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別の夏の日

「冷やし担々麺はうまいな。夏の風物詩って感じがするよ」


 学食で夏にだけ提供されるメニューというのがいくつかある。トンカツ茶漬け、冷麺、冷やし担々麺が代表的だ。これらは三銃士と呼ばれている。呼ばれてはいない。

 冷麺と冷やし担々麺でキャラ被っているという感は否めないかもしれない。冷麺にキムチが入っていてピリリと効くというのもそれに輪を掛けていよう。


((おいしいから大丈夫だよ、キャラ立ちなんて))


 ふしぎな生き物・しょこらが脳内に直接話しかけてくる。読むな、心を。


 夏休みだけあって、食堂でも寮でも人は疎らだ。数学の面白い話を仕入れ誰かに聞いてほしいと思って三日が経過した。


((連絡取って人呼べばいいじゃんか))


 その通りで、最近色々あったので色々な人の連絡先を知ることになった。帝数の情報交換網「脈体(ナーヴ)」にも一応参加している。ただ、こういうのは文字に残る形で人を募ってまで話すことではないと思っているのだ。談話室とか学生控え室に行って、その場にいる人に世間話のように話す。


((よく分からないね。告知して話す方がお互い嬉しいでしょ))


 気楽に行きたいんだ、気楽に。誰も来なかったら落ち込むしな。だからこちらから連絡を取ることはしない。そう思いながら携帯を取り出し、「位相の面白い話があるけど聞く?」と入力して脈体(ナーヴ)で送信した。


「あれ?」


 今、何をした? 面白い話を仕入れたので、人を呼んで話すことにした。そのため告知を発信した。何もおかしくない。


「しょこらさあ、今何かした?」


「ちょっとね」


 何かされた気がする。怖い。(こわ)しょこらだ。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 朴訥クール系の留値愛(るちあ)さんがやってきた。

 もう一人聞きたい人がいるって、とノートパソコンを開き、ビデオ通話を始めた。


「わこつー。やあやあ。ほとんど初対面な気がするけど、帝数の加賀美(かがみ)有理数(ありす)だよ」


 奇抜な色のふわふわツインテールにふりふりフリルの黒い服を着ている人だ。

 嘘くさい名前だと思った。


「下の名前は有理数って書いてアリスね」


 嘘くさいが、洒落た名前だ。


「偽名。本名は虎三(とらぞう)っていう」


 留値愛さんが教えてくれる。


「それって本人以外から明かしていい情報なのか?」


 なんというか、その、男性名だと思うし。わざわざ偽名で通しているあたり繊細な話題なのではないか。


「いいよー。公開情報だ。かわいい方で呼んでくれってだけでね」


「それで今回は、何の話?」


 留値愛さんが本題に入るよう勧める。


「ネットワークって概念の話ですね」


「あー。点列の一般化みたいなやつだっけね」


 有理数さんが相槌を打つ。


「それはネットですね。ネットとネットワークって別物なんですよ」


「そうなの!? ハムとハムスターみたいな感じかな」


「……中国と、中国地方」


「あるいはメロンとメロンパン」


「内容に入りますね」


 謎のゲームが始まりそうなのでチョークを持ってさっさと始める。


【問題 X=A∪B で A, B がともに距離化可能のとき X は距離化可能か?】


「まずこういう問題を考えます。距離化可能って直積とか部分とかで閉じるけど、じゃあ合併ではどうかな、っていう」


「有理数 Q の一点コンパクト化が反例かな?」


 有理数(ありす)さんが即座に反例を挙げる。賢い。あと紛らわしいな。


「Hausdorff なら?」


 重ねて問うと、三人とも考え込んだ。ちょっと待ってやろうかな。


「ん……思い浮かばない。でも、なんとなく成り立たない気がする」


「じゃ答え出しますね」


【非可算離散集合の一点コンパクト化】


「あー、盲点だったな」


 有理数(ありす)さんが、普段可分なものしか使わないから、と苦笑いする。


「そうですよね。では可分距離化可能は合併で保たれるでしょうか」


「……保たれると見た!」


 有理数(ありす)さんが指を立てて言う。


「んー、可算開基を持つ正則空間二つの合併が可算開基を持つかってことになる?」


 留値愛さんは考えている。最近、この人の表情が少しだけわかるようになってきた。多分今は難しい顔をしているんだろうな、と思う。


「わかったよ」


 しょこらが得意げに口を開いた。


「この間のノンメトライザブルうにさんを使えばいいんだ。線分を可算無限に用意して、 端点をくっつけたもの。その端点一点とそれ以外はそれぞれ可分で距離化可能だ。反例になる」


