことにして、A_r⊂Int F_rs⊂F_rs⊂U_s (0≤r<s<1), F_rs⊂Int F_tu (r<t, s<u) となる。
X_r=∩{F_rs: s>r} とするとこれは
X_r∩A=f^-1([0,r]), X_r⊂Int X_s (r<s) を満たす。
F(x)=inf{r: x∈X-X_r} とおくとこれは A 上 f に一致する。そして F^-1([0,r))=∪{X-X_s: s<r), F(x)=sup{r:x∈Int X_r} なので F^-1((r,1])=∪{Int X_r: s>r} であり F は連続となる。///】
【系 正規空間 X の閉部分集合 A,B で A∩B=Ø なるものに対し、ある f:X→[0,1] が存在して f(x)=0 (x∈A), =1 (x∈B) となる】
「Tietze の拡張定理。こんな証明、あったんだ」
「それっぽいキーワードで検索すると出てくるぞ。このさらに系として」
【系 正規 T_1 空間は完全正則である】
「ただし正規は積や部分空間についてよく振舞わない。積の方は今やっておこう」
【例(Sorgenfrey) 】
「なんて読むんだい?」
「さあ、本によって表記がソルゲンフライだったりゾルゲンフライだったりソルゲンフリーだったりするな」
【例(Sorgenfrey) 実数の集合 R で (a,b] の形の集合全てを開基として指定し位相を定める。これを Sorgenfrey 直線という。これは正規であり、Sorgenfrey 直線 2 つの直積は正規でない】
なんともなさそうな見た目だが、色々な命題に対する反例になっている。すごいやつなのだ。
【正規である F,G を F∩G=Ø なる閉集合とする。p∈F とすると G に属さない点なので p'<p が存在して (p',p] ∩G=Ø である。同様に q∈G とすると q'<q が存在して (q',q]∩F=Ø である。一般性を失わず p<q としてよい。
r∈(p',p]∩(q',q] とすると q'<r≤p<q で、p∈(q',q]∩F となる。これは q' の取り方に反する。故に p ごとに p', q ごとに q' を選ぶと ∪{(p',p]: p∈F} と ∪{(q',q]: q∈G} は交わらず、それぞれ F, G を含む。】
【直積が正規でない 直積空間の中で連続濃度の閉集合 {(x,y): x+y=0} の相対位相は離散位相となる。この上には [0,1] に値をもつ連続関数が 2^c 個存在する。仮に直積空間が正規だとすると Tietze の拡張定理より全体で定義された [0,1] への連続関数が 2^c 個存在する。一方でこの直積空間において有理点全体は可算稠密部分集合である。次の命題より Hausdorff 空間への写像は稠密部分集合で一致するならば一致するので、直積空間全体で定義された [0,1] への連続関数は高々 2^ω=c 個である。これは矛盾 ///】
【命題 X,Y を位相空間で Y は Hausdorff かつ f,g:X→Y を連続写像とする。{x: f(x)=g(x)} は閉集合である。
証明 {x: f(x)≠g(x)} が開であることを示す。f(x)≠g(x) とする。f(x)⊂U, g(x)⊂V, U∩V=Ø なる開集合 U, V が存在する。f^-1(U)∩f^-1(V) は x を含む開集合で、この上でfと g の値が一致することはない。 ///】
「ん。具体的に分離できない閉集合を見つけずに非正規を証明した」
「これって分離できない閉集合を構成することはできるのかい」
「できるな。この対角線の有理点全体と無理点全体がそうだ。まあ証明するのにはもっと道具が必要だが」
「Baire の範疇定理。使いそう——」
鋭い。さすがは帝数幹部である。対角の有理点全体と無理点全体が分離できないのは Baire の範疇定理を用いて証明
ブオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!!!!!!
「誰だ今ブブゼラ鳴らしたの」
「ボクですよっ」
吟遊のエントリーである。