第四十話 勧誘
黒髪の女性――ブルミシアが、ついに哲郎と敦子の前に姿を現す。
彼女の問いは、人間に進化の力が必要かどうか。
哲郎と敦子は、精神的成長こそが真の進化だと訴える。
だが、ブルミシアの瞳に浮かんだのは失望と冷たい敵意。
勧誘は決裂し、残されたのは深まる闇と、迫り来る脅威だった。
読んで頂けると幸いです。
薄曇りの空の下、ブルミシアは静かに佇んでいた。
人間の世界に降り立ち、街を歩き、目にしたものは──欲望、欺瞞、無関心。
彼女の瞳には、冷たい光が宿っていた。
「やはり……人間に進化の力は早すぎた」
ブルミシアは思考を巡らせていた。
人間は自力で次の段階へ進むべき存在。
その過程を経ずに力を与えられた者は、未熟なまま暴走する。
ならば、今までに与えてしまった進化の力を──処分しなければならない。
田辺哲郎。
彼はブルミシアが直接進化を与えた、最後の人間だった。
その能力は、あまりに強力で、あまりに危うい。
「早めに、消さなければ」
ブルミシアは過去三度、哲郎の命を奪おうとしていた。
一度目、市川を使った強盗殺人。
だが、哲郎はよろけて壁に頭を打ち、不慮の事故として処理された。
二度目、マンションの構造に細工を施し、崩落事故を装った。
しかし、上階に異常な量の本が置かれていたことで、偶然天井が落ち、哲郎夫妻が不慮の事故となる。
三度目、黒井を送り込んだ。
だが、エヴォルドの介入により黒井は捕まり、計画は失敗に終わった。
──なぜ、これほどまでに守られているのか。
ブルミシアは、微かな違和感を覚えていた。
まるで、何かに阻まれているような──そんな感覚。
「一度、自分の目で確かめる必要がある」
彼女は東雲に命じ、自身を田辺哲郎の前へ転移させた。
公園のベンチに座っていた哲郎と敦子の前に、突如として現れた女性。
黒髪が風に揺れ、スカートの端を指でつまみ、優雅に一礼する。
「ごきげんよう」
その姿は、まるで異世界の令嬢のようだった。
哲郎と敦子は、言葉を失った。
空気が変わった。
音が消え、風が止まり、世界が静止したように感じられた。
「驚かせてしまいましたね」
「ですが、誰も助けには来ませんよ」
哲郎は周囲を見渡す。
人々は動いているようで、しかしどこか不自然に見える。
「現実には止まってはいません」
「あなたたちと私の三人だけ、時間の流れを変えただけです」
──この女性は。
あの映像に映っていた、黒髪の女。
哲郎の脳裏に、あの不気味な影の記憶がよみがえる。
だが、どこか記憶に“欠け”があるような感覚もあった。
「いったいあなたは何者ですか!」
敦子が叫ぶ。
その声に、哲郎は我に返る。
敦子の目は怒りに満ち、鋭くブルミシアを射抜いていた。
「そんなに怒らないで欲しいわ」
「私はブルミシア。あなたたちに進化の力を与えた者よ」
哲郎と敦子は驚きの表情を浮かべる。
「少し話がしたくて来たのよ」
「あなたと話すことなどない」
敦子が一歩前に出る。
「面倒な女ね」
ブルミシアが冷たく言い放つ。
哲郎が敦子の前に立ち、声を落ち着かせて尋ねた。
「いったい、何の用ですか?」
「あなたたちの絆は理解しているから、あえて二人とも動けるようにしてあげているの」
「でも、あまりキャンキャン騒ぐなら、そちらも止めるわよ」
ブルミシアの視線が敦子を鋭く射抜く。
「あなたは、人間の進化をどう思っているの?」
突然の問いに、哲郎は戸惑った。
──そんなこと、考えたこともなかった。
だが、彼女が求めているのは、曖昧な答えではない。
「……必要だが……これではないと思う」
「そうでしょう」
ブルミシアが微笑む。
「あなたも私と同じ考えね」
「人間には、この力は過ぎた力」
「だから、その力ごと処分しないとね」
その言葉に、哲郎は首を振った。
「そういうことではありません」
「進化とは、精神的にも肉体的にも成長して初めて意味を持つものだと思う」
「あなたたちが与えた力は、肉体的な変化だけで、精神の成長が追いついていない」
「だからこそ、僕たちは精神を成長させ、この力と向き合って初めて“進化した”と言える」
「与えられた条件だけでは、進化とは言えないと思います」
ブルミシアの表情が曇る。
その瞳に、失望の色が浮かぶ。
「やはり……人間には過ぎた力だったようね」
「人間は私利私欲におぼれ、進化の力を利己的に使う」
「今の人間には、必要のないもののようだわ」
その時、敦子が前に出た。
「それは違う」
「人間は、あなたたちが与えてくれた力と向き合い、そして成長する」
「その力は、きっかけにすぎない」
「良いも悪いもない」
「どう使うかを学び、精神的に成長することこそが“進化”だと思う」
哲郎は静かにうなずいた。
敦子の言葉に、心から同意していた。
ブルミシアは目を細め、冷たく言った。
「あなたたちとは、仲良くなれそうにないわね」
「残念ながら、今ここであなたたちを殺せないのが非常に悔しいわ」
彼女は唇を噛む。
多くの能力を持つブルミシアであっても、同時に複数の能力は使えない。
今は、時間操作によって周囲の警護を遮断している。
その代償として、攻撃能力を使うことができない。
「……」
ブルミシアは手を挙げた。
空気が震え、時間が通常の流れに戻る。
その瞬間、彼女の姿はかき消えるように消えた。
「お疲れ様です」
東雲の能力によって、ブルミシアはアジトへ帰還した。
彼女は何も語らず、そのまま自室へと消えていった。
東雲はその背中を見送りながら、口元を歪めた。
──そうでしょうね。
田辺はこちらにはなびかない。
当然です。
だが、それでいい。
彼らがいなければ、私は楽しめない。
東雲は静かに、そして不気味に笑った。
物語は、さらに深い闇へと進み始めていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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