一章:悪魔と呼ばれた少女
一章:悪魔と呼ばれた少女
とある街の酒場で、一人の少女がカウンターに腰をかけた。全身を黒いローブで身を包み、右手を肘まで覆う長い手袋がその合間から見え隠れしている。美しい灰色の髪がその身に纏う黒衣と溶け込み、ややもすれば演劇の舞台俳優のようにも見える。
「おっ、嬢ちゃん。見かけない顔だね。旅人……にしちゃちょっと若いか。どうした? 家出かい?」
主人と思しき男が少女を見て訝しげに首を傾げ、一方の少女はそんな主人の様子を気にした様子もなく淡々と告げる。
「酒を一杯もらおう……何か強いものをくれ」
「酒って……嬢ちゃんにはまだ早いんじゃねえか?」
突然の場違いな少女の登場に戸惑っていた主人が思わず少女に向かって聞き返す。
「これでもそこそこは生きている。……もっともそれよりは若くは見られるがな」
「面白い言い訳だな。でも背伸びはほどほどにしておきな? 酒は体によくねえぜ」
その言葉に主人は苦笑しつつも、少女に向かってグラスを差し出す。グラスには琥珀色の液体が注がれており、少女は満足そうにグラスを傾ける。
「……ついでだ。何か食い物もくれ」
「あいよ。肉でいいか? 今日狩りがあってな、丁度良い肉が入ってるんだ」
少女は小さくうなずき、主人が店の奥へと消えていく。酒場の中は大勢の客で賑わっており、客の半分は兵士で占めていた。その様子に少女が小さく呟いた。
「……憂さ晴らしか、兵隊も大変なものだな。愚かな王を持つと泣くのはいつだって民草だ」
「おいおい、あまり物騒な事を言うもんじゃねえよ」
いつの間にか戻ってきた主人が皿を少女の目の前に出しながら苦笑する。
「でもまあ……その意見には概ね賛成だけどな。いい加減、みんな戦争にはうんざりしてんだ。こう言っちゃ何だが、王様はちいとばかり血の気が多すぎる。昔は多くの武勲を持つ英雄だったんだろうが、そのせいで戦いに魅入られちまったのかもしれねえな」
「ふん……よくある話だな。自国を守るための戦争ならいざ知らず、ストレガへの侵略戦争だから余計に質が悪い。手にした平和に満足せず、更に血を求めるか。この馬鹿げた戦争もいつ終わることか……」
「おいおい……嬢ちゃん、随分と難しいことを言うんだな。嬢ちゃんくらいの歳なら、宝石とか服とかが気になるもんなんじゃねえのか?」
その言葉に少女が意外そうに主人を見つめ、突然笑い出した。
「はははっ、そうか……そうだったな。私くらいの歳ではそういうものなのか。それはすっかり忘れていたよ。……むっ、これはうまいな」
少女は運ばれてきた料理を頬張りながら感心したように瞳を細める。口調はとても少女のそれではないが、食べる仕草や笑う様は歳相応の少女にも見える。そんな少女を眺めながら主人が満足そうに頷いた。
「へへっ、自慢じゃねえがこれには自身があるんだ。意外に評判が良くてわざわざツェニートから食べに来るお客さんもいるんだぜ?」
「ほう? わざわざ王都からか。それはご苦労なことだ。だが確かにうまい」
少女を眺めながら主人が何かを思い出したように、心配そうに語りかける。
「そう言えば最近聞いた話なんだけどな、どうもヴィジタルの街で悪魔が出たらしいんだ。嬢ちゃん、そのなりだと旅をしてるんだろ? 気をつけろよ?」
「悪魔?」
その言葉に少女が一瞬食事の手を止める。
「ああ、悪魔の右手って呼ばれてる奴だ。名前くらい聞いたことあるだろ? 何でも女神アルブスに逆らう邪教徒だとか、闇の女神アーテルの化身とも言われてる奴だ。何よりも恐ろしいのが、教会の聖堂騎士様がかなりの数、その悪魔に殺されてるって話だ」
「へぇ……それは恐ろしい話だな。それで、その悪魔とは一体どの様な者なのだ?」
「悪魔と出会った奴はみんな殺されているか、寝たきりになってるから誰も分からないそうだ。教会――ノチェロの教皇庁は大まかには把握しているみたいだけどな」
「……ふむ。教会が悪魔を追っているのは分かったが、この国――アクアビットとしてはどうなんだ?」
少女の言葉に主人が小さく首を横にふる。
「無理無理。アクアビットは戦争に忙しくて、とてもそんなことに人と時間を割いている余裕なんてねえよ。それに悪魔ってのはあくまで教会にとっての話で、何故かその悪魔は聖堂騎士しか手にかけてねえって話だしな。なら俺たちには関係ねえってことらしい」
「つまり、王家は関知しないと?」
