戸惑いのシエロ
『嫌われたかな……』
浴槽に座り、赤くただれた足を流水で冷やしながら、コトンと浴槽の縁に頭をぶつけた。
報告もしずに勝手に動いて、もしかしたら犠牲が出たかもしれなかったのに、応援も呼ばなかった。 このことがバレたら、きっとオヤジにも叱られる。
体中がジンジンとしびれたように脈打っていた。 今頃、蛇の毒の痛みに気付いている。 次第に水が溜まっていく浴槽に火照っている体を沈めて、息を止めた。
しばらくそうしていた後、部屋に戻ると、中はオレンジ色の光で満ちあふれていた。 静かな空間に独り取り残されたような気がして、胸が痛んだ。
傷の手当てをし終わった頃、扉を叩く音がしたので、慌てて上半身をシャツで包み、包帯姿が隠れるような長めのスカートを履いて扉を開けると、ティスが駆け込んできた。
「シエロ、あんた大丈夫なの?」
「えっ! あ、あの……」
もしかしてジーナスが皆に話してしまったのかと動揺した。
「気分が悪くなって帰ったってジーナスくんが言うから、驚いたわ! ここんとこ忙しそうだったし、やっぱり私も手伝ってあげればよかったわね! ごめんね、シエロ!」
まだ化粧が残る顔を歪ませて、私を気遣ってくれるティスに罪悪感を感じて、また胸を痛めた。 同時に、うまく言い訳をしてくれたジーナスにも感謝した。
「もう大丈夫なのよ。 ありがとう、心配かけてごめんね」
微笑んで返すと、ティスはやっとホッとしたように笑顔をみせた。
「良かった……あっ、そうそう!」
そう言いながら、ティスは手に持っていた紙袋を手渡してくれた。
「これは?」
「ジーナスくんが、今日一日、何も食べてないだろうから、持って行ってやれって。 残り物で申し訳ないけどって」
「えっ! ……ううん。 充分よ! 嬉しい……ありがとう……っ」
言いながら私の頬に温かいものが伝い落ちるのを感じた。
「シエロ?」
心配そうに顔を覗き込むティスに、鼻をすすりながら微笑み返すと
「嬉しいのよ」
と答えた。
まだ心配し足りない様子のティスを帰し、部屋の中央に置かれた小さな丸いテーブルの上は、小さなパーティーのようになった。 残り物とはいえ、豪華な食事だ。
ジーナスは一体何を考えているのか分からなかったが、こうして目の前に並べられている料理を見ると、やっぱりジーナスのことを信じても良い気がしてきた。 そして彼の気持ちが、すごく嬉しくて仕方なかった。
まだうずく傷を気にしながら、料理を味わった。 きっとイベントは盛り上がったんだろう。 心配しながらも、少し上気した頬をしていたティスから、その様子は伝わった。
『それなら、いいか』
私は少しにやけながら、一人パーティーに興じた。
傷は少しただれただけで、一晩寝るとだいぶ回復していた。
翌日ヴェナトーネに出向くと、皆が心配して話し掛けてくれた。 私は、たいしたことない、と微笑みながらかわし、ホワイトボードに近づくと、自分のスケジュールを確認した。 だが、私の欄には何も記入されておらず、記入係のナツハを探したが見当たらなかった。
彼女はいつも朝は忙しく、今も依頼の応対に追われているのだろう。 私はナツハを探すのをあきらめると、建物の外に出た。 ヴェナトーネの前では、早々に馬車に乗り込もうとするジーナスたちの姿があり、慌てて駆け寄って呼び止めると、私も行くと伝えた。 するとジーナスは荷台の上から身を乗り出すと
「シエロ、今日は休んでろ」
と言った。
「何で? もう大丈夫だから! 傷も――」
「いいから! 昨日の片付けもあるんだろ?」
私の言葉を遮って上乗せするジーナス。 そうか。 気分が悪くなって帰ったんだっけ……。 また彼に助けられてしまった。
「う……うん……」
戸惑いながら小さく頷く私に、ヨハネがキンキン声で言った。
