連携プレー
流れる景色は、次第に町の建物群から郊外の草原に変わった。
「ところでさ、今回の獲物はどんなの?」
ジーナスが尋ねると、ヨハネが手にしていた紙切れを見ながら答えた。
「目撃した人の話によると、熊の一種のようね。 全身黒づくめで、二本足で立ち上がると五、六メーターくらいはあったそうよ。 たぶん、子供ね」
「凶暴なのか?」
「まだ襲われて怪我をしたという人はいないみたいだけど、町に入ってきたら随分な害になるでしょうね」
少し眉を寄せて、事の大きさを不安げに滲ませながら言うヨハネを見ながら、ジーナスは伸びをするように、腕を頭の後ろに回してあくびをした。
「今夜はクマ鍋だな!」
「相変わらず、ジーナスは余裕ね!」
私は細い目をして腕を組み、ジーナスを見た。 腰に差した剣が、馬車がゆれるたびにカチャカチャと音をたてる。 その切っ先に触れそうなほど近くに、ジーナスの剣が横たわっている。 彼はあくびのせいで涙のにじんだ目尻を、指でこすりながら
「だってさ、俺とお前なら楽勝だろ?」
「えっ!」
私はびっくりして口をつぐんだ。 そうストレートに言われると照れる! そして次の瞬間には
「あんたがミスしなきゃの話よ!」
と毒づいてしまうのだ。 ジーナスは
「お前の方こそ頼んだぞ! この前みたいなことになるなよーー」
と軽蔑の眼差しをした。
「あっ……あれは、さ、そのっ!」
「シエロは蜘蛛が苦手だからな。 仕方ないよ。 誰にだって苦手なものはあるから」
とチュウヨウが言った。
無駄に声が通りやかましい印象のヨハネとは違い、静かなオーラを漂わせているチュウヨウは、声も静かな少年だ。 細すぎる体は病的で、肌の白さも去ることながら、窪んだ目は三白眼を携え、初めて会ったときは狂気さえ感じたが、今はもう慣れた。 チュウヨウは全然怖くない人だからだ。 むしろ、気弱なくらい心が優しい。 私は、助け船を出してくれたチュウヨウに感謝しながら
「そうよ! まさかあんな大きな蜘蛛が獲物だなんて思わなかったもの! 最初から知ってたら行かなかったわ!」
と憤慨した。 するとヨハネも
「私も後でその話は聞いたけど、とてもじゃないけど対決する気にはならないわね……」
と身を震わせた。
「でしょ?」
と同意と共に大きく頷くと、ジーナスが笑った。
「あの時のシエロったら、ほんっとおかしいのなんのって、木に隠れて絶対出てこねーの! 涙目で『怖いよ~~』って!」
思い出すほどに笑いが込み上げてくるのか、腹を抱えて肩を震わせている。
「もう! そうやって馬鹿にしたらいいわ! あんたの弱点だって今に見つけてやるんだから!」
とすねてみせると、今度は舌を出して笑った。
ジーナスはいつも私を小馬鹿にする。 蜘蛛の一件だって、私が嫌いなことは知ってたはずだ。 黙って仕事に駆り出して、私が怖がるのを楽しみにしていたんだろう。 本当に性格が悪い! でも悔しいことに、ほとんど弱みを見せず、なんでも完璧にこなすジーナスには何も言えない。 私なんかよりもずっと経験があるし、多少の大きさならば、一人ででも獣を倒すことができる。 私がどんなに意地を張っても、彼に太刀打ちできないのが現実だ。
そうして不貞腐れているうちに、馬車が止まった。
「獲物が出たっていうのは、この辺りみたいだ」
馬車を操縦していたループが、地図を片手に振り向いた。
私たちはそれぞれの武器を手に馬車を降りると、周りを伺った。
林と草原との境目が、遥か先まで続いている。 ところどころから道が延び、隣町や国とを結んでいる。 私たちは林の中に入ると、鳥のさえずりが遠く響く穏やかな木漏れ日の下を、獲物のいた痕跡を探し始めた。 食事を食べた跡でも、糞でもなんでもいい。 そこに居た手掛かりがあれば、そこから獲物を追い詰められる。 足跡があればベストなのだが……。
「見て! ここ!」
少し離れたところから、ヨハネが声を上げた。 あまりに通る声に、近くの枝に止まっていた鳥が驚いて逃げた。 私はヨハネに向かってしーっと指を立てた。 彼女の超音波ボイスでは、敏感な動物たちを驚かせるだけでなく、獲物さえも逃がしてしまいかねない。 私の仕草に、ヨハネははっとした顔でペロッと舌を出した。 童顔で小柄なせいか、そんな姿が可愛らしい。 私たちはヨハネに駆け寄り、彼女の指差した木の幹を仰ぎ見た。
「これは、熊が引っ掻いた跡だな。 登ろうとしたんだろうか?」
ジーナスが、爪痕の残る幹を辿って視線を上へと向けた。 深くえぐられた爪痕は、五、六メートルある木の半分ほどで消えていた。
「いや、多分、木の皮を剥がして食べていたんだろう。 ほら、あそこが大きくめくれている」
チュウヨウが示したところを見ると、その一ヶ所の皮がめくられ、地肌のような白い木肌が見えていた。
「よっぽど腹が減ってるみたいだな」
ループが、僕と一緒だと笑った。 私はもう一度周りを見回した。 さっきから気になる静けさが、どこか不気味だ。 いつの間にか、鳥のさえずりも聞こえなくなった。
「……なんか気持ち悪い……」
そう呟いた私に、ジーナスが眉をしかめた。
「だからお前、出かける前に食べ過ぎるなって言っただろうが!」
「馬鹿っ! 違うわよっ! この雰囲気が気持ち悪いの! ねえ、静かすぎない?」
耳を澄ましても、風の吹く気配さえ感じられない。 よどみとは違う、空気が止まっている。
「そうね、言われてみれば……生き物の気配が無いわ」
ヨハネが警戒しはじめた。
「はっ! シエロ、後ろ!」
ループの声と同時に、私は背後に威圧感を感じて飛び退いた。
「なっ……なんて大きいっ?」
振り向いた私は、目の前に現れていた黒い影に背筋を凍らせた。 まるで山のように立ちはだかっている熊の大きさに驚いた。 獲物だっ!
