6. 渦中を急げ
惑星エル・ナインから2セクター離れた宙域。
周囲に星は無く、ただ虚空が存在する世界に、一隻の船があった。
船は、旅客数60人程度の小さな民間船。
無論、武装などは積んでおらず。細長い四角柱を面取りした様な、のっぺりとした船体は……片方のエンジンだけを噴射し、辛うじて航行していた。
その船の艦橋。否、小さなコックピットと言うべきか。
そこでは、正規のパイロットではなく、二人の“女学生”が操縦桿を握っていた。
――必死の表情、止めどない玉の汗。
そんな極度の緊張状態にある中。副操縦士席に座る女学生が通信機を取る。
「こちら、ステーションD12発、1312便っ。誰か応答してください! 本船はワープに失敗し、到着したセクターで宇宙生物に追われています。操縦士も、二名共負傷していますっ。今操縦しているのは我々民間人ですっ。誰か応答してくださいっ!」
それは必死の叫び。
だが、酷使した喉に空しく、返事はない。
否、もしかしたら返事はあるのかもしれないが、受信の設定も、アンテナ設備の診断すらできない彼女達では、それを確認する術もない。
だから、今できるのは、必死に助けを呼びかける事だけだった。
「――誰か応答してくださいっ。……駄目……誰も応えてくれない……」
「もう30回以上は呼びかけてる。だから、きっと誰かが聞いてくれてるよ」
そう言って、機長席の女学生は、落胆する親友を励ます。
しかしながら、その女学生だって同じ恐怖を感じているのだ。
……だが彼女は、自分が折れてしまったら親友も、――後ろにいる同級生達の命さえ無くなってしまう事を知っている。
まだ小型船ライセンスを習得中の身。でも、操舵の知識を持っているのは、自分と隣の親友しかいないのだ。
――励まし合い、ギリギリの精神状態を保つ二人。
彼女達は、背後にいる友人達を心の燃料にして、操縦桿を握り続ける。
(……あ)
……だが皮肉な事に、それを意識したのが災いした。
コックピットの後ろ――旅客スペースに彼女の意識が向いてしまう。
そこには、彼女達の心の拠り所である、高校の同級生達で満たされていた。
――事故の後こじ開けられ、開けっ放しとなったセキュリティドアの向こう。
そこから、彼等の声が聞こえてくる……。
「清水……さん。包帯、貰える? 澤田君の、出血がひどいの……」
「っ! ま、待ってて。予備が無いか探して来る……っ」
「目ぇ……俺の目ぇぇっ……」
「大丈夫だっ。再生医療でなんとかなるっ。だから安静にしてろ……」
「ひぐっ……ひぅっ……死にたくないよぉ……」
「あぁ、辛いよな……辛いよな゛……うぅっ」
それは絶望、恐怖、悔恨……。
彼等の間には、あらゆる負の感情が見て取れた。
中には、軽傷でも極度の緊張に泡を吹く学生もいて、他の学生が介抱する姿も見えた……。
「……ひぅっ」
そう。彼女は意識しない様にしていた。
一度意識してしまえば、友人達の悲痛な声が聞こえ……聞こえ続けしまうから。
操縦桿を握る彼女は、止めどなく心の隙間に侵入する声の奔流に……遂に、手が震えるのを止められなかった。
そして、その恐怖は、隣に座る親友にまで伝搬してしまう……。
ただでさえ片肺で航行する不安定な船は、単純な操舵ミスにより大きく揺れる。
「きゃぁーっ!」
「ぐっ、死にたくないっ、死にたくないっ!」
「ここで死んじまうんだっ。みんな死んじまうんだぁ! あはははははっ」
客席から響く悲鳴。
それはまるで、この単純なミスを糾弾されているかの様に感じた。
ただ、不幸中の幸いか。それはコックピットの二人に“意思”を取り戻すには、十分過ぎるインパクトを備えていたらしい……。
二人は、目をギュッと閉じ、流れ出る涙を切る。
そして、操縦桿を小刻みに操作し、細かくスラスターを点火した。
――すると、徐々に安定状態へと戻っていく船。
それを証明する様に、客席の悲鳴は、次第に止んでいったのだった。
「……ごめん。変なところで気が抜けちゃった……」
「私こそ、ごめんね。今度こそフォローしようって思ったけど、できなかったよ……」
片肺故に、斜め航行を余儀なくされた船。
1Gの重力制御さえままならず。ワープ失敗の衝撃で、今も尚、内装の破片が舞う。
この事故で負傷した同級生達も、次第に弱っていくのが目に見えていた。
それに……。
「うん……。やっぱり、あと10分もせずに追いつかれる……。縁起でも無いとは分かってるけど……奴らに食べられるくらいなら、自沈も考えなくちゃね」
「……っ、……っ」
……励ます側だったのに、こんな事を言ってごめん。
女学生は、隣で涙を呑む親友に、今にも消え入りそうな声で言った。
レーダーには、先程よりも確実に近づく、無数の点がある。
……宇宙生物を示すそれは、あと少しでこの船に魔の手を伸ばしきる。
(なんで……こんな事に……っ)
