花拾う人 弐 【恋の紅葉の】
最初から、不審な女であった。
私は繕い物の手を止めて、耳を澄ませる。私の居座る部屋の向こう、薄い襖一枚向こうに、一人の女が泊まっているのである。
山奥の侘しいこの安宿に女が現れたのは、もう十日も前のことだろうか。
(このような、宿に……女が一人で……)
宿とは言っても客など年に一度もない。山道からも逸れた場所にある宿である。
遙か昔は、更に山奥の寺へ詣る参拝客がよく宿を取ったと聞く。
しかしその寺ももうすっかり廃れ、今となれば足を運ぶ人間もいない。
今では、僧もいない廃寺に紅葉が盛んに色づくばかりだと噂に聞いた。
「このような侘び宿にいつまでも、お寂しいでしょうに」
私は女に頼まれていた繕い物を仕上げ、丁寧に畳む。触るだけでわかる、心地のよい高級な絹の仕立てだ。
「このような目の私ですので、大したおもてなしが出来るわけもなく、それが恥ずかしいことでございます」
昔、私は目を病んだ。病んだ目は歳を経る毎に悪くなり、今ではすっかり見えなくなっている。
それでも家の中のことならば、ある程度の事はできた。女の前に置いた貧しい繕を片付け、寝る用意をする。それくらいのことであれば出来た。
秋も深まる山奥は、吹き付ける風もつめたい。夜のとばりが降りた空からは、執拗なまでに冷たい雨が降る。
「……雨の止むまでのこと」
女は美しい声で囁いた。
同時に、彼女の手の内から清らかな玉の音が響く。数珠の音である。まるで耳障りなものを聞いたように、私は小さく顔を背けた。ぞうっとするほど、嫌な音なのだ。
しかし女は気がつかなかったように、続けた。
「どうぞ、おきになさらず……ああ、そういえば。貴女のお名前は?」
「このような安宿の女主。名など覚えていただく価値もございませんが……清と、そうお呼びくださいませ」
この泊まり客は元より言葉の少ない女だ。そもそも、このような女が一人で宿を取ること自体、異様なことであった。
不審を隠して私は笑ってみせる。
「いつまで居てくれても私はいいのです。むしろ、こんなに綺麗な方が居てくれた方が、宿がぱあっと明るくなったよう」
私の言葉を受けて、ほ、ほ、と軽やかに女が笑った。なるほど、笑えばますます美しい。顔は見えないが、彼女の持つ空気は常人のものではない。美しさと気高さで私の身が焦げそうなほどだ。
「私から、光でも出ておりますか」
「……ええ、まるで観音菩薩様のよう」
しゃん、しゃんと、女が口を開けるたびに数珠が鳴る。
私からすれば、獣のうなり声のように不快な音である。屋根を叩く単調な雨の音と相まって、聞くほどに背に怖気が走る。
(……女郎か)
火鉢の火を起こしてやりながら、私は思った。
女郎が見世から抜け出して男と待ち合わせをすることなど、世間ではよくある話。行き着く先は心中か、それとも男と逃げるだけか……しかし、それにしては女が穏やかに過ぎた。
(……足抜けならば、このように落ち着いてなどいられぬはず)
ならば、恐らくいいイロがついているのだ。その男を待つために、この宿に泊まっているのだろう。
「安心なされ、雨もまもなく止むでしょう」
「秋の長雨が終われば、冬ですねえ……」
呑気な女の言葉を聞いて、私はぎりぎりと歯を噛みしめる。
しかし彼女は相変わらず、幼女のような愛らしさで呟くのである。
「雨が止めば、宿を出ます。清様、どうぞ心配をなさらず」
「……詮索なぞして申し訳ない。今宵もごゆるりとお休みになって……暖かな火鉢はここに置いておきますので……」
私はほどほどに誤魔化して、女の部屋からにじり出る。彼女の身に纏っているのは、手触りも心地よい絹の着物である。焚きしめた香は、嗅いだこともないような甘い甘いもの。
この女、町娘はもちろん武家の娘でもあるまい。
(悔しい)
ぎり。と、口を噛みしめると喉の奥が鳴った。
(悲しい)
喉が異様に渇くのだ。目が見えないくせに、目が怒りに燃えているのが分かるのだ。
(腹立たしい)
私は若い女が嫌いだ。美しい女はもっと嫌いだ。男に愛される女は、一番嫌いである。
憎い。
悔しい。
悲しい。
苦しい。
苦みが走った口の中、天井から漏れた雨粒が一滴。
口の中、カチカチと歯が音を立てた。
雨は夜になるほどに、酷くなるようだ。
止むどころか、どんどんと冷たくなり強くなる。
目は見えないが、感じることはできるのだ。廃屋のようなこの屋敷に降り注ぐ冷たい秋の雨。
周囲は闇に落ち、木々の隙間からは空も見えない。
確かあの日も、このような冷たい雨の夜であった。
(あのとき?)
