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なつやすみ

挿絵(By みてみん)



 夏の夕暮れ、オフィス街。何の変哲もないその場所で突然、人が居なくなる。それも働き盛りの中高年ばかり姿を消す。書き置きもなく、そんなそぶりさえ見せずに……。


 そんなニュースが新聞の三面を少しばかり賑やかしたのは盆の終わり、残暑の香りが漂い始めた頃のこと。

 ただの集団家出だろう、もしくは共鳴だ。と、私はその記事を読み飛ばした。

 それよりも、その隣の枠に書かれた「連日の猛暑のせいで役所の設備が続々破損」のニュースの方がずいぶん興味深かった。あれほど立派な設備をお持ちなのに、中はボロボロとはまるで中年人間のような建物だ。

 それらのニュースをざっと斜め読みしたあと、私は新聞をくしゃくしゃと丸めて捨てた。

 その数時間後、私の元に一人の男が訪れた時、投げ捨てた新聞をさりげなく元に戻す羽目となる。

 訪れた男はシミ一つない名刺を私に向かって差しだし、件の事件に巻き込まれた男の秘書だ。と名乗った。

「探していただきたいのです」

 彼は真剣な声で、そういった。

「麦野を……弊社の、社長を」

 都会の隅で寂れた探偵事務所を営む私の元には、時折不可解な依頼が舞い込むことがある。これもまた、そのたぐいだった。



「はあ……それはいつ頃の話で。つまり、行方不明になった日のことですが」

 机の上に乱雑に置かれた本や古い新聞、汚れた灰皿などを乱雑に隅へ寄せつつ私は顔を上げた。

 テーブルの向こうの椅子にちょこんと座っているのは、仕立てのいいスーツをまとった中年の男である。

 彼は壁にしみこむ染みの色合いに辟易とした様子で、ハンカチを握りしめていた。口元にハンカチを押し当てたいのを必死に耐えているようだ。

「おっと失礼」

 がたつく窓を少しばかり開けると、室外機と幹線道路の熱気が隙間から滑り込んで私の背を焼く。

 盆をすぎても、まだ昼の日差しは嫌になるほど鋭かった。

「ええ、一週間になりますか、社長……弊社の麦野が戻らなくなって……失礼」

 幾度か上品にせき込む男は、沢井といった。麦野鉄鋼の社長秘書という。麦野鉄鋼といえば、現在の社長がたった一人で財を成した男である。

 私のような探偵業の人間とは、ふれあうことさえない男だ。普通に生活をしていれば、けして混じり合わない線が混じり合う。この瞬間が、私はたまらなく好きだった。

「捜索依頼は?」

「もちろん出していますが、ご存じですか。最近オフィス街の片隅で、人が消える事件……」

「ああ……新聞に載ってましたね」

 私は机の下で丸めた新聞を引っ張る。それは三面の片隅。

 戦後の新聞ならば怪奇だの、陰謀だの、好きに煽っただろうが現代の新聞はクールだ。行方不明になった人の名前と年齢だけが淡々と書き連ねられている。

 いずれも40代から50代。私とそう年代の変わらない男ばかり。乗りに乗った男ばかりで、家出の理由もきっかけも、何も無い。家族は皆、首を傾げている……。

「警察の発表では、ただの偶然と言われてるようじゃないですか」

 新聞を床に投げ捨て、煙草をくわえる……と、沢井が非難するようにこちらを見るので私はかみしめたそれを再び箱に戻した。

「ええ、そうですね。もしくは、ただ共鳴しただけとも……私も警察には、そのように言われたのですが」

 沢井は白いハンカチを強く握りしめている。

 最初は家出が連鎖しただけだろうと警察は投げやりだった。ただでさえ、解決しなければならない事件は多い。

 さらにこの事件は、一度に大挙として消えたのではないのだ。夏の始まりから、じわじわと時間をかけて消えていったせいもあり、警察は最初からやる気がない様子であった。

 そもそも夏はどこかメランコリックな、ノスタルジックな気分に浸るものだ。特に夕暮れ。茜色に染まる空はどの季節よりもどこか悲壮感があり、情緒のかけらもないこの私でさえどうにかすると心乱れることがあった。

