黒幕
「私なんかが生きてるからこんなことになるのよ……あの時……あの時灰になった村と一緒に、私も死んでしまえば良かったのに……」
この事件が仮に解決したとしても、必ずまた同じように【星の果実】を狙ってくる人は現われることは、簡単に予想できた。 ティスがこんなことになったのも、全部私のせいだ。 私は、ナイフを持つティスの手を握ると力をこめた。
「な……何を?」
戸惑うティスの声を後頭部に聞きながら、私はナイフの切っ先を自分の首に近付けた。 ちくりと痛みが走り、一筋の赤い筋が伝い落ちた気がした。
「シエロやめろっ!」
ジーナスの悲痛な叫び声が聞こえた。 その時、
「おっ待ったせーーっ!」
この場の雰囲気に全くそぐわない、明るい声が響いた。 見ると、草むらから複数の人影が現われた。 オヤジがそれらを見て、少し怒るように言った。
「遅ぇよ! 何ちんたらしてんだ!」
現われたのはサラマとカラタで、二人は一人の女性を無理矢理引きずって来ていた。 両腕を捕まれ、うつむき加減のその人は、長い黒髪の少し小太りな女性で、私は見たことのない人だった。
「気配をすっかり消してやがったから、探すのに苦労したぜ!」
カラタが憎らしげに女を睨んだ。 女は無言で、あがきもせずにうつむいたままだった。 するとサラマが女の頭をパコンと殴った。
「早く術を解け!」
女はうつむいたまま黙り込んでいた。 動く様子も無くしばらく沈黙が続き、もう一度叩こうとサラマが手を挙げたとき、女はゆっくりと顔を上げた。 そして私をまっすぐに見つめた。
「せっかくいいところまでいったのに……パァかい!」
深くしわの入った顔を歪ませながら、女は私に叫んだ。
「だけどね! あんたの生きる道は無いよ! この世のどこにも、あんたの安息の場所なんてない! せっかくあんたに生きる場所を与えてやろうと思ったのにさ! せいぜい泣き叫びながら逃げ回るんだね! あんたは、あたしの恩を受けなかったことを、一生後悔するんだ!」
苦虫を噛み潰したようにしわだらけの顔と髪を振り乱しながら、女は……いや、老婆は、私に叫ぶように言っている。 私は、彼女が自分を助けようとしてくれていたとは、とうてい理解出来なかった。 ただ、見知らぬ老婆がいきなり連れてこられて、何か説得するように叫ぶ様子に、その意味を把握しきれないでいた。 とにかく私は今、ティスの腕の中で、ナイフの切っ先を自分の首に突き付けているのだ。 さっきから首筋には中途半端な痛みが走っている。
その様子を見ていたオヤジは、まだ何か言いたげな老婆に向かい合うと静かに言った。
「もう潮時だ。 さ、術を解くんだ」
とうとう、もう逃げられないと悟ったらしい老婆は、もう一度顔をしかめ、何言か呟いた。 その瞬間、私を羽交い絞めにしていたティスの力が抜け、倒れこんだ。
「ティスっ?」
あわてて抱き起こすと、ティスは気を失ったように意識を失い、ぐったりとしていた。
「どういうこと?」
「ティスも、操られていたってことだな」
ジーナスが私に答えた。 そして老婆に振り向くと鋭く睨み付けた。
「ひっ!」
ひるんだ老婆に、もはや抵抗する雰囲気は無かった。 サラマとカラタが手を離し、老婆はその場に膝をついた。 そしてカラタは急いでティスに駆け寄ると膝をつき、私の腕に委ねるティスの顔を見つめた。
「ティス……」
心配そうな瞳を揺らして覗き込むカラタに
「大丈夫。 ただ眠ってるみたい」
と伝えると、カラタは答えるように小さく笑みを浮かべた。 カラタの、ティスに対する気持ちは前から知っていた。 私はそっと彼女をカラタに託した。
そして立ち上がろうとする私を、ジーナスの手が助けてくれた。 無言で私を立ち上がらせ、再び老婆を睨んだ。 するとオヤジが私に向かって、至って真面目な口調で言った。
「シエロ、これから話すことを受けとめる自信はあるか?」
私はそれが、自分にとっての分岐点になることを悟った。 一瞬躊躇したその時、ジーナスが私の肩を抱き締めた。 何も言わなかったが、その力強さに勇気づけられた私は、やっと唾を飲み込んで頷いた。 オヤジはそれを見て、強く頷くと老婆に向かい合った。
「まずはお前だな。 お前の一番弟子であるティスを操り、シエロと接触させ、信用と共にシエロの力を手に入れようとした。そんなところか?」
「えっ? オヤジ、こいつを知っているのか?」
サラマが驚いた声を上げると、オヤジはあぁ、と頷いて呆れたように老婆を見下ろした。
「お前らも知っている。 随分老けたな、何年も力を使い続けるのは、結構しんどかっただろう、ラスク?」
「ラスクだって? この婆さんが?」
サラマだけでなく、カラタやジーナスも驚いていた。
「知っているの?」
小さな声でジーナスに尋ねると、彼は私を見て頷いた。その表情はまだ納得できていない様子だった。
「あ……ああ。 シエロがヴェナトーネに入る前に、辞めていった人だ。 でもラスクは、まだ二十代のはず……」
「二十代っ?」
私は思わず、老婆の顔をまじまじと見つめた。
深く刻まれたしわに覆われた顔、首や手の指も痩せ細った身体も全部、まるで寿命間近と言っても良いほどに年老いた老婆だ。 それをまだ二十代と言われても理解に苦しむ。
「ラスクは【架名】の字名を持つ。 ティスの師匠だったんだ」
オヤジは、耐えきれないように俯くラスクを、冷たく見下ろしていた。
「よく分かったわね……私が裏にいると」
ラスクは、数本歯が抜けた口でしゃべりにくそうに言った。 オヤジは肩をすくめた。
「最初は分からなかったがな……ティスには感謝していたんだ。 一番最初にシエロの世話を買って出てくれた。 シエロには、女の家族が必要だったからな。 だが、そのうちそれは疑惑に変わった。 きっかけは、ティスがシエロに【マルーン一族】の話をしたことだ」
私の肩がびくりと動いた。 その言葉が胸に突き刺さる。




