夕暮れの教室と地雷ぼっち
黒河未有のアンニュイな目元には、初めて見た時から目を奪われていた。
いや、目元というのは間違っているかもしれない。正確には、彼女が普段からしているメイクに、だ。
目尻に向かうにつれて瞼の軌道を逸脱するアイラインに、それをさらにはっきりと強調するつけまつげ。そんな目尻から涙袋までを、強烈な赤色のアイシャドウが彩る。まるで泣き腫らしたあとの目を再現したかのようだ。黒目がちな瞳は間違いなくカラーコンタクトで面積が水増しされている。
一つ一つを取ってみれば、そのどれもが未有の顔に違和感を生み出しているように見える。だがその全てが絶妙なバランスで噛み合った結果、彼女のメイクは通常のバランスを超越した土台の上で、綺麗なつま先立ちを成し遂げていた。
眉下でぱっつりと切り揃えられた前髪の下で、未有の双眸は世界を妬むかのような視線を繰り出している。そんな様子に、夕木索理は気づけば目を奪われていた。
教室の窓からはオレンジ色が差し込んでいる。高校生は暇ではない。既にほとんどの生徒は教室を去り、部活や遊びといったそれぞれの予定に向かっていった。
索理はというと、単に授業中の眠気をこんな時間まで引きずってしまっただけで、普段ならば帰宅しているような時間帯だ。西日が差し込んできたことでようやく重い瞼を持ち上げることに成功したのだが、教室に残っているのは索理だけではなかったのだった。
未有は窓際にある自身の席で頬杖をつき、机に置いたスマホの画面を頻繁に操作している。彼女がそうしているのは珍しいことではない。授業中を除いて、未有はいつも外界との交流をシャットアウトし、スマホに熱中している。ただ、索理はいつも早々に帰宅してしまうので、彼女がこんな時間まで残るタイプなのだとは知らなかった。
未有に他人との関わっている様子がない原因は、彼女の態度のみならず、その容姿にも一因があるだろう。
彼女がしているのは、所謂地雷メイクだ。見る人に危うさや病的なイメージを抱かせ、あたかも精神的に不安定で、近づけば最後取って食われると思わせるだけの威力がある。メイクのみならず、重めの黒髪をハーフツインにまとめる大きなリボンや、夏の暑さを感じていないかのようなカーディガンが未有の異質さを際立たせている。全体的に黒とピンクでまとめられているその姿は、そういった人種に苦手意識を持つ人からすれば、絶対に関わり合いになどなるまい、と避けられること請け合いだ。
もちろんそれを可愛いと感じる人がいるのも確かで、索理はその一人だ。だからこそ、索理がその魅力に引き込まれたのは、自然なことだったのかもしれない。
夕暮れの教室内には、二人の他に誰もいない。思わずじろじろと不躾に観察を続けてしまっていた索理を、スマホから視線を上げた未有がいずれ察知することもまた、自然なことだった。
「……何?」
「い、いや……ごめん」
「ごめんじゃねーし……人の顔じろじろ見といて、なんか用かって聞いてんの。てか誰だっけ」
「あー……その、えっと」
いきなり声を掛けられ、索理は言葉に詰まる。
初めて声を聞いたかもしれない。教室で誰かと話している姿を、少なくとも索理は見たことがなかった。思ったよりも甘っとろい響きを生み出したその口に、索理は僅かに息を呑んだ。
ただ見とれていた、と正直に言ったら、ため息をつかれるだろうか。
「はっきり言ってくんない?」
「は、はいっ」
しどろもどろになっている索理に、未有はより直接的に、尖った口調で責め立ててくる。たまらず、索理は本音を口にした。
「そ、その……メイクっ」
「あ? メイク?」
「そう、そのメイク、いいなって……」
「メイクって、この地雷メイクのことかよ」
未有が不機嫌そうに、頬杖をついた手から指を一本、自らの目元に向ける。