――警告! 近傍にワープアウト。――警告! 近傍にワープアウト。
と、そんな時。突如として発せられた警告があった。
しかしそれは、レーダーに絶望しか見ていなかった彼女達に、“希望”を与えるものだった。
三隻の船が近くにワープアウトする。
まるで盾の様に、宇宙生物達との間に割って入る様は――まさしく、この船の救世主を思わせるのだった。
「あぁ……やっと……」
「助けが来たぁ……」
二人は、歓喜に打ち震えつつも、『同じミスはしない』と、操縦桿をしっかり握り締める。
ワープアウトした三隻は、どれも駆逐艦クラスだ。
だから、このまま自分達がミスさえしなければ、同級生達を無事に故郷へ送り届ける事ができるだろう。
自分も、暖かい家族の元に帰れる……。
だが……そう思った時だ。
「え……、何よ、これ……」
レーダーを見た二人は、気付いてしまった。
それは、注意深く視なければ分からない小さな変化。
駆逐艦を示すドット。それが、なにやら“蠢いている”。
レーダーの強度が弱い民間船では、それ以上の詳細を知る事は出来ない。だが……確かに複数の点が寄り集まる様にして、モゴモゴと動いているのが確認できた。
「ねぇ……、ちょっと操縦桿任せてもいい?」
「……うん……わかった」
親友に操舵を任せた彼女は、機長席を立つと、デジタル双眼鏡を持って、横の窓に張り付く。
そして、斜め航行故に、側面から辛うじて見える後方へ双眼鏡を向けると……全身の血が凍りついた様に、身を固くするのだった。
「…………ははっ……こんなのって、無いわよ……っ」
――駆逐艦には、芋虫の様な宇宙生物が無数に張り付いていた。
巨大なそれは群れを成し、船体を溶かして内部を貪っていた。
……程無くして、駆逐艦から送られる救難信号。
通信機から漏れ聞こえる、船員達の悲痛な叫び。
そんな三隻分の信号を受信した二人は、今度こそ……絶望の水底に突き落とされた。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
「……3、2、1、ワープアウト!」
敵性生物観測所よりもたらされた緊急依頼。
宇宙生物に追われる民間船を救出するため、ヤヒロの駆るエルダー・バッジは、このセクターにワープアウトした。
早速、ヤヒロの指示が飛ぶ。
「ミズハ、敵の位置は?」
「12時方向。前方にこのまま」
レーダーを見るに、民間船もその方向にあって、やはり宇宙生物の群体に追われていた。
あと5分。彼等に追いつかれるまで、その位の猶予しかないだろう。
ヤヒロはそれを鑑み、すぐに指令を出す。
まずは、救出目標に近づかなくてはならない。
「民間船との中間点まで全力加速。その後反転し、減速に入る。――A.I.。目標との最終距離を70メートルに設定し、最短時間で到達する加速手順を実行」
『了解。即時、加速ヲ開始』
ワープアウト直後、出力を弱めていたエンジンが、再び唸りを上げる。
これから民間船に向けて加速し、途中から減速に転じて、近傍でのランデヴーを完遂させるのだ。
――簡単に言えば、最も早い時間で民間船に接近する手順が実行される。
早く要救助者の元に向かい、せめて“助けが来た”と安心して欲しいのだ。
そんな思いの二人は、ワープ中の会話を思い出す。
『追加情報によると、あの船には課外授業に参加する学生達が乗っているそうね』
『あぁ。しかもパイロットが負傷し、学生が操舵しているという情報もある。船もボロボロだ。――早く向かってやらなくては』
これが軍艦の脱出ポッドや、企業の所有船ならまだしも……今回は、学生を乗せた民間船だ。
しかも、パイロットを欠いているという。
たった今も、操舵しているであろう学生、もしくは教員の感じる恐怖は、計り知れないものがあるだろう。
それを思う二人は、意識を現実へと戻す――。
暗黒の宇宙は、激しい加速をしていても、それを実感する事はできない。
それは、高度に重力制御されている本船では、尚の事だった。
だが、目標に近づいている事は、レーダーで確と確認できる。
そう。同時に、――600の宇宙生物に近づいている事も、明白だった。
「あと40秒で群体と接触。艦長、攻撃の是非を」
「攻撃は行わない。このまま民間船への最短コースを維持。群体の民間船への接触前に、本船で確保する」
「了解」
民間船を追跡する宇宙生物の群体。それを先に砲撃する手段だってとれた筈だ。
だが、ヤヒロはそうしなかった。
何故なら、民間船、宇宙生物、エルダー・バッジが直線関係にあれは、砲撃はそのまま民間船に当たってしまうからだ。
加えて、宇宙生物だけに砲撃が当たる様に迂回するコースを進んでしまえば、それは大きなタイムロスとなる。
長大な距離を一気に進む宇宙。僅かなコース角の違いでも、その距離の差は非常に大きい。