「しかし、麦野は大きな仕事を抱え、今が大事な時期です。まさかこの時期に失踪なんて」

「で、警察に信用がおけないあなたは個別に探偵を探し求めていた……と」

 はい。と沢井は覚悟を決めたように頷く。

「麦野が見つかることが一番ですが、私はそこまで求めません。消えた場所を探して欲しいということなんです」

「場所?」

 場所など知ったところで……と笑いかけたが、それにしては沢井の顔が真剣すぎて私はその声を咳にかえた。

「これは奥様にも、お嬢様にも、社員にもみな、秘密のことで……」

「ほう、あなたが調査費を出す、と。ひどく忠誠心のある」

「いえ」

 沢井は私の嫌味に気づかなかったのかそれともあえて押し隠したのか。

 彼は顔をあげ、しわのよった顔で苦く笑う。

「麦野とは幼なじみなのです。もちろん、いまでは社長と秘書という立場の違いはありますが、親友でもあるのです。親友として、探しているのです」

 いくら幼なじみでも社長と秘書という立場に分かれて、さぞや苦労も多かったことだろう。しかしそんな断片さえ見せず沢井はハンカチを綺麗に折り畳みポケットに片づけた。

「なぜ私に依頼をしようと?」

「失せ物探しがお得意だと伺ったからですよ」

「残念」

 私はせせらわらい、すす汚れた机をたたく。著名な探偵であれば、こんな汚れた雑居ビルでたった一人の事務所なんぞ開きやしない。

 私の元に持ち込まれるのは、行方不明になった動物の探索依頼と、浮気調査くらいである。

「猫のあら探しが得意なだけですよ……ちっとも、売れてない探偵でね」

 それでもいいんです。と沢井は驚くほど冷淡に返す。いささか毒気の抜かれた私は、ともかくも彼の名刺をノートに挟んで、今聞いた事を軽くまとめた。

 そして、カレンダーをのぞき、一週間後の再訪を約束する。

 と、立ち上がりかけた沢井が何か言いたげに、私をみた。

「……これは、もしかすると事件とは無関係かもしれないのですが」

「ええ、何でも言ってみてくださいよ」

 沢井は姿勢良く、その場で直角に曲がるなり再び着座する。

「麦野が行方不明になる直前、私の携帯に妙な電話が入りましてね」

 沢井はポケットから、綺麗な黒皮の手帳を取り出し、数枚めくった。

「毎日絵日記を送るから、待ってるね」

 まるで子供のような高い声を沢井は出す。そして照れたように笑った。

「電話番号は社長のものでしたが、声は幼く……社長の甥っ子さんかと思ったほどです。たしなめて一度切り、あとでかけ直しても電源オフのアナウンスばかりで……思えばあの時、私が切らなければ」

 後悔をかみ殺すように沢井は顔をうつむける。

「本当に子供の声でしたか? 社長の声ではなかった?」

「ぽうんぽうんと変な音が邪魔をして声に重なって、子供の声に聞こえたのかもしれません。あとであちこちに訊ねても、誰もかけていないと言われましてね、つまり、誰の声だか分からないのですよ」

「で、絵日記とやらは?」

「届きます。それこそ毎日……といっても、まだ一週間ですから7枚ほどですが、ごらんになりますか?」

 彼は手帳に挟んでいたと紙を取り出した。大きな用紙をコピーしたのだろう。がざがさとした白い紙に、まるで子供の殴り描きのようなクレヨン画が描かれている。

 海で泳ぐ子供、山で虫を捕る子供、寝転がってすいかを食べる子供、遊園地ではしゃぐ子供。どれもほほえましいまでに無邪気な絵である。ただし、どこにも大人が描かれていないことが、私の心に引っかかった。

