第十七話 待遇
進化者として生きることは、力を持つだけでは終わらない。
組織に属する以上、日常は守られながらも、仕事は大きく変わる。
待遇は「普通の会社」と似ているようで、突然の任務や監視が伴う。
それは、進化者に課せられた新しい現実。
哲郎と敦子は、生活の安定と未知の責務の狭間で、選択を迫られていく。
読んで頂けると幸いです。
カフェスペースの空気は、どこか張り詰めていた。
テーブルには温かい飲み物が並び、湯気がゆらゆらと立ち上っていた。
新藤弥生が席に合流してきた。
その表情は、どこか緊張を含んでいる。
「当組織を多少はご理解いただけたでしょうか?」
彼女の問いに、すかさず梨音が手を挙げて答える。
「まじ完璧〜♪」
「あなたに聞いていません。田辺夫妻に聞いているのです」
弥生が冷静に言い返すと、梨音は頬を膨らませて「え〜」と不満げな声を漏らした。
哲郎は、カップを手に取りながら静かに答えた。
「あ〜すみません。正直、あまり理解はできていません。ですが、河合さんが嘘をついていないことはよくわかりました。それは妻も理解しているかと思います」
敦子は横で静かに頷いた。
その時、少し離れた場所から低く響く声が聞こえた。
「田辺さん」
振り返ると、がっしりとした体格の男が歩いてくる。
山本康太——名古屋支部の統括を任されている人物だ。
彼の存在感は圧倒的で、哲郎は思わず背筋を伸ばした。
山本は弥生と並んで席に着くと、深く頭を下げた。
「申し訳ありませんね。河合がきちんと説明できていなかったようで」
「いえ……」
哲郎は言葉を濁す。
突然現れた屈強な男に、少し警戒心が芽生えていた。
「おっと、失礼。名乗るのが遅れましたね。私はここの名古屋支部の統括を任されております、山本康太と申します」
「改めて、田辺哲郎さん、敦子さん。初めまして」
「こちらこそ、初めまして」
山本は、テーブルにA4の用紙を数枚並べ、二人に手渡した。
その紙には、組織の概要や進化者の歴史、活動方針などが簡潔にまとめられていた。
「我々の組織は、かなり昔から存在しています」
「実際に、人類の進化はかなり昔から始まっていたようです」
「お二人もご存知の名前で言えば——安倍晴明。彼も進化者であり、能力を使っていた人物です」
哲郎は驚きながらも、すぐに心の音を聞いた。
山本、新藤、河合——三人の心の音はまったくぶれていない。
嘘ではない。
それが、逆に恐ろしいほどだった。
「本当ですか?」
「まぁ、疑いたくなるのも当然ですね」
「ですが、哲郎さん。あなたも自身の能力を自覚されていますよね?」
哲郎は静かに頷いた。
「そして、敦子さんもそうですよね」
山本は優しい目で敦子を見つめる。
敦子も、少し緊張しながら頷いた。
「だから我々は、その力を人類の繁栄や人の幸せのために使うために作られた組織です」
その言葉の直後、哲郎は微かな雑音を山本の心に感じ取った。
「表向きは。ということですよね?」
哲郎は鋭い目で山本を見つめる。
「さすが、哲郎さん。その通りです」
「誰もがその力を人のために使えるわけではありません。悪事に使う人間もいる」
「だからこそ、我々は進化者を早期に見つけ、組織に加入してもらい、監視する必要があるのです」
その言葉に、テーブルの空気が一瞬冷えたように感じられた。
「私たち夫婦の能力が危険であると?」
「いえいえ。まだお二人の能力を我々は完全に理解しておりません」
「そして、改めて申し上げますが——その能力を、日本のために使用していただけないでしょうか」
哲郎は黙って考え込んだ。
敦子がそっと彼を見つめる。
その視線には、問いかけと信頼が混ざっていた。
——人を救うことができるのか?
——今の人生はどうなる?
——これからも敦子と二人で生きていけるのか?
疑問が次々と浮かび、答えは見つからない。
それでも、哲郎は言葉を振り絞った。
「私たち夫婦の生活は、どうなりますか?」
山本は頷き、ゆっくりと答えた。
「ごもっともなご質問ですね。まったく変わらないことと、完全に変わってしまうことがあります」
「どのようなことでしょうか?」
哲郎は山本をまっすぐに見つめる。
山本も、真剣な眼差しで応える。
「お二人の基本的な生活は変わりません。変わるのは——今の仕事です」
「今の会社において、そのまま仕事を続けることはできません。理由は二点あります」
「二点?」
「そうです。第一に、哲郎さんが今の会社で働いている経緯が不自然で、何らかの能力が使われた形跡があること」
哲郎と敦子は顔を見合わせた。
その視線の中に、確かな心当たりがあった。
「なるほど。この点に関して、心当たりがあるということですね」
「はい」
「第二に、組織に加入した場合、組織関連の仕事をしていただくため、一般的な仕事ができなくなるということです」
「そういうことですか。それで……このような質問をするのもなんですが」
哲郎は言葉を濁しながらも、核心に触れた。
「待遇は、どのようになるのでしょうか?」
山本は少し笑みを浮かべながら答えた。
「そうですね。一番気になる部分だと思います」
「基本的に週休二日制。給料は今の職場の水準をベースに、お二人の能力次第で追加手当が出ます」
「有給は年間十日。年末年始、GW、夏季休暇は組織のカレンダー通りです」
「なんか、普通の会社みたいですね」
「そうですね。ただ、一点大きな違いがあります」
「なんでしょう?」
「お二人の能力次第ですが——休日出勤、残業、夜勤が突然発生します。そして、出張もあります」
「ますます、会社みたいですね」
「驚かないのですね?」
「製造業とか、そんな感じですよね」
「なるほど」
淡々と待遇や今後の予定の話が続いていく。
敦子は、時折哲郎を横目で見ながら、静かに頷いていた。
哲郎は、自分でも驚いていた。
こんなに堂々と質疑ができている。
昔の自分なら、緊張して言葉も出なかっただろう。
——これも、進化の影響なのだろうか。
カップの中のコーヒーは、もう冷めかけていた。
それでも、心の中には、少しずつ熱が灯り始めていた。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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