エプロン系幼馴染
藍に急ぎで伝えたいことがあるのならば、スマホのチャットアプリを介するよりも、彼女の実家ならびに定食屋である『食事処おりべ』に向かうのが最適解だ。
何故ならば、平日の放課後における藍の行動は、定食屋のキッチンで鍋を振るっているか、そうでなければ実家のキッチンで夕飯を作っているかの二択に絞られるからだ。少なくとも、そのどちらでも藍の尻尾も捕まらない、という事態にはまずならない。重ねて言えば、藍は作業中スマホを触ることができないため、口伝いにしてしまったほうがかえってレスポンスが早いのである。
織部家の住居部分と『食事処おりべ』は内部構造で繋がっている。藍がどちらにいるか分からない時、索理は大抵、定食屋の方から順に顔を出すようにしていた。理由は単純で、店には織部家の誰かしらがほぼ確実にいて、それが藍ではなくとも、行方を訊いて確かめることができるからだ。
夕食時にはまだ少しばかり早い。来客はなく、キッチンには一人分の下半身が見える。夜営業のための仕込みをしているようだが、腰から上は暖簾に隠されていて、それが織部家の誰なのかはめくってみるまで分からない。
「ちわー」
遠慮なく暖簾をくぐって気安い挨拶をすれば、そこにいたのは藍だった。制服の上から麻製のエプロンをかけ、ぐつぐつと沸く鍋をお玉でかき混ぜている。
「およ、サクだ。ようやく起きてきたんだね。お腹空いちゃったの? お弁当なら二人で食べて余ったけど、保冷剤も持たなかったし、夏だから傷んでそうで捨てちゃったよ」
「そういう目的で来たわけじゃないんだけど、確かにお腹は空いてる」
今日の索理の昼寝は拡大版で、昼休みをまるごとスキップしてしまっている。脳が睡眠を欲していたので仕方のないことだったのだが、藍が手をかけて作ってくれている弁当を食べられなかったことにはかなり後ろめたさがあった。それもこれも、食欲と睡眠欲を同時に解消することができない人体の構造が悪い。
「たまにはうちで食べていく? ちょっと待ってね、今日の分の仕込みが終わったら取り掛かれるから」
「いや、帰ったら母さんの夕飯があるだろうし、また今度にするよ。近々みんなで食べに来ようと思う」
「かぁ。それならどうして──あ」
言いかけて、小さな声の気付きと共に、鍋を攪拌する手がぴたりと止まる。自然な笑顔を浮かべていた顔が崩れ、表情がぴきぴきと凍り付いていくさまを目の当たりにした。
未有と藍たちが話したのは、今日の昼休みのことだったらしい。十中八九、その口からは未有の名前が出てくると思われた。
藍に会話の舵を握られる前に、索理は自分の方から率直に切り出した。
「今週の土曜って空けられるかな。午後だけでいいんだけど」
「ふぇ? あ、ええと、店の手伝いをする予定だったから許可とってからになるけど、多分大丈夫じゃないかな」
思い至ったであろう話題とは違う話を索理が切り出したので、藍は鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くしていた。
「休日だけど、手は足りてるかな」
「今年は夏の限定メニューがあんまり刺さらなかったみたいで、土日もそこまで忙しくないんだ。考案者のお父さんは凹んでたけど」
「今って何やってるんだっけ」
「すだちそば。ひんやりさっぱりで納涼がコンセプト」
「それは……定食屋にしてはかなり攻めたね。普通のそばも置いてないのに」
「暑さを忘れられて美味しいんだけど、そばを食べたいって人はうちよりも専門店に行っちゃうんだよねぇ。果たして仕入れたすだちは使い切れるのやら」
藍はやれやれ、と大げさな仕草で頭を悩ませたあと、それで、と脱線しかけた話題を引き戻した。
「予定空けるのはいいけど、何のお誘いなのかな? というか珍しいね、サクの方から誘ってくるなんて」
「もしよかったらカラオケ行かない? 最近一緒に行けてないし。確か真宵も予定が空いてるはずだから、このあと誘おうと思ってる」
「カラオケかぁ、確かに、最後に一緒したのって中学の卒業の時だっけ。しばらくサクの歌声聞いてないかも」
「あの時も人数が多くて、あんまり順番回ってこなかったしね……楽しかったけど」
索理は当時のカオスぶりを思い返し、苦笑いを浮かべる。
「実は、今週末まで限定のスイーツもやっててさ、半分はそれが目的なんだけど、藍も食べたくない? パイナップルのパフェだって」
「パフェかあ……うーん」
前向きに検討しているように見えた藍は一転、表情を曇らせて視線を下げた。
「えっと……あんまり興味ない?」
「そ、そんなことないけどねっ」
把握していないアレルギーでもあっただろうか、と幼馴染としての自分の記憶を疑いかけたのだが、その間に藍はふにふにと、服の上から自身の脇腹をつまんでいる。
かと思えば、藍は自分にしか聞こえないような小声で、何かをぶつぶつと呟き始めた。
「一杯くらいなら……いやでも今年はサクとプールに……全力で歌えば実質カロリーゼロかな……」
「藍?」
「……いっそわたしは食べないとか……それは流石に盛り下がるよね……せっかくのサクからのお誘いなんだし、ここは……よし!」
決意の声と共に、縮こまった藍の両手が万歳になる。その目はメラメラと燃えていた。
「サク! 行くからには全力で食べて全力で歌うよ!」
「う、うん、もちろん。じゃあ、十三時に街集合でよろしくね」
何やら挙動不審な藍ではあったが、無事に約束を取り付けることはできた。
藍はまだ仕込みがあるようなので、仕事の邪魔にならないよう、索理は早めに退散することにした。