「麦野が行方不明になったことは既に周囲に知られています。悪戯の可能性もあります。しかし、電話の件もありますし、それに筆跡が」

「社長のものだと?」

「似ているような気もする、という程度ですが」

「恨まれるようなことは?」

「それはもう、一代で身を張って立ち上げた会社ですし、それなりに」

 古びた印刷機でその絵をコピーし、沢井へ原本を返すと彼は期待に満ちた目で私を見上げる。

「ヒントになりますか?」

「些細なことでも、ヒントになりますから」

 名探偵ならば。と、私は苦みを飲み込んだ。

 猫探しが得意な探偵には荷の重い仕事である。



 翌日から、残暑でむれる街に飛び出す毎日がはじまった。額に汗してひいひい走り回って手に入れた情報はさほど多くはない。

 なるほど、確かに8月頭頃からあちこちの人間が姿を消している。皆、働き盛りの男ばかり。社長もいたし、サラリーマンもいた。その職業はかすりもしない。ただ強いていえば、全員が仕事人間であったことだけだ。

 姿を消した人物の家族で連絡の付くものには、片っ端から訪問を繰り返した。

 しかし妻も子供も、皆がそろって首を傾げるのだ。居なくなった夫は、父はけして家出をするような人間ではないと。

 私は夕刻になると彼らの情報をあつめて事務所に戻る。温いビール缶をあけて、くわえタバコのまま、汚い机の上に手に入れた情報を広げて置く。男たちの写真、メモ……その机に、じりじりと赤い夕日が射し込んだ。

 振り返れば、小さな窓の向こう側、入道雲がみえた。もくもくと力強い雲だ。夏を代表するようなそれを、嫌いになったのはいつからだろう。大人になればきっと楽しいことも、おもしろいことも山のようにあると思った。幼い頃は大好きだった夏という季節を、私は大人になってこんなにも嫌っている。

 それを忘れるように、まずいビールを喉に流し込むのだ。

 不意にむなしさにおそわれた私はカーテンを閉めると手元のメモに目を落とす。そのメモには、彼らが最後に目撃された場所、連絡をよこしたであろう場所を記してある。その場所は様々であるかのように思われた。

 しかしまとめて読めば、そこには一つの共通点が見えてくる。

 私はあわてて携帯電話をつかみあげた。



 夕暮れの入道雲はいよいよ大きい。しかし、すでに夕闇が差し迫っているのはその色で分かる。雲の縁が、ほのかに赤いのだ。

 夕日の色を吸い込んだそれは、空いっぱいに広がる。近隣にある巨大なビル群を覆いこみそうなほどに巨大な雲だ。だというのに、誰もそれに注目しない。仕事終わりの人々はただせかせかと急ぎ足に、私と沢井の隣をかけていくばかりだ。

「ここですか」

 急な呼び出しにもかかわらず沢井は指定した場所に現れた。

 それは巨大な役所のすぐそばの、巨大な交差点。この近くに地下鉄と私鉄があるせいで、人々の動きはあっちにこっちに忙しい。

 有名企業から無名企業までさまざまな社名の入ったビルが林立している。それらはいまや不気味な影のようになって私たちの前に広がっていた。

「なぜ、ここで姿を消したと?」

「音ですよ」

 沢井に静かにするように命じて、耳を澄ます。と、雑踏の音の向こうからぽうんぽうんと不思議な音が響くのである。

 それは雑踏のせいで今にもかき消えそうだが、我慢強く耳をすませばよく聞こえた。

 水の中で、泡が割れるような音である。

「ああ……」

 沢井は唇をかみしめる。

「役所の音」

「ええ、役所が5時半に慣らす音です。この夏の暑さでこわれましてね。それにちょうど地下鉄の音が重なって、こんな水中で響くような音になったんですよ」

 麦野が最後にかけてきた電話でも、この音は聞こえていたという。それだけではない、ほかの行方不明者の家族たちの中でも、同じような意見が多く聞かれた。この音がうるさすぎて、肝心の声が聞こえなかったと。

