傷だらけの蛇退治
ガゴンッ!
蛇の頭が、いきおいよく地面にめりこんだ。
「皆、早く逃げて!」
私の声に、見守っていた人々がわらわらと逃げ始めた。 数秒後、蛇の頭が瓦礫を振り落としながら、勢いよく起き上がった。 その時にはすでに、私の手には弓が出来上がっていた。 剣を添えて蛇の胸元を狙い放とうとしたときだった。
「タナラムさん! あんたも逃げろ!」
と声が聞こえてきた。
「でも私の娘がぁ!」
「あぁ……」
悲痛な声に、私の弓が消えた。
『討てない! もし、私が放った剣が、飲みこまれている女の子に当たったとしたら……まだ生きているかもしれないのに!』
その時、再び大蛇の牙が降ってきた。
「くそっっ!」
私は応戦するつもりで剣を構えなおした。 次の瞬間、大蛇の頭が横殴りに揺らいだ。 そして目の前を、倒れゆく大蛇の頭と共に白いタキシード姿の人影が横切っていった。
「ジ……ジーナスっ?」
驚く私に、ジーナスは着地するなり、振り返りながら怒った。
「なんで今討たねーんだよ? 絶好のタイミングだったろうがよ!」
「話はあと! コイツの動きを止めて!」
「なんだって?」
「いいから早く!」
「俺の話も聞かずに――」
ジーナスはなにやらぶつぶつ言いながら、蛇のしっぽの辺りへ走り込んだ。 蛇はかま首をもたげて彼を追い、牙を剥いて襲い掛かっていく。 だがジーナスの【伸速】に、蛇のスピードでは到底追い付くはずが無い。 私はジーナスの出すタイミングを待った。 彼が数秒走り回ると、蛇は予期せぬとぐろを巻いていた。
「よし! そら、行くぞ!」
高く飛び上がると足を高く振り上げ、とぐろを巻いてひとまとめになっている蛇の胴体へと、一気に振り下ろした。 グシャーッという生々しい音と共に、蛇の頭が跳ね起きた。
「今ねっ!」
私は剣を腰の辺りで構えると、蛇の胴体を駆け上がると同時に剣先を少しだけ差し込んでいった。 頭まで駆け上がると、次々に開いていく蛇の胴体から液体塗れの少女がドロリと顔を出した。
「やったっっ!」
少女を受けとめながら地面に着地すると、急いで近くの溜め池に少女ごと飛び込んだ。 蛇の消化液であろう、少女の体にまとわりつく液体を洗い流しているその間にも私の衣服は溶けだしていて、すっかり服も溶かされ全裸になっている少女の皮膚も、所々が赤くただれていた。
「アカリ!」
父親が駆け寄ってきたので、少女をそっと預けた。
「すぐに医者へ! 息もしている! まだ間に合うわ!」
父親は深くお辞儀をすると、礼もそこそこに少女を抱いて医者へと駆け出していった。
私の後ろで、骨が砕ける音がした。 振り返ると、とどめに蛇の頭を踏み潰したジーナスが、自分の上着を脱ぎながら近寄ってきた。 そしてその上着を私の肩にかけると
「お前は! 本当に世話の焼ける奴だな!」
と言いながら、溜め池の縁に座っている私のスカートをくいっとたくし上げた。
「なぁっ! 何するのよっ!」
思わずジーナスの頬を平手打ちすると、きっと睨んだ。 ジーナスは
「痛ぇなあ! 加減てモノを知らんのか!」
と言いながら、自分のシャツの肩口に歯をたてると、ぐいっと袖をひっぱって引きちぎった。 それを私の太ももの赤くただれた傷口に巻くと、きつく縛った。 手慣れた様子で手当てをされ、私は赤い頬で言葉を失っていた。
『ジーナス、手当てをしてくれるために……?』
「具合はどうだ? 医者に行くか?」
熱を確かめるように額に手を当てられ、ふっと我に返った私は動揺しながら
「だ、だいじょうぶ!」
とぎこちない言葉を返した。
「じゃあ、帰れるな?」
