第五章 第二十七話 懐疑
国家の会議室に響くのは、疑念と不信の声。
田辺哲郎という存在は、前例を超え、官僚たちの心を揺さぶっていた。
だが、心の音を聞ける彼に対して、疑いを抱くことは致命的な亀裂を生む。
信じるか、疑うか――その選択は、国家の未来を左右する。
懐疑の空気の中で、守るべき使命を胸に刻む者がいた。
読んで頂けると幸いです。
東京都庁地下にあるエヴォルド本部の会議室。
重厚な木製の扉が閉じられ、室内には重々しい空気が漂っていた。
長方形のテーブルを囲むのは、国の安全保障に関わる高官たち。
その中央に座るのは、議長・金山武。
彼の前には、エヴォルド本部管理統括の水島玲奈、調査官の佐山実、そして現場責任者の山本康太が並んでいた。
議題はただ一つ――田辺哲郎という男について。
「本当にそのような多数の能力を有しているのか?」
「嘘を言っているんじゃないのか?」
「赤い髪の女性など、未だかつて誰も見ていないぞ」
会議室内には懐疑的な声が飛び交っていた。
山本は黙ってそれを聞いていた。
予想通りの反応だ。
彼らは現実よりも“前例”を重んじる。
未知の力に対して、まず疑いの目を向ける。
それが官僚というものだ。
「静粛に」
金山の低く通る声が室内に響いた。
その瞬間、ざわめきはぴたりと止まり、空気が張り詰める。
「水島さん」
金山が静かに問いかける。
「田辺哲郎という男は、本当に国のために動いてくれる確証はありますか?」
山本は当然の問いだと思った。
哲郎の能力は、聞くだけでも恐ろしい。
心の音を聞き分ける。
身体強化、治癒、そして未確認の進化履歴。
さらに妻・敦子も新たな能力を得ている。
この二人が本気で動けば、国家の根幹を揺るがすことすら可能だ。
「現状は、協力してくれる関係性は保てております」
水島が落ち着いた声で答える。
「現状は、というと?」
別の委員が食い下がる。
水島は一瞬だけ間を置き、はっきりとした口調で言った。
「田辺哲郎は一度、襲撃を受けています。さらに言えば、そうと思える状況は他にもあります」
「そうした中で、我々が彼らを守り、手を差し伸べ続ければ、彼らは我々に協力してくれるでしょう」
「ですが、皆さまのような懐疑的な態度で接した場合、そうとは限りません」
その言葉に、山本は内心で深く頷いた。
哲郎は善良な人間だ。
接してみればすぐにわかる。
能力を悪用しようなどという気配は微塵もない。
だが――彼は心の音を聞ける。
つまり、相手の疑念や不信を、言葉にせずとも感じ取ってしまう。
もしこの会議に出席している者たちが、疑いの目で彼を見れば――
そのひずみは、時間とともに大きくなる。
それは、国家にとって致命的な亀裂となる。
「なるほど、理解しました」
金山が目を閉じ、しばらく沈黙する。
会議室内は、息を呑むような緊張に包まれていた。
誰もが、次の言葉を待っていた。
「本会議で田辺哲郎に懐疑的意見を述べた者を、停職とし、人事の再構築を行います」
その言葉に、会議室が一瞬で騒然となった。
「は?ふざけるな!」
「職権乱用だぞ!」
「金山さん、それはやりすぎだ!」
怒声が飛び交う。
だが――
バンッ!
金山が机を叩き、立ち上がった。
その一撃で、室内は再び静寂に包まれる。
「現実を報告しても、自分たちの理解を超える内容を認めることができない方々に、この業務は務まりません」
金山の声は冷静でありながら、重く響いた。
「これからも、もっと多くの異常が起きるでしょう。そのたびに“本当か?”“嘘では?”と、くだらない議論を繰り返すのですか?」
「田辺哲郎は心の音を聞けます。それは、彼と対峙した際に、あなたの心が見透かされるということです」
「あなたたちは、田辺哲郎に対して、心から信じて話すことができますか?」
誰も答えられなかった。
沈黙が、すべてを物語っていた。
山本は心の中で金山を賞賛した。
この場で、これほど明確に言い切れる人物は他にいない。
水島も、ほっと胸をなでおろしていた。
佐山は、予想通りの展開だとばかりに静かに頷いていた。
「新しい人事に関しては、後ほど指示を出します。それまでは全員待機とします」
金山の言葉に、誰も反論できなかった。
進化していない人間が、進化者を理解する――
それは、理屈では可能でも、感情では不可能なのかもしれない。
ましてや、年を重ねた官僚たちにとって、田辺哲郎という存在はあまりにも大きすぎる。
山本は、会議室の空気を感じながら、改めて決意した。
これからも、哲郎と敦子を守る。
そして、彼らと共にこの国を守る。
それが、自分の使命だと。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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