表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/17

花拾う人 肆 【初春獅子舞】

挿絵(By みてみん)


 古道具買いとして、弥平は少々名の知れた男である。

 壊れた物も、いわくのある物も、汚れた物でも何でも買いとることから付いたあだ名が「野良犬弥平」。

 しかし弥平としては、世のため人の為になることをしている、と自負している。


(ああ……なんて怠惰な正月の朝だ)

 年明けの声が耳に煩い正月の朝。弥平は頭を掻きむしりながら二日酔いの欠伸を漏らす。

 きんと、音を立てるような冷たい朝だ。息を吐けば白い煙がもうもうと上がる。

 酒臭い息を吐き散らせば、通りを歩く正月装いの娘たちが嫌がるように顔を背けた。

 江戸の町は華やいでいる。晦日からたった一晩しか変わらないというのに、世の中の人間は全てが一新されたようなすまし顔で町を歩く。

 貧乏長屋の前にも門松、娘達も着飾って歩く。烏帽子頭に一張羅を纏った男達が扇子を手に家を巡る、踊り巡業の姿もあちこちで見かけられる。

 弥平は着物の襟を合わせて背を丸め、そんな華やいだ空気を横目に見た。

「めでてえ、めでてえ」

 実際、何がめでたいのやら弥平には理解ができない。せいぜい、このらんちき騒ぎが終われば古物の買い取りが忙しくなるだろう、と思う程度である。

 扉を閉めようとした時、弥平はふっと視線を感じた。

「ん?……おいおい」

 ぼさぼさの頭を掻き乱し、冷たい空気を腹の中に吸い込む。

 昨夜は人の家を転々と彷徨って、散々と晦日の祝い酒を飲み歩いた。どのように帰宅したかも覚えていない。

「うちはごみ捨て場じゃねえっての」

 ……そんな弥平の家の前に、獅子舞がひとつ転がっていた。

 朱く塗られた顔に、緑の体。にょきりと生えた足が四本。けして大きなものではない。大人が抱えれる程度の小さなものだ。

 上から糸を引いて操る、糸操り人形の獅子舞だろう。

 良く見れば顔には傷が入り、糸はぷつりと切れている。おおかた、正月巡業で壊れたものを弥平の家の前に捨てて行ったに違い無い。

 何でも引き取る弥平の噂を聞いて、このように使えなくなったものを放って行く人間は多い。

 それでも直して売れないものかと確認してしまうのは商売人のさがである。

「おっと」

 手を出そうとすると、獅子の口がぱくりとあいた。

 危うく木の歯で噛みつかれそうな瞬間に慌てて手を引けば、獅子は悔しげに宙を噛んで歯を打ち鳴らすのだ。

「こいつは、普通の糸操り人形じゃねえな」

 足が折れているのか、立ち上がる元気もないと見える。しかし闘争心だけは忘れていない。弥平の腕を狙って、かちり、かちり。

 命もないはずの獅子の人形が、不気味に地面を這い回る。

「……はは。こいつぁ正月から縁起のいいこって」

 弥平は半笑いのまま、布団代わりの着物を剥いで獅子の体を包み込んだ。布の中でひどく暴れたが、押さえつけてやればやがて悲しそうにきゅうきゅう泣いた。

「せっかくだ。酔い覚ましに、天女様へ会いに行くかね」

 空は晴天。今年の正月はいやになるほど晴れやかである。



「よぉ、くされ坊主。俺の天女様はご在宅かい」

 太陽がまだ頂上にいる頃に、弥平が訪れたのは小綺麗な長屋の一軒。

 入口にかけられた浅葱の色の暖簾には「花髑髏」と気味の悪い文字が刻まれている。その文字の隣には、髑髏の目玉から花の生えた不気味な絵が染め抜かれていた。

「相変わらず趣味の悪い暖簾だぜ」

 弥平は暖簾を手ではね除けて家の中を覗き込む。小さな土間に畳の間。それだけだ。土間には鉢植えばかりがズラリと並び、何やら分けのわからない花が植えられている。

 その鉢に水をやる男が、顔を上げるなり破顔した。

「お。野良犬、久方振りじゃあねえか。殊勝にお年始のご挨拶かい」

「まさか。坊主に挨拶するほど俺は金を持っちゃいねえよ」

 そこにいるのは、汚い袈裟を体に巻き付けた小柄な坊主なのである。

 頭はつるりとそり上げて、顔などはふくふくしいほど。笑えばまるで子供のように見えるが、実際は随分な年寄りである。

 彼は鉢を奥においやって、弥平の場所を作ると奥に向かって叫んだ。

「おい天女の太夫、ご指名だ。祝いの酒でも出してやんな」

「あい」

 奥より、しず。と出て来た女を見て弥平は息を飲む。幾度見ても、幾度口をきいても、毎度感動せざるを得ない。

