少女の感謝
「シィィィエロオオォォォ~~こるぁぁ!」
その声の主はすぐに分かった。 ジーナスだ。
彼は私に向かって一直線に走ってきて、目の前まで来ると拳を握った。
「シエロお前! どういうつもりだぁっ!」
ジーナスの言いたいことは察しがついた。 勝手にパーティーを抜けたことだろう。 私は無言でジーナスの次の言葉を待った。
「なんでパーティー抜けたんだよ!」
ほら、当たった。 私は心の中で笑いながらも、顔は無表情を装った。
「なんでって、ジーナスは私と一緒に居たくないんでしょう? 自分が昨日言ったことをもう忘れたの?」
冷たく言い返す私に、ジーナスは握った拳を揺らしながら、まるで魚のように口をパクパクさせた。
「だからジーナスの希望通り、パーティーを抜けてあげたのよ。 これから 私は、ティスたちと一緒に仕事をするから。 心配いらないわよ、今ひと仕事終わって、絆は深まったから」
私は小さくタオルを振って、その場を離れようとした。 すると、ジーナスの手が私の腕をつかんだ。 何か言いたげながら、無言で見つめてくるジーナスに少したじろぎながら
「な、何よ?」
と腰を引くと、彼は何か言おうと口を開いた。 その時
「ジーナス、何やってるの?」
と、可愛らしい声が聞こえた。 見ると、マイカがジーナスの剣を持ってこっちを見ていた。 ジーナスたちも仕事から帰ってきたばかりだったのだろう。 しかもマイカがジーナスの剣を持っているということは、多分私の穴は彼女が埋めたのだろう。
「ジーナスの剣、返してくるわね。 さっきの戦いで少し歯こぼれしているみたいだから、ついでにジイに手入れを頼んでおくわ」
「あ、ああ。 頼むよ」
微笑んで去っていくマイカを見送るジーナスを睨みながら、私は彼の手を振り切った。
「ったく! 剣の手入れくらい自分でしなさいよねっ!」
「シエロっ! ちょっと待てっ――」
ジーナスの言葉を聞く耳は、持つ必要はない。 なぜなら、もう彼の気持ちは分かったから。
私は踵を返すと、走って彼から離れた。 ジーナスは追ってこなかった。 だから、それが返事なのだと勝手に解釈することにした。
それから私は、ティスたちと一緒に仕事をする日々が続いた。 仲間たちのクセや得意な所もだいたい分かってきた。
サラマは【炎拳】の字名を持つ。 名の通り、拳が最大の武器だ。 いつも明るくて裏表がないけれど、少し幼稚なところがある十五歳だ。
カラタは【遊蹴】の字名を持つ。 蹴りに剣裁きを取り入れた、トリッキーな動きが武器だ。 彼は特に目立った性格ではないが、その分周りを見ながら動ける人。 私も彼のような人だと行動しやすくてやりやすい。 そばかすがチャーミングな十七歳。
テハノはまだ字名を持つほどではないが、それでもパーティーの中で一人前に戦える実力はもっている。 つり目で短い髪が一見男勝りな印象であるが、実は女の子らしさを秘めている。 私に対する気配りは、お嫁さんにしたら絶対良いと思うくらいだ。 そんなギャップも可愛らしいテハノは十四歳。
そして私が一番と言っていいほど信頼を寄せている親友ティス、十九歳も、字名を持っていない。 彼女に関しては、私よりも長くここにいるし、実力もあるのに、字名を持っていないのは謎だ。 本人に聞いても、
「そこまでの実力がないからよ」
とはぐらかすが、それは謙遜だ。 本気を出せば私よりも強いはずなのだ。
そんな彼女は、身なりは派手な所もあって目立ちやすいけど、彼女もまたすごく女性らしい性格の持ち主だ。 女であることを最大限にアピールするくせに、異性に媚びるところを見たことがない。 そんなことをしなくても男たちは寄ってくるので、羨ましいかぎりだ。
私がこの会社に入ったときに、一番先に声をかけてくれて、何も知らないこの世界のことを教えてくれて、ずっと世話をしてくれた人。 たまに暴走してしまう私を見守ってくれたりして、ティスには感謝して止まない。
