第十九話 天然
進化者の仲間として重要な役割を担う梨音。
だが、その振る舞いは仕事と友情の境界を軽々と飛び越えていく。
無邪気さか、天然か。
敦子を「マブ」と呼び、任務さえも友達との相談に変えてしまう彼女の姿に、弥生は戸惑いと諦めを覚える。
天然の明るさは、時に組織を揺らす火種となるのかもしれない。
読んで頂けると幸いです。
午後の柔らかな陽射しがオフィスの窓から差し込む中、梨音は椅子に深く腰掛け、頬杖をついてぼんやりと天井を見上げていた。
「ほんとにやまもっさんの顔怖いんだよね~」
ぽつりと呟くその声には、少しだけ不満と戸惑いが混じっていた。
「普通、私みたいなかわいいギャルには、もう少しさ~気持ちがよるっていうか、あるんじゃないって思うんだよね~」
山本とのやり取りを思い出しながら、梨音は眉をひそめる。
あの無表情で厳格な態度。まるで感情を持たないロボットみたい。
「ま~中間管理職っていうやつ。大変だね~って思うけど、私には別に関係ないし」
肩をすくめて、またため息をつく。
「ちゃんと給料くれて待遇が良ければってだけだし~」
とはいえ、仕事は仕事。
やらなければならないことは山ほどある。
その中でも、今一番の課題は――田辺哲郎の職場への対応。
彼をどうやって退職させるか。
「う~ん……」
机の上の書類を見つめながら、梨音は唸る。
思いつかない。どう言えば自然に辞めさせられるのか。
説得?圧力?いや、そんなの私のキャラじゃないし~。
「そうだ!あつっちに相談しよ~」
ひらめいたようにスマホを手に取り、軽快に指を動かす。
着信音が鳴り、すぐに敦子の声が返ってきた。
「はい、もしもし」
「あ~あたし~梨音。あつっち?」
「梨音さん、敦子です」
「ちょっとさ~相談あるんよね~」
「なんです?」
「どっかで逢おうよ」
「今から?」
「そ~いまから~」
「ちょっと待ってね……」
しばらく沈黙が続いた後、敦子の声が戻ってくる。
「哲郎がいいって言うから、どこで会う?」
「うわぁ~らぶらぶじゃん」
電話越しに敦子が照れるのが伝わってくる。
「じゃ~あつっちの近所のスタバに今から10分後ぐらいにいくから」
「うん、わかった」
スマホを置きながら、梨音は満足げに笑う。
「さ~て、これで哲郎の会社を辞めさせるのは解決だね」
あとは書類か……事務仕事、ほんとめんどくさい。
「そうだ、これも持っていってあつっちに手伝ってもらおう!」
その時、背後から鋭い声が飛んできた。
「ちょっと!」
「はひっ!」
驚いて変な声を出してしまう梨音。
振り返ると、弥生が腕を組んで立っていた。
その目は鋭く、何かを問いただすような光を宿している。
「今の話、なに?」
「も~びっくりするじゃん。急に後ろから声かけないでよ~」
「電話に聞き耳って良くないよ~」
「聞き耳立てたんじゃなくて、聞こえてきたの」
「それより敦子さんと今から会うの?」
「うん。色々相談に乗ってもらおうと思って」
「ちなみに、なんの相談?」
「哲郎っちの退職の方法と書類ね」
弥生の顔が一瞬で固まる。
「なに?やよいっち、顔おもしろいよ」
「ちょ、ちょっと……あまりのことにびっくりしたのよ」
「なんで田辺哲郎夫妻のことを、田辺敦子さんに相談するわけ?」
「え?だって相談できる人いないし」
「私や山本さんがいるでしょ」
「え~なんか二人とも仲良くないから~」
弥生は言葉を失う。
梨音にとって、仕事とプライベートの境界が曖昧なのか?
「一応聞くけど、私たちに相談できないのは、あまり仲良くないからってことでいい?」
「うん、そんな感じ~」
「じゃ~敦子さんに相談できるってのは、仲が良いからってこと?」
「うん、あつっちとはマブだから~」
その言葉に、弥生は膝から崩れ落ちた。
「……あ~もう時間ないから私いくね~」
「ちょっと、私も一緒に行くから」
「え~弥生っちはこなくていいのに~」
「私も仲良くなりたいから」
「そ~それならいいよ~」
梨音の笑顔は無邪気で、どこか子供のようだった。
弥生はその姿を見ながら、心の中で思う。
この子って、ここまで天然だったかしら?
いや、天然というよりも、境界がないのだ。
仕事と友情、責任と感情――すべてが混ざり合っている。
とりあえず、状況を山本さんにメールで報告しておこう。
私の方でフォローしなければ。
今回、初めて梨音が事務的なことを担当したけれど……ここまでとは。
これは相当先が思いやられる。
弥生はスマホを手に取り、深いため息をついた。
その背中には、静かな覚悟と、少しの諦めが滲んでいた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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