第二十六話 敵
進化者を否定し、力そのものを消し去ろうとする者たち。
彼らの狂信的な思想は、哲郎と敦子に牙を剥いた。
襲撃の刃に傷を負いながらも、哲郎は守るべきもののために立ち上がる。
敵の存在は、進化者の未来を揺るがす脅威。
その夜、哲郎の心に芽生えたのは――戦う覚悟だった。
読んで頂けると幸いです。
訓練と調査が始まってから、すでに数日が経過していた。
哲郎の生活は一変していた。
朝は身体強化を中心とした運動訓練。
午後は小動物を使った治癒能力の実践。
夜は記憶の再確認と、赤い髪の女――あの進化世界で出会った謎の存在についての聞き取り。
毎日が濃密で、息つく暇もない。
「は~……疲れた」
訓練を終えた哲郎が、額の汗をぬぐいながら呟く。
その声に、待っていた敦子が微笑んで応えた。
「お疲れ様」
「待たせちゃったね」
「ううん。なんか、たくましくなったんじゃない?」
「そうかな?」
「最近の哲郎って、すごく自信に満ちてる感じがするよ」
敦子の言葉に、哲郎は照れくさそうに頭をかいた。
自分でも、以前の自分とは違うと感じていた。
だが、こうして面と向かって言われると、やはり少し恥ずかしい。
二人は並んで歩きながら、今夜の夕食について話し始めた。
帰ると言っても、今は本部が用意した指定のマンション。
都庁から電車で二駅ほど離れた場所にあり、駅からは徒歩十分ほどの距離だった。
夕暮れの街を歩く。
ビルの谷間に沈む夕陽が、二人の影を長く伸ばしていた。
そんな穏やかな時間を破るように、背後から声がかかった。
「ちょっといいですか?」
不意の呼びかけに、二人は反射的に振り返る。
その瞬間――
「っ!」
拳が飛んできた。
哲郎は咄嗟に体をのけぞらせ、バランスを崩して尻もちをついた。
「哲郎!」
敦子が駆け寄る。
哲郎は彼女を背後にかばいながら、立ち上がった。
目の前には、フードを深く被った男が立っていた。
その口元には、ぞっとするような笑みが浮かんでいる。
「なんなんですか……?」
哲郎が問いかけると、男は低く笑った。
「あんたを連れて行くか、殺せって指示があってさ」
その言葉に、哲郎の背筋が凍る。
見覚えのない男。だが、警察署で遭遇した進化者の仲間だと直感した。
「お前たちはいったい何なんだ?なぜ僕を襲う?」
男は無言のまま、イヤホンに手を添えた。
どうやら誰かの指示を受けているようだった。
「ああ、わかりました」
男が口を開く。
「俺たちは“人の進化を止める者”だ」
「進化を……止める?」
哲郎は困惑する。
「お前たちみたいに意味不明に進化したやつが、世の中をいいように支配することを、俺たちは認めない」
その言葉に、哲郎は冷静さを保ちながらも、内心で警戒を強めた。
この男たちは、進化者そのものを否定する思想を持っている。
「でも、お前たちも進化した力を使っているんじゃないのか?」
男は静かに頷いた。
「俺たちは進化したやつを消し、そして最後は俺たちも消える」
「進化の力は、人類には過ぎた力だ。持たざる者が不遇になる未来しか見えない。だから、俺たちはそれを止める。エヴォルドのような特権組織も、すべて潰す」
狂信的な思想。
哲郎は、言葉の端々に強い憎悪と絶望を感じ取った。
「了解しました。おしゃべりは終わりだ」
男がナイフを取り出し、襲いかかってくる。
「下がって!」
哲郎は敦子を後ろに押しやり、一歩前へ出た。
「哲郎、危ないよ!」
敦子の叫びが響く。
哲郎の目には、ナイフの動きがスローモーションのように見えていた。
身体強化を最大の“七”まで引き上げている。
これなら――
ナイフをかわし、男の腕を掴もうとする。
だが――
「うっ……!」
哲郎の腕に鋭い痛みが走る。
血がにじむ。
確かに交わしたはずだった。
腕を掴んだはずだった。
だが、男の腕はすり抜け、ナイフは哲郎の腕を切り裂いていた。
「どういうことだ……?」
混乱する間もなく、男が再びナイフを振るう。
今度は横へかわす――
「っ……!」
またしても、胸に浅い切り傷が走る。
交わしたはずなのに、ナイフは確実に肉を裂いていた。
「お前には俺のナイフは止められないよ」
男が嗤う。
敦子を守らなければ。
ここで倒れるわけにはいかない。
哲郎は歯を食いしばり、男を睨みつけた。
その瞬間――
「ぐはっ!」
男が呻き声を上げ、地面に崩れ落ちた。
背後から現れた山本が、男を一撃で制圧していた。
「間に合ってよかった。遅くなって申し訳ありません」
山本は冷静に言った。
「いえ……ありがとうございます」
敦子は涙を浮かべながら頭を下げた。
「マンションもすぐですが、本日は本部でお休みになってはいかがでしょうか?」
山本の提案に、哲郎は敦子の顔を見た。
彼女は心配そうに、哲郎の腕と胸元を見つめている。
「わかりました」
哲郎は頷き、傷を癒しの能力で治癒した。
傷は塞がったが、服は破れ、血の跡が残っていた。
敦子がそっと抱きつき、破れた服の上から傷のあった場所を撫でる。
「もう……もう、無理しないで……」
「大丈夫だから」
哲郎は敦子を優しく抱きしめ、そう囁いた。
山本の車で本部へ向かう。
フードの男はトランクに縛られ、厳重に拘束されていた。
本部の宿泊施設の一室。
ソファーに並んで座る二人。
敦子は、震える手で哲郎の手を握りしめた。
「もう二度と……死なないで」
敦子の声は涙に濡れていた。
その言葉に、哲郎は強く抱きしめ返す。
「大丈夫」
その一言に込められたのは、決意だった。
もう二度と、敦子を悲しませない。
もう二度と、無力でいない。
どんな敵が現れようとも、必ず守り抜く。
その夜、哲郎の中で何かが変わった。
ただの進化者ではない。
守るべきもののために、戦う覚悟を持った存在へと――
彼は、確かに一歩、前へ進んだのだった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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