008
「そうね。必要になったら連絡するから、その時は、私から出来る限り離れなさい」
御ノ々御は提案する。もとい、命令する。
吸血鬼に――少なくとも御ノ々御にロザリオが効くことは確かだ。
しかし、時間や使用を過ぎれば慣れてしまうものらしいし、頻繁に投げ付けるわけにもいかないだろう。
あの時は、本来祈りの、今の僕にとっては守りの道具である(らしい)ロザリオを、まさか投げるとは思っていなかったので、咄嗟に変身をすることで避けたそうだ。
さらに、どうして僕がロザリオを手放した時を狙わないのかと訊いたところ、「香りを持つものを手に持てば、その香りが付くでしょう。その後手を離しても、強弱はあれど、少しの間は香りが残るわ」とのことだった。
つまりは手放しても、ご利益(ご利益という言葉はいかにも日本式なので、効力と言った方がいいか?)が残るということだろうか。実にわかりにくい。
ともあれ、今は打開策も妥協案も無いので(落とし所がわからない)、一先ず僕は、これからの行動について話し合うことにした。
僕らではなく僕と言ったのは、話し合いに乗ってくれるかどうかが心配だったからで――まあその心配は必要が無かったのだが。
「普通逆じゃないのか? 用が出来たら呼ぶから、それ以外は好きにしろとか……」
「出来る限りというのは、貴方の出来る限り離れるのではなく、離れられる限り離れなさいという意味よ」
こいつ、聞いちゃいねえ。
さすがの吸血鬼も読心術は持ちえていないだろうから、心の中で悪態をつく。
それを知ってか知らずか御ノ々御は、
「貴方に用があることは無いわよ。あることは無いわよ。絶対に。必要なのは私の食事」
と言った。
偶然とはいえ、自分の不満に御ノ々御が答えた形となったため、内心ではほくそ笑んでいた。
が、内容があまりにも酷かったので、気分は最悪だった。
二回言ったぞ。しかも変な日本語コーナーみたいにしてやがる。
「お前本当に自分のことしか考え、うおわっ!」
脚を正面から蹴られ、転ばされた。
一体どんな蹴り方をすればそうなるのかわからない。
とりあえず、参考には決してできないことだろう。
「今のは逃げ帰るようにと言った罰よ」
「いつの話だよ!」
いきなり切れるやつであり、結構根に持つタイプでもあるらしい。
というか覚えてられるかそんな部分。伏線でも何でもねえよ。
「貴方がいたら食事が取りにくいわ」
「は?」
「その生意気な返事はまた後で罰として返すとして……食事の効率が悪くなるのよ」
食事に効率があるのか? と訊くと。
「毎秒5ccから毎秒4ccに減るわ。貴方がいると」
「凄いな……全然参考にならない」
まあ、ペースが落ちるということだけで十分か。
「というわけで、食事がしにくいから消えなさい」
「吸血鬼じゃあるまいし、消えねえよ。それにその時は、だろ? さっき言ったばかりじゃないか。まさか今からというわけでもあるまいし――」
「今からだけれども」
人の、吸血鬼の空腹にあるのかはともかくとしても、タイミングが良過ぎやしないか?
何より話し合いはまだ終わっていない。
その件について御ノ々御は、必要な時には連絡する、と言っただけであって、それ以外の時――連絡も音沙汰もないであろう時にはどうしていればいいかを語っていない。
ありていに、愚直に希望的観測も含めて解釈するのであれば、それ以外は自由にしていいということなのだろうが……本当にいいのだろうか。
求めておきながら批判される指示待ち人間のように、指示を望んでいるわけではないが、一応はっきりと言っておいてほしい。
ということを伝えると、
「言葉の音にあまりいい印象が無いから言いたくないのだけれど、貴方、割と……いや結構めんどくさいのね」
と言われた。
吸血鬼に面倒がられた。
言葉の音まで気にした上で俗っぽく批判された。
更には少し逡巡するかのような目をした後、溜息をつくというおまけつきだ。
「にしても行間を読むくらいできないものかしら。はあ、にしても聞かない方がいいんじゃないかしら。にしても、はあ……、はあ」
「行間とか無かったから。聞かない方がいいとわかってて聞いてるから。溜息つき過ぎ。喋ることすら面倒なのかよ」
「いやもう…………はい、それでいいわ、それでいいわよ。うん。好きにしてていいから」
どうなんだろうこの返事。吸血鬼としても。
僕が圧倒的に悪いというか、しつこいから適当にあしらわれている気がする。
気がするというか、その意思や意志がひしひしと伝わってくる。