「恐らくな……表向きには教会に従っちゃいるが、実際のところはそいつが異教徒だろうが何だろうが関係ないから好きにしろ、だけど協力はしない、ってのが本音だろうよ。それに正直教会の連中がこのアクアビットで好き勝手するのをみんなあまり快く思っていないしな」
「ふん……なるほどな。面白い話を聞いた。おい、これのおかわりをくれ」
「あいよ」
少女は満足そうに肉を頬張りながら再び店内を見回す。兵士達は日々の鬱憤を晴らすかのように陽気に飲み、テーブルを囲む家族は笑顔で料理を楽しんでいる。長く戦争が続いたこの地でも、人々は精一杯生きている。いや、生きようとしている。
「……人はまだ美しい。彼らは生きることを諦めてはいない。ならばその魂の灯が消えるその時まで、足掻くがいいさ」
少女は運ばれてきたグラスを傾けながら小さく呟いた。その瞬間、少女の眉が小さく歪められる。
「……貴様」
突然少女は目眩を覚えたかと思うと、次の瞬間、その視界が大きく歪んだ。変調を感じた少女が思わず主人を睨むと、主人は申し訳なさそうな顔をして少女を見つめていた。
「……すまねえ。俺もあんたみたいな小さな女の子が悪魔の右手だとは思っちゃいねえよ。だけど、教会の連中に逆らうと俺も異端審問にかけられちまう。なに、形式的に捕まるだけだろうさ。嬢ちゃんが悪魔な訳がねえと思うし、悪いとは思うがちょっとそのまま寝ててくれ」
その言葉と共に、厨房から白い鎧を纏った騎士達が現れる。少女は朦朧とする意識の中で歩み寄ってくる騎士を視界に捉えながら奥歯を噛みしめる。
「……やってくれたな。相変わらず教会は私を葬るのに余念がないようだ」
もはや動くことが叶わぬと判断した少女は、うずくまりながら歩み寄ってくる騎士を睨む。しかしその焦点は定まらず、呼吸も乱れている。
「間違いない。此奴は神聖なる女神アルブスの威光を汚す不浄の輩。混沌の女神アーテルの力を受け継いだ悪魔の右手よ!」
少女を前に騎士が叫び、腰に携えた剣を抜刀する。その光景に主人が慌てて静止する。
「まっ、待ってくれ、騎士様。こんな小さい子が件の悪魔の右手なはずがねえ。それに騎士様はただ取り調べをするだけだって……」
「ふん……貴様は知る必要がない。こいつが悪魔である証拠ならここにある」
騎士はそう言うと、少女を蹴り倒すとその肩を踏みつけながら剣の切っ先で少女の右手を覆っている手袋を切り裂いた。肘まで覆う長い手袋がゆっくりと切り裂かれ、その下にある肌が徐々にあらわになる。その光景を見て思わず主人が息を呑んだ。
「こりゃ……ひでえ……」
「これが悪魔の証だ」
少女の右手は肘から手の先まで醜く焼け爛れており、その光景に思わず主人が顔を背ける。騎士の剣は少女の皮膚まで達したのか、少女の細い腕に一本の赤い線が刻まれていた。騎士はうずくまる少女を蹴り倒すと、その腕を踏みつけて叫ぶ。
「これは我々が貴様を匿う異端の村を誅した時に貴様に刻まれたアルブスの裁き。村人を犠牲にして貴様は逃げおおせたようだが今度はそうもいかん」
騎士の言葉に地面に倒れたままの少女の瞳に力が宿る。
「……アルブスの名の下に罪の無い人々を殺しておきながらほざいたものだ。貴様らにとってアルブスの名は余程都合の良い免罪符とみえる。ノチェロの聖堂騎士も落ちたものだな」
その言葉に騎士が無言で少女を蹴り飛ばし、少女はそのまま床に転がったまま動かない。騎士達はゆっくりと剣を少女に向かて叫ぶ。
「さらばだ、世界を滅ぼす終焉の篝火はいまここに潰える。貴様にノチェロの地を踏ませる訳には行かん! 貴様に――アーテルに二度とこの世界は滅ぼさせはせぬ! 我らは、人は、闇の女神には決して屈せぬ!」
騎士が剣を持ち替えてその切っ先を少女の胸に向ける。少女が苦しそうに騎士を睨むが騎士はそれを意に介した様子もなく、雄叫びと共に剣を突き下ろす。その光景に主人が咄嗟に顔を背け、一部始終を見ていた客からは悲鳴が湧き起こる。
その瞬間、酒場の中に金属と金属が打ち合う音が鳴り響いた。まるで何が起きたのか理解できない様子で客達が音のした方向を見つめ、主人も不自然な音が気になったのか恐る恐る振り返る。
誰もがそこにあるであろう凄惨な死体を想像し、その目の前の光景に思わず声を失った。
「なっ!」
騎士が思わず驚愕の声をあげる。振り下ろした剣は少女の胸の前で止まっており、その刀身には銀色の鎖が絡みついていた。鎖は少女の右手から伸びており、その先端の分銅はまるで意思を持っているかのように小さく動いている。
