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終章:時には愛を、そして少女は世界を語る

終章:時には愛を、そして少女は世界を語る


「そんな……ヴェル! 私です。キルシュですわ!」

 突然のヴェルヴェーヌの言葉にキルシュがしばし唖然とした表情で立ち尽くしていたが、我に返ったのか慌てて自らの名を叫ぶ。しかしヴェルヴェーヌは首をかしげながら周囲を見渡している。

「……ごめんなさい。おねえちゃんの言っている事はよくわからないの。ヴェルってだあれ?」

「まさかヴェルヴェーヌ……貴方記憶が……」

 屈託のない笑顔を浮かべているヴェルヴェーヌを前に、キルシュが蒼白な表情で呟いた。それはキルシュの隣にいたジオグランも同様であり、大きく目を見開いてヴェルヴェーヌを見つめていた。それに気がついたヴェルヴェーヌはジオグランを見つめると首を傾げる。

「うん? ……お兄ちゃん、綺麗な輝きを持っているのね。とても素敵だわ」

「俺は……」

 ジオグランが何かを言いかけた瞬間、周囲にけたたましい馬の鳴き声が響き渡る。

「この音は馬? それに一つじゃない。まるで……」

 その音に慌ててキルシュが立ち上がり、周囲を見渡す。音は次第に大きくなり、大地が静かに揺れる。そしてキルシュは目の前の光景に思わず小さく声を漏らす。

「あれは……」

「……旗印からするにアクアビットの兵のようだが? むっ?」

 その光景にジオグランが小さく呟くと、今度は反対側から淡い緑色の鎧に身を囲んだ男たちが馬に乗って迫ってくる。それを見たキルシュが首を傾げる。

「今度は教会? どういうことですの?」

「……あれは、我らノチェロ聖堂騎士の三翼の一つ、翡翼。何故彼らがここに?」

 その光景に紅翼の騎士達が困惑気味に呟。一方のキルシュも事態が理解できない様子でナストロに視線を送るが、ナストロも動揺した様子で小さく首を横にふるばかりであった。

 するとアクアビットの刻印が刻まれた馬に乗った騎士がキルシュ達に向かって歩み寄り、大きな声で叫んだ。

「闇の女神アーテルの棒心者にして、終世の篝火たる邪教の悪魔よ。我らアクアビットは女神アルブスの名の下に、貴様を討ちに参った!」

 その言葉に一瞬キルシュの思考は空白の時を刻む。ようやく騎士の言葉を理解したのか、キルシュとナストロは思わず顔を見合わせて言葉を失い、ただ呆然と迫る騎士達を見つめていた。アクアビットの騎士に続いて、新たに駆けつけた教会の騎士達が叫ぶ。

「ノチェロ聖堂騎士団長、ジオグラン・クァレンタ様が右手の悪魔に唆され、教会を裏切ることを教皇ストレガ様が”予見”で見られた。しかし教皇猊下の”予見”は数ある未来の一つの形。我らは栄誉ある聖堂騎士団の長たるジオグラン様がそのような愚行に及ぶとは信じてはおりませんが、教皇は証を求めておられます」

「何だと……!」

 教会の騎士の言葉にジオグランが思わず叫ぶ。騎士の言葉の意味する所を理解したジオグランは周囲を一瞥すると大きな声ではっきりと告げた。

「教会の……いや、教皇は間違っている。あの少女は終世の悪魔ではない。彼女はただ世界の意思を聞き届ける天秤だ! 彼女を害すればその裡に眠るアーテルを呼び覚ましかねん! お前たちも先ほどの異変は見ただろう! 親父が……トレス・クァレンタ殿が彼女を止めねば世界は滅んでいたのだぞ!」

 その言葉に紅翼の騎士達が無言で頷く。しかし教会の騎士達は小さく首を横にふる。

「……やはり教皇猊下の予言は当たってしまいましたか。まさかあのジオグラン様も悪魔に懐柔されておられるとは……。アルブスの光を守る聖堂騎士達の魂をも惑わすとは、右手の悪魔よ……誠に忌々しい……」

 その様子を黙って聴いていたヴェルヴェーヌがジオグランに無邪気な笑顔で問いかける。

「ねえおにいちゃん。あの人たちはだあれ? どうしてあの人たちは怖い顔をしているの?」

 ヴェルヴェーヌの言葉にジオグランは答えず、まっすぐに教会の騎士達を見つめていた。

 その光景に教会の騎士が叫ぶ。

「今ここに、アルブスの名の下に悪魔を討たん!」

 騎士が叫ぶと同時に、その手に持つ槍を凄まじい勢いでヴェルヴェーヌに向かって投擲した。槍は風を纏い、真っ直ぐにヴェルヴェーヌに迫る。槍がまさにヴェルヴェーヌを貫くその瞬間、周囲に甲高い音が鳴り響く。

