第四十六話 佐山 実
進化の力をめぐる戦いが激化し、
敵も味方も、いつ死んでもおかしくない世界になっていた。
それでも仲間だけは――守れると信じていた。
その小さな希望が、あるニュースの一言で粉々に砕け散る。
第四十六話は、戦いの残酷さと向き合いながら、
それでも前へ進もうとする哲郎たちの姿を描く。
読んで頂けると幸いです。
「本日未明、また新たな殺人事件が発生致しました」
「被害者は佐山実さん、三十五歳、会社員」
「仕事帰りに何者かに刃物のような凶器で襲われた模様」
「犯人はいまだ逃走中」
「出来るだけ一人で行動することなく、外出も控えるようお願いします」
テレビから流れるアナウンサーの冷静な声は、部屋の空気を一瞬で凍りつかせた。
ガシャン――。
哲郎の手からマグカップが滑り落ち、床にぶつかって砕け散る。熱いコーヒーが広がり、黒い染みがじわじわと床を侵食していく。
「大丈夫?」
キッチンから敦子の声が飛んできた。だが哲郎は返事をすることもできず、ただ硬直したまま立ち尽くしていた。
「ねぇ、哲郎。どうしたの?」
敦子は慌てて駆け寄り、哲郎の肩に手を置いた。彼の顔は血の気を失い、青白く、目は焦点を失って宙を泳いでいる。
「大丈夫?どこか調子悪いの?」
敦子は不安に駆られ、彼の身体を揺すった。
「……佐山さんが……死んだ……」
哲郎の唇から、かすれた声が漏れた。
敦子は息を呑み、言葉を失った。
「嘘……だよね?」
テレビはすでに別のニュースへと切り替わっていた。だが、耳に残ったあの一言は、哲郎の心を深く抉り続けていた。これまでの戦いでも犠牲者は出ていた。だが、昨日まで共に笑い、共に戦った仲間の死は、哲郎にとってあまりにも重すぎた。
二人は部屋を飛び出し、水島統括のいる部屋へ走った。扉を開けると、そこには山本の姿もあった。
「ニュースを見たんですね」
水島が静かに声をかける。
「はい……」
哲郎の声は震えていた。
「嘘……ですよね?」
必死の問いかけに、水島は首を横に振った。
「そんな……だって昨日、一緒に本部まで帰って来たんですよ……」
哲郎の目から涙が溢れ落ちる。
佐山との付き合いは長くはない。エヴォルドに入り、東京本部へ来る少し前からの仲間だ。だが、死線を共にくぐり抜けた戦友であることに変わりはない。
「哲郎さん、気持ちはわかります。我々も同じです」
山本が慰めるように声をかけた。
「リディーマー……いや、ブルミシアを何とかしないことには、この惨劇は続きます」
「そんな……佐山さんが亡くなったばかりなのに……」
哲郎は感情を抑えきれず、戦いよりも仲間の死を悼むべきだと訴えた。
「哲郎さん!」
山本は哲郎の両腕を掴み、真っ直ぐに目を見つめた。
「佐山だって、こうなることを理解して我々と共に戦っていたんです」
「それに、佐山だけじゃない。他にも命を落とした隊員はいる」
「今ここで感情に負けて逃げてしまったら、佐山たちの死はどうなるんですか!」
山本の目にも涙が滲んでいた。佐山とは十年以上の付き合いだ。新人のころから名古屋で面倒を見てきた。彼の死が胸を裂くように痛くないはずがない。
「哲郎さん、敦子さん」
水島が口を開いた。
「これが現実です。そして我々は進化の力を悪用し、人を殺す組織と戦っているのです」
「もう一度聞きます。我々に力を貸して頂けますか」
その声は静かでありながら、確固たる意志を宿していた。
哲郎は敦子の顔を見た。敦子は何も言わず、ただ強くうなずいた。
「戦うことは嫌いです!」
「ですが、進化の力は僕たちが望んで手に入れたものではありません」
「その力をどう使うかではなく、否定し、そして力を持った人を殺すリディーマーとブルミシアを許すことは出来ません」
水島は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。気持ちの整理も必要でしょう。一度部屋で落ち着いてください。後ほど呼びに行きますので、その時に今後の方針を話し合いましょう」
哲郎はうなずき、扉へ向かった。だが振り返り、水島に問う。
「良くない考えだとは思いますが……かたき討ちできますか?」
水島は首を横に振った。
「気持ちはわかりますが……」
その言葉を遮るように、哲郎は答えた。
「ありがとうございます」
そして部屋を後にし、自分たちの部屋へ戻った。
敦子が不思議そうに問いかける。
「なんでさっき『ありがとう』だったの?」
床に広がったコーヒーを拭きながら、哲郎は答えた。
「もし水島さんが『かたき討ちできる』と言ったら、僕は私怨で人を殺してしまうところだった」
「だけど、水島さんが首を振って止めてくれた。だから……ありがとうなんだ」
哲郎は再び悔しさに涙を流した。敦子は黙って彼を後ろから抱きしめた。
そこに言葉は必要なかった。
ただ、悔しい。
だがその悔しさをぶつける場所はどこにもない。
哲郎の震える背中を抱きしめながら、敦子もまた、かけるべき言葉を見つけられなかった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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