そして次の瞬間、騎士の剣が甲高い音と共に圧し折られた。
「なに……あれ? 腕から鎖が生えてる?」
「動いてるぞ!」
「悪魔だ! あのガキは悪魔なんだ!」
その光景に事態を静観していた客達の間に動揺が走り、その動揺は瞬く間に絶叫へと変わる。一方の騎士は即座に剣を手放すと手刀を作り、少女の喉に向かって振り下ろした。
「ぎゃああ!」
振り下ろした手刀は先程の剣と同様、鎖によって絡め取られ、次の瞬間、鈍い――骨が砕け肉が爆ぜる音が静かに店内に木霊した。騎士の絶叫が店内に響き渡り、その光景に客達は思わず言葉を失った。
「おい! なんだよ、あれ! 騎士様の腕が……!」
それを見た少女は口元に笑みを浮かべ、右手に巻き付いている鎖が小さく輝いた。
「……銀鎖は貴様らの悪意に反応する。それこそがアーテルの糧というのに、愚かなことだ」
少女が呟いた瞬間、酒場の天井付近に巨大な魔法陣が現れた。
「うわ! なんだあれは!?」
「なに……あれ? 気持ち悪い……」
その光景に酒場の客達は色めき立ち、我に帰った客が一目散に扉へと殺到する。その瞬間、少女が小さく笑った。
「……運がいいな。私は罪のない人間を害するつもりはない」
少女がつぶやいた瞬間、魔法陣が一瞬強く明滅を繰り返した。その刹那、扉に向かって殺到していた客達が突然立ち止まり、不安そうに周囲を見渡し始める。それは騎士達も同様で、剣を抜いたままの姿勢で驚いた様子で左右に首を振っている。
「突然暗くなったぞ! どういうことだ?」
「ここはどこだ! 俺は酒場にいたはずじゃ……何も聞こえないぞ!」
客達はまるで周囲の景色が見えていないかのように手探りで店内を歩き、机や壁にぶつかっては怯えたように小さな悲鳴をあげていた。少女はその光景に表情一つ変えること無くゆっくりと立ち上がり、体を引きずりながら酒場の外を目指す。
「ふん……しばらく暗闇に沈んでいろ。……今日のところは殺さないでおいてやる。客達に感謝するんだ……な」
立っているのがやっとなのか、少女は体を引きずりながら扉の外へと消えていく。
「……よもや、毒を盛られようとはな。しかしこうもあっさりと私の居場所が知れるとは、そうか……奴は『先見』の加護を持っていたか。全く面倒なことだ……」
少女は足を引きずりながら街道を外れた脇道の暗がりに腰を下ろす。既に陽は落ち、宵の空には明けの明星が輝き、その傍らでは上限の月が煌々と輝いている。
「くっ……」
小さい声と共に少女の右手から血が流れる。少女は自身を襲う眠気から逃れるために鎖の分銅を腕に突き刺して意識を強制的に覚醒させていた。痛みと眠気に苛まれ、少女は苦しそうに立ち上がる。
どれくらい歩いたのかわからない。少女は足を引きずりながら街道を南に進む。その額には大量の汗が浮かび、歯を食いしばりながらも少女はひたすらに歩く。月明かりが少女の灰色の髪を照らし、風になびきながら銀色の光を零す。
少女は大きく息を吸うと、力なくその場に座り込んだ。
「教会もいよいよなりふり構わなくなってきたか……。ならばトレスは説得できなかったとみえる。『あの光景を』目の当たりにすれば誰でもそうなるのはしかたのないことだが、だからと言って私もそうやすやすと死ぬわけにはいかんがな……」
少女は空を見上げると、苦しそうに顔をしかめながら大きく息を吐く。すると突然少女が大きく横に飛び退いた。その瞬間、少女の座っていた場所にどこから飛来したのか白銀に輝く槍が突き刺さった。そして次の瞬間、地面に突き刺さった槍が一瞬大きく輝くと、凄まじい閃光と共に爆発した。
「きゃん!」
少女が思わず悲鳴をあげて吹き飛ばされる。少女は咄嗟の事に受け身を取ることは叶わず、地面に激しく身を打ち付けられた。
「くっ……もう追っ手が来たか……」
少女は仰向けに倒れたまま力なく呟いた。次の瞬間、少女に向かって光り輝く槍が降り注いだ。しかし少女は倒れたまま起き上がれない。
槍は真っ直ぐに少女に迫り、その切っ先が少女を貫くまさにその直前、甲高い音と共に降り注ぐ槍が一瞬のうちに全て粉々に砕け散った。
「……やってくれたな。毒まで仕込み、次の手も用意しているとは。いや、これもあの男の読み通りという訳か」
少女は倒れたまま動かない。代わりに少女の右手から伸びた鎖がまるで蛇のように少女の頭上をうごめいていた。鎖は淡い輝きを宿し、次々に迫る槍を瞬時に絡めとると砕いていく。
