白の思い出
友人と喫茶店で「15分で小説を書く」という遊びをして書いたもの。
テーマは梅。タイトルは友人が付けてくれました。
夜の公園に亡霊が出るのだと、そんな噂があった。
それは薄ぼんやりと白い靄をまとう。ふう、とふく風と共に現れるのだという。その亡霊が出たあとは、甘い香りだけがその場に残るのだという。
(会ってみたい)
なぜか、私はそう思った。
その亡霊の噂を信じたわけではない。ただ亡霊が出る公園が、私の思い出を刺激したのである。
その公園はかつて私の暮らした町にある。幼い頃はよく遊んだ公園であった。
だからといってセンチメンタルな気持ちであったわけではない。亡霊の姿を見ようと決めたのは、私が自分自身の死を決意したからである。
この世を去る最後の思い出に、亡霊を見てやろうと思ったのである。
公園にたどり着いたのは深夜2時。丑三つ時のちょうどそのとき、闇に包まれた公園はただただ、不気味であった。
ぎい。
と、音が聞こえた。
きい。
と誰かが泣く声が聞こえた。
目を凝らせば、公園の奥に白い靄が見える。古ぼけて錆びたブランコのすぐそばだ。鳴ったのは、ブランコの音だろう。
おそるおそると近づけば、靄は不意に私をみた。
いや、見た気がしただけだ。それに顔などあるわけもない、ただ白い靄だ。しかしそれは不思議と、女であろうと思われた。
真っ白な着物をまとい朱色の紅を薄くひいた女である。近づけば彼女はほほえむ。顔などないのに、なぜかそれが分かった。
手招きをされるがままに近づけば、彼女は隣にあるブランコを指さす。それはまるで母が子に教えるような優しい手招きだ。つられて座れば、彼女の小さな手が私の背を押す。
ぎい。と音がなった。
ああ。と誰かが泣いた。
「おかえりなさい」
彼女は、その亡霊は、これ以上ない優しい声で私にささやく。
それは、聞き覚えのある声である。声ではない。風の音だ。早春の風が梅の枝を揺らした時に、響く声だ。
振り返れば、そこに女の姿はなかった。そのかわり、甘い香りが私の身体を包む。顔を上げれば、ブランコの上には巨大な梅の木があるのである。
(この花は)
私は古い記憶を思い出した。それは幼い、幼い時代の私は早春の頃、このブランコに乗るのが好きだった。
ブランコのそばには古い巨大な梅がある。
揺れるうちに、目前にある梅の花が甘く香る。激しく漕げば漕ぐほどに、花はまるで私を応援するかのように薫るのだ。
母も父も忙しい私にとって、その梅だけが母であり姉であり、そして父だった。
ぎい。とブランコがなく。
(……ああ)
誰かが泣いた。
それは私の泣き声である。
その公園はすでに廃園となっていた。思い出の家も、遊具もそこにはない。ただ、梅の木だけは残っていたのだ。
甘い香りに振り返れば、立ち枯れた梅の木に最後の白梅が咲く。
私の背後で、錆びたブランコがかしゃりと壊れた。
「……ただいま」
私は梅の木に、手を添える。早春の白い影が私の腕に落ちる。そこに私の温い涙がはらりと落ちる。
もう少し生きてみよう。と、私は汚れた靴を見つめてそう思った。