自問する私の心は冷静だ。しかし両の手は、執拗に床をまさぐっている。
冷たい指先に、もっと冷たく固い塊が触れる。持ち上げれば、ずしりと重い。
(あのときは……そう)
雨であった。
きっと一緒になろうと、私に誓った男がこの家を出て行った日である。
男はきっと、きっと帰ってくると固く誓って去っていった。それからもう二度と現れない。
私は涙で濡れ暮らし、やがて涙が目を病ませた。それからは、どう生きてきたのやら記憶にもない。
ただ、不意に込み上げる憎しみと悲しみだけを喰らって生きてきた人生である。
いや、ただ一度だけ男の姿を探して外に出たことがある。
(あのときは……)
その日も、雨だった。
雨に濡れた参道をずるずると這って、山の奥にある寺へ向かったのだ。
男は僧である。彼はその寺に逃げ隠れたに違い無いと、そう思ったのだ。
(男は)
居なかった。
いや、居たのかもしれぬ。しかし目のみえない私にとっては、どちらにしても分からないこと。ただ、恨みだけが心に沈み続けた。
そして、今は。
(今日も、昨日も、明日も)
雨である。
「お前様の、良い人は、どのような男かえ」
雨の音を払って、私は立ち上がった。自身の声は、地面を振るわせるほどに、恐ろしい音を持っている。
「どんな男をまって、この宿にお泊まりかえ」
まるで古びた鐘を無理に揺らしたような、そのような声。
「若い男か、美しい男か、武士か、役者か、僧か……僧か」
言葉を吐くことは、毒を吐くことに似ていた。
吐けば吐くほど、自分の身が毒されて痛みも憎しみも増えて行く。
私は手にした錆びた小刀を掴んだまま、女の部屋を蹴り開けた。
「僧か。お前のイロも、僧なのか、私の……私の良い人を狙って……」
女の香りを頼りにちかづき、腕を振り上げる。女はすんとも、声をあげない。その体に向かって、手のものを、高く高く振り上げる。
冷たい宙を、刃が切り裂いた。
「太夫っ」
振り下ろすその瞬間、声は意外な場所より聞こえた。小さな塊が、私の身にぶつかったのである。
急激なことにタタラを踏んで、よろめいたそのすきに、固いものが私の腕を払う。それは錫杖だろう。涼しい音と共に小刀は払われ、私は悲鳴を上げる暇もないままに床に倒れ伏す。
不思議と、痛みはなかった。床に落ちると、身が妙に滑らかである。まるで柔らかな、鱗に包まれているようである。
「だから言ったじゃあねえか。一人ッきりじゃあぶねえってよ」
「おししょ様」
錫杖を振るった者は、老年の男のようだ。掠れた声で女に声をかけたが、救われたはずの女は不機嫌な声を上げた。
「来るなと申し上げたはず……太夫は平気にございます」
私の姿を見ても悲鳴一つあげなかった女だ。彼女は衣擦れの音をたてて、立ち上がる。そして柔らかな香りが、私の顔を包んだ。
それは女の手だ。彼女は私の顔を自身の膝へと乗せたのだ。
「女の浅ましき姿を垣間見るなぞ、無粋にもほどがある……おししょ様は、一度目を閉じていらっしゃい」
彼女は……太夫と名乗ったその女は、私の目に、なにやら冷たいものを押し当てた。
「さあ、もう大丈夫。目を開けて御覧なさい」
まるで慈母のように優しい声だ。私の中にくすぶっていた憎しみが、怒りがほどけて消える。残ったものは、まるで赤子のように無垢な心である。
「……あぁ」
固く閉ざされていた目を開けると、やがて光が見えた。続いて、美しい綾取りが見えた。
それは恐ろしい血の池地獄である。鬼が囚人を追い詰め血の池に落とす様が描かれている。顔を背ければ、そこには蓮の花が開く極楽浄土の絵もある。