少女が朦朧とする意識を奮い立たせてゆっくりと立ち上がると、街道脇の林から純白の鎧を身にまとった騎士達が躍り出て少女を取り囲んだ。その数は十を超える。その光景に少女は苦しそうに小さく笑うと、ゆっくりと右手を空に向かって掲げてはっきり響く声で告げる。
「大人しく下がるなら見逃そう。それでも私の前に立つというのであれば、もはや加減はできかねる。死にたくなければ退け!」
「……殺せ!」
騎士の一人が叫ぶや、それが合図だったのか騎士達が一斉に少女に向かって斬りかかる。あるものは槍を、あるものは剣を振りかぶり、少女に向かって振り下ろす。その瞬間、周囲に甲高い金属同士が打ち合う音が鳴り響いた。
「くっ! 何故これしきの鎖を斬れん! 加護を得た我らの剣は岩をも両断できるのだぞ!」
いつの間にか空を漂っていた少女の鎖が少女の身を守るようにその体の周囲を渦巻いており、騎士達の剣はその鎖によって弾かれていた。その光景に騎士達が顔をしかめながら叫ぶ。
その光景に少女は小さく微笑むと小さく右手を空に向かって掲げる。
「その程度では私の銀鎖を超えることはできん! 闇に抱かれてそのまま眠れ!」
少女の叫びと共に銀鎖が淡く輝き、少女を中心に地面に巨大な魔法陣が出現した。次の瞬間、魔方陣から黒い影が杭のように飛び出して騎士達の体を貫いていく。
「ぐはっ! か……影が……」
影に体を貫かれた騎士達は苦しそうに顔を歪めてその場にゆっくりと膝を付く。その表情は苦悶に満ちているが、その体には傷一つ見当たらない。その光景に少女は小さく呟いた。
「貴様らの影を縛った。月が消えるまでせいぜいそこで苦しんでいるがいい……」
「きっ……貴様! だが、どこに逃げても我ら聖堂騎士が必ず貴様を葬る。必ずだ! 世界を……我ら人の明日を貴様に、貴様らに踏みにじらせはせん!」
騎士がうずくまりながら苦しそうに呟くと、少女が騎士の顔を無言で蹴りあげ、騎士はそのまま膝から崩れ落ちる。
「……下らん。世界を混沌に返すのも、秩序をもたらすのも全ては貴様らの選択だ。私は天秤にすぎん」
少女は苦しそうにうずくまる騎士達の中をゆっくりと抜けると、足を引きずりながら街道脇の森の中へと消えていった。
*
時は少し遡る。アクアビットの王都ツェニートにあるとある酒場の一角で、赤い髪の美しい少女が座っていた。その容姿は成熟した女性のそれであるが、どこかあどけなさを残すその面影は少女にも見える。
そんな少女とテーブルを挟んで丁度反対側に一人の金髪の青年が座っていた。年の頃は少女よりも上で、まさに青年と呼ぶに相応しい風貌である。
青年はグラスを傾けながら少女を見つめ、一方の少女は酒が回っているのか、それそも酒場の照明のせいか、その頬はほのかに赤く染まって見える。
少女は手にしたグラスに口をつけると小さく息を吐く。燃えるような赤い髪をかきあげ、それまでとは一転して真剣な表情になり、真っ直ぐに青年を見つめて小声で語りだす。
「先日、ヴィジタルの街の教会に多くの負傷した聖堂騎士が担ぎ込まれたそうです。騎士達は皆昏倒させられていたにも関わらず、その体には傷は一切ないとのことでした」
その言葉に青年の眉が一瞬小さく動く。そんな青年を見つめながら少女は続ける。
「そしてその騎士達は未だに目覚める様子はなく、治療にあたった者が呪いの一種ではないかと疑っているようですわ」
「……まさか!?」
青年が驚いたように瞳を大きく見開き、少女がゆっくりと首を縦に振る。
「ええ……教会が『彼女』の足取りを掴んだのだと思います。そして彼らは……」
「彼女に返り討ちにされたということだろうね……」
青年の言葉に少女は小さく頷き、青年を見つめながら続ける。
「あの子の力についてはある程度理解しているつもりです。正直、彼女が一人で全ての聖堂騎士達を退けたという話を聞いた時は俄には信じがたかったのですが……」
赤毛の少女は一瞬言葉を飲み込み、深く息を吐く。
「教会で寝込んでいる騎士達の話を聞くと信じざるを得ないようですわね。一人で凡庸の兵士百にも勝ると言われているノチェロの聖堂騎士を一人で退けるなど……」
少女が何かを言いかけ、言いにくそうに口を閉じる。その様子に青年がゆっくりと瞳を細めて小声で呟いた。
「まるで……人間業ではない、かい?」
「そっ、それは……」
