第二十五話 赤い髪の女性
進化の世界は、本来ただ能力を告げるだけの場。
だが、哲郎はそこで“赤い髪の女性”と出会い、言葉を交わしていた。
記憶の封印、多重の進化、そして彼だけが知る異常な体験。
その告白は、組織の常識を揺るがし、さらなる謎を呼び起こす。
赤い髪の女性──彼女は何者なのか。
哲郎の存在は、進化の本質に迫る鍵となり始めていた。
読んで頂けると幸いです。
「我々にとっても、あなたの存在は非常に重要となります。」
水島玲奈の言葉は、静かな部屋に深く響いた。
その一言が、哲郎の胸に重く沈み込む。
彼は自分が何者なのか、なぜ自分だけがこうも異なるのか――その問いが、心の奥で静かに膨らんでいくのを感じていた。
敦子の聞き取りが終わり、場の空気が哲郎へと移る。
水島は柔らかな口調で語りかける。
「哲郎さんも、同様にお話いただけますでしょうか」
「はい」
哲郎は深く息を吸い、心を落ち着けるように自分に言い聞かせながら、言葉を選び始めた。
「私の能力は、人の心が音でわかること。
そして、自分自身の身体強化。
さらに、治癒能力です」
水島は頷きながら、手元の資料に目を落とす。
哲郎は続けた。
「そして、今回の突然の死で手に入れたのが……トイレ掃除が誰よりもきれいにできる能力です」
一瞬、沈黙。
敦子が横でくすっと笑いをこらえる。
佐山は眉をぴくりと動かし、水島も表情を崩さないまま、心の音が微かに揺れていた。
哲郎はその音を感じ取りながら、内心で「やっぱり変だよな」と苦笑する。
「確かに、こう言ってしまうとおかしい能力ですよね」
水島は哲郎の表情から、何か含みがあると察したようだった。
「と、いいますと?」
「進化して能力を手に入れた瞬間は、なんなんだって思ったんです。
でも、自分の内面と向き合ってみると、少しずつ意味が見えてくる気がして」
哲郎は言葉を探しながら、ゆっくりと語る。
「この“トイレ掃除”の能力ですけど、考えてみたんです。
僕たち日本人にとって、トイレって特定の空間ですよね」
「そうですね。というか、他にトイレがありますか?」
水島が軽く笑みを浮かべる。
「例えば昔、外の壁や電柱に“立小便禁止”って書かれていたのを見たことありませんか?」
「ええ、確かに」
「つまり、僕が“どこをトイレと認識するか”が鍵なんです」
佐山と敦子は、何を言っているのかといった表情で哲郎を見つめる。
だが、水島の目が鋭く光った。
「そういうことですか……それは、かなり興味深いですね」
彼女は資料にペンを走らせながら、何かを記録していた。
「哲郎さん。これは、すごい発見になるかもしれません」
「そうなんですか?」
「実際にその認識の違いで能力を試されたことは?」
「まだ数回しか成功していませんが……」
「すばらしい!」
水島の心の音が、驚きと楽しさで満ちていた。
その音は、まるで新しい扉が開かれた瞬間のようだった。
「すみません。あまりのことに、ちょっと興奮してしまいました」
「それ以外はどうですか?」
哲郎は少し考え込んだ後、口を開く。
「あとは……進化の世界で、私は今回とその前以外にも何度か行っているようなんです」
水島の手が止まった。
「その点も非常に興味深いですね。なぜそう思われるのですか?」
哲郎は少し戸惑いながら答える。
「進化の世界の担当のような人に言われたんです。『何度もここへ来ている』って」
その瞬間――
ガタン。
佐山が椅子を軋ませてよろける。
水島の目が見開かれ、敦子も驚きの表情を浮かべた。
哲郎だけが、なぜ皆が驚いているのか理解できずにいた。
「哲郎、進化の世界で誰かと会ったの?」
最初に口を開いたのは敦子だった。
「真っ赤な髪の女性に説明を受けたんだけど……」
敦子はさらに驚いた顔をする。
水島が静かに語る。
「哲郎さん。今まで判明している進化の世界では、何か音がして、気づくと頭の中に“進化した。能力は〇〇”といった声が聞こえるだけで、その後目を覚ますという事例しかないんです」
