花拾う人 参【歌人の桜】
奇妙な男が桜の住む庵を訪れたのは年の暮れ。
空気の冷たさが骨にまで染み入る、そんな夜のことである。
「ここに、著名な歌人が住んでるって聞いてきたのだがなあ」
戸を叩いたその男は、貧相な体に剃り上げた頭。体には汚い袈裟を巻き付けている。じっくり見るまでもなく分かる、僧形だ。
桜は戸の隙間から男の姿を眺めたあと、かんぬき代わりの棒を外す。
人里離れた山の奥。険しい山の肌に作られた、道なき道を越えた先にこの庵はある。庵といっても、山の裾に張り付くようなあばら屋である。
表に吊した常夜灯代わりの提灯がなければ山の闇に飲まれてしまうことだろう。
「どちら様でいらっしゃいます」
桜は囁くようにそう言うと、戸を薄く開けた。
「俺は一休という流れの僧だ。ここに住む法師様が歌をお得意にされていると聞いて、ひとつ教えを請おうと山を越えてきたのだがね」
戸を開けるやいなや、男は隙間から庵の中へと身を滑らせる。桜は一瞬身構えるが、間近に見た男の顔に邪気がないので、ほっと胸をなで下ろした。
この庵に住むのは世を捨てた変わり者の法師と、弟子の桜だけである。滅多に人も訪れないが、歌人として名高い主を慕って山を越えてくる人間もままにある。
また、法師の説法を聞くためにわざわざ人里より訪れる人もある。一休と名乗ったこの僧は、前者であろう。桜は腰を沈め、深々と頭を下げる。
そしてゆるりと顔を、上げた。
「せっかくですが……」
行灯の薄明かりに照らされる己が身の美しさを、彼女は自分自身よくわかっている。
艶やかな黒の髪が一筋垂れた白の肌。薄桃の花が開くような唇に、濡れた瞳の嫋やかさ。大抵の男は、この姿に骨を抜かれたようになる。
「あいにく、主は旅に出ておりますので……」
「はあ。そうかい。そりゃ残念だ……って、中庭に凄いのがあるじゃねえか」
……が、一休は桜の顔を一瞥したのみで、二度は見ない。それよりも庵の中庭に目を奪われたようである。
「こいつは立派な桜の木だねえ」
庵に入れば土間があり、その奥は六畳程度の小さな部屋。開けはなった障子の向こうには、中庭がある。
庵より広い中庭には、見事な桜が咲いていた。
今宵は半月、弓張りの月。薄い月明かりに照らされてぼうっと白く、桜の木が浮かび上がって見えた。
夜の闇が深ければ深いほど、桜の花弁はまるで細工物のように美しく照り輝く。
幹は大人が数人巻き付いてもまだ足りぬ。巨大な幹から伸ばされた枝も太く、長い。そこに数え切れないほどの桜花がぼうぼうと咲き乱れ、風が吹く度に舞うのである。
一休は呆然と桜の樹を見上げたまま、庭に面した板間に腰を下ろした。
「今の季節をついっと勘違いしちまいそうだよ。こんな季節に桜が咲くのかね。それともあれは雪……」
「秋から冬に咲く、不断桜ともうします」
「ここの主は桜がずいぶんお好みだと聞いたが、こんな珍しい桜も愛でていたらしい」
にい、と一休は子供のような顔で笑う。桜はそんな言いぐさに、頬を赤らめた。
「私の名も、桜と申します」
「そいつはいい。お前さんも桜のように、愛らしいね」
一休は板間の冷たさを気にすることなく、荷を解く間も桜の樹から目を離さない。不断桜は今が盛りだ。秋から冬に咲き、春を前に散る憐れな桜である。
一休は脚絆なども取り払い、すっかり寛いだ様子で腕を枕に寝転がる。冷たい風が吹き付けてくるのも心地良いように、目を細めるのだ。
彼の体に桜の花が一枚二枚、舞いすがる。それを愛しげに指先に絡ませて笑う一休は童子のようであった。