「群体との接触まで、あと10秒っ」
「補助エンジン、出力の半分をシールドに回せ。シールドは前面に80%集中展開」
『了解。船体前面ノ“反射圧”上昇。80%集中展開』
反射圧を増したシールドは、透明度も保ちつつも、青白く可視化される。まるで、船体を包む半透明な繭の様だ。
――直後、暗い宇宙を映すだけだった視界が、“奴ら”の下劣な色に染まった。
それは、全身にゴツゴツと鉱物を纏った、おぞましい怪物魚の魚群。
まるで誰をも寄せ付けない威容を放ち、宇宙を悠然と泳ぐ様にして進む巨大魚の群れだ。
しかし、なんと……。
エルダー・バッジは、彼等に気付く暇さえ与えず……巨大魚を次々に“跳ね飛ばした”。
個々の大きさは100メートルを裕に超えるというのに。60メートルの小船は、彼等に衝突すると、押し負けずに弾き返していったのだ。
『警告! 前面シールド、反射圧40%ニ低下。未制御衝撃、増加』
ただ、そんな劇的な光景を生むからには、ヤヒロ達も悠然と構えていられる訳がない。
ガツン、ガツンと衝突する度、シールドの表面に波紋が激しく輝き、制御しきれない振動が艦橋を襲う。
――そもそも、重力制御型アノマリーがあって、ギリギリ人体の安全を許しているのだ。
4点シートベルトを締める二人は、大魚の嵐を通過するまで必死に絶えるしかない。
(おぉ゛……ガッツリ揺れるなぁ)
(鉱物を纏うタイプだから、衝撃が重いわ……っ)
戦闘中故に、無駄な会話を慎む二人。
ともあれ、この程度の修羅場は潜り慣れていて、心中それぞれの感想を抱いていた。
まるで、雹の嵐を進む車中の如く――。ひっきりなしにシールドへと激突する巨大魚を見ながら、二人は言葉を縛って、それが過ぎ去るのを待った。
そして――。
「――っ、群体を通過っ」
「よし。反転まで何秒だ?」
『残リ15秒』
「両用砲、2秒前まで任意射撃っ。少しでも数を減らせ」
『両用砲一番カラ四番、オート、撃チ方始メ』
「撃ぇーっ!!」
船体の両舷。
一基・一門の砲台4つが、後方の群体へと射撃を開始する。
とはいえ数は600。
加えて、鉱物を纏うタイプは、専ら物理的な攻撃に強いとして有名だ。
だが、ヤヒロは躊躇わずそれを指示した。
何故なら、――この船の両用砲が、その常識に“打ち勝つ”と知っているから。
正確には、両用砲内部の弾体加速機構が、一般の艦船とは一線を画しているのだ。
――両用砲の制御画面。
その中心に鎮座するのは、――『エネルギー統合型アノマリー』
単一物質でありながら、電磁気力、重力を統合するそれは、搭載する事で、小型の大砲に戦艦のレールガンを超える弾体加速を可能にさせる。
――重力制御により湾曲した局所空間を一気に解放。それにより加速を受けた弾体を電磁気で制御。
その組み合わせを、単体で、且つ同軸のエネルギーとして扱えるアノマリーは――たとえクラスⅡ(100メートル)宇宙生物でも、貫通し得る攻撃を生むのだ。
よって、ヤヒロの思惑通り。
両用砲の任意射撃は、次々と巨大魚を減らしていく。
――限定された射角の中でも、左右上下に忙しなく動く砲身。
その“乱れ撃ち”とも取れる砲台の激しい動きは、しかし高度に制御されたものだ。
無論、計算と管制を行うのは、この船のA.I.。
――どこに撃てば当たる? 貫通できる? 貫通した後、他の個体に被害を与えられる? ――。
そんな“宇宙生物を陥れる事を得意とする”A.I.は……きっと論理回路のどこかで彼等を嘲笑しながら、西部開拓時代のガンマンの様に、4つの砲台から火花を散らしていた。
『5,4,3、射撃終了。2、1――反転開始』
そして予定通り。船は射撃を停止し、スラスターの噴射で方位を180°変える。
天球コンパスがグルリと反転し、レーダーに映る宇宙生物の群体が、正面方向に移動した。
――ここからは減速。
つまり、通過した群体に対して、船は再び接近することになる。
今度は、背後からの不意打ちでは無く、文字通りの正面衝突だ。
よって、さしものヤヒロとミズハの顔にも、隠しきれない緊張がはしっていた。
『減速開始』
A.I.の合図に、船は進行方向に全力噴射を始める。
レーダーグリットの無数の点が、再び距離を詰めてくるのが分かる。
――ここからが正念場だ。
二人は、言葉も無くその思いを共有すると――互いの覚悟を示し合わせる様に、鋭い視線を向け合った。
「艦長、ご指示を」
「――これより本船は、目標群体から突出する個体の掃討に入る。A.I.は、加速度の大きい個体の割り出し。ミズハは、“攻撃型の亜種”を探索せよ。――各員、持てる実力の全てを以って、民間船救出作業の時間を稼げ」
そして、戦いは幕を開ける。
救出の前哨戦。
しかし、直後から始まり、一切の妥協を許さぬ“全力射”は――人を食らう怪物達を、文字通り貫いていくのだった。