「その槍を落とした意味……分からぬジオグラン様ではありますまい? なんと嘆かわしい……。申開きがあれば聞きますが?」

 ヴェルヴェーヌを貫こうとした槍は、キルシュがその穂先を両指で挟んで止めており、その柄はジオグランによって圧し折られていた。その光景に周囲を取り囲んでいた騎士達の間に緊張が流れ、翡色の鎧を着た騎士がキルシュに向かって大きな声で告げる。

「教皇ストレガ様はこうも申された。教会の裏切り者、トレス・クァレンタは散るが、右手の悪魔は新たな走狗を手に入れると。それが聖堂騎士団長ジオグラン様と……アクアビットが宰相オレアデス様のご息女、キルシュロッター様、貴女です」

 そんな騎士の言葉にキルシュが咄嗟に叫ぶ。

「騎士様。違うのです! これはジオグラン様の言った通りなのです! ヴェル自身が世界を破滅に追いやることはありません。世界が破滅と混沌を望めばアーテルがそれに応え、繁栄と秩序を望めばアルブスが世界に祝福をもたらす。ヴェルヴェーヌはその世界の選択を見届けるただの少女に過ぎません!」

「僕からも説明させて頂く。キルシュロッター殿とジオグラン殿の言葉は真実です! 彼女を害することは世界を破滅に追いやる。あなた方も先刻の天変地異でその片鱗を肌で感じたはず!」

 咄嗟にナストロが叫ぶが、騎士は肩をすくめてみせる。

「アクアビット近衛騎士隊の長……『剣聖』ナストロ・マラスキーノ殿か……。コーディアル十四世陛下におかれましては、アクアビットはこの件については我ら教会の意向に従うとのお言葉を頂いております。この意味、ご理解なされますよう」

「しかし! ジオグラン殿の言葉は本当なのです。彼女を傷つけてはいけない!」

 食い下がるナストロを前に、騎士は一瞬肩を竦めて見せる。

「さて、これは困りました……。ナストロ殿は予見では悪魔に懐柔されるとは聞いておりませんでしたが、これはいかに」

 騎士は周囲を一瞥すると、大げさに両肩をすくめてみせる。

「それに右手の悪魔は元気にそこに立っているではないですか。彼女が害されて世界が破滅の危機に瀕しているようにも見えません。つまり、これはあなた方が悪魔に懐柔され、手心を加えた何よりの証拠。姑息な言い逃れは見苦しいですぞ」

「彼女が無事なのはトレス殿が!」

「おやおや、今度は裏切り者のトレス・クァレンタですか? ストレガ様の予言によればあの男はこの戦いで死ぬとありましたが、ここにいないということは、やはり既に死にましたか。手間が省けて助かりました」

 騎士の言葉にナストロが歯を食いしばり、強く拳を握りしめる。そんなナストロの様子を見たキルシュが後ろから小さな声で呟く。

「……今更トレスの事を説明しても信じてもらえないでしょう。彼らは何があってもヴェルを殺す気です。ヴェルにアルブスの魂が戻ったとはいえ、ヴェルを害すれば再びアーテルが出てこないとも限りません。トレスがいない今、そうなってしまえば私達は彼女を止める手立てを知りません。そうなれば世界は……」

 キルシュの言葉に、ジオグランが振り返らずに小さな声で二人に告げる。

「同感だ。奴らは俺達が裏切ったと信じている。何を言っても聞かないだろうな。だがここでこの嬢ちゃんを奴らに渡すわけにはいかねえ……。死守するぞ」

「しかし……相手はどうみても五百……いや、千近くはいます。ここを強行突破するのはいくらなんでも無茶です」

 ナストロの言葉にキルシュが小さく微笑んだ。

「……トレスが言っていました。予見で世界が破滅を選ぶとしても、それは確定されていない先の話。私達が安寧を願えば未来はいくらでも変えられる。ならばナストロ様と紅翼の騎士様達が戦うべき場所はここではありません」