「その通りだ。覚えていたんだな」


【X=[0,1]×ω/~, (0,n)~(0,m) は (0,1]×ω と {0} という可分距離化可能空間の合併だが自身は距離化可能でない】


「へー」「んー」


「ここまでが前置きで、ここからが本題だ。可分を課さないところでは X がコンパクトなものがあった。というわけで」


【問題 X=A∪B で X がコンパクトかつ A, B がともに可分距離化可能のとき X は距離化可能か?】


「なんとなく話の流れからこれは成り立ちそうな気がするねえ」


 有理数(ありす)さんがメタ読みしてくる。ネットワークの話をするって言ってまだネットワーク出していないからな。


「これは結構難しい問題だったんだが、Arhangel'skii って学者がネットワークの概念を導入して簡単に解いてしまった」


「わあ、正しい概念だ」


「この学者は未解決問題を山ほど解いて未解決問題を山ほど残したすごい人だ。そしてこの Arhangel'skii って名前は大天使(アークエンジェル)の、って意味ですね」


「あっはは! ゼロ年代じゃーん!」


 有理数(ありす)さんが楽しそうに笑う。何よりだ。留値愛さんも珍しく微笑みを見せている。


【定義 部分集合族 ν が位相空間 X のネットワークであるとは任意の x∈X とその開近傍 U に対しある N∈ν が存在して x∈N⊂U となること】


「これがネットワークです」


「んー。開基の、開じゃなくていいやつ」


「今ひとつネットワーク感ないね。なんでこんな名前ついたんだろうねえ」


 知らない。ロシア人だし、元はロシア語だったのかもしれない。


「で、これのいい点は問題の状況で A の開基と B の開基を集めても X の開基にはならないけど X のネットワークにはなるっていうところです」


「あー、あーなるほどねえ」


「ん。コンパクト Hausdorff で可算ネットワークを持てば距離化可能であることを、示せばいい」


【定理 コンパクト Hausdorff 空間 X が可算なネットワークを持つならば可算な開基を持つ】


「ええ、そういうわけで主定理です」


【証明 正則なので {Cl N:N∈ν} はネットワークである】


「つまり開近傍 U の中に閉包が含まれる近傍 V をとって、V の中にネットワークの元 N をとったら、N の閉包は U に入るってこと?」


 有理数(ありす)さんがうまく反応してくれる。ありがたい。


【X の開集合はこれらの合併で書くことができるがそれは可算個の閉集合の合併である】


「ん、Fσ ってやつ。……Gδ だっけ?」


「Fσ の方ですね。で、補集合である閉集合が Gδ と」


【閉集合からなる上のネットワークの各元は開集合の可算交叉で書ける。その元を番号付けして Ni と置き、Ni=∩G_i,n と書く】


「で、これを使って閉集合の可算近傍基を作ります」


「閉集合の近傍基というと、その閉集合を含む開集合があったらその近傍基の中から間に入る集合を取れるってことだね? コンパクトならそういうのもあって不思議じゃないね」


【開集合 O_i,1 を Ni ⊂ O_i,1 ⊂ Cl O_i,1 ⊂ G_i,1 となるようにとる。O_i,m を Ni ⊂ O_i,m ⊂ Cl O_i,m ⊂ G_i,m ∩ O_i,m-1 となるものとしてとる】


「構成はできました」


「んー、なんとなく見えてきた。もしこれが本当に近傍基になっているのなら、点と開近傍の間にネットワークの元をとったあと、ネットワークの元と開近傍の間に近傍基の元を取れる。可算個の閉集合に対してそれぞれ可算近傍基があるから、全部合わせて可算個」


 まあ、そういう感じだ。


【開集合 U と点 x∈U を取る。x∈Nn⊂U となる n が存在する。この時 {X\ Cl O_n,m : m} はコンパクト集合 X\U の開被覆である。増大列なのである m>1 について x∈ O_n,m ⊂ U となる。よって {O_n,m : n,m} は可算開基である ////】


「というわけで次の系が出てきます」


【X がコンパクト Hausdorff 空間で X=∪_n A_n と書けて各 A_n が可分距離化可能ならば X は距離化可能である】


「そっか、可算集合の可算合併は可算だからここまで強いことが言えるんだ」


「そういうわけで、二個合併で悩んでいたところをいきなり可算合併まで言えると示したんだ」


「んー、すごい」


「Arhangel'skii は他にも Arhangel'skii の不等式っていう業績があって、それも長年の難問を一般化して解いたやつだな」


「御家芸なんだねえ。じゃあ来週にでもその不等式の話してよ」


 なんて?


「ん。わかった。所木ならやってくれる」


 勝手に了承しないでくれる?


 ということで、急遽四十年間の難問を一週間で理解するハメになってしまった。

 どうしてこうなったんだろうな。

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