傷害事件
そんなある日、私は重大なミスを犯してしまった。 そしてそこから運命が大きく動くことを、私はまったく気づくことは無かった。
「ティス!」
空気を切り裂くようなテハノの悲鳴が上がるなか、ティスのスレンダーな身体が宙を舞った。 その白く透き通るような腹に突き刺さっていたのは、私が放った剣だった。
呆然としている私の前で、サラマとカラタが地面に倒れこんだティスに駆け寄り、口を押さえて膝をつくテハノの姿がスローモーションのように動いていた。 私は震えながら、ただ立ち尽くしているしかなかった。 獲物退治の最中のことだった。
ティスはすぐに病院に運ばれ、緊急手術をされた。 私は相変わらず頭が真っ白なまま廊下にたたずんでいた。 サラマとカラタがベンチに腰掛け、俯いている。 テハノが、私を気遣って傍に立っていてくれた。
「シエロのせいじゃないよ……たまたまそこにティスが飛び出しちゃって……」
「じゃあティスが悪いってことかよ?」
テハノの言葉に、珍しくカラタの荒々しい言葉が飛んだ。 テハノも言葉を失い、誰もが無言になってしまった。 耐えきれないほどの静寂の中で、私は震えながら立ち尽くすしかなかった。 皆私を責めなかった。 その代わり、慰めもしなかった。 そんな無言の圧力が、私を押しつぶしそうだった。 しばらくして、カラタが苛立ちながら締め切られた扉を見上げた。
「……まだかよ……」
押し殺すように呟く声が、私の胸をえぐるようにかき乱した。 私は唇を噛んで俯くしかなかった。 何時間とも感じるほどの時が経ち、ティスの手術室の扉が開いた。
「どうなんだ? 手術は成功したんだろ? 怪我の状態は?」
素早く立ち上がったカラタが、部屋から出てきた医者に噛み付くように尋ねた。 私たちは医者の言葉を待った。 初老の医師は、カラタの肩を優しく叩いて疲れを流すように小さく息をつくと頷いた。
「命に別状は無いよ。 ただ、しばらくは動けないだろう」
「しばらくって、どれくらいだ?」
「彼女はまだ若いから、二ヶ月位で回復はすると思うよ」
「傷は?」
カラタの問いに、私の心臓が飛び出るほどに脈動した。 医師はうむ……と一呼吸置くと、ゆっくりした口調で答えた。
「残るな」
「うっ!」
カラタが何かを言おうとして飲み込んだのがわかった。 私はここにいちゃいけない……。 そう感じたが、私の身体はぴくりとも動かせなかった。 動いた瞬間、カラタの剣が私を切り刻むのではないかという恐怖に襲われていた。 やがて部屋の中から看護師に付き添われてベッドが出てきた。
「ティス!」
サラマたちが駆け寄り声を掛けたが、ティスからの答えはなかった。 薬で眠っているのか、静かに目を閉じていた。 私は近づくことも出来ずに、遠くティスの横顔を見送った。 シーツからのぞく白い肌が、余計に白く見えた。 その目が二度と開かないかもしれない。 さっき「命に別状は無い」と聞いたのに、どうしても不安が私を覆い尽くしていた。
部屋へと運ばれていくベッドについて歩いていくサラマたちが去ると、私は静かな廊下に取り残されていた。 物音一つしなくなった廊下に、力なく膝をつくと、とめどない涙が流れた。
ティスの病室には入れなかった。
意識を取り戻したティスが、私には会いたくないと言ったと、テハノが伝えてくれた。 でも、一言でも顔を見て謝りたい。 二度目のティスの言葉も、テハノが伝えてくれた。
「謝らなくていい」
そんなわけにはいかない。 私はこの罪をどう償ったら良いのか分からなくて、広間の隅っこで突っ伏していた。 周りの人たちは誰も声を掛けず、近寄ってさえこなかった。 仕方ない。 私は、ともすればティスを殺すところだったのだから……軽蔑されても仕方ない。 冷やかな空気を感じていたが、私はただ黙って腕に顔を埋めていた。 すると、隣の席にすとんと誰かが座る気配がした。 腕の隙間から見えたのは、見覚えのあるでか靴だった。
『ジーナス……?』
彼は何も言わなかった。 ただ隣にいて、手にしていたカップをすすっていた。 しばらくそうしていたが、ジーナスは最後まで一言も言わなかった。 でもどこか安心できる気がして、そのまま眠りに堕ちそうなほどに気持ちが穏やかになった。 その時、背後に誰かが立つ気配を感じた。
「シエロ、ちょっといいか?」
オヤジの声だった。 いつもの軽い調子はなく少し緊張した声に、私は覚悟を決めてゆっくりと立ち上がった。
「はい……」
振り返ると同時に、ジーナスが口を開いた。
「どこに連れて行くんだよ?」
警戒した声に、オヤジは冷静な視線をジーナスに送りながら答えた。
「少し話を聞くだけだ」
「俺も行く」
「お前が来ると話がややこしくなる」
怒りでもなく、押しつけるような口調で言うと、ジーナスはそれ以上何も言わなかった。 私はジーナスの顔も見られず、俯いてオヤジについていった。 周りから冷えた視線が送られるのを身体中で感じていて、こわばる頬をなだめるように唇を何度も舐めた。
「シエロ、正直に言うんだぞ」
オヤジの部屋に通された私はソファに座らされて、オヤジは自分の机に寄り掛かるように立っていた。 私は、ひとつしっかりと頷いた。
「あの日私たちはいつものように獲物と戦っていて……サラマとテハノが獲物の後ろ足を止めて、カラタとティスが首と頭を押さえてたんです。 ちょうど立ち上がってその腹があらわになったとき、私はいつものように自分の弓でその心臓を射止めようとした……その時、獲物の前脚がティスを弾き落として、ちょうどそこに私の放った剣が……」
再び蘇った悪夢に、私は顔を押さえた。 もう思い出したくない。 目の前で倒れるティスの姿など……。
オヤジは机に寄り掛かったままで、私の様子を眺めていた。 いつもの陽気な雰囲気など塵もなかった。 しばらくの沈黙の後、オヤジはゆっくりと言った。
「ティスがな……あれは、お前が故意にやったものだと言ったんだ……」
「えっ?」
私は思わず顔を上げた。 そんな言葉が返ってくるとは思っていなかったからだ。 私はありのままを正直に言った! 記憶が無いわけじゃない。 むしろ、全部覚えている。
「そんなわけありません! 私がティスを傷つけるなんてそんなこと……わざとだなんて……そんな……」
だけど私の悲痛な叫びは虚しく部屋に響いただけで、オヤジの表情は冷静なままだった。
『信じてくれていない?』
私の背筋を、冷たい刺激が流れ落ちた。
「どうして……?」
かすれた声で問う私に、オヤジは少し首を傾げて呟いた。
「お前はやっぱり……」
「え?」
「いや……シエロ。 俺はお前のことを信じていないわけじゃないんだ。 俺は本当のことを知ることが出来ればそれでいい」
オヤジは小さく微笑んだが、それは明らかにうわべだけのものだと分かった。 オヤジが遠い存在になったことを痛烈に感じた。 オヤジは私のことを疑っている。