 キルシュの言葉の真意を理解したのか、ジオグランが振り返らずに告げる。

「本気か? ザフトリングの嬢ちゃんまで巻き込まれることはないぜ。これは俺の、いや、俺と親父の意思だからな。嬢ちゃんは剣聖と一緒に国へ戻れ。そして真実を伝え、人の未来を守れ。剣を持つのは俺だけでいい」

「そうはいきませんわ。ジオグラン様だけに押し付けるわけにはいきません。それにヴェルは私の大切なお友達ですもの」

 ジオグランの言葉にキルシュは小さく微笑むと、首を横に振る。そんなキルシュの言葉を受けて、ジオグランが真剣な表情で小さく呟いた。

「……やめとけ。嬢ちゃんに家族がいるなら尚更だ。帰る場所があるのにむざむざ捨てることはねえよ」

「……でも」

 キルシュが困惑した様子で呟く。すると突然アクアビットの騎士がキルシュに向かって叫んだ。

「キルシュロッター・ザフトリング様。陛下におかれましては聡明なキルシュロッター様が世界を破滅に導く悪魔に懐柔されたとは考えてはおりませぬ。早くこちらに!」

 その言葉にジオグランがキルシュとナストロを見つめて小さく首を縦にふる。

「さっさと行きな。あんたらにはあんたらのやり方で世界を救え。俺は俺のやり方でこのお嬢ちゃんを守る」

 ジオグランは心配そうに自分を見上げている少女――ヴェルヴェーヌを一瞥すると小さく笑う。

「お前らもだ。いくら紅翼とて、今の疲弊しきった状態であの数の翡翼の騎士達とやりあうのはキツイ。それにストレガ様の予見には俺のことしか映っていなかった。ならお前らは大丈夫だ。教会に戻って、真実を周りに伝えてくれ。だが命を捨てるような真似はするな」

「ジオグラン様……。我ら紅翼、アルブスに誓って必ずや……。それまでどうかご無事で……」

 ジオグランの真意を汲んでか、騎士達はジオグランの言葉に素直に頷き、その様子にジオグランが満足そうに首を縦にふる。騎士達が一人、また一人とジオグラングランの元を離れていく。

「よし……」

 騎士達が去るのを見届けたジオグランはゆっくりと地面に突き刺さっていたトレスの剣を引き抜くと、キルシュ達に向かって振り返る。

「あんたら……まだいたのか。早く行け。巻き込まれても知らねえぞ?」

「あら、教皇様の予見には私も映っていたのでしょう?」

「あん? 何を言って……」

「少しお待ちを……」

 キルシュの言葉にジオグランは首をかしげるが、キルシュはただほほえむばかりである。するとキルシュがおもむろにナストロの首にゆっくりと手を回す。

「キ……キルシュ殿……一体これは?」

 突然のキルシュの行動にナストロが慌てた様子で問いかける。一方のキルシュはいたずらっぽく笑うと、ナストロに向かって顔を寄せる。

「ごめんなさい……ナストロ様」

「えっ?」

 キルシュが呟くや、そのまま自分の唇をナストロの唇に重ねた。キルシュは瞳を閉じると、ゆっくりとナストロから離れていく。突然のことにナストロが立ち尽くしていると、キルシュが小さな声で呟いた。

「ナストロ様はどうか真実を陛下とお父様に。教会は絶対に止めねばなりません」

「しかしキルシュ殿は……」

「これを……」

 キルシュはそう言うと胸元から一枚の紙を取り出してナストロに手渡す。紙を受け取ったナストロは訝しげに首をかしげるが、その内容を見て思わず叫ぶ。

「これは……オレアデス公からの離縁状! これは一体どういう……」

 キルシュは瞳を閉じると静かに首を横にふる。

「これで私は侯爵家のキルシュロッター・ザフトリングではなく、ただのキルシュロッターですわ。そこには家も国もありません。だからこれから起きることは、全てこの私、キルシュロッターだけの責ですわ」

「まさか……キルシュ殿。貴女は……!」

 その言葉に全てを察したナストロは慌ててキルシュの両肩をつかむ。

「言わないで……ナストロ様」

 ナストロが何かを言いかけた瞬間、再びその唇にキルシュの唇が重ねられる。まるでその瞬間だけ時間が止まったかのように、ナストロもキルシュを感じてゆっくりと瞳を閉じる。キルシュの足元の地面に小さな染みが生まれ、どこかでキルシュの謝る声が聞こえた。