「そのようなところで横になられては、寒うございましょう。もそっと奥へ……桜の花に季節を惑うていらっしゃるかもしれませんが、今は年の暮れの風」
「悪いが一晩泊めてくれやしないかね。法師様にお会いしようとこの深い山を越えてきたんだがよ。年寄りにゃ、往復はちとつらい。心配ご無用、破戒坊主だが女にゃ手は出さねえ」
毒気を抜かれるような愛嬌のある微笑みで一休は言う。
(……幾つの男だろうか)
桜は袖で顔を半分隠したまま用心深く、男を見る。老人のように見えるし、若くも見える。声は野太いが、悪い音ではない。琵琶でも持たせて唸らせればさぞやいい声で歌うだろう。
思えば、この庵の法師は琵琶も嗜んだのである。ふっと、桜の胸の内が締め付けられた。
「とはいえ、いきなり現れた坊主の言葉なんぞ、信じるにも値しねえか」
剃った頭を一休は撫で上げ、背を起こす。彼の背後では、桜の花が雪のように舞い散って、その根元に白いものが積み上がっていた。
まるで雪のようだ。
まるで雪のような白さだ。
「心配なら、朝まで共に歌でも語ろうか。おまえさん、法師どののお世話してんなら、歌も好きだろう。その顔に書いてらあな」
「……あだなりと名にこそたてれ桜花、年にまれなる人も待ちけり」
桜の呟く言葉に、一休は目を輝かす。彼は間も置かず、
「み吉野の山辺に咲ける桜花、雪かとのみぞあやまたれける」
と、返した。
先に桜が「儚く散る桜の花は薄情と言われるが、そのような桜でさえ貴方の訪れを一年お待ちしていたのです」と投げれば一休が「吉野の山に誘われてはみたものの、桜の花ではなく雪と勘違いしてしまったのだ」と返す。その切り返しに、桜は思わず本心より微笑んだ。
久々に口に乗せた歌は、桜の心を震わせる。師である法師もまた、このように歌を詠んでいた。その声が、顔が、胸の内側に蘇る。
「まあ、ほんに、お詳しい」
「いや、俺なんざほんの手慰み程度のもの。俺の弟子がもう一つ歌にゃ詳しい。歌については負かされることも多くてね。憎らしいが愛らしい弟子だよ」
一休が照れたように笑った。
その言葉に、桜は着物の袖を掴んだ。綿入りの着物さえも冷たく凍っているようだ。山を抜ける風は強く、油断をせずとも舞い散った桜の花が襟や袖に滑りこんでくる。
冬に咲く桜の花は、春のそれに比べてずっと冷たい。
「……お大事な、お弟子さまでいらっしゃる?」
「そうさ。弟子を思わぬ師などいないよ」
「……師匠は弟子を愛しますか」
「そいつは少し難しい質問だね」
一休は少し困ったように眉を寄せ、やがて破顔した。
「もう少し近くで桜が見たいね。庭におろして貰おうか」
錫杖一本に、履きつぶしたわらじが一足。それに垢と埃にまみれた袈裟が一枚。
(……あのような恰好で……)
不意に、桜の胸中に不安がよぎる。
あのような恰好で、この年の瀬に山を越えることなど出来るのだろうか。
いくら旅慣れた僧でも、霜で凍った山道を夜更けに渡るのはあまりに危険。しかし、彼は寒ささえ感じないのか平然と庭に飛び降りた。
そして彼は、息を吸い込みその場で頭をぐるりと巡らせる。
「……おかしいねえ」
庭先から桜を見つめるその顔に、笑みはない。
彼の目が急に鋭さを帯びた。
「お坊様……おかしい、とは」
「先もいったがここは桜の歌人の隠れ家で、春には桜が満開になるって話だ。だのに、桜の木が一歩もありゃしない。あるのは、この奇妙に育った不断桜ただ一本」