まあさっきも散々説明しろと言い続けていたわけだし――我ながら鬱陶しがられても仕方が無いとは思うが。
例え説明好きだとしても、自分が説明したい部分以上の説明はしたくないものだ。
とすれば説明好きというのも決して面倒見がいいわけではなくて、自分がしたい範囲で他人に手を施しているとすれば、自分勝手と言えなくもない。
それを言い換えているだけであり、言い換えているわけだから、結局は人から良く見られたいだけということだろう。
……何の話だったっけ。
そうだ、自分が必要だと感じる部分以外の説明は面倒だという話だ。
「別に貴方を食事としてもいいのだけれど、貴方がロザリオを持っている以上、貴方の血を吸った私に影響が出ないとも限らないわ。本当、今すぐ殺したい。昨日吸った分は仕方ないとしても、三度と吸わないでしょうね」
「途中で物騒な言葉が聞こえた気がするけれど、どうして三度なんだ?」
「もし二度目があれば、それは貴方にとって一縷の望みも、私にとって一縷の心配も無い状態でしょうから、その状態で血を吸えるとなれば、貴方はきっと死ぬからよ。きっと死ぬまで吸っちゃうから」
「吸っちゃう言うな」
なんだかなあ。
話している内容とか、口調とか、どこかちぐはぐな感じがする。
主に僕の吸血鬼のイメージと、ここまでに感じた御ノ々御のイメージが食い違ってきている。
重なる部分もあるにはあるが、どちらかと言えば重なっていない、分かれている部分の方が多い。
それを重ねたくて、埋めたくての発言だったのだが、御ノ々御には別のところに関心が向いたようだった。
「……す、吸っちゃうなんて言ったかしら」
「今言っただろ、今。今っていうか、さっきだけどな。人らしからぬ――吸血鬼らしからぬ物言いだった」
「どうして私がそんなことを口に出した?」
「それを僕に訊くなよ。このやり取りまでコントみたいじゃないか」
うーん。やっぱりおかしい。
「高揚感が変なところに出たのかしら……迂闊だわ」
これまでに吸血鬼と会話をしたことがないので(要らぬ注釈だ)、案ずるより産むが易しというか、実態はこんなものなのだろうか。
今でも不平不満を全て、それはもう音の悪い言葉でぶちまけたいのが心情だが、
心情なのに、変に遠慮をしている自分がいる。
目の前の御ノ々御に、吸血鬼に、自分のみっともない姿を見せたくないと思っている。
下手に相手が人の形を取っているからなのか――それとも、無駄な遠慮をする、ありきたりな日本人の、それこそ無駄な気遣いなのか。
どこをどう見ても現状の原因は彼女にあるのに、その彼女に不満を言うことの何がおかしい。
何がおかしいのかと思っているくせに、それが言えない。
言うのは後になってから、「僕が現状に少なからず不満がある」ということが、御ノ々御の記憶から抜け落ちてからだろうか。
直截、相手を前にしては言えない――なんて、そんな。
御ノ々御は吸血鬼、化物なのだ。そんな人間臭い遠慮の仕方があるか。
人間らしく扱う必要があるか。
どうしてこんなにも――普通に会話ができるんだ?
一般人が吸血鬼に襲われれば、命乞いすら出来ずに死ぬのが関の山ではないのか?
先ほどから感じている違和感は、どうやらそれらしい。
――と、僕が黙ったからか、静かになってしまった。
そのことに気付いたので、ふと御ノ々御の顔を見る。
……病的なほどに白いな、こいつ。
「……」
「…………」
「…………黙って、考え込んだかと思えば、急に人の顔をじろじろと。何のつもり?」
「いや、白いなーって」
「大人になってから初めて雪を見たような答えを返さないで。子供よりも子供みたい」
大人、というワードが御ノ々御の口から出たからか、一つ質問を思い付いた。
「見た目は年相応な感じだけれど……吸血鬼も大人になるのか?」
「なるかならないかで言えば、なるわね。人間のように、一定の年齢を境目に大人と見なされる。ただ、吸血鬼の場合はほとんど容姿が変わらないから傍目には、いや人間の目では変化がわからないでしょうね」
「へえ……ちなみにお前はあっ!?」
咄嗟に身を引き、僕は目潰しから逃げた。
怖え……寸止めにするつもりとか、全く手加減の意思を感じなかったぞ……。
指が目玉を抉り取る形になってやがる。
「お前、って、言われるのが嫌いなの」
「確かにそれは僕に非があるけれど……先に教えておいてくれ」
僕が今後を心配して言うと、
「全て訊けば貴方は一歩も動けなくなるわ」
と御ノ々御は言った。
一体どれだけタブーがあるんだろう。
さっきのは「お前呼ばわり」だったけれど、一歩も動けなくなるほどって。
二足歩行禁止とか?