 その光景を前に、ジオグランが瞳を細めて呟いた。

「……それが嬢ちゃんの選択か」

「お兄ちゃん……どうしたの? 怖い顔してるよ」

 横にいたヴェルヴェーヌが不思議そうにジオグランを見上げ、何かに気がついたのか朗らかに笑う。

「でもお兄ちゃん、さっきよりもずっと綺麗な目をしてるね。何かいいことあったの?」

 その言葉にジオグランが驚いた表情でヴェルヴェーヌを見つめ、小さく笑い出す。

「ははっ……そうか……。綺麗な目……か。俺にもようやく生き方ってのが見えてきたと思ってな」

 ジオグランはキルシュを一瞥するとキルシュもジオグラン見つめて首を縦にふる。二人の視線が交差し、ジオグランが大きく叫ぶ。


「これより我、ジオグラン・クァレンタは創世の天秤たるこの少女を来たる選択の時まで守ると誓おう! この少女に仇なす者は遍く我が閃熱よって灰燼に帰すと知れ!」

 ジオグランはヴェルヴェーヌの前に立つと右手に自分の剣を、そして左手にトレスの剣を持ち、騎士達に向かってゆっくりと構える。

 その光景を前に、キルシュがゆっくりとジオグランの横に並び、朗らかな声で周囲に向かって告げる。

「私はこれよりザフトリングの名を捨て、ただのキルシュヴァッサーとしてジオグラン様と共に我が友、ヴェルヴェーヌ・デュ・ベレイを守ると誓います。私の二つ名を知って尚この私に挑む覚悟があるのであれば、私の前に立ちなさい。お相手いたしますわ」

 キルシュはそう言うや、その身に宿す力を開放する。一瞬その体が眩い光に包まれたかと思うと、次の瞬間、左手からゆっくりとその全身に向かって複雑な光の紋様が浮かび上がる。キルシュの美しい赤い髪は金色に輝き、風になびいた髪から小さな光の残滓がこぼれ落ちる。

 キルシュは地面に落ちていた剣を拾うとおもむろに剣の切っ先で地面を払った。たったそれだけの動作で地面が爆砕し、大地に巨大な爪痕が刻まれる。その光景に二人を取り囲んでいた騎士達は緊張気味に息を呑み、一方のキルシュは傍らにいたナストロに向かって小さく呟いた。

「申し訳ありません、ナストロ様。私――キルシュは今日、人を殺めますわ。業を背負い、この子と共に世界を回ろうと思います。……貴方のキルシュはここで死んだとお思い下さい。もう二度と会うことはありませんが……どうぞ……どうぞナストロ様も……お達者で」

 キルシュは瞳に大粒の涙を浮かべて微笑み、その言葉にナストロが一瞬何かを言いかけるが、キルシュを見つめて唇を噛みしめ、震える声で語った。

「きっと陛下にも事情を分かって頂ける日が必ず来ます。貴女が胸を張って戻れる日まで、どうか……どうか……」

 震えるナストロに向かってキルシュは瞳に大粒の涙を湛えながら微笑んだ。そしてはっきりと――さようならと告げた。

 その瞬間、ナストロは腹に凄まじい衝撃を受けて吹き飛ばされた。ナストロは地面を数回転がりながらその場に倒れ伏し、そんなナストロを横目にキルシュが周囲に聞こえるように大きな声で告げる。

「私……しつこい男は嫌いですの。さようなら」

 その光景にアクアビットの騎士達が色めきだつ。

「ナストロ殿は貴女の恋人ではなかったのですか!」

 騎士が叫ぶがキルシュはそれを意にも介さぬ様子で小さく笑みを浮かべている。騎士達からはキルシュの涙は見えない。その様子を見たジオグランが小さく呟いた。

「剣聖を眠らせたのは良い判断だ。アクアビットが俺達を討つと決めたならば、剣聖もそれに逆らえねえだろうしな。今更だけどよ……後悔、しねえな?」

「ええ……それにナストロ様にはきっと伝わっていますわ。だから……だから大丈夫ですわ……」

「……なら何も言わねえよ。じゃあ、行こうぜ。世界を守りによ」

「はい……」

 二人はヴェルヴェーヌを中心に背中合わせに構えると、ゆっくりと集中する。その瞬間、二人に向かってアクアビットの騎士達が、ノチェロの聖堂騎士達が、その場に居合わせた全ての兵士が二人に向かって駈け出した。

 ある者は馬に乗り、ある者は槍を手に、それぞれが明確な殺意を持って二人に迫る。抗いがたい圧倒的な数の暴力が二人を蹂躙すべく大地を揺らす。対するは二人。キルシュとジオグランは雄叫びを上げながら騎士達に向かって駆け出した。