 年々猜疑深くなっていく弥平にとって、自分の中に湧き上がるこの感情だけが不思議であった。

「……今日も別嬪さんだなあ」

 目の前に現れたのは、見事なまでの花魁姿の女である。色は白く消え入りそうなほど。儚い顔に紅の色がよく似合う。

 体にまとうのは、地獄の図が描かれた着物である。凄惨なその図さえ、彼女の美しさを遮らない。

 褒めると彼女は口を押さえて、ほほと笑う。

 そして酒器を弥平に勧めるのである。

 たぷりと揺れる酒は、まさに極楽の味。

「なあ地獄太夫よ、正月から褒められて嬉しかろう」

「おししょ様はちいっとも褒めてくださらないので、褒められ慣れない太夫は、顔から火でも出る心地でございます」

 ……しかし彼女の名を、地獄太夫という。

 からかうように声をかけた坊主の名を一休。

 弥平がこの二人と出会った当初は、破戒坊主が花魁を妾にでもしているのかと思ったが、実際には師弟関係であるという。

 花魁が坊主に何を学ぶのか、浅学の弥平には分からない。しかし確かに、二人の距離は男女のそれではない。

 弥平がこんな奇妙な師弟と出会ったのは、数ヶ月前のこと。

 奇妙な古物を拾った時に、偶然二人に救われた。それ以来、何となく暇があればこの長屋を訪れるようになっている。

「さ、さ。弥平さま、どうぞご一献」

「いやさ正月からこんな美人に酌をして貰うなんぞ贅沢贅沢」

 一口飲めば夢見心地。ついつい三杯目に手を伸ばしかけ、ようやく彼は訪問の理由を思い出した。

「おっと、こんなことをしてる場合じゃねえな。今日は急いでるから手短に。先だって、こんな妙なものを手に入れちまってな」

 着物でぐるぐると巻き付けた塊を、弥平は一休の前に差し出す。

 触れると、まだ中でがたがたと揺れている。慎重に着物をほどけば、まるで転がるように獅子が飛び出して跳ねた。

「ああ。こりゃあ見事な」

 一休は目を丸め覗き込み、飛び跳ねた獅子に鼻っ柱をがつんとやられる。

「……憑きものだ」

「だろうね」

 一休を盾に、なんとか獅子の攻撃を避けきった弥平はしれっと言う。そして獅子の足を掴み、土間に押しつけた。

「ああ、いてえ。いてえ」

 一休は赤くなった鼻の先を憎々しげに撫でながら、弥平を半眼で見つめた。

「弥平よ。お前さんもいい加減にしておかないと、いつかこういう憑きものにぱくりと喰われちまうぜ」

 一休は床に投げ出していた錫杖で獅子を突く。獅子はまだまだ好戦的だ。歯を剥き出しに、首を振り、木の擦れ合う音を立てる。

 一休は獅子を小突き回してにやにやと、弥平を見上げた。

「いわくの付いたものを買い叩く、死人の出た家にずかずか上がり込むなり家中のものを買い取っちまう。少々お行儀が悪すぎやしねえか」

「俺は世のため人の為を思ってるんだがな。死んだ身で、鍋や布団は持ってあの世に行けまいよ」

「違いねえ」

「それに、今回は買い取ったわけじゃあねえよ? 家の前に放ってあったんだ」

 日頃の行いだろうよ。と一休は吐き捨てるように言う。

「弥平、お前さんは憑きものと縁がありすぎる」

 ……古物を買い取っていると、時たまこのような物に出くわすことがあった。喋る人形、動く鍋。怪しげな呻きを上げる布団に看板。

 昔はほとんど無かったが、最近はとみに多い。弥平がこの師弟に出会ったのも、そんな「憑きもの」のおかげであった。

「最近はこういうのが妙に多くて困るな」

「何でも時代が熟成すれば、こういうもんが現れる」

 一休は一瞬、切なそうな目をして獅子を見た。獅子は足も折れ、顔にも傷が入っている。古いものだろう。それが捨てられたのだ。このように動くせいで捨てられたか、もしくは捨てられて動き始めたのか。

 もし後者であれば、何と切ない話だろうか。と、弥平は思う。

(俺も、捨てられたような物だからな)

 暴れる獅子の頭を後ろから、そうっと撫でる。獅子は驚いたように動きを止めたが、やがてまた暴れ出した。

 その顔は、大昔、子供の頃の弥平によく似ている。

 まだ少年の頃、彼は親とも頼っていた師に捨てられた。師といってもスリやら悪行の師である。全ての責任を押しつけられて牢屋敷に放り込まれた。

 真面目に生きろと諭されて、シャバに出た弥平がはじめたのが古物商だ。思えば、捨てられるものばかりを集める人生であった。

 牢屋敷を出る際に、役人が弥平の頭を乱雑に撫でて懐に少しばかりの金を押し込んだ。それが彼の人生で触れた始めての優しさであり、その時に見せた顔は恐らく先ほどの獅子が見せたものと同じである。