こんなパーティーは皆それぞれに補いあっていて、喧嘩もほとんどしないらしいそんな素敵な仲間たちに囲まれて、私はずっとこうして楽しく仕事を出来たらと思っていた。
そんなある日、訓練の一区切りがついたので、広間の隅でお茶を飲みながら汗を乾かしていると、ジーナスが私の名を呼んだ。
ここ数日、何も話し掛けて来なかったジーナスが急に私を呼んだので、少し驚いたが、努めて平静を装って知らないふりをしていた。 すると彼は私のすぐ近くまで来て
「シエロ! 聞こえてたんだろ? 返事くらいしろよ!」
とつっけんどんに言うので
「何ですか?」
と、よそよそしい態度を返してやった。 ジーナスは頭を掻きながら、少し困惑した表情をすると
「いいから来い!」
と私の腕をつかむと無理やり立たせた。
「痛いなぁっ! 何するのよっ?」
わざと大きな声で言う私に
「いいから、来いってば!」
となおも引っ張った。 そうなると抵抗も出来ず、引きずられるようについていくと、ヴェナトーネの門の外に着いた。
「ほら!」
ジーナスが私の腕を離してあごで指し示す先に、女の子が母親らしき人と立っていた。
「うん?」
私が首をかしげると、ジーナスが軽く私の頭を叩いた。
「忘れたのか? 蛇に飲み込まれてた子だよ」
「あ! ああ! あの時の!」
手を一つ叩いてその少女を見ると、母親らしき人に背中を押された少女はゆっくりと近づいてきた。
「あ……あの……」
かぼそい声で何か話し掛けようとする少女の前に腰をかがめると、ちょうど目線が同じになった。 少女の細い腕には所々に包帯が巻かれていたが、顔色は良さそうに見えた。
「元気になったんだね? 良かった」
微笑んで言う私に、少女は少し顔を赤らめてうつむき、後ろで見守る母親をちらりと振り向いた。 そして意を決したように振り向くと
「ありがとう!」
と精一杯の声で言った。 その途端、私は激しく感動して、思わず泣きそうになった。 笑顔を返してあげることしかできなかったが、少女たちは何度も頭を下げて去っていった。 私はずっと手を振って見送った。
『わざわざ来てくれたんだ……』
その気持ちだけでも、本当に嬉しかった。
やがて彼女らの姿が見えなくなった頃、私の頭にポンと手が乗った。
「え?」
振り向くと、ジーナスが微笑んで私を見ていた。
「良かったな!」
と笑顔で言うジーナスのそれは、なんとも優しくてとろけそうになるほど穏やかだった。 私は思わず笑みをこぼした。 そしてすぐにハッと我に返ると、ジーナスの手から逃れた。
「なっ……何するのよっ!」
拍子に出た言葉に自分でも驚いていると、ジーナスはまた戸惑った表情をした。
「俺、やっぱりお前に嫌われてるのか?」
「はっ?」
その顔が胸に突き刺さり、耐えられず視線をそらせた。
「そ……そんなこと、自分で考えなさいよっ!」
そんな捨て台詞をはいて、私は逃げるようにジーナスの脇を擦り抜けて、建屋へと戻っていった。
『なんでジーナスがあんなこと言うのよ……? それはこっちの台詞じゃない……!』
私はやりきれない気持ちで、テーブルに残っていたさっきまで自分が飲んでいたカップをカウンターに戻した。 ティスが擦り寄ってきた。
「何かあったの? さっきジーナスくんに連れられて行ったのは、何だったの?」
と耳元でささやいた。
「何でもない……」
と言い掛けて、すぐに言い直した。
「ね、今晩飲みに行かない?」
「ああ、今日はちょっと時間が無いのよね……用事があるの。 ごめんね、でもあなたの話、聞いてあげたい気持ちはあるのよ」
と困った顔をしたティスに、私はわざと明るく振る舞った。
「そ、そうだよね、ティスもいろいろ忙しいもんね! 急には無理って分かってるから。 ごめんね、気にしないで!」
「ホントごめんね、今度必ず話聞くから」
申し訳なさそうに言うティスに、私は精一杯に笑顔を作ってその場を繕った。