「嗚呼」
それは彼女が纏う着物の柄であった。
顔を上げれば、まるで天女のように美しい白い顔がそこにある。赤い唇が優しげに、微笑む。黒の髪がさらさらと音を立てて、私の上に降り注ぐ。
「あ……あ」
「さあ鏡を」
彼女の持つ手鏡の中、震える瞳が見えた。それは人の持つ目ではない。鋭い瞳孔が縦に貫き、眉は無い。目の周りは固い鱗に覆われ、菱形に尖っている。
「蛇の瞳」
呟いた小さな口先から漏れたのは、先が二つに割れた赤い舌。
「心だけでなく、身まで蛇に化していたとは」
今や、そこにある私の体は、一抱えもあるであろう巨大な白蛇なのである。男に縋り、憎い苦しいと恨んだせいで、目だけでなく全身を病んだ……私はいつから、蛇であったのか。
うっすらと記憶にあるのは、冷たい雨の中参道を這って寺へと向かった時のこと。
あのときから私は、人ですらなくなったのだろう。
(……ぬるぬると、腹に感じた土と雨の感触を今でも覚えているのだから)
浅ましい姿だというのに、女は白い手でいつまでも優しく私を撫でる。
「貴女は……」
「地獄太夫と、申します……そして、こちらは」
地獄太夫の後ろに、小さな影がある。目を向ければ、赤の着物に黄色の帯を締めた少女がひとり、畏まっている。振り袖姿のよく似合う娘である。彼女は手のひらを私に向けた。
そこにあるのは人の手ではない。振り袖から漏れたのは、白い若木の枝だった。枝には今や盛りの紅葉が美しく赤く染まっている。
地獄太夫は、濡れたその葉を一枚手に取るとそれを私の目の上に置く。
(……この感触は)
先ほどと同じものであった。これが、私の目を癒したのである。
美しい赤に視界を遮られたが、少女は構わず話しはじめた。
「私は、私は……楓と申します」
その声は、まるで風が揺らす葉のように、儚く静かな音である。
「あの日、男を追い縋り鐘に絡みついた貴女は、鐘の隣で色づいた私を見つけ」
勇気を振り絞るように、少女は言葉を重ねる。その声を聞いて、私の中で何かが繋がった。
「ただ一本、季節に遅れて色づいた、この紅葉こそ哀れとそう言って」
雨の夜、男の幻影を追いかけた山寺。男はいない。男を出せと騒ぎ、怒り、私の身は邪念に燃えた。
吊された巨大な鐘に絡みつき、男を出さねばこの寺ごと呪ってやろうと叫んだ時に、ふと目に入ったのが一本の楓の木である。
その年は、秋が早かった。
どの木も早々に色づいて散ったというのに、その若い樹だけはなぜか遅く色づいていた。闇にも分かる赤の色。まだ黄色を残した若い葉が、怯えるように震えている。
気がつけば、周囲を僧が取り囲んでいた。彼らが手に持つのは、轟々と火をあげる松明だ。
それで楓の樹を燃やし、鐘ごと私を蒸し焼きにしようとでもいうのだろう。
不意にその樹に哀れを感じたのは、私の中にまだ人の心が残っていたからである。
「貴女が身を引いて、そして私は救われたのです」
有難う。娘は震える声で、そう言った。
その声は、秋風となる。
秋の雨の散る音となる。
「目が覚めたかい」
その音は、本物の秋風の音であった。恐る恐ると目を開ければ、そこに見えたのはもう古びた山の屋敷ではない。
紅葉に包まれた廃寺の屋根が、目に飛び込んで来た。
(私は)
動けない身をよじり、私は天を見上げた。
(鐘に絡みついたまま生き絶えていたのですか)
雨はいつの間にか上がっていた。葉から散る雨の名残が鐘に降り落ち、滑っていくばかりである。