「あんたそんな体で動けるの? 私たちの足を引っ張りたくなかったら、休んでなさい!」
「う…………」
心配して言ってくれたのだろうが、嘘を言った手前、罪悪感に苛まれている私の心は、ヨハネの向こう側から無言で視線を送ってくるチュウヨウの冷たい雰囲気も追加されて、言葉に詰まってしまった。 そして私は仕方なく、ジーナスたちを乗せた馬車を見送ったのだった。
「はあ……」
見えなくなるまで馬車を見送り、小さく息を吐いた私は、ヴェナトーネの中に戻る気にもなれずに、武器庫がある裏手に回った。 ひっそりと口を開ける武器庫の入り口に吸い込まれるように階段を降りていくと、暖色に包まれたカウンターに小さな影があった。
「ジイ……」
私の姿を見ると、
「おやおや? どうしたね? 暗い顔をしおって」
と白髭をくいっと上げて微笑んだ。 その時、ジイの額が赤くなっているのに気付いた。
「ジイ、それ、どうしたの……! まさか!」
すると、ジイはしわくちゃの手を額に当てて擦った。
「ジーナスが夕べ来ての、『一発殴らせろ』と言ってきたので、殴らせてやった」
「な、なんでよぉ? ジイは関係ないって言ったのに!」
「まあまあ。 あやつも色々と思うところがあるんじゃて。 それよりお前さん、どこか怪我をしたらしいではないか? 具合は良いのか?」
おっとりと喋るジイにすっかり、ジーナスに文句に行く気が薄れてしまった。
「私の方は大丈夫よ。 でも……」
「でも、何じゃ?」
「……ううん。 何でもない……」
私は、ジーナスが自分のことをどう思っているのか分からなくなっていた。 心配したり、突き放したり。 何を考えているのか分からない。 でもジイに聞いたところで何か分かるわけでもなし、言葉を飲み込むことにした。 するとジイが、武器の手入れをしながらゆっくり話し始めた。
「『シエロが怪我をしたのは、ジイのせいだからな!』と凄く怒っておったなぁ。 ま、一つゲンコツを出しただけですぐに帰っていったがね」
少し楽しそうなジイに、変な感触を覚えた。
「ねえ、あの時ジイは何故、私を止めなかったの? 勝手な判断で危険な所に一人で行って、もしかしたら大怪我するかもしれなかったのに。 もしかしたら、ヴェナトーネの迷惑になったかもしれないのに!」
ジイは私の方は見ずに、作業を続けていた。
「お前さんには護り神がいるからの。 心配いらんのじゃ」
「えっ? 護り神って、何?」
「ふぉっふぉっふぉっ」
ジイはそれには答えず、それ以上話そうともしなかった。
私は昨日のドレスパーティー片付けをしに、楽屋の中へと入った。 ところが部屋の中は、意外なほど綺麗に整頓されていた。
『誰かが掃除でもしてくれたのかな?』
私はまわりを確認するように見回りながら、部屋の奥へと進んだ。 そこには、昨日と変わらずにひっそりと薄ピンク色のドレスが掛かっていた。 私はそれを眺めながら、この間のジーナスの言葉を思い出していた。
「そのドレス、似合うんじゃねーの?」
彼にとっては、何気ない決まり文句だったのかもしれない。 ジーナスは女の子が大好きだから。 そういう、女の子を喜ばせる言葉は幾らでも出てくるに違いない。 でも、私にはそれが素直に嬉しかった。 例えそれが心のこもっていない言葉だったとしても。 やっぱり、褒められることに気分が悪いわけがない。 他の女の子たちも同じだから、ジーナスの周りには女の子が途絶えたことが無い。
そっとピンクのドレスをひと撫でして、ぼんやりと眺めるのは終わりにすることにすると、私は首と肩をぐるんと回し、深呼吸した。
「考えてても仕方ないし! さ、片付けよ!」
気持ちを切り替えるように腕を伸ばして、私は腕まくりをした。