 その日、リコリスの街が地図から消えた。

 通りにあった家屋は跡形もなく消え去り、全てが瓦礫と化していた。かつて広場だった地にはおびただしい数の死体が散乱し、その中心で佇む人影が二つ。

 全身から煙を立ち上らせながら佇む男、ジオグラン・クァレンタ。そして返り血を浴びて全身を赤く染めた美しい女性、キルシュヴァッサー・ザフトリング。その二人の足元には小さな寝息をあげている少女、ヴェルヴェーヌ・デュ・ベレイの姿があった。

 二人の周囲には死体が散乱していたが、その数は当初二人を囲んでいた人数には程遠い。

「……半数以上は引いてくれましたか。ナストロ様も紅翼の方々も皆無事に退却できたみたいですし助かりましたわ」

「……だが、それでも数百は斬った。これで晴れて俺たちも悪魔の仲間入りというわけだ」

 自嘲気味に笑うジオグランを前に、キルシュがヴェルヴェーヌを抱きかかえる。ジオグランはそんなキルシュを一瞥すると問いかける。

「それで……これからどうする? 俺も嬢ちゃんも今となっちゃ世界の敵だ。もうこの世界に安住の地なんてねえぞ?」

「……この子と一緒になっただけです。ならばただ共にあるだけですわ」

「そうだな……」

エピローグ


「ねぇー! ジオってばー! はやくはやく!」

 とある街の市場でヴェルヴェーヌが果物を片手にジオグランを呼ぶ。

「ヴェルヴェーヌ……お前、街中で俺の名前を呼ぶなとあれ程言っているだろうが……」

「ふふっ、すっかり懐かれましたわね、ジオ。でもそろそろ偽名を考えないと……私達の名前は広く知られすぎていますし」

「ああ……ジオグランの名は今では悪魔の騎士として有名らしいからな。全く窮屈でしょうがねえ。だが、この名を変える気はねえ。親父がくれた名前だしな……と、お姫様がお待ちかねみたいだな」

 ジオグランは頭をかきながらヴェルヴェーヌの下へと歩みよる。

「見て! ジオ! この赤い果物なんて綺麗でとてもおいしそうじゃない? ねっ? だから買って欲しいなって……」

「駄目だ。これから昼飯だ。飯の前にそんなもんを食ったら、昼飯が食べられなくなっちまうだろう?」

 瞳を輝かせるヴェルヴェーヌを前にジオグランは小さく首を横にふる。まさか却下されるとは思っていなかったのか、ヴェルヴェーヌは悲しそうに俯くと手に持った果物を露天商に返す。その手は小さく震えており、その肩も震えている。

 その光景にジオグランは深くため息をつくと、おもむろに果物をいくつか手に取り諦めたようにつぶやいた。

「たかが果物くらいで泣くな……。ったく、世話のやけるお姫様だぜ……」

 ジオグランはそう言いながら露天商に金を払うと、手にした果物をヴェルヴェーヌに押し付けるように手渡す。

「いっ……いいの? だってジオは昼ごはん前に食べちゃダメだって……」

「仕方ねえな……飯の後に食うんだぞ?」

 その言葉にヴェルヴェーヌの表情が歓喜に染まる。

「本当? 本当にいいの? ありがとうジオ、大好き!」

「おっ、おい! 声がでけえよ!」

 往来の中心でヴェルヴェーヌが大声で叫び、そんな二人の様子に通行人が微笑みながら二人に視線を送る。その視線に耐えられなかったのかジオグランが慌ててヴェルヴェーヌを抱きかかえると、そのまま裏路地へと消えていく。

 裏路地に入った瞬間、突然ジオグランが立ち止まる。

「どうしたの、ジオ? 何かあったの?」

 不思議そうにジオグランを見上げるヴェルヴェーヌをよそに、ジオグランは後ろから二人を追ってきたキルシュに向かって目配せをする。その視線を受けてキルシュが小さく頷くと、おもむろにヴェルヴェーヌを抱きしめてその耳元でささやく。

