無限への眺望と無限からの光芒 4
「じゃあ l^∞ の双対が l^1 よりずっとでかいって話をするか。数列空間 l^∞ を知らない人は寝てて構わない。一応基本的な定義はしておこうと思う」
【定義 l^∞ := {(x_n)∈R^∞ : sup {|x_n| : n∈N} < ∞} は添え字ごとの演算で線型空間となる。
|(x_n)| := sup {|x_n| : n∈N} とし、l^∞ の二つの元 x, y に対し |x-y| をその距離と定めることで距離空間とする。】
「エルワンっていうのは?」
「しょこらは知らないよな。まああんまり気にしなくていい。次の定理を示す」
【定理 l^∞ から R への連続な線型写像は少なくとも 2^c 個存在する
証明
主張1 l^∞ と連続関数全体に sup ノルムを入れた空間 C(βN, R) は等長同型である。
∵) Stone-Čech コンパクト化の普遍性より、l^∞ の元 x は N から [inf x, sup x] への関数なので βN 上の連続関数に拡張される。その際下限と上限は保たれる。これは制限を逆写像として同型を与える。 //
主張2 βN の濃度は 2^c 以上(実はちょうど 2^c)である。
∵) 事実 {0,1}^c は可分である。
{0,1}^c の可算稠密部分集合 D をとり、N から D への全単射 f を取ると {0,1}^c はコンパクトなので f:N→{0,1}^c は βN 上の関数に拡張される。その拡張の像はコンパクトで D を含み、つまり全体となる。{0,1}^c への全射が存在するので βN の濃度は 2^c 以上である。//
βN の各点について、C(βN, R) の元に対しその点での値を与える関数は連続かつ線型である。ゆえに l^∞ から R への連続な線型写像は少なくとも 2^c 個存在する。////】
「その、事実というのは簡単にわかるのですか」
「結構難しめですね。というか簡単ならやっています」
ちなみにこれは可算より大きな濃度でも、濃度 κ 以下の稠密部分集合をもつという性質が 2^κ 個直積で保たれるという定理が成り立つ。Hewitt-Marczewski-Pondiczery の定理という。
「それもそうですね」
「以上が Stone-Čech コンパクト化の普遍性の応用例です」
「それではもう終わりか」
「もう一つだけ Čech 完備に関してお話しておこうと思います」
【定理(Baire の範疇定理) Čech 完備空間の可算個の稠密開集合の交叉は稠密である】
「ほう。この特別な場合として完備距離空間の場合や局所コンパクトの場合が従うわけだ」
「そうなりますね」
「ん。証明は、区間縮小法の一般化を使う?」
「それでもいいんですが、えっと、Čech 完備空間はその Stone-Čech コンパクト化の中の稠密 Gδ 集合でしたよね」
「うん」
「ということは Stone-Čech コンパクト化の稠密開集合の可算個の交叉です」
「ああ、なるほど、コンパクト空間の場合に帰着できるというわけですね」
「はい。Čech 完備空間の可算個の稠密開集合の交叉は Stone-Čech コンパクト化の可算個の稠密開集合の交叉で書けて、よってコンパクト空間の Baire の範疇定理より Stone-Čech コンパクト化の中で稠密です。したがってもとの空間の稠密部分集合になります」
「なるほど」
「そしてここからなのですが、可算個の稠密開集合の交叉が稠密になるような空間は Čech 完備か? という問題が浮上します。が、これは成り立ちません。反例を挙げます」
【例 [0,1]×{0,1} に次のように位相を入れる。[0,1] の任意の開集合 U とその点 x に対し、U×{0,1}-{(x,1)} は開とする。また [0,1] の任意の点 x について {(x,1)} は開とする。これらで位相を生成する。これは Hausdorff となる。実はコンパクトにもなる。
この空間の部分集合 X=([0,1]∩Q)×{0, 1} が反例となる。先の空間の中で閉包をとったものの中で Gδ とすると [0,1]∩Q が [0,1] の Gδ 部分集合、よって Čech 完備ということになる。しかし [0,1]∩Q の元 q に対し集合 [0,1]∩Q-{q} は稠密開だがその全ての交叉は可算個の交叉でありながら空である。よって絶対 Gδ でない。
次に、この空間の部分集合について稠密であることと ([0,1]∩Q)×{1} を含むことは同値である。よって稠密開集合の可算個の交叉は稠密となる。】
「なるほど、面白いですね。距離空間で完備な距離が入らないが Baire の性質を持つようなものってあるんですか?」
「あ、今の例距離化可能です」
「え」
枢さんが、鳩が豆鉄砲を食ったようという形容がぴったりくるような表情になった。その後すぐ難しい顔で考え込み始めた。
「——確かに、可算個の点からなり第一可算だから可算開基をもち、大きい方の空間がコンパクトということは正則だから距離化可能となりますね。Euclid 空間の部分集合ならどうでしょうか」
「今の例は R に埋め込めます」
「…………」
固まって動かなくなった。
「……それどうやってわかりますか」
三十秒ほどするとフリーズが解けたようだ。
「任意の点とその任意近傍がゼロイチ二点集合への連続写像で分離できれば、Urysohn を埋め込みで証明した時の要領で {0,1}^N に埋め込めて、これは Cantor 集合として R の部分集合と見なせます」
「……そうですね」
「その二点集合への連続写像で分離というのは、開かつ閉集合で分離というのと同じことです」
「はい」
「完全正則なので任意の点と近傍に対し関数が存在して点では値 1 近傍の外では 0 をとります」
「完全正則性はコンパクト Hausdorff 、つまり正規な空間の部分集合だからというわけですね」
「はい。で、分離する関数をとったら、0 から 1 までの各実数に対して、その逆像を考えます」
「はい」
「すると鳩の巣原理よりその中には空なものがあります」
「ああ、わかってきました。値がそのような実数以上となるような点全体を考えると開かつ閉かつ所与の点を含み所与の近傍に含まれる」
「そういうわけです」
この議論には構成的でないステップが入っているので実際に R への埋め込みを作るのは難しいだろう。少なくともこの議論にしたがってでは。
「完全に理解しましたが理解できませんね」
どっちだよ。気持ちはわかる。
「これで終わりですかね。いい時間ですし」
「ああ、そうだな。所木!」
「なんですか春遠葛さん」
「会長はお前の総会での発表を楽しみにしている。私もだ。全力で取り組め」
そうだ。総会である。なぜか俺には帝都数学科学生会議総会での発表のオファーが来ている。喜んで引き受けたが。
「なぜかなど決まっているだろう。刺客たちを退けたお前に期待してのことだ」
いやお前らを退けたの数学と何一つ関係なくない? トランプとかで勝負仕掛けて来てたし。ということを言うと春遠葛は首を横に振った。
「違う。お前の数学力に期待してのことではない。実のところお前よりも数学やプレゼンテーションの腕が立つものはいくらでもいる。位相に詳しいとなるとだいぶ減るが、いないではない」
まあそりゃそうだろうな。
「お前の人柄を見極めたのだ」
「まあ俺性格がいいですからね」
すると春遠葛はにっと笑った。
「そういうところだな」
どういうところだよ。
「ま、総会が楽しみとは言ったが私たちは来週末のリハーサルで見せてもらうがな」
え? 何それ聞いてない。
「リハーサルで十二数将のうち八人の承認を得なければ総会で発表はできないからな。心してかかれ」
((俺たちどうなっちゃうの〜!? 続く!!))
面白がるようなしょこらの声が脳内に響いた。本当どうなっちゃうんだろうな。