慌てて首を横にふる少女を前に、青年は苦笑しながら首を小さく横に振る。
「彼女が相手を殺す気なら、前に立っただけで全てが終わっているだろうさ」
「……それ程のものなんですの? 彼女は?」
少し驚いた表情を見せる少女に対して青年は小さく頷いてその言葉を肯定する。
「確かに彼女の力はこの世界にとって脅威そのものだ。おそらく君が想像しているのとは違った意味でね。だからこそ彼女の力はこの世に出てはいけないものなんだ」
青年は一瞬悲しそうに瞳を細めると、手にしたグラスを小さく揺らす。青年はおもむろに少女を真っ直ぐに見つめて続ける。
「……それよりも聖堂騎士が動いたということは、教会が彼女の居場所を突き止めたということになる。彼らは彼女の存在を許さないだろう。ならばおそらく彼女を葬るまで聖堂騎士がこのアクアビットに送り込まれることになる」
その言葉に少女が眉を小さくひそめる。
「……教会の意向はともかく、そんなことをすればアクアビット王家が黙ってはいないと思いますわよ? 陛下は教会が自分の国で好き勝手やっているのを快く思っていませんもの」
「女神の威光のためとあらば、王家もわざわざそれに口を挟むことはないだろうさ。教会に楯突けば最悪異端扱いだ。そうなったらこのアクアビットは周辺諸国に異端粛清の大義名分を与えてしまうことになる。ただでさえヴィンサントとの戦争が長引いて疲弊している今、そうなったらアクアビットにとっては致命的だ」
「しかし、今のアクアビットの状況を考えれば、教会に協力するために人員を割くのは厳しいと思いますわ。もう戦争が始まって四年も経ちますし……」
少女が伏し目がちに呟き、青年も小さく首を縦にふる。
「おそらく王家は動かない代わりに教会を見逃すだろう。しかし万が一ということもある……そこは君にお願いしたいのだけど、頼めるかい?」
青年の言葉に少女は胸に手を当てて大きくうなずいてみせる。
「もちろん構いませんわ。大切なお友達の為ですもの。お父様にそれとなくお話を伺っておきますわ」
「ありがとう。教会が彼女を見つけた以上、僕は彼女の下に行こうと思う」
その言葉に少女が一瞬小さく眉をひそめる。
「……危険ではありません? 貴方の力を信用していないわけではないのですが、少なくともこの国においては私の方が事を穏便に済ませられますわよ?」
「確かに君の言う通りだけど、君だからこそ駄目なんだ。宰相家の息女が背信者と見なされる可能性もある。そうなったらどうなるか、君にだって分かるはずだ」
「でも……聖堂騎士と相まみえるということは貴方の……」
少女はためらいがちにつぶやき、それを受けて青年は少女に向かってほほえんでみせる。
「いいんだ。これは僕のけじめのようなものだから」
その言葉に少女は悲しそうな表情を見せ、何かを言いかけるが青年の言葉が遮る。
「それに……可能性としては低いだろうけど、王家が彼女の力に気がついて変な気を起こす可能性もある。最近のアクアビット王はどうも戦争にご執心の様子だからね。何があってもおかしくない。なるべく不安要素は減らしたいんだ」
青年が小さく瞳を細め、一方の少女も納得したのかゆっくりと頷いた。
「分かりましたわ。なら私の方では彼女と貴方を匿う家を準備しておきますわ。くれぐれも無茶はなさらないでくださいね?」
「ああ、申し訳ないけどアクアビットにいる間は頼らせてもらうよ。必ず彼女を連れて戻る」
青年の言葉に少女は満足そうな表情を浮かべて深くうなずき、おもむろに席を立つ。一方の青年は小さく手をふって少女を見送ると、手に持つグラスを眺めながら小さく呟いた。
「ついに教会が動いたか。……どうか無事でいてくれよ、ヴェルヴェーヌ」
**
灰色の髪の少女は教会の騎士達から逃げながら、森深くにある泉のほとりにいた。既に夜は終わり、空が朝焼けで茜色に染まっている。少女の傍らには兎や鳥達が集まっており、その光景に少女は小さく笑みをこぼす。
「ふふっ……ありがとう。心配してくれるのか?」
少女はほほえみながらフードを脱ぐと、ゆっくりと泉に向かって歩み寄る。水は冷たく澄みわたり、少女は左手で水をすくうとゆっくりと口に運ぶ。少女の口からこぼれ落ちた水滴が朝焼けの光を反射して煌めきながら地面へと消えていく。
いつの間にか少女の傍らにはさらに多くの動物が集まっており、その光景に少女は朗らかに笑う。
