身震いの西の森
やがて森の手前で馬車を止めると、私たちは中へと入っていった。
サラマを先頭に、周りを警戒しながら奥へ進むと、果物の木が乱立している場所に出た。 人が入らないために、手入れのまったくされていない野生の果樹園は、足の踏み場のないほどに落ちた果実と枝葉が埋め尽くされていた。
「すごい匂いね……」
テハノが鼻を押さえて顔をしかめた。
熟れすぎた果実の腐った匂いが、完熟した果実の芳しい匂いを全て殺していた。 最近暖かい日が多いこともあって、余りに腐る率が高く、自然分解されるのが間に合わないのだろう。 私も耐えきれない匂いに鼻をつまんで、目を細めながら周りを見渡した。
「え゛っ?」
私は目を疑った。
こんな悪臭の中でも構わず、サラマが木の枝から果実をもぎってかじっていたのだ。
「そこばでひて食べたひのかひら(そこまでして食べたいのかしら)……」
呆れながらも、ジーナスと重なるどこか懐かしい風景に、少し胸が苦しかった。
私たちは匂いを我慢しながら近くの茂みに隠れた。 巨大ネズミはきっと、この耐え難い匂いに誘われて来ているに違いないのだ。 この強烈な匂いなら、多少離れていても野生の鼻には痛いほど届くだろう。
「でも結構つらいわね……」
テハノが頬を引きつらせて言った。 その横でティスが
「体に染み付きそうだわ……早く片付けてシャワーを浴びたい……」
と眉をしかめながら腕に鼻を近付けている。 その向こうでは、サラマが果物をかじっている。
「土産にしそうな勢いね」
と呟くと、カラタがああ、と頷いて
「サラマはいつも袋いっぱい持って帰るよ」
と答えた。
「…………」
私はもうサラマに構うのはやめようと決めて、果樹園に目を移した。 どれほど時間が経っただろうか。 悔しいけれどこの匂いにも慣れてきた頃、カサッと草むらが動く音がした。
「何か来る!」
カラタの声に、私たちは身を屈めて気配を消した。 静かな果樹園に、黒い固まりがゆっくりと現れた。 巨大ネズミだ。 大人の二倍ほどある体をのそりと揺らしながら、周りを警戒しながら鼻をひくつかせて進み行った巨大ネズミは、果実のたわわな木の幹に脚をかけた。
「よし、行くか!」
「待って」
意気揚々と飛び出そうとしたサラマを、異変を感じた私は制止した。
「気配はあいつだけじゃないみたいよ……」
ティスも静かに耳を澄ませると、次第にその表情がひきつってきた。
「ま……まさか……」
嫌な予感が的中した。
私たちが潜む茂みの前に、続々と巨大ネズミが現れたのだ。 みんな果実の匂いに誘われて来たのだろう。 みるみるうちに、その数は十数匹にも膨れ上がった。
「マジか……?」
顎を外しそうに口をあんぐりと開けたサラマ。 皆同じ気持ちだった。
「どうするよ?」
カラタが頬に汗を垂らしながら誰にともなく聞くとテハノが自分の武器を握った。
「依頼を受けたからには、遂行するしかないでしょう?」
「そうね。 仕事だもの!」
と言うティスと顔を見合わせて頷くと、私も自分の武器を握った。
「そいじゃま、行きますか!」
サラマは拳を握って脚に力をこめた。
バサッ!