私は巨大な鐘に絡みついたまま、まるで装飾の一部となり果てたようである。恨みとは悲しみとは人をここまで変えるのである。
記憶はひどく曖昧だ。そもそも蛇の身となった頃より、記憶は混濁している。
ただ分かるのは、この浅ましい姿のまま恨みと共に何十年とここにあったということ。
「どうだい、とれるか。鬼の角はよ」
「おししょ様が邪魔立てをされたせいで、上手くゆきませぬ。おししょ様のせいにございます」
鐘の前には地獄太夫と僧の男が立っている。
先ほどの楓の娘は、樹の姿に戻ったのだろう。鐘の隣で、私を案ずるよう楓の葉が揺れている。
女は相も変わらず、絵のような美しさだ。彼女は地獄と極楽の描かれた袖を、老僧に打ち付けて、頬をかすかに膨らます。
「おししょ様の、お邪魔虫」
(……貴方たちは)
「俺はな、一休という。何、気にするな。お前さんの頭にちょびっとついた、その角をな」
一休と名乗った僧は飄々と笑う。歯の欠けた、貧相な顔立ちである。顔は陽に焼け、袈裟はすっかり垢まみれだ。旅慣れているのか、足下の草履は薄くなり、指はまるで獣のように肥大している。
女と並べば、いっそ不気味なほどの取り合わせであった。
「貴女は危うく鬼ともなりかけた身。鬼になりかけると、この頭に、小さな小さな角が生える……これを頂戴したいのです」
地獄太夫は袖を押さえて腕を上げる。そして私の頭をそうっと撫でた。その頭に、何かの引っかかりがある。それは、角であると地獄太夫はそう呟く。
これを残せば、鬼となる。鬼となれば、楓の言葉如きでは正気を取り戻せなくなる。男を追い詰め殺してもなお、地獄のような苦しみを抱き続ける羽目となる。
「心が人に戻れば角は自然に取れるもの。貴女はまだ、恨みを消せない」
地獄太夫は切なそうに、そういった。その言葉を聞いて、石となったはずの私の目から涙がこぼれ落ちる。
(鬼の角を……私の角をとるために、このような山奥へ?)
「……痛かろう。悲しかろうという貴女の心が太夫をここへ運んだのです」
(私の心を呼び覚ますべく、楓まで連れてきてくださったというのに)
先ほどまで荒れ狂った心は今は落ち着いた。しかしまだ、どこかに恨みが残っていて、それは私自身でもどうしようもないのである。
(浅ましい……浅ましいこと……)
「俺もこれでも、僧の端くれよ。どうだ。一つ鳴らしてやろう。それで成仏できりゃあなあ……」
朽ちた鐘突き棒を手に、一休が一息鐘を撞く。しかし、錆びた鐘から漏れた音は掠れたような鈍いものであった。
「ああ。駄目だ。俺の手じゃぁ、いけないかい」
一休は照れるように恥じるように、小さな目をしょぼしょぼと擦る。私は己の身の浅ましさに、ただただ恥じ入ることしかできない。
……と。
「そこの方」
静かな声が、この山寺に響いた。
「私も、一つ撞いても良いでしょうか」
いつからそこにいたのか、一人の僧行姿の男がそこにある。すっかり老いた手で杖を付き付きここへ辿りついたのだろう。
笠で顔はみえないが、声は秋風の唸る音に似ている。
「何のゆかりがあって、この寺へ」
一休は、威風のある声を放つ。そんな一休に一目置くように、男は一歩引き、頭を下げた。
「昔、私はこの山の辺で、一人の女と約束を」
男は一歩、また一歩と鐘へと近づいて来る。私ははたと、目を見張る。その声にも、歩み方にもどこか見覚えがあった。
「数々の……不運が私と彼女を裂きました。彼女が私を待ちわび死んだと聞いた時、私は既に彼女を迎えに行けない身に」
男は笠を、はらりと落とした。
「お笑いください。女人に惚れた私は、このように浅ましい姿となり」
