帝都数学科学生会議第二数将 枢環希
「所木クン。忠告だコャ」
数理棟前の公園・神曲公園でくつろいでいると、同級生に話しかけられた。特徴的な語尾をつける機巧狐耳の女性だ。確か大学際数学サークル・数学帝都数学科学生会議、通称帝数の幹部でもあったはずである。しかし忠告とは不穏だ。身に覚えがないが何かやらかしたというのか。
「何でしょうか。狐城さん」
「帝数のある数将が君と少年に目をつけているコャ。近々、今日にでも襲撃をかけてくるコャ」
「襲撃て」
「止めようとしたコャけど——」
止められなかったわけか。そんな暴走するタイプの人なのか。危なそうだ。
「面白そうだからやっぱり止めなかったコャ」
「いや止めておいてくださいよ」
「ごめんコャ。あとそこから右に最低半歩ずれることをオススメするコャ」
突然何を言いだすんだろう。そう思いながら半歩移動した。さっきまで自分がいた場所を何かが通過した。
「え?」
狐城さんが掴み取ったそれは、割り箸だった。
「割り箸といえど、この速さで投げつければスイカや所木クンの頭ぐらいかち割れるコャ」
「何を助言しているんですか、狐城さん。この程度防げないようならその男もその程度というものではありませんか」
後ろから声が聞こえた。女性のものだが、冷たく鋭いその声は研ぎ澄まされた刃のようだと思った。
(いやどんな喩えだよ)
(うるせえ)
影の中から話しかけている少年しょこらの冷静なツッコミが体の内側から響く。とりあえず黙らせた。
「所木由良さんとしょこらさんですね? 私は帝都数学科学生会議の第二数将。枢環希と申します」
カーテシーというのだったか。クラシックな感じのメイド服を着た彼女はスカートの裾をつまみあげながらお辞儀をしてみせた。
「不意打ちで割り箸を手裏剣の要領で投げておいて何お行儀良い振る舞いしてますみたいな顔してんだよ」
影から出たしょこらが素早く指摘してみせる。
「確かにアイサツはイクサの始まりを示す神聖な儀式——しかしアイサツの前のアンブッシュは一度に限り許されます。ブルバキにも書かれています」
書かれているわけないだろ。
ニコラ・ブルバキとは二十世紀フランスの数学者集団が名乗った架空の個人名である。この名前で『数学原論』というシリーズの書物を出しており、その本のことを指してブルバキということも多い。『数学原論』はユークリッドの『原論』になぞらえた名前で、数学を基礎から形式的に整備することを目指して書かれた。当然イクサの作法とやらは書いていない。はずだ。
「枢環希さん。しょこらです」
あ、挨拶返すんだ。律儀だな。
「“縮地”ッ!」
メイドが叫んだと思うと一瞬にしてしょこらの目の前に到達していた。左脚を後ろに引き前蹴り、と見せかけたそれは——
「中段回し蹴り」
「甘い」
しかししょこらは裾から出た触手で止めていた。蹴り脚に絡みついていく。
「ウーン、枢チャンは蹴り主体のメイド拳法を使うコャから、触手柔術には不利だコャ」
メイド拳法と触手柔術って何? とまれ、脚を取られてしまってはそこから技を受けるのを避けるのは難しかろう。触手柔術というのが触手による絞めや投げを主体とする武術なら、蹴り技では脚を取られるリスクがあまりに高い。確かに不利に違いない。っていうか多分これ甘いとかじゃなくてその相性の致命的な悪さのせいじゃない?
そうしているうちにしょこらは枢なにがしの両足を絡め取り、ぶん回して、
「人間独楽!!」
お前も技名叫ぶのかよ。スカートが謎の力で遠心力に逆らっていたメイドを投げ飛ばした。別に目を凝らして見ていたわけではない。不自然なので目にとまっただけだ。
メイド・枢は数回バック転を打って着地と同時にそばにあった樹を蹴りつけた。樹が揺れる。落ちてきた枝を掴むと手刀で先端を切り落とし、彼女を追って伸ばされていた触手に向かって振った。触れてもいないのに触手が次々に切断されていく。地面に落ちた端から影に溶け込んでいく。
「キリがありませんね」
「そうだよ」
「じゃあ降参します。絞めるなり穿るなり好きにしてください」
案外勝負に熱を入れないタイプの人なのか、あっさり負けを認め木の枝を放り出した。
「触手だからしめるとかほじるとか好んでやるとは限らないよ別に。ユラ、どうする」
俺に聞くなよ。
「別にどうもしないでいいんじゃないか」
「何もしないんですか。私また襲撃しに来るかもしれませんよ」
「来るんですか」
「そう聞かれたらいいえと答えますが」
「ユラ、また襲いかかってきたらまた撃退すればいいんじゃないのか。男の子ってそういうヤツが近くにいると盛り上がるもんだろ」
「別に盛り上がらねえよ。それもまた可愛げがあるものよ! とか言う豪胆な王かよ」
「どうやら今回は枢チャンという新たな数学のなかまを得て所木クンの日常生活は続く! で良さそうコャね」
「数学のなかまっていうかこの人派手に立回っただけじゃないですか。数学関係ないでしょう」
「じゃあ圏論の話します? 圏とは何か、という話をすると中々モチベーションまでたどり着けないのでなぜ圏が必要かという話を」
「長くなりそうだしそれはまたの機会にしておくコャ。所木クンの日常生活は続く!」
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帝数本部!
