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ただのわたし  作者: mari
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おにぎりの思い出

次女を保育園に送り出したサオリは、コンビニで大好きないくらのおにぎりと新発売のレモンティーを買って、近所の公園に来ていた。


空は晴天。

朝の空気が清々しく、穏やかな風が流れてくる。


公園には、二組の未就園児の親子が朝早くから公園遊びをしている。



サオリは、木陰が揺れているベンチに座ると、早速おにぎりの袋を開けた。


やや角がまあるいおにぎりを豪快に頬張る。

中からプチプチとしたいくらがたくさん出てくる。

晴れた日に外で食べるおにぎりがたまらなく美味しかった。


サオリはおにぎりを食べながら、昔、母と公園で食べたおにぎりを思い出した。

一歳から保育園生活だったサオリは、平日ほとんど母といる時間がなかった。


そんな中、サオリが唯一覚えているのが、近所の公園におにぎりを持って二人でピクニックをした日だ。


母の作ってくれるおにぎりはいつも角がまあるい。

中には梅干しが入っていて、いつもアルミホイルでまるくなったおにぎりは包まれていた。


あの時も空の青が綺麗な日だった。



ーお母さんと一緒にいた時間が嬉しくて、私はおかあさんになろうと決めたんだっけ。



まだ何者でもなかった、「ただのわたし」でいたサオリが、おかあさんになりたかった理由を思い出した。


母と公園で食べたおにぎりの時間が嬉しかったのだ。

けれど、当時はもっと一緒にいたくても、終わりの時間はすぐにやってきた。


サオリはその時、いつか自分が子どもを産んだら、自分の子どもとたくさん一緒にいようと思ったのだ。


そんないつかの気持ちを忘れていたサオリは、当時の夢は叶えていたのに、つい最近まですっかり子育てに疲れた主婦になっていたのだから皮肉なものだ。



サオリの目の前で遊ぶ親子を見て思う。

ずっと続くような子どもたちとの時間も、限りあるものなのだと。


それは一人になってみて、ただのわたしでいる時間があったからこそ気づけたこと。



好きな人と一緒にいられる時間を大切にしよう。


子どもたちも、夫も、友人も、両親も。


この人生で過ごす命の時間には限りがある。



今まで何となく日々をこなすように生きていたサオリは、改めて自分の生き方について考え直すようになっていた。


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