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かせんかいだん

作者: 霜焼 雪 

 


 とある辺鄙な田舎町、土地だけあっても、近代化に追い付かない隔離された町。

 その町には、小さな小学校と中学校が、山林の奥地にひっそりと佇んでいる。

 最も近い民家でも、辿り着くまでに険しい山道を一時間近くかけて歩いてようやく到着する、根性論教育機関。

 そこは、小学校と中学校の全校生徒を合わせても、その総数百人足らずという、過疎化の象徴。

 そんな少子化の波を真っ只中に受けるこの田舎町だが、噂話や色恋沙汰に敏感であるなど、無数の羨望が巣食っている。

 そして、それほどまでに田舎田舎と自他共に蔑むこの町は、人との関わり合いが極めて密接である。

 人を小馬鹿にするような噂話や、人を貶すちょっとした笑い話は、水面に垂らした油のように素早く広がる。

 そんな狭苦しいコミュニティーの中で伝播した、田舎の七怪奇という話があった。

 小等部理科室の黒板を決まった回数上下させると、理科準備室にある標本が生き返る。

 職員用トイレの合わせ鏡を深夜に覗くと、自分の将来のお相手になる人間の顔が浮かぶ。

 赤い煉瓦の花壇を深く掘り返すと、そこには歴代校長の遺骨が埋まっている。

 取って付けたようなものから定番なものまで揃い踏み。

 しかし、その中の一つが、子供たちの好奇心を沸き立てる。


 中等部の血塗られた螺旋階段を昇ると、蝸牛に食べられて死んでしまう。


 所謂、禁止された行為を行うと死んでしまうタイプであり、無謀な者が飛び付き勇敢なものは立ち向かう部類のもの。

 前者も後者も問わず、人々を駆り立てる魅惑の果実。

 いつ誰がこのような名をつけたのかは知らないが、蝸牛の殻のように回る設計から、蝸牛が跡を残して旋回する階段という念を込めて、蝸涎階段。“かせんかいだん”と呼ばれるようになった。

 そんな生徒の注目の的となるべき“かせんかいだん”を 登り切った者は、未だにいない――――




 ◆◆◆◆◆◆




「本日の深夜二時、“かせんかいだん”に挑む!」



 体育館の裏という一種の溜まり場の聖地で、数人の男子が何かを話し合っていた。



「――――佐藤、本気か?」



 どうやら今回の集会の発起人は佐藤と言う名で、“かせんかいだん”に挑戦することを決意しているようだった。

 その様子を見ている三人の男子の内一人の顔は、決して乗り気と呼べるようなものではなく、佐藤を止めるべく声を上げた。



「なあ、止めようぜ?」

「なんだ鈴木? 怖くなったのか?」



 鈴木と呼ばれた生徒の声は弱々しく、確かに青ざめた顔をしていた。



「あ、あの螺旋階段は本当に出るんだって!」

「やけに怖がってんな。どうした?」

「だ、だってよ? あれの使用率が今に至るまでゼロっておかしいだろ? 非常用階段だぞ!」



 鈴木は二、三歩後退り、体育館の裏からも視認できる例の螺旋階段に向けて、右手の人差し指を突き出した。

 単純に力の入れ過ぎか、それとも恐怖心によるものか、鈴木の指は腕ごと小刻みに震動していた。

 その例の螺旋階段は、ペンキで真っ赤に染められており、遠目から見て解る程、白を基調とした校舎から浮いて際立っていた。

 その出入口となる地面と隣接した場所には、何か深い恨みでも込められているのではないかと疑っても不思議でない程に、鎖が何重にも統一性の欠片もなく、雁字搦めに縛られていた。