彼が口を開けるたび、息を吐き出すたび、白い煙が上がる。この季節の空気は痛いほどに突き刺さる。音もない。ただ静寂だ。いや、桜の舞う音だけだ。
「そ……れは、夜の闇が桜木を隠してございます」
一休の手の錫杖が、しゃん。と音を立てた。
「……俺ぁ、これでも夜目が利く」
一休は踊るように庵へ戻ると、腰に吊した煙管を取り出す。俯き震える桜に気にも止めず、机に置かれた煙草盆を顎で差した。
「煙草いいかね」
手慣れた様子で煙管の先に葉を詰めると、くわえたまま盆の火種に顔を寄せる。が、火を灯す前に彼はにいっと笑った。
「……こいつは、いい香木を火種に使ってるなあ」
つ、と煙管に火を移す。
闇の中、煙管の先だけがぽうっと輝いた。
「いい香りだ。この家は、ほんに、良い香りだ」
ふうと吐き出した白い煙が庵の中に細く伸び、桜の花と共に宙を舞う。
それは甘い、春の香りがするのである。
「これは桜の木の……香りだねえ」
「……おのれ」
桜の喉から、己のものとは思えない声が漏れた。
腕が震える。袖の先から見えていた細い指先は、やがて膨れ上がり鋭い爪が音を立てて生えた。
「おのれ坊主め」
口が裂ける。喉が震える。
頭が重い、重い、重い。
「……大人しくしていれば、歌に免じて無事に帰したものを」
カッと開いた桜の目は虚空。
桜花の光に照らされ写る桜の影に、奇妙に捻じくれた角が二本ほど音を立てて生えた。
「ようやく正体を見せたか。さあ、楽しもうじゃねえか」
一休が堪えきれないように笑う。続けざまに錫杖を手に取り、煙管を吐き出す。
乾いた音を立てて煙管が大地に転がった
「いやさ、こんなところで仕事をする羽目になるったあ思いもしなかったぜ。今日は風流に身をやつそうと思っていたのに、とんだ拾いものだ」
一休は年とは思えない身軽さで庭に飛び降りると、踊るように不断桜の根本を蹴り上げた。それは不断桜の根元に積もった花弁である。
……白い煙がふわりとあがる。
いやそれは、花弁ではない……舞った煙は髑髏の姿となって、滑稽に踊るのである。一体、二体、三体。瞳の奥に闇を持つ髑髏たちは、軋む音を立てて立ち上がる。
「ほれ、うじゃうじゃと髑髏が踊ってやがる。不断桜があんなに綺麗に咲くわけだ。お前さん、法師どのに会いに来た人間を殺してあそこに埋めたのだな」
「おのれ、おのれ」
桜は倍も膨れ上がった体を引きずり庭に駆け下りる。巨大な腕を一休に向かって、振るう。着物が裂ける。一休の錫杖を奪おうと身をよじる。
しかし、一休の動きは素早い。鬼と化した桜をあざ笑うように逃げていく。
「おのれ」
おのれ、と桜はうめく。声が震えるのは恐怖のせいだ。のどが渇くのだ。のどの奥が乾いて仕方ないのだ。
それは、あの男の喉仏を食い破るまで収まらない。
「お前さんには見えてないか。あの桜の根元に散る白は、雪でも桜でもなく髑髏の白よ」
一休は錫杖で不断桜の根本をたたく。舞い上がったのは、桜の花と髑髏。木の根本を、彼はきつく叩いた。
「……っ」
それだけで、桜の動きが止まる。
足下に痛みが走る、声が漏れる。それに気がついたか、一休が二度、三度と木の根本を錫杖で叩きつけた。
「……やめ……」
やめて、と叫んだ声は言葉にならない。老婆のような声と、若い娘の声が混じり合う。
思わずその場に崩れ落ちると、一休がようやく足を止めた。
「なるほど、先にはわからなかったが、不断桜の根本が妙に膨れあがってるじゃねえか」