「えっ? 帰るって……だってまだ仕事が……」
「その格好で戻るのか?」
上から下まで見るジーナスの視線に、私は自分の胸元から下腹辺りまでズタズタに溶けて肌があらわになっていることに気付いた。
「きゃあっ! 見るなっっ!」
慌てて、ジーナスが肩にかけてくれたタキシードの上着を思いっきり引っ張って抱きしめた。
「今頃になって、何慌ててるんだよ?」
呆れるジーナスの後ろから、さっき助けたルノースと彼の母親が駆け寄ってきた。
「あ、あの! ありがとうございました!」
二人で深々とお辞儀をし、
「あの、この報酬は……」
という言葉にジーナスが答えた。
「いや、いい。 これは正式に依頼を受けた仕事じゃないから、勿論報酬は要らない。 そうだろ、シエロ?」
「ええ。 勿論」
そう言って立ち上がり、私はルノースの頭を撫でた。
「強かったね、ルノース! これからも、お母さんを守ってあげるんだよ?」
と微笑むと、ルノースは誇らしげに笑顔をみせて頷いた。 その笑顔は、傷の痛みを忘れさせてくれるかのようだった。 私がヴェナトーネで働いている意味が、なんとなく理解出来たような気がした。
数刻後、私は少し足を引きずりながら、ジーナスの後をついて歩いていた。
「おぶってやる」
という言葉を丁重に断り、二人は帰路についていた。 ジーナスはずっと無言で、私はそれに耐え切れずにその背中に言った。
「ジーナス、助けてくれてありがとう……」
すると彼は背中を向けたまま
「ったく……せっかく美味い料理を食わせてやろうと思ったのによ! 居ねえから捜し回ったじゃねーか! そしたら町の方が騒がしいから、もしやと思って来てみたらこれだ!」
「えっ! ジイに聞いたんじゃなかったの?」
するとジーナスは急に振り向いた。
「何だって? ジイは知っていたのか?」
「う、うん。 結界破って武器庫に入ったから、バレちゃって」
「何だよあのもうろくジジイ! 戻ったら半殺しだな!」
拳を握るジーナスに駆け寄ると、
「ジイは関係ないよ。 誰にも言わないでって頼んだのも私だし!」
「ジイはお前を止めたのか?」
「え? ううん。 止めなかった。 と言うより、何も言わなかったわ」
「やっぱり半殺しじゃあすまねぇな!」
「ジーナス!」
私は彼を止めなきゃと思った。 ジーナスが本気を出したら、ジイは本当に死んでしまう。 そんな私の気持ちが分かったのか、少し落ち着いたらしいジーナスは私を細い目で見下ろすと頭をグイッと押し撫でた。
「そーーいうお人好しな所が、今に痛い目に合うんだぞ!」
「え?」
ジーナスは踵を返すとまた歩き始めた。 その背中から、冷たい空気を感じた私は、尋ねずにいられなかった。
「ジーナス……怒ってる?」
「…………」
ジーナスはそれには答えなかった。 しばらくの沈黙が苦しすぎて、再び私から口を開いた。
「ジーナスは、その格好で戻るの?」
「裏に予備のシャツがあったから、それを着るさ……」
「そっか……」
私は俯いて、とぼとぼと彼の背中に付いて歩いた。
やがて無言のまま私の家の前まで来ると、ジーナスはやっと振り向いた。
「う!」
少し気構えた私に
「ちゃんと手当てしとけよ」
とだけ言って、また背中を向けた。 私は思わず呼び止めたが、何を言ったらいいのか分からなくて黙ってしまった。 ジーナスは背中を向けたまま
「あ、それと、この衣裳は、お前が買い取れよ!」
と言い残して会社へと戻っていった。 ずっと重苦しい気持ちでいた唯一の救いは、その言葉が冗談を含んだような、少し明るい口調だったことだろう。




