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009

 忠告を忘れたわけではなく、侮蔑の意を持って、僕は御ノ々御をお前と呼んだ。

 人間でないものに――吸血鬼に――化物に向けるように。

 御ノ々御は答える。


「それに気付いた時から」

「そういう返答は期待してない。もう一度言うぞ。お前は、いつから、この学校に潜り込んでいたんだ?」

「だから、気付いた瞬間から」

「だからそういうのは!」


 つい、苛立ちに任せて声を荒げてしまう。

 が、御ノ々御は全く動じないどころか、冷めた声で言った。


「……この学校で、私が行ったとされることはいくつもあるけれど、今、それが真実ではないと考えたのでしょう? その結論は正しいわ。真実でないということが事実。しかしそれが事実だとすれば、本当は"私はこの学校に存在していなかった"ということになるわね。私が今まで存在していなかったのだから、いつからいたのかという質問には答えられないわ」


 御ノ々御は続ける。


「きっかけが無ければ知らないままに、私がいると思い込めていたのに、なまじ気付いてしまったばかりに、制服を着て目の前にいる私の存在が合致しなくなる。私を校内で見た人がはたしているのかしらね。覚えている年数で言えば、六年ほどになるのだけれど」


 六年。

 僕が現在三年生だから、僕が入学する三年前から、御ノ々御はこの学校にいた計算になる。

 正直言って、自分がいない時のことはどうでもいいが――六年という歳月は、はたして長いのか短いのか。

 化物が潜んでいる期間としては。


「でも、初めてなのよ。貴方みたいな人は。初めて。六年間……約二千百日間で、初めて」


 御ノ々御は、うわ言のように繰り返す。


「一瞬でも脅威に思えたのは初めてよ。忘却の術――術という言い方は吸血鬼らしくないかしら。それが通用していないんだもの。効力が落ちるとは予測していたけれど、全くとは思っていなかったわ。今になってみれば、貴方自身はほぼ無力なのにね」


 無力。

 力が無いと書いて、無力。

 その言葉は、いくらか僕を感傷的にさせる――いくらロザリオを持っていたところで、絶対的に僕は無力なのである。

 御ノ々御は、僕がロザリオに守られていると言っていた。

 その力は並大抵のものではなく、今僕が生きている理由もそれらしい――だが、その力はあくまで身を守るためにある力であり、反撃し、こちらから攻めるための力ではない。

 抵抗はできても対抗はできない。

 僕が置かれているのはそういう状況だ。

 さらに絶望的な事実として、吸血鬼は弱点に慣れることもできるのだと言う。

 今でこそロザリオが効力を発揮しているが、それも次第に薄れていくのだと――最初は取り出すだけで怯えてすらいたのに、今はそれほどでもないのだ。

 「ほぼ無力」の「ほぼ」には、時間的意味も含まれているのだろう。


「短期決戦なんて考えない方がいいわよ」


 考えを見透かした言葉に驚いた僕に、御ノ々御が言う。

 にやりと愉しそうな、意地悪そうな笑みを浮かべて。


「どうせロザリオを身に付けたまま、などと考えているかもしれないけれど、言ってしまえば貴方はロザリオを身に付けているだけ。身体能力が上がるわけでもないのに、私をどうにかできると思う?」