彼が覗き込むのは、不断桜の根本である。巨大な幹に、ほんの少しの空洞がある。それを押し広げるように、一休は錫杖をねじ込んだ。
桜の腹に、激痛が走る。
「お止めください」
老婆の声はなりを潜める。代わりに、娘の声が喉から漏れた。
「……おねがい」
髑髏が山と積もる地面の上に、伏した体はすっかり娘のそれに戻っていた。
指は細く、長い。地面に広がる髪は艶やかに黒い。
美しい着物は、地面に投げ出された。
這うように進もうとしても、その指につかむのは髑髏の目だ。鼻だ。もがいても、もがいても、髑髏の群が邪魔をする。
「おねがい……申し上げ……」
「ああ……法師どのは」
一休の声が、奇妙に響く。
幹の空洞に、響くのだ。
それは桜の腹の中にも響いた。
「ここで眠っていらっしゃった」
押し広げられた木の空洞。その中には、老僧のまとう袈裟が見えた。
赤子のように身を丸め、穏やかな顔で目を閉じる男はまるで生きているかのごとき、顔色である。
不断桜の木の中に、その法師は眠っている。
命などとうにない。ただ、眠るように死んでいる。
「……なるほど、おまえさんは不断桜の化身かね」
一休は切なげにうめいた。彼は一歩。二歩。髑髏の道を歩いて桜に向かって来る。
その口が、念仏を唱えた。阿弥陀の経だ。救いの経である。
「愛しい桜と……法師様は、言ってくださった……」
その念仏が一言耳に届くたび、桜の体から肉がこそげ落ちていく。
「愛しい桜と苗木の頃より愛され、慈しみを受け、成長いたしましたが、私は冬に咲く桜でございます」
ずるり、ずるりと着物を解くように肉が落ちていく。腕から落ちた肉の下、現れたのは髑髏ではない。白い桜の木の枝だ。
「春の見事な桜の園の中、歌を詠む法師様の隣に居たいと……ただ、隣に居たいと願い続け私は」
「あやかしに命を売ったか」
半人半樹のその体の横に、一休は嫌がりもせずに腰を下ろした。彼の腕にからみつくのは、木か骨か。今や桜は、人であり、木だ。
そうだ桜も最初はただの木であったのだ。法師の語る歌に惚れ、法師のたたく琵琶の音色に惚れ込んで、いつか彼の隣にありたいとそう願った。
そんな不断桜の若木に、怪しくささやく声があった。
……美しい娘にしてやろう。その名のとおり、桜花のように清く美しい娘にしてやろう。そうなれば、法師に仕えるも抱かれるも好きにできる……。
その誘惑に屈したのは、もう十年以上も昔の話。
愛らしい娘と化した不断桜は、秋の頃、この庵の門をたたく。
「私が人となれば、不断桜の木が変化しました」
桜の身が人になれば、不断桜は怪しいまでに巨大に育った。
もちろん、育てば育つほどに大地から与えられる栄養だけでは物足りなくなる。
「なのに、私は、人に具現することを止められなかった」
いつからだろうか。桜は、不断桜の根本に人の死骸を植えることを知った。
人から溢れた養分は、不断桜を大いに成長へと導くのである。
「人の体を保つために……私は旅人を……師をたずねてきた方々を」
「殺したか」
「このようなことは、早く……止めるべきだと」
そう思っていた。
しかし、桜の悪行など知りもしない法師は日を追うごとに桜を愛した。
愛といっても手も触れない。幼子のような純粋な愛である。
歌を教え、琵琶を教え、念仏を教えた。
その愛が師弟愛であるのか、それとも男女の愛であるのかを見極めるためには、人の身でなくてはならぬ。
その腕に抱かれたいと願う浅ましい感情を、桜は捨てきれなかったのだ。
「弟子と、愛しい弟子と、そう呼んでくださった」