と草を散らせながら突撃するサラマに従って、私たちも茂みから飛び出した。 巨大ネズミたちは驚き逃げ惑ったが、私たちの速さには適わなかった。 次々と仕留められていく巨大ネズミたちの山が出来るのに、多くの時間は必要なかった。
「おりゃあっ! どんなもんだっ!」
汚れきった拳を突き上げて喜ぶサラマを無視して、私たちはうずたかく積まれたネズミたちを見上げた。
「どうする、これ?」
テハノが腰に手をやって顔をしかめた。 ティスもため息を吐いて
「どう考えても、美味しくいただけそうな感じではないわね……」
と目を閉じた。 その時、さっきまで拳を上げて小踊りしていたサラマがハッとこちらを向いた。
「えっ! 食べられないのかっ?」
「えっ! 食べられると思ってたの?」
私が返すと、驚いた顔でしばらく私の顔を見つめていたサラマは、次の瞬間崩れ落ち、激しく落ち込んだ。 カラタは山と積まれたネズミたちを見上げながらため息をつき
「燃やすか」
と呟いた。
全会一致だった。
地面に転がる腐った果実もついでに焼き払える。 ちょうど果樹園の中央に積まれた山なので、うまくやれば周りに飛び火もしないだろう。 私たちは手分けをしてネズミ山に火を点けた。 瞬く間に火は燃え広がり、火柱のように立ち上った。 肉の焼ける特有の焦げ臭い匂いと、襲ってくる炎の熱に耐えながら、周りの木々に飛び火がないかを注意してみていると、不意に足元がざわっと動いた。
「なに?」
足元を黒いものが動くのが見えた。 それは一つ二つではなかった。
「ひっ……」
私が声を上げるより先に、少し離れた所にいるティスが金切り声をあげた。
「きゃああああああ!」
同時に私の全身に鳥肌が立ち、同じく悲鳴を上げた。
「ひゃあああああ!」
私たちの足元を、炎から逃げるように無数の虫が動き回っていたのだ。 もう何という虫かどうかも、どうでも良かった。 震え上がる私たちの周りで、波のように黒い軍隊がうねり、近くの木の枝に登っていくとそれは黒い木となった。
「いやああああああ!」
私は、ティスとテハノと抱き合って涙を流しながら、もうそこから一歩も動くことが出来ないでいた。 サラマとカラタも蒼白な顔で震えながら黒いうねりに騒ぐ辺りを見回していた。
どれほどそうしていただろうか? 炎が治まり、青空が見えはじめると、黒い虫軍団もどこかへと姿を消していた。 黒い数本の細い煙が残るネズミ山は、灰となり、所々から焦げた骨が顔をのぞかせていた。
私はまだ震える体を感じながら、周りを恐る恐る見回してみた。 辺りはすっかり落ち着きを取り戻していて、静かな空間となっていた。
私は抱き合って俯いたままのティスとテハノの肩を優しく叩いた。 びくっと怯える二人に
「もう、大丈夫みたいよ」
と言うと、二人はほっと胸を撫で下ろしてその場にくたりと座り込んだ。 私も一緒に座り込み、三人で顔を見合わせると、疲れた笑いを交換しあった。
「一体、なんだったんだ、さっきのは……?」
サラマが汗ばんだ額を腕で拭いながら息を吐くと、カラタが
「きっと、地面に落ちていた果実を食ってたんじゃないかな?」
とまだ震える声で分析した。
「あれだけの果実の匂いに誘われるのは、ネズミだけじゃなかったってことね……」
ティスが肩を落として息を吐いた。
そして皆一斉に身震いをすると、急いでヴェナトーネへと舞い戻った。 最速で馬車を走らせて建屋に駆け込んだ私たちは、迎えた同僚たちに挨拶もそこそこに、奥へと走った。 あのおぞましい体験を、少しでも早く流し去りたかったのだ。 衣服を脱いで我先にと浴室に入った私たち三人は、揃って何かに追われるように体を洗った。 そして湯船に入った私たちは、初めて安らぎのこもった深呼吸をしたのだった。
「はあ~~……」
「ひどい目に遭ったわ……」
「でも、楽しかったね」
私が言うと、ティスとテハノはきょとんとしていたが、やがて笑い始めた。
「シエロったら、変なの~~!」
テハノはつり目の顔を最大限に緩ませて笑っていた。 ティスも、だいぶ化粧は落ちたけれど充分美人な顔を上気させて笑った。 私たちの距離が少し縮まった気がして、嬉しかった。
のぼせそうになるほど話し込んだあと、ゆっくり水分でも取ろうとタオル片手にロビーに行くと、途端に巻き舌の怒号が響いた。




