帝都数学科学生会議第三数将 三辻明
「暴れ猫だ! 暴れ猫が出たぞ!!」
「ニヤアアアアアアアア!!!!!!!!!」
暴れ猫が体の周囲に火の玉を浮かべ、学生に向けて射出する。火属性だ!
「自警団はまだか!」「十六号館は教養学部だろ、気象操作能力者を出せ!」
この騒ぎはキャンパスにおいて数理棟の反対の端で起こった。ゆえに、暴れ猫のニュースが伝わるまでまだ時間があった。
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数理棟前、神曲公園では季節の花が咲き、近所の子供が走り回り、蝶が舞い、からすが木々の上を旋回し、小鳥が歌い、子供が歌い、吟遊が歌っていた。
「平和だな」
「♪プリリェエチッヴドゥルクヴァルシェブニク——」
「それ誕生日の歌でしたっけ。吟遊さん誕生日近いんですか」
「いえ、別にっ」
違うのかよ。それにしても——
「平和だな」
何もなくのどかな昼、数学日和だと言える。近頃変なやつが遊びにくることがよくあって、こんな日は珍しい。
((いや、そうとも限らない))
影の中から声がした。
((何だ、また帝数が襲撃でもかけてくるっていうのか?))
((それだけならいいけれど——))
言った方がいいことがあるならはっきり言えよ。
((ここから先を聞きたければマカロンを捧げな))
しょうがねえな。
「はい」
マカロンを影の方に差し出すと、少年しょこらは影から機敏に飛び出して食いついた。小動物とか魚とかみてえだな。
「口で飛びつかなくても触手があるんだから使えばいいじゃん」
「最近は人間の真似事もいいと思えてきたんだ」
人間の真似事だったんだ。
「——それで、何か嫌な予感がするって?」
「ああ、でもよく考えたら黙っていた方が面白くなりそうだから黙っていようかな」
「いや教えろよ。マカロン食っておいてなんなんだよ」
「ええと、まず帝数は三辻って人が来るな。いつものメイドさんも大学前駅を挟んだ商店街で弁当を買ったらここに来る。あとキャンパスの真ん中あたりで猫かなんかが暴れてる。火属性かな? 人死には出ないだろうね。おそらく教養学部異能学科気象操作コースがすでに動いていると——」
「待て待て待て」
「なんだい?」
「いやいや、何? 今まで未来のこととか分かってたのか? あと、猫? 火属性って何? 人死にとかそんな物騒な話に? それに異能学科って初耳だけど」
「まあ近い未来はね。本気出した猫は武術家でもないと人間風情にはなかなか倒せないだろう。火属性は火炎とかにまつわる性質を持つってことだね。そんな猫が暴れれば人が死んでも不思議じゃない。異能学科が初耳はないだろ。教養学部便覧に書いてある」
「俺理学部だし教養学部便覧持ってないんだよ」
「それならっここにありますねっ」
吟遊が便覧を取り出した。常に持ち歩いてんの?
「ほんとだ——」
教養学科、自然学科などと並んで確かに“異能学科”の文字があった。
「大学は広いからっ、知らないまま卒業してしまうようなことも一杯あるんですねっ」
そういう話か? 首を傾げているとしょこらが何かに気づいたようだった。
「おや、まず帝数の三辻とやらだね。空路を使ったのか」
空路? ——見上げると、からすの大群から糸で吊り下がった男がいた。
「ククク、初めまして。僕は三辻——帝数で十二数将をやっているんだ」
男——三辻はそう言うと腰のあたりで何かの操作をし、糸を解放した。からすたちが方々に飛び去り、三辻は空中で一回転して右手、右膝、左足の三点で着地した。
「ククク——この着地は膝が痛い」
知らんが。
「そういうわけで勝負だ、所木」
どういうわけだよ。
「望むっ、ところですっ! あなたなどっギッタギタにしてやりますよっ! 所木くんがっ!!」
吟遊も勝手に決めないでくれ。
「ではゲームは……コイントス!! クク、だが運否天賦ではないぞ? ルールを解説しよう! ——数理棟に移動しようか。雨も降ってきそうだし」
黒板のある場所に移動し、ルールが板書された。
設定
・見た目には区別できないコインが三つ用意されている。一つは表しか出ない。残り二つは四分の一の確率で表が出る。
・二者の一方を親とする。他方を子とする。親はどのコインがどちらの性質をもつか知っている。子は知らない。
・コインを選ぶとき、相手はどれを選んだのか分かる。
・以下で「コインを投げる」と言った場合、実際に投げるのは立会人である。コインは手に持つとどちらが出やすいか分かるかもしれないため。
①親はコインを一つ選ぶ。
②子は親が投げていないコインのどちらかを選び、一回だけ投げる。
③親は子が投げていないコインのどちらかを再び選んでそれを投げ、子は出る面を当てる。
④当たれば親と子の役割を入れ替え、外れれば親を変えず、①から行う。
⑤親と子の交代が四度目に起こる時点で親としてコインを投げた回数が多い方が勝利。
「表しか出ないコインってなんだよ」
「帝数の倉庫にはそのような教材が山のようにあるんでね。池の周りを動く物体 P とかもあるぞ」
「それでは立会人は私が」
いつものようにメイド服を着た枢さんが現れて言った。
「なんか枢さんってコイントスで好きな目出せそうですね」
「どんな偏見ですか。まあ普通のコインでなら出せますが、偏ったコインでは無理ですね」
なんとなく言ってみたのだが、普通のコインならできるのか。
「あとバックギャモンみたいな古典ボードゲーム強そう」
「なんとなく私に抱いている印象が伝わってきますが、私は——」
枢さんは言葉を切ると窓の外を見た。そして——
「——来ましたね。窓ガラスから距離をとってください。できれば伏せるか机の下に入って」
その瞬間、窓ガラスが砕け散った。
「ニヤアアアアアアアア!!!!!!!」
「暴れ猫——異能学科には自分のところで生み出したものは自分で片付けてほしいものですね。キャンパスを横断してまでここに来たのはそこの触手生物に引き寄せられたのでしょうか——『遠当て』」
周囲に火の玉を浮かべた猫が現れ、枢さんが足を振り抜くと触れてもいないのに火の玉が消しとんだ。
「枢さん、今のは」
「これは“気”です」
これは気です??