桜は清らかな愛を与えられるたびに、大きく育った。
育つごとに、人を殺した。
「でも法師様は」
「法師どのは?」
「あのような、歌を」
ぎちり、と桜の体の骨が鳴る。憎しみが歯を鳴らす。空洞となった瞳から、樹液のような涙がこぼれ落ちる。
「願わくば」
低く、桜はうめいた。
「……花の下にて春死なむ」
年老いた法師は、満開の不断桜を見上げて切なげにそう歌ったのだ。
春に咲く桜の下で死にたいと、そう歌ったのだ。
それから数日経った真冬のある朝、法師は願いもむなしく庵の中で死んでいた。
春まで命が持たないと、知っての歌だったのだろう。
「……ならばこそ、なぜ、春などと……春の桜などと……春には咲けない私の前で」
「なるほど、お前さんは」
腕をからめ取られても、一休は意にも介さない。折れそうなほどに強く掴んでも、痛がる素振りもみせない。
ただ真っ直ぐに、桜を見ている。
「春の桜の木をみな刈り取って、死んだ師を朽ちた身の中にしまいこんだのだね」
「……はい」
それが桜の罪である。
そのまま自分も朽ちてしまえば良かったものを、師を抱いたまま生きていたいと願い旅人を殺し続けたのが桜の咎である。
やがてその体は、鬼のように化していた。
それが、桜に与えられた罰である。
庵の中でただ一人、地獄のように生きた毎日であった。
「なぜ、法師さまが泣いているか分かるかい」
一休は優しく、桜にささやいた。
指さした先に見えるのは、空洞の中で眠る法師の姿。生きたときと変わらない穏やかな顔であるが、その目には乾いた涙の跡が一筋見える。
「師が弟子に涙を見せるなんざ、理由はただひとつ」
ぎちり、と音をたてて一休にからみついていた枝がほどけた。
「弟子を救えなかった己が愚かさに泣くのだ」
はらり、と音をたてて桜の体から花が舞った。
「法師……さま」
「おいで」
大地に伏す桜に、一休が腕を広げてみせた。
「かわいそうに」
そのふしくれだった指が桜の頭を撫でる。
「苦しかったろう」
木の髑髏となった不気味な頭を撫でる。
「悲しかったろう」
一休の目からあふれた涙が、桜の頭に散った。
「ほうれ。その鬼の角を、とってやろう」
ぱきりと、何かがはじける音がした。
「……ああ」
痛みはない。ただ、額が妙に軽くなった心地である。
一休は桜の頭を膝に乗せたまま、目前に白い塊を摘まんで見せた。
「これは綺麗な桜の花になる種だ」
「それは、いったい……」
「人でも物でも植物でもな、死に際に後悔がのこりゃ鬼の角となって額を割る。しかしもう大丈夫だ。これを取ればお前さんは、鬼にゃならねえ。俺はな……そんな仕事をしている。鬼となる前に、角を刈り取る仕事だ」
彼の手にあるものは、確かに鬼の角のようであった。が、そのうちにそれは種のような形に姿を変える。
「……種に」
「こいつはね。地獄に植えると、綺麗な花になるよ。また、綺麗な花が咲くよ」
「私は罪もない桜の木を多く刈り取りました。罪もない旅人を多く殺しました。そして、死んだ師の体を弔いもしなかった私はとうてい極楽なぞいけやしません」
一休の膝を枕に大地に寝転がる桜の目に、不断桜の満開の花が見える。
冷たい風の中、夜を遮るように咲く花は、少しずつ枯れ落ちようとしていた。
しかしそれは桜にとって、心地のよい風景であった。
「ただ一つ、我が侭を申し上げて良いのなら」
桜は一休の目を見つめて、微笑む。
「極楽の光が少しでも見える場所に、植えていただければ」