「ククク——枢さんがやられたかククク——」
「彼女の実力は最高幹部でも上から数えた方が早く、しかも武闘派で物理戦闘力なら最強と言ってもよかった——」
「で、どうするコャか」
「私は彼に敵対する道は取らないこととするものでありますよ」
「では数将の敵対派を順次送り込み、全員敗れるようなら穏健な道をとることとしようか」
「……僕が行きましょう、会長」
「お前は——緋滝沢!」
「僕の独断に基づく試算によると数将三人ほどでかかれば勝率は九十五パーセントと極めて高くなります……」
緋滝沢 鶲
帝都数学科学生会議 第十二数将
所属 トキワの森大学 経済学部
専門 統計学
「なるほど独断というのは気になるがお前の専門は統計学! データの分析は十八番というわけだな」
「問題はあと二人をどうするかですが……」
「戦力を逐次投入するのは愚策といえましょう。ここは最大戦力である——」
春遠葛 晴人
帝都数学科学生会議 第一数将
所属 帝国大学 文学部
専門 論理学
「私が共に行きましょう——」
「春遠葛! お前は本当の専門が哲学よりの論理学でありながら帝数十二数将の筆頭に立つ秀才の中の秀才! しかしいくら何でもお前ほどのものが出ることはないのではないか」
「論理的思考ですよ会長——制圧可能な最小戦力をと考えるとまぐれが起こって負けてしまうかもしれない——過剰なほどの戦力を用意しておけば消耗も少なく勝てるというわけです」
「なるほど、何が論理的なのか分からないし論理的思考と言って発言に箔をつけようという魂胆にも思えなくもないが言い分は真っ当に聞こえるな」
「手厳しいですな、会長は——」
「さて、とはいえ皆の結束を疑うわけではないがあまり多いと仲間割れの危険があるしあと一人だな。三田妹はどうだろう」
「あたしはー、穏健派だからー」
「悟りました——俺に行かせてください」
「窮念寺!」
「悟りました——彼らの敗北を!」
窮念寺 窮念
帝都数学科学生会議 第八数将
所属 学園都市大学
専門 集合論
「お前の専門は集合論だったな、集合論といえば位相空間論とは隣接している分野とも言えるし敵対派なのは意外だが」
「悟りました——隣接分野だからこそ相容れないこともあるのです」
「ククク、健闘を願うよククク——」
「ハッハハ、しかし数将の筆頭を含めた三人を相手か! 穏健派には残念だがこれは敵対派の勝利は確実ではないかな!? では——行け! 緋滝沢! 春遠葛! 窮念寺!」
「「「御意に」」」
帝都数学科学生会議 会員名鑑
春遠葛 晴人
帝都数学科学生会議 第一数将
所属 帝国大学 文学部
専門 論理学
理系として入学した後文転して哲学科へ。専門とズレるが数理論理学をはじめとする数学や数学史にも造詣が深く、また話の組み立てがうまいので会員に彼のファンは多い。やや自己愛の傾向がある。大学に入ってから髪を伸ばし続けており、現在は侍のように結っている。
三田 留値愛
帝都数学科学生会議 第四数将
所属 オラプロノビス女子大学
専門 複素幾何学
三田姉妹の姉で、オラプロノビス女子大学理学部数学科準筆頭。数学をやっていて良かったと思うのは、ただひたすら手を動かして計算していたら理解が伴ってきたことが分かるとき。髪はショートヘア、綾波ちゃんスタイルである。色は時々染めたりしている模様。
三田 真理愛
帝都数学科学生会議 第五数将
所属 オラプロノビス女子大学
専門 代数幾何学
三田姉妹の妹で、オラプロノビス女子大学理学部数学科筆頭。数学をやっていて良かったと思うのは、本質を見抜いたことで複雑な計算に対する自分なりの解釈が得られるとき。きつねめいた糸目で、髪は栗色のロングヘア。後輩たちの憧れの的。