 二階、三階、そして屋上も同様に、人を決して寄せ付けないようにと、鎖がその出入口を固く閉ざしていた。

 しかし、それを見直し鈴木の言葉を聞いて尚、佐藤の態度は一切変わらなかった。

 何を馬鹿げたことを言っているのかと、憐れみの意を帯びた視線を鈴木に向けていた。



「恐いんなら来なきゃいいさ。その日に俺が、それがただ噂に過ぎないって証明する場面が見られないだろうけどな」



 佐藤の態度は依然として勇敢な開拓者気取りだった。

 そんな佐藤をどうにかして止めたいと、残り二人の男子に視線を送る鈴木だったが、その二人の男子は既に諦めているようだった。



「佐藤が行くなら僕も」

「高倉!? お前まで何言ってんだ!?」



 高倉と呼ばれた生徒はやけに乗り気だった。

 危険な目に合わせたくもないし、合いたくもない佐藤は、高倉と佐藤の行為で起きる影響を恐れて抑止力になろうとしていた。

 自己保護八割、他者保護二割の割合で、鈴木の行動理由は形成されていた。

 しかし、佐藤も高倉も、鈴木の言葉には耳を貸さない。

 正確には、鈴木の行動は裏目に出ていた。

 ただ恐怖心を煽るような言い方をしたところで、便乗した形の高倉は勿論、言い出しっぺの佐藤が止まるはずがなかった。

 進んで恐怖を打ち破り、勇気のある男として認められようなどと考えている者に、そのような恐怖心を掘り返すような言葉をかけることは、火に油を注ぐことと同義。

 そういう無謀な輩は、ハードルが高ければ高い程、やる気というものを発揮してしまうのは世の常である。



「諦めよう鈴木。あいつらは止まらないよ」

「宮川…………はぁ……」



 宮川と呼ばれた男は鈴木の肩に手を置いた。

 鈴木が諦めた様子を見て、宮川は鈴木の肩から手を離して一歩下がった。

 どうやら、今回の件には進んで干渉しようとしない、傍観のスタンスを決め込んでいるように見受けられた。



「決行は二時だからな、忘れず来いよ? いつもの四人で行くんだからな?」



 興奮気味の佐藤の一声で“かせんかいだん”についての話は終わり、彼ら四人は教室に戻るべく、中等部の校舎へ向かう。

 その際、一番恐怖心に飲み込まれ戦いていた鈴木は、校舎の横に存在している血の渦に目をやった。

 校舎に取り付けが開始された施工日、関係者の使用が開始された解放日、非常経路又は遊び場としての利用回数、螺旋階段が原因の死傷者、螺旋階段自体の破損、螺旋階段の存在意義、何もかもが一切不明――――

