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雲は遠くて  作者: いっぺい
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115章  信也が連載マンガの主人公になる

115章  信也が連載マンガの主人公になる


 7月17日の土曜日。よく晴れた青空の午後2時を過ぎたころ。


 川口信也が運転するホワイトパールのトヨタのハリアーが、

都道311の環八かんぱちを走ると、世田谷区のきぬた公園駐車場にまった。


 助手席じょしゅせきには、あわいピンクで、ほそいラインの、

ペンシル・スカートが可愛かわいい、マンガ家の青木心菜ここなが乗っている。


「しんちゃん、今年の4月だったんですけど、わたしのお友だちが、

この美術館の中のフランス料理のレストランで、ウエディングパーティをしたんです!」


 駐車場のすぐとなりには美術館がある。


「この公園の中のファミリーパークは、1000本近い桜の名所ですからね。

4月じゃぁ、お花見にも最高だったんじゃないですか?心菜ここなちゃん」


「そうなんですよ、ソメイヨシノやヤマザクラとか、満開で、とても素晴らしかったんです!」


「あっははは。それは、ほんに、すてきな結婚式ですよね!」


 ふたりは、自然の豊かな公園内を15分ほど散歩して、

美術館内にあるフランス料理のレストラン、ル・ジャルダンに入った。


 開放的なガラスりの店内は、明るく、美しいみどりの公園の風景を楽しめる。


 2時から5時までが、ティータイムなので、ふたりは紅茶とケーキのセットを注文した。


「ところで、心菜ここなちゃん。おれをモデルにしたマンガを描きたいっていうおはなしですけど。

あっははは」


 ダークグレーのポロシャツが、いたずらざかりの少年っぽい感じの信也である。


「そうなんですよ、しんちゃん。わたしのマンガって、ちまたでは、ルノワールって、

言われているじゃないですか。しんちゃんのイメージって、

そのルノワールの絵の中に登場する男性像にピッタリなんですよ。

それで、ずーっとしんちゃんがモデルの主人公の物語を構想していたんです」


「あっはは。でも、ルノワールって、女性の美をえがいた画家って感じがするけれど、

男性をそんなに描いてましたっけ?」


「そのとおりです。ルノワ-ルは、永遠の女性美を追い求めたような画家だと思います。

でも、しんちゃんは、そのルノワールの中の女性たちが恋いがれる男性像に近いのだと、

わたしは思っているんです!つまり、しんちゃんには、わたしから見ると、

ルノワールの中の女性たちの相手として、ふさわしい、

とても貴重きちょうな不思議な気品があるんですよ、ぅふふ」


「ああ、なるほど。なんかれくさいような、うれしいような。

でも、お話は、ちょっと複雑な気がするけど。あっははは」


「しんちゃんって、いま、26歳ですよね。

でも、こうやってお会いしていても、時々、16歳みたいに感じちゃうときがあるんですよ。

それって、なぜなんでしょうね!失礼な言い方で、ごめんなさい」


「失礼だなんてことないですよ。あっははは。

おれなんか、15や16歳のころの、感受性が1番に鋭くって豊かなころが、

おれにとっては、1番に人間らしい生き方をしていたと、いまでも感じているんですよ。

それだから、若く見られたって、それはたぶん、自然なんですよ。あっはは」


「はぁ、その考え方って、しんちゃんの哲学ですよね!すごいと思います!ぁっははは」


「そういえば、18世紀に生きて、56年間の生涯しょうがいの哲学者の、

フリードリヒ・ニーチェがこんなことを言っているんですよ。『人の物の見方みかたは、

人それぞれに違う。なぜなら、立場が違えば、見方は変わるし、その人の欲望でも、

ものの見方は変わる』ってね。こんな当たり前のようなこと、実は、15歳のおれでも感じていたけどね。

でも、ニーチェって人は、その15歳の感受性で、生涯、人生について考え続けた人だったんですね。

おれは、そんなニーチェに共感するんですよ。

自分の感性に誠実で、世の中の権威や価値観に反抗するところなんかは、

まるでロックンローラーの精神の元祖がんそみたいですよ。あっははは。

こんなものの見方から、ニーチェは、『<物事には本質がある>という考え方は絶対ではない』とか、

『真理は何でもって証明されるのか?・・・要するに利益(つまり、わたしたちに承認されるためには、

真理はどのような性質であるべきかという前提)でもってである』とか言っているんですよ。

ニーチェの『神は死んだ』という言葉は有名ですが、ニーチェは、彼独特の、ものの見方から、

これまで絶対的な価値だとしていた宗教とかを、徹底的に批判したりしたわけです。

しかし、これまでの価値観を否定する態度は、ニヒリズムといわれていて、

確かにニーチェのような徹底てっていしたニヒリズムには、むなしさや暗さや虚無感を感じますよね。

ねえ、心菜ここなちゃん。あっははは。でも、ニーチェは、このニヒリズムを徹底させたその先に、

見えてくるものを『永遠回帰』の世界として詩に表現したんですよ。

ニーチェは『今のこの瞬間が永遠に回帰するって言うんです。

回帰って、1周してもとへもどるってことですよね。あっははは。

時間が流れることには意味がないって言うわけです。このおニーチェの考え方は、

キリスト教的な時間のイメージとは正反対なんですよ。キリスト教では、天地創造があって、

人類の進歩があって、ゴールに向かって、よりよく生きて、その歴史が終わるとき、