「色々な家族から聞いた話を繋げると、ここだと分かったのです」

 謎解きをしてみせる私だが、不意に妙な心地に胸が締め付けられた。

 沢井の元に架かって来たという電話の話を、不意に思い出したのだ。

 まるで子供のようなその声を、沢井が聞き取れたのはなぜか。そして麦野を探すのではなく、彼が消えた場所を特定しろなどと奇妙な依頼をしてきたのは何故なのか。

 隣をそっとのぞき見れば、沢井はぽかんと口をあけたまま空を見上げている。

 それは、赤い入道雲だ。夏の終わりの雲だ。幼い頃、こんな雲を見れば、切なかった。

 この赤い色は、楽しい夏の終わる合図であったからだ。海に山に、すいかに、プール。従兄弟たちと遊んだ記憶に、お化け屋敷。子供の夏には楽しい思い出しか残っていない。

 ぽうん。と、どこかで泡のはじける音が聞こえた。それは役所から響いてくるはずなのに、ひどく……ひどく身近に聞こえるのはなぜだ。

「社長」

 沢井が呟く。

「……社長」

 一歩踏み出す……音が大きく聞こえるはずだ。気がつけば交叉点に車の影がない。あれほど多かった人々の姿がない。音が無い。人の声も、車の音も、虫の声も、何もかも! ただ、泡の弾けるようなあの音だけが、響いている。

「麦……むうちゃん」

 愛称めいた言葉を沢井は口にする。その声は、不自然なほどに幼いものに聞こえた。

「……沢井……さん」

 その姿をみて、私は愕然と腕を落とした。先ほどまでそこにいた立派な紳士は姿を消した。そこにいるのは、幼い少年である。刈り上げた髪と日に焼けた肌をさらし、彼は一歩一歩と入道雲に、近づいていく。

 ふと、入道雲が怪しくうごめく。

 そして、声が聞こえた。

「さあ……夏休みをはじめましょう」

 それは、かつて聞いたことのある校長の声によく似ている。終業式の日、明日からの夏休みを告げる懐かしくも嬉しい一言……。

「はい」

 楽しげに、沢井少年は頷く。彼は私に気がついたのか、手招きしながら駆け出して行く。彼は雲の中に吸い込まれた。あの先に、何があるのだ。それは、遙か昔に置いて来た夏休みの記憶だ。

「はやく、おいでよ」

 沢井少年は、子供の声で叫んだ。

 この事件に共鳴したのは、沢井の方である。共鳴したいと願ったのは沢井の方である。

 だから、沢井には麦野の声が聞こえたのだ。

「……夏休みだと」

 気がつけば私の体は半分も、子供になっていた。

 沢井は恐らく、狙っていたのだろう。暇を持て余し、それなりに探索能力のある、しかしけして有名ではなく一人きりの探偵を。

 あるひ突然、きえても誰もふしぎにおもわない、そんなたんていを。

 一緒にいける、たんていを。

「なつやすみだと」

 じりじりと照りつける懐かしい太陽。なつやすみの音。

「宿題で、一番にがてなのは、読書感想文で」

 ぼくは一歩、いっぽ、真っ赤なにゅうどうぐもに向かって歩き始める。

 あのむこうに、なつやすみがまっている。

「……ああ、どくしょかんそうぶんを」

 なによりさいしょに、かかなくっちゃ。



 気がつけば入道雲は離散し、秋を予感させる鱗雲が広がっていた。

 ぽうん。と泡がはじける音が、最後に一回だけ鳴った。 

 その後は、音を踏みつけるような人々の足音だけが、いつまでも執拗に響きわたるのみである。

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