 そんなことが鈴木の頭の中をぐるぐると駆け巡る。

 点検や手入れをしているところを、鈴木のみならず沢山の生徒が目撃している。

 それも、一度や二度ならず、何度も何度も。

 それ故に、螺旋階段に錆や塗装の剥がれは見つけることが難しい。


 それでも、螺旋階段は使用禁止である。


 鈴木は生唾を飲み込んだ。

 ゴクリと鳴った喉が、じわじわと唾を胃へ流し込んでいくのを感じた。

 嫌な予感、悪い予感、不吉な予感、不幸な予感、そららが鈴木の頭の中を支配していく。

 一方、今回の計画を企てた張本人である佐藤は、鈴木とは対照的であった。

 オカルト現象は信じない、心霊現象的類いはあり得ない、それを自らが体を張って証明する。

 目立ちたがりの佐藤にとっては、独壇場とも言える絶好のステージに加え、鈴木が周囲の恐怖心を駆り立てる。

 鈴木の忠告は佐藤にとって、成功の報酬が上がる舞台を整えてくれただけにすぎない。

 佐藤は標的の螺旋階段を、宣戦布告の意を籠めて睨みつけた。




 ◆◆◆◆◆◆




 佐藤の決起集会から半日程経過して深夜二時となり、その螺旋階段の前には既に四人が集まっていた。



「何だよ鈴木、逃げなかったのか?」

「みんな行くんだろ? 俺だけ残るってのも後味悪い」



 鈴木の顔はまだ青ざめたままだったが、身体の震えは収まっているようだった。

 そんな鈴木を気遣うという名目でからかっていた佐藤は、鈴木から意識を残り二人に向ける。

 その二人の表情は、鈴木とは全く別の好奇な表情。



「乗り気だなお前ら」

「鈴木と比べたら、そりゃあな」

「俺はあくまで高見の見物だ。登る気はない」

「進んで見物を申し出る辺り、何だかんだで宮川も楽しんでるね」



 佐藤、高倉、宮川の三名は笑いあっていたが、どうしても鈴木だけそこに入ることはできなかった。

 楽観と悲観、ポジティブとネガティブ、増長と畏縮。

 今回の作戦を、多小なりにも差はあって是と思っている者が三人おり、絶対的な非として受け取っている者が一人という状況。

 決して、少数の意見が埋もれることなく、恐怖感は周囲に充満している。



「じゃあ、開けるぞ」



 佐藤はやけに古ぼけた鍵を取り出した。

 その鍵の錆び付き具合たるや、階段の口を縛る鎖についた南京錠とほぼ合致。

 佐藤は南京錠の穴に鍵を突き立て、迷いなく差し込んだ。

 ギギギと、実に滑りの悪い摩擦音が、四人に至極の不快感を与える。

 そうした感情を振り払うように、佐藤は勢いよく鍵を回した。

 決して滑らかとは言い難い鍵穴の回り様は、錆が必死に噛み合って、開くことを拒んでいるようだ。

 佐藤はそれを力ずくで、錆の抵抗をいとも簡単に捩じ伏せ抉じ開けた。



「行こうぜ」



 大口を開けた螺旋階段を登ろうと、佐藤と高倉は一歩踏み出した。

 それをただただ見ている自称傍観者の宮川と、二人の無謀な挑戦者による影響からの無事を祈る鈴木。

 彼らの誰一人として、この場から離れようと考えもしなかったのは、四人の仲の絆という見えない鎖が絡まっているからだろうか、いや違う。

 十中八九、逃げの選択肢が思い付かないだけだろう。

 恐怖心に支配され動揺に飲み込まれている者や、好奇心が躍動し臨場感に身体を浸している者の中に、まともな考えが生まれる者がいようものか、いや、いるはずがない。

 第三者の視点からすれば、四人は等しく愚か者である。



「き、気を付けろよ」



 鈴木と宮川は階段を登り始めた二人に声をかけたが、二人はその声を聞き流す。

 深夜の暗闇と、夏特有の湿気を孕んだ夜風。

 錆の抵抗に不快感を与えられたばかりだが、佐藤も高倉も更に強烈な不快感を擦り付けられていた。

 用意してきた懐中電灯で足元を照らしながら先導する佐藤。

 高倉はというと、足元を照らす役目を佐藤に任せ、至近距離では初めて見るこの“かせんかいだん”をまじまじと、舐めるように観察していた。

 カツン、カツン。