すべての人は審判を受けて、善人は神の国に入ることができるっていうことらしいですから。

ニーチェの場合は、そんなキリスト教の直線的なイメージとは正反対に、

円のイメージに近いんです。円には始点も終点もないんです。時間は進んでも進んでも、

どこにも近づいていないし、何からも離れていない。等しく無価値なような状態が永遠に続くんです。

ニーチェはこのような時間のイメージを永延回帰と表現したんですよ。

まあ、ニーチェは、哲学を芸術の一種と考えていた人なんです。

『哲学は論理の正しさがどうのこうのと言うものではないし、そもそも哲学は学問ですらない』

って言っています。『われわれ哲学者は芸術家と取り違えられるほうが、

うれしい』とも言っています。ニーチェは、第1に、人間はどうあるべきかとかの、

生き方こそを重要視するんですよ。

だから、論理がどうだからとか、真理だからという考え方はしないんです。

そうですよね。ニーチェは、ハナッから、論理も真理も、信用してないんですから。あっははは。

長々(ながなが)とお話しして、ごめんね!心菜ここなちゃん』


「いいのよ、しんちゃん。お話、おもしろいわ!!もっと、しんちゃんのこと知りたいし!」


 そう言って、心菜は微笑ほほえむと、おいしそうに紅茶を飲む。


「ニーチェには『超人』という考えがあるんですよ。代表作の『ツァラトゥストラ』には、

『人間は、動物と超人のあいだにかけわたされた1本のつなである』という一節があるんです。

『動物が進化して人間が生まれた。それと同様に、人間には進化の道筋の先に超人がある』っていう

イメージなんでしょうね。つまり、ニーチェは、『人間にはまだ可能性がある。

人間を乗り越えた先に、超人という、より人間らしい人間を想像したんでしょうかね!あっははは。

まあ、ね、心菜ここなちゃん。おれら、みんな、超人になれない、発展途上の人間なんだから、

おれでも、ニーチェさんでも、欠点だらけなんだろうけど、おれは、ニーチェは好きだな。

もう2年前になるけど、第2回目の下北芸術学校の公開授業で、

清原美樹ちゃんが、ニーチェについて語ってくれて、それから、おれもニーチェが好きなんだよ。

あっははは。ニーチェは、最終的に、芸術的な生き方を提唱しているしね。

わたしたちは、誰もが芸術家ではないかもしれないけれど、実はこの世界を生きることは、

いつでも困難にも価値を見つけるくらいのポジティブ(肯定的)さで、

自分の新しい価値観を作ることだったり、クリエイティブ(創造的)なことだったりするんだと、

ニーチェは言ってるんです。

いつも子どものように喜んで、高みを目指して、

夢や希望を捨てないで、気高けだかく生きていこうって言っているんですよ。

自由な人生、希望に満ちた人生、自分で自分を認める人生、楽しい人生とかを実現するための、

芸術的な生き方をしていこうってね!」


「すてきだわ!ニーチェがすてきというよりも、しんちゃんが、すてきだわ!」


「あっはは。ありがとう、心菜ここなちゃん。でもさあ。ニーチェの言う

『世界のあらゆる価値観は、わたしたちの解釈かいしゃくのうちにある』って、

『権力の意志』っていう著書でいっているんだけど、そんなふうに、絶対的な真理や価値観などが、

存在しないとなると、いったい、おれたちは、何を頼りにしたらいいのかって、ふと思うよね」


「うんそうよね。ニヒリズムよね。いっさいが無意味と思えたりするしね、しんちゃん」


「そこで、おれは、思ったんだよ。ニーチェが、同じ時代に生きていた

ロシアの作家のドストエフスキーの『地下室の手記』を読んで、感銘したっていうんだ。

ドストエフスキーといえば、著書の『白痴はくち』の中で、主人公に、

『美は世界をすくう』という有名な言葉を言わせているんだけどね。

おれなんかも、バンドやったりして、芸術的なことをやっていると、

『美に出会う』とでもいうのかな、そんな瞬間があって、それに、人生のすべてをけても、

しくないような、幸福感というのか、充実感というのか、快感かな、愛かな、

神秘的で偉大な何かの力とでもいうのかな、そんなものが、

『美に出会う』とでもいう瞬間を体験することがあるんですよ。

心菜ここなちゃんも、マンガ描いていて、そういう瞬間てあるでしょう!?」


「あります。幸せな瞬間よね。そうよね、それって、美との出会いよね。ぅっふふふ」


「みんなが、芸術家っぽくなれば、そんな『永遠の美』とでも呼ぶような体験ができて、

世の中も、だんだん良くなるような気がするんだけどね。あっははは。

そういえば、美と出会う、そんな幸福感や高揚感っていうのは、若いころの誰かに恋して、

ときめいていたときの感じにも似ってるかな。あっははは」


・・・もう、しんちゃんたら、わたしが、あなたに、こんなに、ときめいているのに・・・


「そうそう、しんちゃんがモデルのマンガの主人公って、こんな感じなんです!

しんちゃんが、こころよく、承諾しょうだくしてくれるなんて、夢のようにうれしいです!」


 色彩もあざやかなイラストを、青木心菜ここなは差し出した。


「すげーぇ、カッコいいじゃん。それに、おれに似てるじゃん!あっははは」


「だって、しんちゃんがモデルのロックバンドのマンガだもん!」


「まあ、よろしくお願いします。心菜ちゃんのマンガで、おれも、バンドも超有名になったりして!」


 ふたりは、明るい声で笑った。


☆参考文献☆別冊宝島・まんがと図解でわかるニーチェ・監修・白取春彦・宝島社


≪つづく≫ --- 115章 おわり ---


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