ガアアッ!
咆哮が木々を揺らし、前脚を地面に付けた。 その拍子に地面が揺れ、私たちは方々に散った。
「吠えるだけで、なんて衝撃だよ? こんな大きな熊がこの林の中によく隠れていられたな!」
木の枝へと身軽に飛び乗ったジーナスが、驚いた顔のままで頬を掻いた。 熊は大きな口を開けてその鋭い牙を剥いた。 唾液が木漏れ日を反射してキラキラと輝いている。
「どうやら僕たちを食べ物と認識したみたいだ」
ループが楽しそうな声を出した途端、熊は近くの木を引っ掻いた。
「うわあっ!」
「きゃあぁっ!」
衝撃で飛び散った木のカケラが、矢のようにジーナスとヨハネを襲った。 素早くチュウヨウが二人の前に立ちふさがり、自身の武器である長い棒を高速で回し、木のカケラを次々に払い除けた。 チュウヨウは二人に視線を移すと、余裕の顔で微笑んだ。 それを見てジーナスが
「悪い! 助かった! 次は俺たちの番だな!」
と言い、ヨハネが声を上げた。
「はい! では私から! 取りあえず、耳を塞いでおいてねっ!」
慌てて私たちは両耳をピッタリと塞いだ。 それと同時に、ヨハネが両手を軽く口に当てた。 そして素早く深い息を吸うと、投げキッスをする仕草で声を出した。
「スターーーーップ!」
声は一直線に熊の鼓膜に突き刺さり、破った。
【響空の夜羽根】の字名を持つ由縁だ。 ヨハネは自分の超音波ボイスをコントロールして、元々敏感な野性動物の鼓膜を破る。 小さな生きものはそれで戦闘不能になるが、今回のような巨大な獲物は、耳を塞いでもがくだけに過ぎなかった。 ま、想定内だけど。
「じゃあ、次はボクね~~」
ゆったりと言いながら指先に木の実を乗せたループは、それに唇を近づけ、吹き矢のようにそれを吹き飛ばした。 それは目にも止まらぬ速さで飛び、熊の腹部に命中した。 痛みに前のめりになった熊へと次に向かっていったのは、チュウヨウとジーナスだった。
チュウヨウは自分の武器である長い棒を水平に構え、体を低くして熊の足元へ走り込み、ジーナスは驚異の跳躍力で熊の頭上へと飛び上がった。 そして、チュウヨウが熊の膝裏を振り切るのと同時に、ジーナスが熊の頭に踵を落とした。 息の合った二人の攻撃に、熊が膝を付きうつむいた。
「今だっ! シエロ!」
「オッケー! とどめはこの【颯弓のシエロ】に任せなさい!」
拳を握った左腕を前に出してイメージすると、弓の形をした気の塊が生まれる。 拳の上に沿えるように、腰から抜いた棒のように細い剣をあてがうと、熊の胸元へと照準を合わせた。 弓の要領で引くと、キリキリと力が加わるのが分かる。 見えない糸の緊張がマックスまで行ったとき、
「おやすみ」
呟きと共に、私は剣を解き放った。 光の筋を残しながら、剣は一直線に熊の胸元へと突き刺さった。
ンガアアァァッ!
断末魔と共に、熊は地響きを立てて倒れた。 辺りの木々から、衝撃で木の葉や木の実が落ちてきた。
「よっしゃ! よくやった!」
ジーナスは、嬉しそうに笑いながら私の頭をぐりぐりと押さえ付けた。
「痛い痛い!」
嫌がりながら逃げると、ヨハネやチュウヨウたちのホッとした笑い声が林の中に響いた。 そのあと、総出で馬車に積んでおいた台車に巨大な獲物を乗せると、私たちは町への帰路についた。