「あんたのメイクってそういうタイプじゃなくね? 優等生タイプっていうか、ナチュラルメイクってやつだろ」
「えっと、本当はそういうメイクがしてみたいんだけど、上手くまとまらなくて……これは、唯一自然にできるやつだから」
「ふーん……」
索理がうろたえている様子に、未有は品定めするような目を向けてくる。
「……この顔好きなん? あんまそういう風には見えないけど」
そう聞かれてしまうと、反応に困る。思春期真っ只中の高校生にとって、その言葉はそれなりに重い。
「な、なんていうか、人を寄せ付けないような雰囲気に憧れてて……あっ、それに、単純に可愛いとも思うよ。やっぱり人間の顔で一番大事なのって目だと思うし、その武器を最大限に研いでる感じがする、っていうか」
索理はどうにか『好き』の二文字を避けつつ、視線をあたふたと彷徨わせながら言い訳のように舌を滑らせる。その様子を見て、未有は片方の眉を下げて訝しげな表情を浮かべた。
「なに焦ってんだ。まあでも確かに、一番時間かけてやるのはやっぱ目だわな」
「だよね? でもその肝心の目元が上手くいかなくて……だから、黒河さんのことはずっと気になってた。理想のメイクだなーって、時々観察させてもらってました……ごめんなさい」
索理がおずおずと頭を下げる。呆れた声が飛んでくると予想していたのだが、未有は頬をかきながら目を泳がせていた。
「別に謝る必要はねーけど。メイク褒められて悪い気はしねーし……まあぶっちゃけ地雷メイクとか、最低限の元が整ってればほぼ誰でも似たような顔になるしさ。あんたの顔でもサマになるとは思う」
「ほ、ホントですか?」
「何故に敬語。地雷メイクがしたいなら教えてやってもいいが、ここじゃ無理だな。直す用にはアイラインしか持ってきてねー」
「今度で構わないから! と、とりあえず今は、近くでじっくり観察させてもらってもいい?」
「減るもんじゃねーし勝手にしな。あたしはスマホ触ってるから。夕方だし、乱れてねーといいが」
本人の許可が下り、索理は改めて未有の顔を正面から見つめた。
「なるほど、いくら地雷メイクとはいえ、涙袋に乗せるラメはあんまり多すぎない方がいいのか……そこはナチュラルメイクと通ずるところがあるかも。あー、でもやっぱりアイラインの正しい場所が分からないんだよなあ。瞼に沿って引くんじゃないから、どうしても自分の角度が分からないし、どこまで引いたらいいのかも分からない……そしてこの、白目部分とのぼかし技術、これはもう芸術の域では……」
「おい、なんか近、ってか近すぎ、顎掴んで持ち上げるなよスマホ見られないだろ!?」
観察に集中するあまり、索理は無意識に未有の頬に両手を添え、観賞用の壺でも見るかのように扱ってしまっていた。たまらず声を上げた未有から離れると、彼女の頬は僅かに紅潮していた。
「ご、ごめん……つい」
「まあいいけど。ところでさ、あんた名前なんだっけ。オナクラだよな?」
「うん、同じクラスの索理です、夕木索理」
「夕木、夕木っつーと……あ? 夕木!?」
未有は突如席を立つと、クラス名簿のある教卓へと走り寄る。ファイリングされた名簿に目を通すなり、未有は索理の顔に指を突きつけ、驚きの声を上げた。
「お、おまっ、お前……」
その驚きようたるや、まるでお化けでも見つけてしまったかのようだ。お化けが出るにはまだ早い時間だし、もちろん索理はお化けなどではないのだが、目いっぱいに開かれた目と口に、索理は苦笑を返すしかない。このクラスに振り分けられた当初は一日に何度も向けられてきた驚愕だ。ただ、彼女が索理を含めたこのクラスの人間にまったく興味を向けていない、という事実が分かっただけのこと。
すなわち──
「お前──男じゃねーかよっ!!」
頬を引きつらせた未有の甘ったるい声が、空っぽの教室に反響した。