「ニヤアア!!」
「やわらかい猫とまともに組み合うのは分が悪いので、こうして遠くから攻撃して削るしかないのです」
「しょこらに何かできることは」
「火に闇の触手では通らないでしょう。本体を引っ張って来るなら話は別でしょうが」
「あー、本体とは接続切っているんだよね」
本体?? ここにいるしょこらは何か、分体とかなわけ? 俺が疑問符を浮かべまくっていると猫があくびをした。開いた口に光が集まっていく。
「しまった——!」
枢さんは焦ったように猫に向かって駆け出す。その彼女を、猫の口から発射された光弾が直撃した。彼女は冗談のような距離を吹き飛ばされ、黒板(この部屋は全ての面に黒板が備え付けられている)にめり込んだ。おいおいどうすんだよこれ。
「僕に案がある!」
しょこらが影から出て、どこからともなくドラムセットを展開して復帰した枢さんを据え、どこからともなくベース・ギターを取り出して俺によこし、どこからともなくトランペットを取り出して吟遊に渡し、どこからともなくキーボードを取り出して三辻とかいう人を前に立たせた。え? 何?
「一時的にみんなのニューロンの庇にいさせてもらう! 操作はできるはずだよ!」
「わんっ、つーっ、わんっつーっすりーっふぉーっ!」
吟遊はノリノリだ。いつもか。
——そうして、セッションが始まった。ニューロンの庇にいるとかかなり怖いこと言っていた気がするが、まあいい。演奏されるのは、曲名を「コトルフィーノ」、三拍子のばかばかしく明るい曲だ。
曲の盛り上がりにつれて暴れ猫は大人しくなっていき、五分ばかりの演奏が終わる頃にはすっかりただの猫になっていた。
「——ここに行ったはずだ! 入るぞ!」
そして異能学科? だかの人がやっと到着した。遅い。猫を回収し、損壊した部屋を素早く修復して帰っていった。
「クク——さてどうする、所木。僕は勝負とかわりとどうでもよくなってきたぞ」
「上からの指令とかがあるんじゃないのか」
「あるが、僕の気分を優先しても最悪怒られるだけですむ」
なんかみんなノリで生きているなあ。 なんかみんなノリで生きているなあと思った。
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「ククク——というわけでなんか少年は四次元ポケットみたいなアレをアレしている——クククのク」
「次」
「会長は次の刺客は誰にするかと言っています」
「なーんか、みんなどうでもよくなってきてるみたいな雰囲気あるねえー」
加賀美 有理数
帝都数学科学生会議 第六数将
所属 調布大学
専門分野 数値解析
「よくよくみなさんに言っておきましょう。私も正直どうでもいい」
霧尾 桐仁
帝都数学科学生会議 第十一数将
所属 学園都市大学
専門分野 計算機科学
「じゃあ春遠葛でいいか。あいつ今日来てないけど。あいつが負けたら仲良くやっていく感じで」
「そうですね」「そうだコャ」「そうでありますな」「勝っても仲良くやっていくことになるんじゃなーい? 今までもそうだったじゃんね」
「……とにかく! 我々と所木氏の関係は春遠葛の勝敗に委ねた! 以上!」
「「はーい」」
帝都数学科学生会議 会員名鑑
三辻 明
帝都数学科学生会議 第三数将
所属 トキワの森大学
専門 力学系
専門分野は力学系ということになっているがかなり何にでも詳しい。「明らかだよ、君」が口癖だった過去は黒歴史。
霧尾 桐仁
帝都数学科学生会議 第十一数将
所属 学園都市大学
専門分野 計算機科学
計算可能性理論に強い。位相空間論にも興味はあるとのこと。なんか運命だか歴史だか人に見えないものが見えるらしい。