「大丈夫かい、弥平」

「なんてこたぁない。嫌な思い出を、思い出したばかりさ」

 弥平の手の中、獅子はますます怒り狂うようだ。捨てられた恨みか、痛みか、それとも他に理由があるのか。

 顔が歪む、朱の色が濃くなる、歯の鋭さが増す。やがて赤い額を割って、不気味な白の骨が現れた。

 めきめきと、嫌な音である。

 がちがちと、獅子の歯が鳴る。

 それは生木のようであり、人の骨のようでもある。まるで鬼の角のように、二本並んで生えて来る。 

 痛いのか、獅子は悲しげに首を振った。

 太夫が、膝だけでつい。と進んだ。

「おししょ様。太夫が」

「気をつけろ、太夫。噛まれるぞ」

 地獄太夫の白い手が、獅子の頭を優しく撫でる。歯が剥き出しとなるが、その鋭さが彼女の手を切り裂くより早く、一休の錫杖が歯を食い止めた。

「さあ、今のうち」

「……おいで。太夫が舞わしてあげましょ」

 まるで蕩けるような優しい声に、天女のような白い指。

「恐ろしいか、恐ろしいか。太夫の手で踊るのはお嫌?」

 彼女が獅子の上を通り過ぎると、ほろりとその角が転がり落ちる。

「おんや、これは」

 白いはずの角は、彼女の手のひらに受け止められると、赤く丸い実となり、やがて艶やかに丸い種に変わった。

「万両の種」

「おおかた、万両の木で作られた獅子だったのだろう」

 一休は獅子を押さえていた錫杖を離す。先ほどまで暴れていた獅子は大人しく首を上げ、かちり。と歯を鳴らした。

 暴れるか。と身構えたが、それは杞憂だ。獅子舞は、するりと立ち上がると、糸がピンと立つ。まるでその糸に操られているように楽しげに舞いはじめたのである。

 足を上げ、口を開いて咆哮する。飛び上がり、首を振って一点を見つめて尾を振る。雄々しくあったかと思えば、愛らしく寝転がり歯を甘えるように鳴らしてみせる。

 糸も宙に舞う。獅子は楽しげに踊る。呆然と見守る弥平に、一休が宙を指さして見せた。

「恐らく正月の獅子舞として作られたが、壊れて捨てられたのだ……いや、糸操り師が死んで、家族が壊れたこれを捨てたのだろう」

 獅子を繋げる糸が舞うその先に、うっすらと人ならざる手が見えた。年老いた男の手だ。厳つく、筋張った手だ。

 その手が糸を掴むと、獅子はまるで号泣するかのように飛び跳ねた。

「踊る楽しさを忘れられず、操り師を亡くしたことを受け入れがたく、悲しみが鬼の角を生やさせた」

 くるくると、獅子は舞う。糸を掴む腕も、いよいよ力が入ったように器用に動く。

 死人のための、獅子舞だ。

 弥平は手酌で酒を煽り、太夫を見上げた。

「これを植えりゃ、どんな花が咲き実がなるかね」

「さぞや楽しい実となるでしょう」

 ……二人は、このように奇妙なものを集めている。

 人や物が想いを残してこの世を去れば、額に鬼の角を生やすのだという。そのままにしておけば鬼となる。その前に、刈り取って植えると綺麗な花が咲くという。

 にわかには信じがたいことではあるが、二人はそのようなことを生業としている。

 恐らく、二人とも生きた人ではあるまいと弥平は思う。しかし、そのようなことは些末なことだ。弥平もまた、古物という死んだものを集めているではないか。

「弥平さま。どうぞ今日は日の落ちるまでごゆるりと」

「お。嬉しいねえ。天女に誘われりゃ、断るわけにもいくまいて」

「そうさね」

 一休はいつのまにやら酒と肴を揃えて弥平に差し出した。

 目の前の土間では、いつ終わるとも知れない獅子舞がいまだ続いている。

「正月がこれほど楽しいものだとは、ついぞ忘れておりました」

「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし、だぜ太夫よ」

「さすが坊主だ。捻くれてるねえ」

 喉を滑り落ちていくのは爽やかなまでに透き通る、上方の酒。獅子はいよいよ楽しげに舞い狂い、弥平は目を細めた。

 捨てる神あれば、拾う神ありだ。

「これ以上ない新春の年玉だ」

 酔い覚ましのはずの酒が、体をますます蕩けさせる。今年は良い年になりそうだ、と弥平は笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