 悲しいながら、御ノ々御の言う通りではある――仮に拳に握り込み、さながらボクシングのように戦うなどしても、まず攻撃が当たらないだろう。

 昨日は投擲にしたってあくまでも不意打ち……二回目以降は通用しないし、実際に行っていない。

 それどころか外れて床に落ちたロザリオを拾わされてしまう始末である。

 既に慣れ始めている御ノ々御を相手にして、自ら手放す真似は絶対に避けるべきである。


「お前は……」


 僕はこの時、もはや自分の質問にどんな意味を込めていたのかわからなくなっていた。

 どうして「いつからいたのか」を気にしたのだろう。

 いつからいたとしても、御ノ々御に対する感情は変わらないはずなのに。

 英語の構文のように、僕は再び質問をする。


「どうしてここにいるんだ?」


 御ノ々御はあっさりと、その質問に、はっきりとした明確な答えを返してくれた。

 利己的に自己中心な――化物中心の答えを。


「簡単だからよ」


 御ノ々御はそう言った。

 狩りやすいから、と。

 言葉遣いが乱暴であったなら、全てそれで説明ができてしまいそうな答えを。

 誤魔化すのでもなく、遠回りすることもなく、率直で素直な答えを。

 御ノ々御は、言ったのだった。


「さっきから質問ばかりで疲れない? 少なくとも私は疲れたわ」


 今度は私から訊く、と言う。

 それを僕は、首を軽く振ることで拒否するのだった。

 実際にはそこまで質問攻めでもなかったし、僕ばかりが質問をしていたわけでもない、ということを言おうかと思ったが――止めた。

 というよりも、言う気力が無かった。

 言う余裕が無かったのだ。

 御ノ々御の答えは非現実ながらも現実的で、納得せざるを得ないものであり、この調子であれば今までにも・・・・・・その、狩られた人はいるのだろう。

 いや、確実にいる。

 誰の記憶にも残っていないだけで、確実に存在するのだ。

 僕が。知らないだけで。

 俯く僕に、御ノ々御は"気だるそうに"語りかけてきた。

どうしてなのかは、後ほど知ることになる。


「馬鹿みたいに繰り返された問答だろうから一言で言うけれど、食物連鎖よ。私は貴方たちよりも上――吸血鬼は人間の上なの。もし動物が知性を持っていれば……って、これこそ繰り返しになるわね」

「……なら、人間が納得できないこともわかるだろ」

「怖い目ね。それと、私の目はあまり見ない方がいいわよ」


 吸血鬼の能力には目が関するものも沢山あるが、自分から覗きこむのも駄目なのだろうか。

 という僕の質問は無視され(遮られ)、御ノ々御は続ける。


「どうしてそんなに睨むのかしら?」


 そんな質問をされるとは思っていなかった。

 どうしてか? だと?

 自分たちが食われる側として食物連鎖に組み込まれていることを知って、平然とできる奴がいるわけがない。

 その事実は超長期的に、恐ろしく長く広い目で見れば理解できなくもないし、それが事実であることも無意識のうちに受け入れていると言っていい。

 だがそれでも、ほぼ全てに優位である位置が人間の位置である。

 そんな人間が、一方的に襲われる側であることなど、考えたくもない。

 僕は、人間の根源的な欲求を口にする。


「誰だって、死にたくないだろ」


 それなりに考えての発言かもしれないし、口をついて出た程度の発言だったかもしれない。

 言葉に飾り気が無いことには自分で気付いていたので、恐らく前者だろうか。

 どちらでもいい――と、ここで改めて御ノ々御の顔を見る。

 まるで意味がわからない、といった顔をしていた。


「死ぬの?」

「……? そりゃあ、死ぬんじゃないのか? 襲われたら」

「基本的に殺す程に吸うつもりは無いわ。第一、そんなことをしていればすぐに尽きてしまうのだし」


 え。


「その気になれば、栄養を貯蓄しておくこともできるけれど、乗り気にはなれないわね。食事は貯めるものではなく、取るものだから」

「ち、ちょっと待ってくれ。え? 死なないのか? 襲われても? だってさっきから――」


 僕に向かって、死ぬとか殺したいとか散々ぬかした後だ。

 僕が今後生きられる可能性を与えるとも言っていたし、てっきり死ぬのが当然だと思っていた。

 だが御ノ々御は、そんなことを言った覚えは無い、という風に憤慨した様子で言う。


「殺したくて殺すことは滅多にない。人間だって、理由はどうあれ、凶暴化した動物は殺処分をするでしょう。感覚としてはそれに近いわ。……ああ、必要無いから、非人道的だとかいうやり取りはしないわよ。人じゃないし」


 反射的に、動物と人を一緒にするな、と言いそうになるが、それこそ繰り返された問答なのだろう。

 吸血鬼にとっての人間は、人間にとっての動物と同じであり、僕の今の感情は、動物たちが人間に対して持っていてもおかしくないものだ。

 それが立場が変わったからといって、文句を言えるというわけにはいかないだろう。


「一つ、誤解が解けて良かったわ」


 眠そうな声で御ノ々御は言った。

 誤解が解けたところで、吸血鬼が存在していること自体、あまり良くはないのだが。


「もう一つ、言っておくわね」

「何だ?」

「今、感覚としてはそれに近い、と言ったけれど、あくまで近いだけよ。具体的に言うと、私たちに害があると考えられる人間は殺すの。もしくは…………いえ、これは関係ないわね」