「ヴェル、そろそろお昼ごはんにしましょう。お昼はヴェルの大好きな野菜のスープですよ」

「本当? 実は私お腹ぺこぺこなの~」

「ふふっ……じゃあ宿に戻りましょうか」

「うん! ジオも一緒よ。昼ごはんー」

 無邪気にほほえむヴェルヴェーヌを前に、ジオグランはその頭を乱暴に撫でて小さくほほえみかける。

「……ちょっと待ってな。忘れ物をしちまった。何、すぐ追いつくさ」

「えー? ジオはおっちょこちょいさんなのね。やっぱり私がついていないとダメね」

「ああ、そうだな……全く頼もしい限りだぜ」

 ジオグランはヴェルヴェーヌに向かって朗らかに笑い、ヴェルヴェーヌも大きく頷く。

「じゃあジオ、先に行っていますわ。いつもの場所で」

「ああ……」

 ヴェルヴェーヌとキルシュが大通りに消えたのを見て、ジオグランがそのままゆっくりと背中に担いだ剣を引き抜く。その瞬間、ジオグランを囲むように全身を黒衣に身に包んだ男たちが現れる。

「……女子供には手を出さないってか?」

「貴様を排除すれば女子供などどうにでもなる……。まずは貴様にここで死んでもらう」

 その言葉にジオグランは大きく笑い出す。

「はははっ、こいつは傑作だ。なる程、俺が目立つってのも中々悪くないもんだな。こうしてあいつらの露払いができるなら悪くねえ」

「……何がおかしい?」

 突然笑い出したジオグランを不審に思ったのか男が問いかける。

「……何でもねえよ。お前たちがどこの差金か、思い当たるフシがありすぎて、ひょっとしたらその全部なんじゃねえかと思っちまうくらいだ。まあどうでもいいけどな」

 ジオグランの手が一瞬輝き、その手に持つ剣に淡い光が宿る。それを見た男達は緊張気味にジオグランとの距離を詰める。それを見たジオグランがはっきりと響く声で告げる。

「俺の名はジオグラン。ジオグラン・クァレンタ。創世の女神の意思、天秤の少女ヴェルヴェーヌ・デュ・ベレイを守る男だ」

 ジオグランはそう告げると何気なく剣を横に振る。それに呼応するかのように男達の体に赤い線が刻まれ、次の瞬間、凄まじい熱が男達の体を焼き斬った。男達の体は灰となって崩れ落ち、ジオグランはつまらなそうに剣を収めるとキルシュ達の後を追った。

「あら、今日は早いのですね」

「まったく毎日毎日よくやるよな。下らねえ……」

 宿屋の前で待っていたキルシュとヴェルヴェーヌに向かってジオグランが肩をすくめてみせる。その瞬間、キルシュの手が小さく動き、ヴェルヴェーヌの頭の上で止まる。

「針……か」

 キルシュの指にはどこから飛来したのか針が握られており、それを見たキルシュがつまらなそうに指を弾く。たったそれだけの動作で、キルシュの指に握られていた針が凄まじい速度でどこかに飛んで行く。

「お返ししますわ」

 次の瞬間、どこかで小さな叫び声が聞こえるがジオグランはまるで意に介さぬ様子で頭の上で腕を組みながら大きくため息をつく。

「紅翼の奴らが頑張ってるとはいえ、相手は教皇だ。そううまくは行かねえか」

「ええ……。アクアビットでもナストロ様とお父様、それに姫が頑張っていらっしゃるようなのですが、やはり教会の意向に背くのは難しいようで……」

「まっ、気長に行こうぜ。ヴェルヴェーヌが言うには世界の声を聞くにはまだ時間がある。その時までに世界がもっと良い物になっていることを祈るぜ」

「ねージオってばー。はやくごはん食べようよ。わたしお腹ぺこぺこなの」

「はいはい……って、ヴェル! お前っ果物は飯の後って言ったじゃねえか!」

「だって果物さんが早く食べってって言うんだもの……。ジオが早く来ないからいけないんだもん……。ジオのせいなんだもん……」

「俺のせいかよ!」

「きゃーっ! ジオが怒ったー!」

 ヴェルヴェーヌは笑いながら宿屋の中に駆け込み、ジオグランがそれに続く。その光景を前にキルシュは小さく微笑んだ。











 少女の旅は終わらない。


『アルブスは光を産み、アーテルは混沌を紡ぐ。天秤が傾く時、神の鎖は天倫を紡ぎ、選択の時が訪れる』


 かつて世界は女神によって生み出され、

 もう一人の女神によって滅ぼされた


 人は滅びに瀕し、女神に祈りを捧げ、

 女神は再び世界に息吹を吹き込んだ


 それは幾度と無く語り継がれたお伽話

 それは幾度となく繰り返された世界の記憶

 全ては少女の中に


 これはそんな少女と、彼女と共に在る人々の物語。



 ―― 時には愛を、そして少女は死を語る 了 ――


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