「ああ……分かっているさ。世界はここで終わらせてはならない。命ある者が生を望むのであれば、私はそれを歓迎しよう」
周囲には静寂が広がり、暖かい日差しとさえずる鳥の声が少女を優しく包み込む。少女は眩しそうに空を見上げ、心地よさそうにゆっくりと瞳を細めて呟いた。
突然、一陣の風が少女の周囲を吹き抜け、森の木々を大きく揺らす。その瞬間、鳥達はさえずりを止め、動物達は一斉に沈黙した。一瞬にして周囲を不自然な静寂が包み込み、その様子に何かに気がついたか、少女が慌てて周囲を見渡す。
「きゃああ!」
少女が立ち上がった瞬間、突然少女を包むように周囲に暴風が吹き荒れた。何の脈絡も無く突然発生した暴風は竜巻となって周囲の全てを絡め取り、ゆっくりと天へと立ち上る。
風が止み、舞い上がった砂塵が晴れると、そこには右手を空高くつきだした姿勢で佇んでいる少女の姿があった。銀の鎖が淡く輝きながらまるで少女の体を守るように渦巻いており、その周囲に空へと巻き上げられた動物たちが土砂と共に降り注ぐ。
少女の足元には先ほど少女が語りかけたうさぎの骸が転がっており、鎌鼬によって切り裂かれたのかその体には無数の切り傷が刻まれている。周囲に転がる動物たちも同様で、その全ては息絶えている様子であった。
「…………」
その光景に思わず少女が瞳を細め、緊張した面持ちで周囲に視線をやる。その瞬間、どこからともなく一本の矢が少女に向かって飛来した。狙いがそれたのか矢は少女の足下に突き刺さり、それを見た少女が思わず後ろに大きく飛び退いた。
「ちぃ! 同じ手を二度も食らうと思うなよ!」
矢が地面に触れた瞬間、まばゆい閃光とともに凄まじい爆発が沸き起こった。爆風は地面を大きくえぐり、少女の体を包み込みながら徐々にその規模を広げていく。巨大な火球が周囲をあまねく飲み込み、凄まじい熱が木々を焦がしていく。そして森は灼熱に包まれた。
爆風が去り、美しかった森が一瞬にして灰色の大地に姿を変える。焦土と化した大地からところどころ煙が立ち上り、おおよそ命の気配は感じられない。ただ一人の例外をのぞいては。
「……無駄な事だ。貴様らの持つアルブスの加護では私の銀鎖は突破できん。それとも貴様らの目的は森を焼くことか?」
焦土と化した大地の中心で、少女が右手を高く掲げならが佇んでいた。
「ふん……さすが悪魔の右手といった所か。もっとも我々も貴様がこの程度で死ぬとは思っておらんよ」
どこからか声が響き、焼け残った森の中から一人の騎士が姿を現した。その光景に少女が訝しげに瞳を細める。
「……どういうつもりだ? まさか一人でこの私を屠れるとでも?」
「安心しろ。貴様にその鎖がある以上、我々の力が及ばぬのは承知している」
「ほう? ならばどうするというのだ?」
騎士の言葉に少女が僅かに口の端をつりあげる。その光景に騎士は笑みを浮かべながら続ける。
「なに、簡単な事だ。その忌まわしい鎖は我々の加護を打ち消す。だがそれだけだ」
「何だと?」
その言葉に少女が何かを感じたのか慌てて状態をそらす。その瞬間、何かが少女の頬を掠めた。慌てて少女が振り返ると、そこには木々の間から少女に向けて矢を構えている騎士達の姿があった。
「加護を纏わぬものであればその鎖は反応しないようだな。射て!」
その光景に満足そうに騎士が叫ぶ。
「……侮るなよ。知覚の中にあれば銀鎖は私の意思と共にある!」
少女が小さく叫ぶとその右手に巻き付いた鎖が飛来する矢を全て叩き落とす。その光景を眺めていた騎士が嬉しそうに口元をほころばせながら小さく呟いた。
「それも承知の上だ。だが、知覚の外にあるものはいくら貴様とて対応できまい」
その言葉と共に少女に向かって四方から弓が射掛けられる。少女は咄嗟に手を空に向かって掲げると、鎖が渦を巻きながら飛来する矢を弾き飛ばす。しかし背後から飛来した矢が少女を取り巻く鎖の合間をかいくぐって少女の肩を射抜いた。
「くっ!」
少女が思わず顔をしかめ、咄嗟にその場を飛び退く。少女のいた場所には雨のように矢が降り注ぎ、少女は苦しそうに顔を歪めて森の中に潜んでいる騎士たちを睨みつける。
「なるほど……そう来たか。ノチェロの聖堂騎士とあろう者達がアルブスの加護を捨てて、鉄の矢で私を殺しに来るとはな」
「良し! 当たったぞ!」
どこからか声が響き、それに呼応するかのように森に潜んでいた騎士達が少女に向かって一斉に飛び出した。騎士達の表情はどこか歓喜に満ちており、一斉に剣を抜いて少女を取り囲む。その光景に少女は小さく口元を歪めて笑う。