 勇敢な生徒のスニーカーが、鉄製の階段を楽器のように音を打ち鳴らす。

 暫くして、二階の出入口を確認した佐藤はそれを高倉に伝えたが、そこで高倉が違和感に気づく。



「――――まだ、二階?」



 その呟きは、佐藤に初めて違和感を認識させた。



「確かに、遅いな」

「少なくとも、二階どころか三階に達していてもおかしくないよね」



 佐藤は思わず手摺から身を乗り出し、地面との高さを再確認する。

 そこから見えるのは、一回の入口手前で待機している宮川と鈴木の姿。

 その光景に何ら違和感はない。

 二階から見下ろしたような縮尺は、何の疑問点も抱けない。

 しかし、二人の疲労感と消費時間は、その光景に見会わなかった。



「ぐるぐる回ってるからかな、異様に疲れたね」

「そういうものなのか、螺旋階段は」



 佐藤も高倉も、生じた違和感を螺旋階段の性質として自分自身に言い聞かせた。

 決してそれが心霊現象の類いなどではないと、誰かに向けて弁明するように。

 佐藤が二階からさらに歩を進め、高倉もそれに続く。

 佐藤は数段登ったところで、手摺の気味の悪い粘着感に顔をしかめた。

 その正体を確かめようと右の手のひらを広げると、そこには透明な粘液がベットリと、指と指の間に大きな水掻きを形成するように張り付いていた。



「うえっ、汚ぇ!」



 佐藤は持ってきていたペットボトルの水を右手にぶちまけ、必死に指と指を擦り合わせ、不快感を全力で取り払う。



「げぇ、気持ちわりぃ」

「誰かの痰かな」



 全くだと佐藤は呟きながら、残った水分を服で拭い取った。

 その時、まだ彼らは自分の発言と状況に何の矛盾も感じ取れていない。



 完全に出入り口が塞がれた階段の中腹に、どうやって大量の唾を手摺につけることができようか。



 そんな単純なことにも気づかない彼らは先に進む。

 恐れを感じようとせず、その表立ち始めた感情に気づかず、都合の悪いことは見ようとせず、ただただ前進。

 何の違和感も感じないはずなどないのに、彼らは止まれないし、戻れない。

 そんな事実を認めることなく、彼らは三階に辿り着いた。

 その疲労感たるや、三階分の階段を全力で駆け上がってもまだ足りぬ程で、運動量に見合わぬ気持ちの悪い汗もかいていた。

 額から滴る高塩分の滴が、鼻頭をなぞりながら口内へと侵入を試みていた。



「あと、一階だね」



 高倉と佐藤は息を上げて上を見上げる。

 後数回、後数十段、あと数メートル、彼らが自らに課した課題の目標を、彼らは確りと視認できる。

 それなのに、汗は止まらず湿り気は一層増し、彼らの気分は悪化する一方だった。

 べたつく汗は、最早粘ついていると言っても問題はない。



「――――よし、行こう」



 佐藤は一歩一歩、歩みを進める。

 カツン、カツンと、足音が無機質なリズムを刻む。

 カツンカツンカツンカツン。

 カツンカツンカツンカツンカツンカツンカツンカツン――――



 ずぷり。



「っ――――――――」



 とても形容しがたい感覚、今まで踏んでいた階段とは違う足の裏の感触に佐藤の肌全てが総立ちした。

 強固な鉄製の階段が、途端に軟体な物体に豹変したようだった。



「ど、どうした佐藤?」

「いっ、今――――」



 佐藤は足場の状況を説明しようと、高倉のいる段まで降り、先程まで自分が乗っていた団を指さした。

 しかし、その階段に変わったところは見られなかった。

 ずっと見続けた赤い段、鉄で作られた強固な段。

 佐藤の突然の慌て様を、高倉は鼻で笑った。



「何だよ佐藤、今更になって怯えるなんて」



 怯える――――?

 佐藤の頭になかった――あったとしても見ないふりをしていた――単語が、途端に佐藤の頭の中を支配していく。

 今まで封鎖されていた立ち入り禁止区域、突如自分の身に降り注ぐ気味の悪い感触、真夏の夜独特のじめっとした多湿な涼風、人一人分の幅と高さが保たれた閉鎖空間、階段の隙間から見える三階からの俯瞰図。

