ティスとの再会
数刻後、私はジーナスの後をついて町の中を歩いていた。
「シエロに頼みたいことがあるんだ!」
そう言って私を連れ出したジーナスは、それからほとんど喋らなかった。 私の疑いが晴れたとか晴れないとか、元気かとか、仕事の話だとか、何ひとつ、会話は生まれなかった。 ジーナスもやっぱり私のことを疑っているのかもしれない。 それより、私はティスの容態が気になっていた。
「ジーナス、ティスは……その……怪我の様子は?」
少しかすれた声でジーナスの背中に尋ねた。 しばらく誰ともまともに話していないので、喉の奧に乾いた穴が開いているように空気が漏れた。
ジーナスはちらりと私に振り向くと、明るく頷いた。
「あいつなら大丈夫だ。 すっかり回復して、仕事にも戻ってるよ」
「えっ? もう?」
驚く私を無視して、ジーナスはまた前を向いて歩き続けた。 回復までは数ヶ月かかると医者が言っていた気がしたが……思いのほか回復が早かったのか、無理して仕事に出ているのか……。 それ以上は何故か聞けなかった。 ジーナスもそれ以上は語らなかった。
町の外れで馬車に乗った。
「どこに行くの?」
尋ねると、ジーナスはにこりと笑った。
「そのうち分かるよ」
言葉少ないジーナスからは、冷たさは感じなかったが、暖かさも感じなかった。 以前の彼とは違う。 少し違和感を感じながらも、心地よく揺れる振動と頬を撫でる爽やかな風、そしてどこまでも高く思わせる青空に、ついうとうととしてしまった。
馬車が止まった気配で目を覚ますと、見知らぬ停留所だった。 身軽に降りて歩いていくジーナスを追いながら
「ジーナス、ここは?」
と尋ねたが、彼は答えずに前を向いてひたすら歩いていく。 仕方なく私も後をついていった。
やがて森の中に入り、人が踏み固めたような細道を歩いていく。 鳥のさえずりがあちこちで聞こえ、のどかな風が吹き抜けていく。 ずんずんと進んでいくジーナスに、もう一度行き先を聞こうと思った時、不意にその足が止まった。 いきなり彼の背中が顔面に迫り、私は勢い余ってその背中に鼻をしこたま打ち付けた。
「痛っ! どうしたのよジーナス? 急に立ち止まったりして……?」
私はジーナスの視線が、まっすぐある方向に向けられていることに気付いた。
目の前が開け、周りに似つかわしくないほどの大木が一本生えている。 その根は大人の人でも手が届かないほどの太さで横たわり、その上に人影がぽつんと座っているのが見えた。
「あ……」
私はその人影が誰であるかすぐに分かった。
「ティス!」
「久しぶりね、シエロ」
ティスはうっすらとほほ笑みを浮かべて私に言った。 私はこの機会を逃すまいと、息急き切って言った。
「ティス! ずっと謝りたかったの! わざとじゃないとはいえ、怪我をさせてしまって、本当にごめんなさい! 私、罪を償えるなら何でもするわ! だから何でも言って!」
ティスはくすりと口角を上げた。
「そう……何でもしてくれるのね?」
「ええ! ティスの苦しみを少しでも癒したいの!」
「そう言ってくれると思ってたわ、優しいシエロなら」
「えっ?」
木の根から身軽に降りると、ティスは頭上を指差した。
「見えるかしら? 赤い木の実が」
「赤い……木の実?……」
ティスの指先をたどると、頂きが見えないくらいにそびえる大木のちょうど中間の辺りに、一つだけ赤い木の実がなっているのが見えた。 私がティスに頷くと、彼女もうれしそうに頷いた。
「あれを射ち落として欲しいの」
「えっ?……何故?」
「傷がうずくのよ……」
ティスは眉をしかめてくぐもった声を出しながら、衣服の下の腹部に巻かれた包帯をするすると解いた。 白いとぐろを巻いて全ての包帯が足元に落ちると、ティスはこれ見よがしに衣服をめくりあげた。
「あぁっ!」
私の息が引きつった。 思わず口を押さえたが、体全体に鳥肌が立ち、強いめまいを起こした。 ティスの真っ白な肌に、生々しい縫い跡がくっきりと浮かび上がっている。 まだ赤く腫れている傷痕は、私の心臓を握り引き千切るように締め付けた。
「ティス……」
震えながらかろうじて立つ私に、
「あの木の実を食べれば、この傷は綺麗に無くなるのよ。 それくらい貴重な物なんですって」
と、ティスはもう一度、とても愛おしそうに木の実を見上げた。 そして私を見つめると、にこりと微笑んだ。
「採ってくれるわよね? 私のために」
「ええ、もちろんよ!」
私に反論する理由はなかった。 ショックでしびれた足をどうにか動かして、大木の前へと進んだ。 見上げると、木の葉に守られるように揺れる一つだけの赤い木の実を確認した。 私は手ぶらな事に気づき、ゆっくりとティスへと振り向いた。
「矢になるものが、無いわ……」
私に弓は作り出せても、肝心の矢となるものがなければ意味が無い。 辺りを見ても、手ごろな枝一本も落ちていない。 するとティスは、あぁ、と思い出したように背負っていた鞘から長い剣を取り出した。
「えっ! これは、私の!」
ティスが投げ渡した剣を受け取った私は、目を丸くした。 それはまさしく私の武器だった。 私はティスを見つめなおした。
「どうして? 武器は、本人しか借りられないはず! まさか……」
そう。 武器を倉庫から出すには、本来なら門番であるジイの許可が必要で、それは本人でなければ持ち出すことが出来ないのだ。 武器庫にはジイの結界も張ってあるはず。 以前一度だけ結界を破ったことがあったが、ジイがすぐに飛んできた。 無理矢理に奪ってきたのではないかと、一瞬ティスを疑った。 するとティスは私の心を読んだかのように肩をすくめて笑った。
「あなたみたいに、無理矢理持ち出したわけないじゃないわ。 ちゃんとジイの許可は取ってきた」
「えっ?」
『あの時のことを知ってるの?』
あの時とは、ドレスパーティーの時に一人で抜け出して、武器庫に入ったこと……それを知っているのは、ジイと……私は反射的にジーナスを見た。 彼は、ただ黙ってティスの横に立っていた。 無表情な視線は、私ではない何かを見つめているようだ。
『もしかしてティスに話したの? 黙っていてくれるって言ったじゃない? あの時だって、とっさにかばってくれたりしたのに!』
ジーナスに尋ねたかったが、今はそれどころではない。 私は後ろ髪をひかれながらも、大木へと向き直ると意識を集中した。 握った左手に弓が具現化し、剣を構えた。 その時
「いっ……た……!」
いきなり、頭の中が針山でかきまわされるような激痛に襲われた。 私は直感した。
『この樹が……私を拒絶している?』
私の手から弓が消え、剣が落ちた。 くぐもった音と共に地面に転がった剣の前に、ひざまづいて頭を押さえた。 締め付けるような頭痛に、私は一瞬気を失った――