「……矢が刺さった程度でこの私の前に立つとは、随分と舐められたものだな!」
少女がそう叫ぶや、地面に巨大な魔法陣が出現する。しかし騎士達は一向に引く気配を見せず、咆哮をあげながら少女に向かって駆け寄ってくる。そんな騎士達の様子に少女が小さな違和感を覚える。次の瞬間、その違和感は確信へと変わる。
「なっ?」
突然自身の体が石のように重くなるのを感じた少女は思わず膝を付く。その様子を眺めた騎士達が大きな声で叫ぶ。
「よし! 効いているぞ!」
「毒矢……か。私を葬るためにアルブスの騎士である誇りを捨てるか……。私の為にそこまでしてくれるとは……ふふっ……これは女冥利に尽きるという奴か……?」
苦しそうに呟く少女に向かって騎士が叫ぶ。
「ほざけ! これも大破壊を防ぐためなれば、きっと女神アルブスもお許しになる。観念するがいい。闇の女神の走狗、厄災の篝火よ。貴様の下らん野望はここで潰えるのだ」
騎士たちは少女を取り囲むと、うずくっている少女に向かって剣を向けて叫ぶ。その光景に、少女は苦しそうに眉をひそめて大きく叫ぶ。
「天秤の意味すら解せぬ暗愚な者共よ! かつて世界は貴様ら自身によって滅ぼされた。あの破壊は貴様らが選んだ事だ! どうしてそれに気がつかない! 貴様らのその驕りがあの惨禍を引き起こしたのだぞ!」
「貴様の――邪悪な女神の言葉に惑わされる我々ではない。貴様は今ここで死ね!」
少女の言葉に騎士が叫び、騎士が少女に向かって大きく剣を振りかぶる。
「くっ! 愚か者どもが!」
咄嗟に少女が叫ぶと、地面に手をついた。その瞬間、地面に出現していた魔法陣が淡く輝き、大地より黒い霧が吹き出した。それは瞬く間に周囲に広がり、一瞬にして少女の周囲は闇に包まれた。
「くそっ! なんだこれは!」
「落ち着け。これが奴の忌まわしき邪悪な女神アーテルの加護だ。奴はあの毒矢を受けた。十全の力はふるえまいよ。現に我々がこうして話をしていられるのが証拠だ。恐らくこれはただの目くらましだろう」
少女に向かって駆けていた騎士達は突然現れた闇に包まれて動揺した様子で叫ぶが、他の騎士が冷静な口調で淡々と告げる。
「魔獣とて数刻で絶命する毒だ。長くは保つまい。この機に奴を討ちとれ! 弓隊は奴の肩に刺さった矢の光を追え! 残りはこのまま這ってでも街道へ抜けろ! この先は山だ。奴は必ず森を出る!」
騎士の一人が大声で叫び、それを聞いた騎士たちは闇に巻かれながらもそれぞれが明確な意思を持って少女を追いかける。
少女の息は荒く、その額には大粒の汗が浮かんでいる。
「くぅ……」
少女は思わず苦しそうに顔をしかめるとその場に座り込む。額には滝のような汗が浮かび、呼吸は大きく乱れている。少女は何とか木にもたれながら立ち上がると、苦しそうに右手を抑えてうめき声を上げる。
「まだだ……まだその時ではない」
少女の右手はいつの間にか指先から肘まで黒く染まり、その漆黒の腕から黒い霧がこぼれ落ちている。少女の灰色の髪は毛先から黒く染まり、少女の瞳が赤く充血していた。
「私は……私は、まだノチェロに行っていない! 世界の選択を聞いてはいない!」
少女は叫びながら肩を貫いている矢に触れる。その瞬間、肩を射抜いていた矢は崩れ去り、瞬く間に砂塵へと還る。少女の体が一瞬黒い霧に包まれたかと思うと、次の瞬間、眩いばかりの光が少女を包み、黒い霧は一瞬にして霧散する。
「うっ……」
少女はその場に崩れ落ち、苦しそうに小さく悲鳴を上げる。その手は元の火傷を負った姿に戻り、髪の色も灰色へと戻っていた。少女は蒼白な表情で立ち上がると、木々にもたれかかりながらゆっくりと森の中を歩き出す。
「こんな所で……世界を終わらせる訳にはいかない……。トレス……何をしている……私はここだ。早く……早く……来て。さもないと私は……」
「まだ息があるか……さすが我らの同胞を数多葬って来た悪魔の右手よ。だがこれで終わりだ!」
突然少女の前方から弓を持った騎士が現れたかと思うと、一斉に少女に向かって矢を放つ。矢は淡い輝きを宿しながら真っ直ぐ少女に向かって放たれ、その動線上にあった木々を事も無げに貫きながら少女に迫る。
「くっ……もう追いついたか」
少女は弱々しく呟くと、右手を掲げる。その瞬間、飛来してきた矢は全て少女の銀鎖によって打ち砕かれる。