 禁忌、不快、暗所、閉所、高所。

 今まで佐藤の中にあった“恐怖”という概念が、蓋を抉じ開け溢れ出す。

 何故今まで気付こうとしなかったと責め立てる幻聴。

 振るえ出す四肢、音を立てて擦りあう歯、開き切る瞳孔、汗腺から滲み出る汗。

 平常を維持しようと努めていた城壁という佐藤の精神は、食い破られ風化したように瓦解していく。

 その崩れた壁の隙間から、ドロッとした液体が流れ込んでくる。



「うぷっ」



 佐藤に襲いくるは嘔吐感。

 立ち止まっていることができない程の精神の逼迫。

 思わず階段であることも忘れて両膝と片手をついた佐藤。

 それを心配した高倉はそっと佐藤を覗き込んだが、



「お、おい、佐藤――――」



 その時、佐藤の視界に現れたのは、艶やかな粘液を纏ったブツブツの表皮を備えた異形の――――蝸牛。



「…………う、うわあ、ああああ、あああああああああああああああああああああああああ――――」



 佐藤は高倉を振り切るように走り出した。

 振り切ろうとしているのは高倉だけでなく、佐藤自身に襲いくる感覚すべてに対してなのかもしれないと、高倉にそう思わせる程に佐藤は恐怖に染まっていた。

 佐藤は一心不乱にがむしゃらに、形振り構わず遮二無二に、階段を駆け上がって辿り着いた、鎖だらけの屋上への入り口。

 その鎖を掴んで、佐藤は叫ぶ。



「た、たすっ、助けろよぉ!!」



 お門違いな頼みごと、誰に向けたのかも解らない懇願。

 焦燥感と恐怖心に支配された佐藤の言動は、狂った者のそれと大差ない。



「……い…………事しろよ、佐と………」



 階段の遥か下から聞こえる呼び声。

 佐藤の耳に辛うじて届くも、佐藤の現在の精神状態で理解する余裕はなく、呼びかけは虚しく闇に溶けていく。

 たかが三階程度の離れで、声が闇夜に紛れることなどまずありえないのだが。



「助け、助けて――――」



 後ろから迫ってくるのは、高倉であった異形の蝸牛。

 前にしか逃げ場はないと、そうとしか考えられずにいた。

 そんな窮地に追いやられた佐藤を見かねたのか、鎖を閉じていた南京錠が突然壊れた。

 なんでいきなり壊れたのか、そんなことを考えるどころか、ようやく引きちぎれたなどと全く的外れなことしか考えられなかった佐藤。

 佐藤は“かせんかいだん”を登りきり、屋上に到達した、してしまった。

 三階を駆け上がった程度では贖いきれない疲労感と、今まで何とか耐えきってきた嘔吐感に屈して、再び崩れ落ちた佐藤。



「――――はっ、はぁっ、はっ、ははっ、はははははははっ」



 大きな呼吸が笑いに変わる。

 達成感が恐怖感を塗りつぶしたが故の破顔。

 証明してやった、成し遂げてやった。

 そんな優越感が佐藤を恐怖という沼から掬い上げる。



「あははははははははははははは――――ぐえっ」



 しかし、忘れてはいけない。

 いつの時代だって、安堵の先に恐怖は大口を開けて待っている。



「あ、ぎゃ――――」



 佐藤の背中に、ぬったりとした粘膜を帯びた塊が、佐藤を押しつぶそうと圧し掛かっていた。

 圧し掛かられた反動で四肢は砕け、肺に溜め込まれていた空気は圧迫され放出された。

 あまりの苦しさにのた打ち回りたかった佐藤だが、背中にへばりついた物体がそれを許さない。

 その正体を、佐藤は首をぐるりと曲げて視認した。



 そこにいたのは、先程の高倉が変貌してしまったかのような、異形の蝸牛。



「ひっ――――」



 佐藤は抜け出そう足掻きに足掻き、もがきにもがいて、死にもの狂いの行動をして、結局意味はなかった。

 佐藤の背中に乗っている物体は、佐藤を引きずって階段まで戻っていく。

 佐藤の自尊心と虚栄心を崩壊させ、恐怖心と羞恥心で埋め直したあの“かせんかいだん”へ連れ戻されていく。



「い、いやだ!! 戻りたくない!! 誰か、誰か――――」



 救済を希う佐藤。

 その姿は実に滑稽で、“かせんかいだん”をただの噂だと証明しようとしていた者の末路とは到底思えない。

 そんな憐れな佐藤を飲み込もうと、螺旋階段の中心部分に穴が開く。

 蝸牛の殻に飲み込まれるように、佐藤は引きずり込まれていく。



「助け、たす――――」



 佐藤は助けを求める声は、最後まで誰にも届かなかった。

 佐藤の声は闇夜に溶け、体は階段に溶かされる。




 ◆◆◆◆◆◆




「あれ、僕、なんでこの階段に登ってるんだっけ?」

「おーい高倉! 何やってんだよ!」

「そ、そこ! “かせんかいだん”だぞ! 早く降りて来いって! そこは出るんだって!」



 ――――おい、待てよ――――



「うーん、気づいたら登ってた……ていうか、宮川に鈴木も何でここに?」

「ん? そういやそうだな。こんな不気味なところ、好き好んで寄りはしないが」

「なあ、さっさと帰ろうぜ」

「だな」

「あ、うん、そうだね。どうせ“いつもの僕ら三人”しかいなさそうだし、帰ろうか」



 ――――待てって――――



「だな。あんまり他の奴とはつるまないもんな」

「無茶したがりの高倉と宮川だけで手一杯だっての!」

「臆病者は鈴木だけで満足だな」



 ――――置いてくなよ――――



「それにしても……」

「どうした高倉?」



 ――――俺を、忘れるなよ――――



「相当不気味だなって思ってさ、ほら見ろよここ」

「ん?」



 ――――そうだ、そこだ、俺をよく見ろ――――



「“佐藤”なんて名前と顔の絵がさ、一番下の段に刻んであるよ。よっぽど恨まれてたんだろうね」

「うっわ、彫刻刀とかでペンキだけ剥がしたのか……? “見たことねえ顔”だな。それにしてもうまいなこれ」



 ――――何言ってんだよ、俺は――――



「ぺっ、気持ち悪ぃ」

「おい鈴木、唾を吐くなよ汚らしい」

「早く帰ろうぜ」

「まさしく“蝸涎階段”だな。唾まみれにしてようやくその名の通りだ」



 ――――あは、はははは――――



 佐藤は階段の一部になった。

 一番下の段となることで、佐藤の意識は保たれていた。

 “かせんかいだん”を登り切った者は誰もいない。

 この世から存在が解けるように消されてしまうから。

 そして、階段はまた一つ段差を新たに形成し、螺旋回数を増やして伸ばしていく。

 “かせんかいだん”は、蝸牛が跡を残して旋回する階段という念を込めて“蝸涎階段”であり、その本質は、蝸牛に捕食されたものが階段の一部となり螺旋回数を増加させる“加旋階段”であった。


 “かせんかいだん”を登り切った者はいない。

 “かせんかいだん”は大口を開けて待っている。

 新しい愚かな挑戦者を、自らの一部とするその時を。

 もしかすると、現存する螺旋階段のどれかは、この“かせんかいだん”と同じなのかもしれない――――

 この物語はフィクションです。登場する人物、名称などは、実在するものと一切関係ありません。


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