哲郎の頭の中が、一瞬真っ白になる。
「え?ど、どういうこと?」
「それは、我々が哲郎さんに聞きたいぐらいです」
水島の声は冷静だが、内心の動揺が音となって哲郎に届いていた。
「哲郎さん、あなたは進化の世界で赤い髪の女性が、あなたは何度も進化の世界に来たことがあると教えられたということで間違いはないですか?」
「はい」
哲郎は、皆が同じ体験をしていると思っていた。
だからこそ、敦子とも進化の世界の話をしたことがなかった。
「ここでは勝手な推測などをしても意味はありません。事実のみの確認です」
水島は淡々と語る。
「今一度、哲郎さんが進化の世界に行った時のことを、できるだけ細かく思い出してお話いただけますでしょうか」
「わかりました」
哲郎は最初の死から順を追って語り始める。
水島、佐山、敦子――三人の表情は次第に驚きと困惑に染まっていく。
誰もが理解できない現状を整理するのに、時間が必要だった。
目の前のコーヒーはすっかり冷めていた。
水島は静かに立ち上がる。
「少し私自身も落ち着きたいので、新しいお飲み物を用意いたしますね」
「すみませんが、もう少しお付き合いください」
新たに温かいコーヒーが運ばれ、部屋に再び静寂が戻る。
水島はペンを机に置き、コーヒーを一口含んでから語り始めた。
「最初に哲郎さんが会った赤い髪の女性は、アルバイトだと言ったんですね」
「はい。アルバイトだから残業代が出ないから早く帰りたいと」
「なるほど。そして哲郎さんは、進化が途中だったために進化の世界から呼ばれたということですね」
哲郎は記憶をたどりながら頷く。
「進化の世界には、不慮の事故死と世界側から呼ばれる形の二パターンがあると」
「はい、そう言っていました」
「次に会った時には、その女性は正社員になった祝いに、少し情報を教えてくれると言って色々教えてくれたわけですね」
「そうなんですが……」
「何か相違点でも?」
「相違というか……二回目に死んで進化の世界に行ったとき、女性が最初から『これで何度目よ、あんたよく死ぬね』って言ってきて」
「そのあと、記憶が封印されているって言われました」
水島と佐山は、少し呆れたような表情になった。
「哲郎さんが特殊だとは思います。ただ、その担当の女性が結構ポンコツだったから、色々と教えてもらえたような気がしますね」
佐山が口を開く。
哲郎も思わず笑ってしまう。確かに、あの女性はどこか抜けていた。
「明日以降は、お二人とも訓練などをこちらの本部で行っていただきます」
「はい」
哲郎と敦子は同時に頷く。
その声には、覚悟と少しの不安が混ざっていた。
「哲郎さんに関しては、訓練と合わせて、あなたの特殊な状況を再度検証し、何が起こっているのかを調査させていただきます」
「はい」
哲郎は静かに答えながら、心の奥で渦巻く疑問に向き合っていた。
自分だけが特別なのか。
それとも、すべてが偶然なのか。
赤い髪の女性――彼女は何者だったのか。
進化の世界とは、本当にただの能力付与の場なのか。
それとも、もっと深い何かが隠されているのか。
彼の心の音は、静かに、しかし確かに揺れていた。
その夜、哲郎は本部の宿泊施設に用意された部屋で一人、窓の外を見つめていた。
東京の夜景が遠くに広がり、無数の光が瞬いている。
その光の一つひとつが、誰かの生きる証のように感じられた。
「俺は……何者なんだろうな」
小さく呟いたその言葉は、誰にも届かない。
だが、確かに彼自身の中に深く刻まれていった。
そして、彼の中で何かが静かに目を覚まし始めていた。
それは、まだ誰にも知られていない“進化”の本質に触れる予感だった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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