笠の下から見せた顔は、それは獣である。熊に似た獣の頭には、鋭い鬼の角が二本。
顔の半面が獣と化してなお、その顔には見覚えがある。
「抑えきれない恋の心は、地獄に落ちてもいまだ収まらず」
声があれば、私の泣き声が、叫び声がこの寺を貫いただろう。
足があれば、すぐさまその獣の身に飛びついただろう。
(貴方様)
叫んだ声は男には届かない。ただ彼は、獣の瞳で私を見上げ、切なそうに手を合わせる。そして、鐘をひとつ、付いた。
「……清」
男の、秘めたような声が漏れる。
「……ああ」
溜息にも似た念仏の声が、鐘の音に被った。
見れば、地獄太夫の手の中で百八粒の数珠が合わさり涼やかな音が鳴る。彼女の唇より漏れるのは、救いの経の観音経。
男の太い手で撞かれた鐘は深い音を立てて楓の木を揺らす。ゆっくりと和やかに響いた鐘の音の後、続くのは鈴に似た後追いの鐘の音。
「……おんや、羽根が散ったね」
一休は顔を上げて微笑んだ。気がつけば雨はあがり、紅葉の隙間より見えるのは、美しい秋の青空だ。
その青空から、ひらりひらりと二つばかりの羽根が落ちてくる。透けた絹のようなそれは、確かに鳥の羽に似ている。
羽根の下には、黒い種子のようなものが付いてはいるが。
「……これは楓の、種子」
袖を押さえ、地獄太夫が手を伸ばす。白い腕が、その小さな羽根を受け取った。
「きれいな種にてございます」
彼女はそれを二つ揃えて胸に押し抱く。
「なるほど、この鬼の角は楓の種子となったか」
一休と地獄太夫の足下に、転がるのは二つの髑髏だ。その頭にもう角はなく、茶色くひび割れるばかり。
鐘付き棒も、はらはらと崩れて土に戻る。
数十年に及ぶ恋心が通じた途端、この寺の時が動き出したのだ。
「並べて植えておやり、地獄太夫。花のようには行かないが、何年もすれば綺麗な紅葉を見せる樹となるだろう」
「あい」
童のように微笑む地獄太夫は、さっそく袖を払って一休に背を向ける。いつもこうして、鬼の角を刈り取った彼女は、いずこかへと消えるのである。
井戸を通るのか、池に潜るのか一休には分からない。ただいずこかの方法で彼女は地獄へ赴き、そこにある庭園に角の種を植える。
それは、地獄を彩る花となり樹となるのである。二人は、そのような仕事を、請け負っている。
「お前も、このような現世で人の恋の手伝いなんぞせず、閻魔の隣で咲き誇りたかろう」
「意地悪なこと」
地獄太夫は落ちた紅葉を一枚、一休にぶつけた。
「おししょ様。先日はお邪魔虫などと、太夫は大変な意地悪を申しました」
彼女の赤い唇が、ぷりぷりと怒っている。
「太夫の邪魔をしたとはいえ、それでも危ないところをお助け頂いたのです。御礼を申し上げようと思っておりましたけど……先ほどの意地悪で、帳消しにございます。太夫はおししょ様に、三日は口をききませぬ」
ぷい。と彼女は歩を進めた。彼女が背を向ければ、もう一休にも付いていくことは叶わない。綺麗な振り袖は、あっという間に秋の日差しに消えた。
「……地獄でも、秋が来たれば紅葉狩り……か」
錫杖を大地に差して、一休は目前の朽ちた髑髏に念仏を一声。
そして彼もまた山寺に背を向ける。これからは長く冷たい冬が来る。それでもどこかで芽吹く花を拾うため、歩みを止めることができない。
「閻魔様も人使いの荒いこと……三日後に会おう、地獄太夫」
彼の足が踊るように道を駆けた後、そこに残るのは赤く色づく楓の木と朽ちた鐘。
そして鐘の下、幸せそうに額を合わせる二つの髑髏。