はたりはたりと散る花で、一休も桜も白の中に埋もれていく。
「光の中に師があるとそう思うだけで、私はきっと、綺麗な花をつけることができます」
木は、やがて老木のように枯れた。
一休の手の中には、美しい着物をまとう髑髏がひとつ。
花びらが、髑髏の上に舞い落ちて弔いに色を添える。
「おししょ様」
どれくらい時間がたったものか、いまや庭は花弁の海である。その中に一人腰を落とす一休に、清らかな声がふってきた。
「おししょ様」
鈴が鳴るような声である。振り仰げば、女がいた。夜の闇をも切り裂く美しい女である。地獄絵図の描かれた着物を纏い、頭には豪奢な飾りを揺らしている。顔は白く天女の如く。紅い唇だけが艶やかだ。
彼女は頭の飾りをしゃん。と鳴らして一休をのぞき込んでいる。
「おお。太夫よ。迎えにきてくれたのかい。こんな山道を越えて」
「太夫は山道なぞ、平気にございます。それより、今日は歌を語りに行くのだといっておきながら、なかなかお戻りなりませんのでお迎えにあがりました……なのに」
小さな唇をとがらせて拗ねて見せるのは、一休の一番弟子である。一人きりの弟子である。
「地獄太夫よ」
名を呼べば、彼女は袖で一休の肩をたたく。
「勝手に仕事をしてしまうのだから、酷い人」
「拗ねるな拗ねるな。偶然さ」
はは。と笑ってみせても彼女の目から怒りは消えない。
自分は好き勝手に遊ぶくせに、師が勝手に動けば気に障る。猫のように気ままな女であった。
「何という大捕物。こんなに地面いっぱいの髑髏なんぞ、太夫は見たこともありません」
しゃくしゃくと音を立てて、地獄太夫は地面に散る髑髏を踏み抜き歩く。
そして彼女は豪奢な着物を惜しげもなく地面に広げて、一休の膝に眠る女の顔を見た。
女といっても、すでにその面影はない。すっかり、骨と化してしまっているが。
「娘でございますね? まあ珍しい、桜の娘……腕が枝、足も枝。顔は人間、これはさぞや、美しい娘だったでしょう」
「妬けるかい」
「ちいっとも」
人の骨のようでありながら、着物の裾から漏れる手と足は木の枝だ。
先ほどまで咲き誇っていた不断桜はたち枯れた。その代わり、この娘の腕から漏れる枝からは、愛らしい桜の花が揺れている。
「なんて綺麗な髑髏」
「触れてごらん」
地獄太夫の腕をとり、髑髏に引き寄せる。彼女の細い指が髑髏に触れたとたん、それははらりと崩れ落ちた。
「あら」
触れた先より、それは風に舞うのだ。着物一枚残して、白いかけらとなって崩れ落ちるのだ。
「季節外れの桜吹雪」
一休は錫杖をもって、立ち枯れた不断桜をつつく。と、それもまた根本寄り崩れて空中が一気に白く染まる。空洞に眠る法師も、地面に落ちた無数の髑髏も、庵も、すべて、すべて。
「いいや、雪だよ」
激しい風に吹き散らされて、舞うのは桜ではなく雪であった。
気がつけば、山の中に一休と地獄太夫の二人だけ。先ほどまであった庵も桜もすべてが消えて、ただただ白い雪が舞う。
「……今年最後の雪が降る」
一休がつぶやけば、どこからか山寺の鐘が鳴った。
地獄太夫の手が、珍しくも優しく一休の手を撫でる。一休の手より、いくぶんか暖かな手であった。
その手をぽん。とたたいて一休は笑ってみせた。
「行こうか。仕事にゃ休みはないのだから」
「あい」
地獄太夫は眩しいほどの笑みをみせ、一休の隣に立った。
しゃん。と錫杖がなる。二人の足跡が、つもった雪にひたひた続く。
やがて音もなくなり、残った足跡もまた雪の中に静かに埋もれていくのである。