「下半身を使って歩くこと禁止」
「てけてけかよ!」
聞かない方がいいな、うん。色々と。
なんだかんだではぐらかされた年齢の話とかさ。
「ところで貴方、授業は大丈夫なのかしら?」
変わらない口調で御ノ々御が言う。
吸血鬼らしからぬ物言いだと言ったことを気にした感があるので、努めて、と付け足した方が良いかもしれない。
「同じように保健室にいるおま、」
ぴくっ、と、御ノ々御の指が動いたので、慌てて言い直す。
「御ノ々御が言えることじゃないだろ」
「私は出なくてもいいのよ」
出ない、とは、授業のことでいいんだよな。
保健室から、では恐らくない。
まあどちらの意味だとしても、あまり良い感想は持てない。
では、どちらの意味でも無かったら、僕は良い感想とやらを抱いたのだろうか。
「この辺りを明かすのはもう少し先だと思っていたけれど。ねえ、お前は私が何年生か知っているかしら? 二百七十何年生、とかいう冗談はいいから、答えて頂戴」
「わざわざ言い換えたのは当てつけか? えっと、確か――」
一年生。
と、口にしそうになる。
ぎりぎりのところで、いや、目の前の人物(吸血鬼)が何年生かを答えるのに、ぎりぎりも瀬戸際も無いだろうが、しかし直前で、僕は言い淀む。
この感覚は前にも体験している。
今日だけで――既に二回あった。
記憶と現実が噛み合わない時の気持ち悪さというか、知らない方が良い雑学というか。
本来、無条件で信用していいはずの自分の記憶が曖昧となっている。
いや、曖昧というか、そもそも記憶していた内容、"それ自体が間違っている"ような、そんな感想を述べざるを得ない。
御ノ々御は一年生だ――一年生のはずだ。
御ノ々御が入学した日。入学式の日。
全国共通だと思うが、授業と呼べる授業も無いその日は、希少な半日で帰れる日でもある。
他にもわざわざ挙げずとも、そのような日は存在する(この一文ですら要らないとも思う)。
そのような半日で終了する日。
逆に言えば、半日しか全生徒が学校にいない日。
その日の内に、伝達ネットワークで末端に位置するであろう僕ですら、一年生に美少女がいる話を耳にした。
当然、御ノ々御のことである。
以降も、事あるごとに御ノ々御の名前を耳にし、目にしていた。
さすがは一日で全校に名前を響かせただけのことはあるというか、容姿だけだはなく、色々と規格外だった。
異常というには弱くとも、これが選ばれた者なのかと思った。
その気になれば御ノ々御の一日の行動すら追うことができた。
それゆえに――以前から知っていたがゆえに、突然の対面にもそこまで緊張しなくて済んだことには感謝である。
一年生にしながら部活動でレギュラーの座を勝ち取る。表彰式があれば、表彰されないことが無い。
学業の方も優秀で、学内どころか全国統一の試験で一桁の順位を取ったなど、およそ学生が妄想する目立ち方を全てしてきた。
と、思う。
「と、思う」。
この一文だけで、どれだけ不安になれば済むのだろう。
いや、直前までは不安など全く無かった。皆無だったのだ。
悪意など微塵も感じない、子供に関心を向けなくなった親に、自分のことを尋ねるような質問。
その質問をされた瞬間、今までの記憶が全て信じられなくなった。
この時期に全国統一の試験なんてあったか?
実際に表彰されている場面を覚えているか?
御ノ々御が所属する部活があったか?
どころか、そもそも――"今年の入学式に御ノ々御がいた"か?
見た覚えが無い。
そもそも新入生を全て覚えるなど土台無理な話ではあるが、前述(時系列的には後述か)のような偉業を達成できる人(吸血鬼)であれば、少なからず印象に残るはずだ。
その残った印象がどこにも存在しない。
まるで、最初から無かったかのような――
「だから、信用しなさいと言うのに」
賢いのか愚かなのか判断しかねる、と御ノ々御は言う。
自力でそれに辿り着いたことは評価できるが、辿り着いた先が悪かった――と。
悪い。
……「悪い」? 悪くなんてない。引け目を感じる部分など無い。
今の今までそれが真実だと思い込んでいたのだから、僕にとっての事実、「良い」であったはずだ。
もし「悪い」のが何かと挙げるのであれば、いつの間にか入り込んでいた、紛れ込んでいた御ノ々御だ。
こいつは。
あろうことかこいつは、この学校の、全ての人間を騙していたのだ。
不自然無く最初から、あるいは途中から。
根本的に、違和感すら抱けないところから捻じ曲げていたのだ。
そう考えれば――やり過ぎだったんだ。
御ノ々御が達成した(とされた)ことの中には、絶対に並立ができないものまであったはずだ。
どうしてそのことに疑問を持たなかったのだろう。
それすらも、なのか。
「お前は……一体いつからいるんだ?」