「途中で止められると気になるぞ」


 散々知りたくもない事実を知ってしまったくせに、まだそんなことを言う。

 もうどうにでもなれ、という精神状態に陥ってしまったのか、単純に人間的な心理だろうか。

 そんな僕に御ノ々御は、百年経てば教えてもいい、と言った。

 今の長寿のギネス記録って何歳だったっけ……と、的外れな方向に思考が向かうが、多分僕は長生きしないだろうから、考えるのを止めた。


「もし殺してほしくなったら言いなさい。本人が望むなら、こちらとしても楽になるから。まあ焦らずとも、来年の今頃には貴方は死んでいるでしょうけれど」

「……なら、残り短い人生の内に、どうにかしないとな」

「あら、意外と前向きね。であれば、千載一遇の好機かもしれないわよ」


 言い終えるが早いか、御ノ々御はその場に倒れた。

 足元から崩れ落ちるように、膝、肩、胸、腕と順番に地面とぶつかっていく――え、倒れた?

 目の前の状況が理解できず、僕は呆然となる――が、まずは深呼吸。

 無駄に落ち着けているのは、これまでが劇的過ぎたからかもしれない。

 であれば慣れとはやはり恐ろしいものだ――と身を持って実感する。

 とりあえずここは保健室なのだし、ベッドの上に運ぼう。

 そう考えて、うつ伏せに倒れている御ノ々御を仰向けにしようとして――手が止まる。どうして、当たり前のように介抱するつもりになっているのだろう。


「慣れ始めてるらしいけれど……どこまでだ?」


 気にしなければ、気にせずに済んだことなのに。

 ただ、このままでは持ち上げにくく、運びにくいからと体勢を変えるだけなのに。

 触れてもいいのか、と思ってしまう。

 確かに、僕の女性と触れあった経験は、同年代のそれと比べたら少ない方だろうけれど、そのことに若干の負い目を感じていなくもないのだけれど、違う。

 壊れ物を扱う時の緊張感とは別の理由だ。

 今はそんなことを考えている場面ではない。

 ロザリオ。

 これがあるからこそ――これを"身に付けている"からこそ、今の御ノ々御は僕を殺せないと言った。

 外しても効力がすぐに消えるわけでもないらしく、しばらくは残るのだとも。

 後は、今の僕を呪いだと言った。

 僕と同じ場所にいるだけで体調が悪くなる――と。

 その後強がるような口振りで、やんわりと否定していたけれど、直前に僕が御ノ々御にロザリオを向けたことに対し、悲痛な声を上げたことを考えれば、まだ効力はあるのだろう。


「好機、か」


 倒れる直前の、御ノ々御の言葉を思い出す。

 未だ倒れた理由はわからないが……好機とは、そういうことだろう。

 これまで、ただの一度たりとも、僕がロザリオを"身に付けている時に"御ノ々御が僕に触れたことが無いのだ。

 放送室ではポケットに入れていたし、先ほど僕はロザリオを投げた後に倒された――そしてロザリオがまだ効くと考えられる段階での、御ノ々御の気絶。

 この間に。

 僕が、御ノ々御を、吸血鬼を……。


「……」


 拾わされたロザリオを強く握りしめる。

 ちくり、と軽い痛みを感じたが、血が流れるほどでもない。

 ……避けるということは、当たってはならないということだ。

 今なら確実に当てることができるだろう。

 確実に――殺すことができる。

 だが、いいのか?

 見た目は完全に人間だ。白い肌も、薄桃の唇も、長い睫毛も、細い首も、全部人間のそれだ。

 全部、美しい人間のそれだ。

 例え中身が、本質や性質が吸血鬼としても、これを殺すことに僕は耐えられるのか?

 二元論で割り切れる問題ではない。

 僕が血を吸われたのは事実だ。

 けれど言ってしまえば、僕が血を吸われたことだけが事実としか思えない。

 理由としてはそれだけで十分なのだろうが、どうしても。

 未だに、実感が湧かないのだ。

 これだけは、いくら納得のいく説明をしてもらっても、解決する問題ではないだろう――どこまでもここは現実なのだと、非現実的なことはありえないと思ってしまう。

 もし。

 もし、自分以外の人間が血を吸われている現場を見て、そして今の僕があるのなら、きっと僕は答えを迷わなかったと思う。

 確信を持ってから、などと考えなくても良かったのだ。

 昨日の、二時限目の授業中に上がった声はなんだったのか――などと。


「ぅ……」


 小さく、御ノ々御が呻く。

 放っておいてもいずれ目が覚める。

 この状況に、僕は。

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