夢の中の両親と一族
私は夢を見ていた。
真っ暗な空に浮かんでいるような感覚だった。 ただふんわりふんわりと揺られながら、身体がゆっくりと空へと上がっていく。
『そうか……私、死のうとしたティスを止めようとして、自分にナイフが……死んじゃったんだ?』
ぼんやりとそう思った途端、目の前が明るく拓けた。
眩しさに目を細めると、視界の先にある霧が、何かに形づくられるのが見えた。
『もしかして、お父さんと……お母さん?』
そこには、幼い時の記憶にあった父と母の姿が浮かんでいた。 私は思わず笑顔になり、二人に手を伸ばした。 すると二人は静かに微笑みながら首を横に振った。 そして、懐かしく優しい声が心に響いてきた。 母の声だった。
『あなたはまだやらなければならないことがあります。 私たちが償いきれなかった罪を、あなた一人に背負わせるのは辛い……でもそれが、宿命なのです』
そして父の声も聞こえた。
『私たちは、死後も天には上れぬ。 こうして中途半端な所で、天に昇っていく命を見送らなくてはならないのだ。 お前にはまだ早い。 地上に戻り、来るべき寿命を待つのだ』
父と母の顔には、ただ哀しげな表情が浮かぶばかりだった。
世界が一度死に、生まれ変わってからもなお、私たちの一族はその罪を背負い続けなくてはならないのか? 死んだら父と母のもとに行けるが、永遠にさまよう運命が待っている。 私の胸がざわついた。
その時、両親の背後に暗く陰気な幻影が浮かびあがってきた。
それは二人を包み……その周りには、今まで細々と生き抜き死んでいった一族たちが包まれていた。 皆哀しげに微笑んでいる。
自らの先祖が犯した罪に縛られ、生きるときも死んだ後も宿命にはがいじめにされている姿。 私は父と母を真っすぐに見つめ、胸に浮かんだ決意を述べた。
「嫌です」
その言葉に、両親はぴくりと頬を動かした。 私は続けた。
「私は、父さんや母さんたちのように、見えない宿命に縛られたりしないわ。 そして私は逃げない。 必ず救われる道はある。 そう信じてる。 だから私は、自分の宿命と戦います」
『シエロ……』
私は、不安げに眉をしかめる母を励ますように微笑んだ。
「そして、皆を救います!」
その途端、両親を包んでいた黒い霧がざわざわと動き始めた。 それはまるで意志があるかのように蠢き、私へと何本かの腕らしきものを伸ばしはじめた。
「宿命に取り込まれるほど、私は弱くないわ! だって、私は強くなったもの!」
私はいつの間にか握っていた自分の剣を握り締めた。 そして左の拳に弓を作り出すと、黒い霧の中心目がけて剣を放った。
『ぎゃあああぁぁぁ!』
悲鳴のような空気の振動に脳が震え、耳がどうにかなるかと思った。
その反動で、私の実体の無い身体は、吹き飛ばされるように下降していた。 再び気を失う寸前、かろうじて私は、両親の不安げな表情を記憶にとどめた。
次に目を覚ましかけたとき、私を喧騒が包んでいることにぼんやりと気付いた。 知らない声と、知っている声……
「……だからお前が早く告らねえから悪いんだろうが!」
『オヤジ……?』
「そんなこと、あんたに言われる筋合いはねーんだよ!」
『ジーナス……?』
そしてガタガタと椅子か机が激しく音を立て、
「なんだとっ? 今まで親代わりにお前を育ててきた俺に対する言葉かそれはぁっ!」
「んなこと関係ねえだろ!」
と口論が激化し、布が擦れる音も重なった。 二人は取っ組み合いを始めたようだった。
「静かにしなさい! 患者がいるんですよ!」
と誰かが叫んでいる。 それでも言い争う大声。 おそらくここは病院の一室なのだろう。 ふわりと薬品の匂いが鼻をくすぐった。
『…………』
あまりにうるさい声に次第に苛々しはじめた私は、目を開けながら
「うるさい!」
と声を出したが、それは思ったより声量がなく、かすれた小さい声でしかなかった。 だがその瞬間、ぱたりと喧騒が治まり、誰かが私の上に影を落とした。
「シエロっ! 気が付いたのか!」
『そりゃ、あれだけ騒ぎたてられれば目も覚めるわ!』
と悪態を吐こうと思ったが、私を覗き込むジーナスの目が涙で潤んでいたことに驚いて、言葉は引っ込んでしまった。
「なんであんな無茶するんだよ!」
半ば叫ぶように言うジーナスの目から、涙が零れて、私の頬に落ちた。
「ジーナス……」
「心配したんだからなっ! もう目を覚まさないんじゃねえかと、心配したんだからなあっ!」
私は、こんなに感情をあらわにするジーナスにただただ驚いて、何も言えずにいた。 ジーナスが揺らすベッドの振動で、傷を負っている私の腹に激痛が走った。 その拍子に、腹部だけでなく首にも治療をされている事に気付いた。 そして視界には、包帯をぐるぐる巻きにしているジーナスの右手が映った。 私の剣を握ったときの傷だろう。
痛みに思わず顔をしかめ、体を折る私から片手でひょいとジーナスを離し、今度はオヤジがベッドの縁に寄り掛かると、静かに私を見下ろした。
「よお、シエロおはよう! 具合はどうだ?」
いつものように、穏やかで優しい笑顔だった。 何事も無かったかのような和やかな雰囲気に、私の心が落ち着いた。 ていうか、腹は痛い。
オヤジは困惑したように、後ろのジーナスに親指を差しながら、
「こいつ、お前がこのまま目を覚まさなかったらどうしようって、やかましかったんだぜ。 ったく、なんとかしろよ」
その後ろで、オヤジにもう片方の手で腕を捕まれたジーナスが、まったく動けずにもがいている。 ずいぶん成長しているジーナスさえ、オヤジの一本の腕に抑え込まれている。
『なんとかって……あっ!』
私は、やっとはっきりしてきた意識と共に、大事なことを思い出した。
「ティスはっ?」
発声と共にいきなり腹に力を入れてしまったので、私は再び激痛に襲われたが、もうそれに付き合っている気はなかった。
「行かなきゃ!」
私は、背中まで貫き身体全体をかき乱すように痛む腹を押さえて、それでも体を起こそうとした。 容赦無い激痛に、吐き気さえ覚えた。 その私の肩を押さえて、オヤジが言った。
「まだ寝てなきゃダメだ! お前の傷は全然癒えてないんだぞ! ティスなら、カラタたちが付いてくれてるから心配ない!」
懸命に説得してくるが、私の気持ちは決まっていた。
「ティスと直接話をしたいの! ティスには、操られてた間の記憶、残ってるんじゃないの?」
オヤジの表情が強ばったのが見て取れた。
「それなら尚更よ! あの時のティスの動揺は、半端じゃなかった……こうなったのは全部、私のせいだもの……私の血の……」
うつむく私を、オヤジは困惑した表情で見つめていた。 もう一度オヤジを見上げると、はっきりと伝えた。
「私が行ってどうにかなるものじゃないかもしれない。 けど、私は会って話をしたいの!」
すると、オヤジの後ろで黙って聞いていたジーナスが、オヤジの腕を振り払い、私に背中を向けてしゃがんだ。