「やはり毒が効いているようだな。以前よりも動きが緩慢だ」
突然後ろから声が響き、少女の腹部を矢が貫いた。
「あっ……ああ……」
少女が思わずその場に崩れ落ちる。少女は腹を貫いた矢を見つめて小さく震えている。その瞬間、再び矢の雨が少女に向かって降り注ぐ。
少女は弱々しく右手を掲げ、銀鎖が迫る矢を叩き落とすがその動きは緩慢で、精彩に欠ける。そして鎖の合間を縫って、再び一本の矢が少女の胸を貫いた。
「かっ……はっ……」
矢を受けた少女はそのまま仰向けに倒れ、その後ろから弓を持った騎士たちがゆっくりと姿を現した。騎士達は倒れ伏す少女を囲み、ゆっくりと帯刀した剣を引き抜いてその切っ先を少女に向ける。
「……今ここに忌まわしき予言はアルブスの名の下に浄化される。混沌の女神、闇の女神の化身、アーテルの加護を持つ忌まわしき悪魔の右手もここで死ぬ。世界は……我々の未来は今ここに紡がれる!」
「や……めろ。私を……害すれば……世界は終わるぞ……」
「往生際が悪いな。だが安心するがいい! 貴様の汚れた魂すらも女神アルブスは救って下さるだろう。さらばだ!」
少女は口元に血を湛えながら絞りだすように呟いた。一方の騎士達は瀕死の少女を表情一つ変えず見つめており、そのうちの一人が声を高らかに叫びながら少女の首に向かって剣を振り下ろした。
その瞬間、薄れ行く意識の中、少女の中で何かが大きく弾けた。
「なっ!」
騎士が剣を振り下ろした瞬間、少女の体が一瞬にして漆黒に染まり、その体から黒い霧が勢い良く溢れ出した。振り下ろされた剣が黒い霧に触れた瞬間、剣は一瞬にして輝きを失い、瞬く間に塵へと還る。その光景を前に騎士たちが思わず言葉を失って立ち尽くす。しかし少女から溢れだす霧は止まらない。
少女はまるで何かに支えらるかのように体を伸ばしたままゆっくりと起き上がり、焦点の合わない瞳で騎士たちをただ黙って見つめていた。その灰色だった髪は漆黒に染まり、その瞳には赤い輝きが宿っている。まるで感情の篭っていない瞳が騎士たちを一瞥し、少女はゆっくりと口を開いた。
『愚かで愛しい我が子供達よ。無理やり天秤を傾けて私を望みますか。ならば戻りなさい。その眼差し、その息遣い、その魂全て、私の中に。暗く、そして眩しい始原の混沌の中へ』
少女の口から先ほどとは別人のような声が発せられる。騎士たちは少女のその尋常ではない様子に緊張気味に後ずさる。その瞬間、少女の目の前にいた騎士の上半身が――音もなく消し飛んだ。
『その魂……確かに』
少女がそう呟いた瞬間、おぞましい程の冷たい気配が周囲に溢れ出した。少女から溢れだす黒い霧が少女を中心にゆっくりと渦を巻き、まるでそれが漆黒の蛇のように周囲を這いずりまわる。霧に触れた草木は瞬く間に枯れ果て、花はその色を失った。
その光景に騎士達は額に大量の汗を浮かべ、小刻みに震えながらも必死に叫ぶ。
「これが本当の悪魔か! 皆構えろ!」
少女に向かって騎士の一人が叫んだ瞬間、その体がまるで何かに押し潰されたかのように突然ひしゃげた。周囲におびただしい量の血が吹き飛び、その近くにいた騎士達は血の雨をその身に浴びながら、一瞬何が起きたのか理解できない様子で呆然と佇んでいた。
「なっ……」
ようやく事態を理解したのか、騎士の一人が声を震わせながら少女を睨む。その瞬間、騎士の体を黒い霧が包み込んだかと思うと、騎士が悲鳴を上げる間もなくその体は瞬く間に干からびた。
「なっ! なんだ、これは……」
黒い霧は次第にその密度を増し、次第に少女の体は霧に包まれて見えなくなる。いつしか少女のいた場所には球形に渦巻く黒い闇があった。
「あっ……悪魔。悪魔だ……」
騎士達がその光景を前に震えながら呟く。その瞬間、地面に転がっていた騎士達の骸から黒い煙があがり、まるで風に溶けるかのように消えていった。
「うっ……うわああああ!!」
騎士の一人が槍を手に雄叫びをあげながらかつて少女だったもの――球形の影に突き進む。その瞬間、騎士の四肢が弾け飛んだ。
「あ……ああっ……」
騎士達の心は恐怖に塗りつぶされ、小刻みに震えながらただその光景を見つめていた。次の瞬間、その場で震えて立ち尽くしていた騎士達の頭が一斉にはじけ飛び、周囲に再び赤い雨が降る。降り注ぐ血の雨の中、周囲に少女の声が響き渡る。
『あら? まだ起きていましたか? ふふっ……残念』
突然黒い霧が晴れ、そこには先ほどの少女の姿があった。