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第十四話 成功

慎重な対話の末、扉はわずかに開かれた。

弥生の誠意は届き、田辺夫妻は「エヴォルド」と向き合う決意を固める。

疑念は残る。だが、進化者が孤立せずに生きるための道が、確かに見え始めていた。

それは、初めての「成功」──未来への希望を灯す一歩だった。

読んで頂けると幸いです。

弥生は静かに鞄から資料を取り出すと、二人の前にそっと差し出した。A4サイズにまとめられたその書類は、彼女が昨晩遅くまでかかって準備したものだった。紙の端が少しだけ折れているのは、何度も読み返し、手で撫でた証だ。


「こちら、ご確認ください」

彼女の声は落ち着いていたが、内心では心拍が早まっていた。資料には「エヴォルド」の概要が記されている。国が運営する進化者管理組織。進化者がその能力を悪用しないよう、国に登録し、国の仕事に従事することで監視と管理の体制を整えている。


哲郎は資料に目を通しながら、眉をひそめた。弥生の声の震えはない。嘘をついていないことは、彼の聴覚が確かに捉えていた。しかし、敦子のことを思うと、簡単に信じるわけにはいかない。

「なんとなく理解はしましたが……それをすべて信じろということですか?」

その言葉には慎重さと、わずかな挑発が混じっていた。だが、弥生は動じない。哲郎の声の奥にある微細な音の変化を、彼女自身も聞き取っていた。敦子の心が、哲郎に対してときめき始めている。状況としては不自然だが、音は嘘をつかない。

哲郎はその変化に気づき、戸惑いを覚える。なぜこの状況で敦子がそんな感情を抱くのか。弥生とのやり取りを続けながら、彼の思考はその疑問に引き寄せられていた。


一方の敦子は、目の前の哲郎に今までとは違う印象を抱いていた。以前はどこか頼りなく、優柔不断に見えていた彼が、今は弥生との対話の中で、落ち着きと芯の強さを見せている。進化の影響なのか、それとも彼自身の変化なのか。敦子の目には、哲郎が男らしく、そして魅力的に映っていた。


「もちろん、書面だけで信じてくださいとは申しません。今日の今日というのも難しいと思いますので、後日お時間を頂けないでしょうか。我々の組織の運営拠点へご案内し、改めてお話させて頂ければと」

弥生の言葉は丁寧で、誠実だった。哲郎は一瞬考えた後、敦子に視線を向ける。

「敦子、今週の土曜日、話を聞こうと思うけど……一緒に来てくれるかい?」

「もちろん」

敦子の返事は即答だった。目が♡になっているような、そんな雰囲気すら感じられる。

「そういうことなので、今週の土曜日でどうでしょうか」

「もちろん。当日は午前10時頃にお迎えに上がります。状況によってはご帰宅が夕方頃となってしまいますが、よろしいでしょうか」

「構いません」

「本日はありがとうございました。改めて後日、お迎えに上がらせて頂きます」

弥生は深々と頭を下げた。背筋を伸ばし、礼儀正しく。だがその内心では、緊張と安堵が入り混じっていた。



──ふ~、つかれた……。

駅へ向かう道すがら、弥生はマフラーで口元を隠しながら、今日の交渉を思い返していた。普段使わないような丁寧な言葉遣い。相手の反応を探るような視線。それでも、ちゃんと聞いてくれてよかった。

彼らの能力はまだ未知数だが、資料よりも哲郎のほうが落ち着いていた。しっかりしていた。敦子は資料通りの反応だったが、途中から哲郎を見る目が変わっていた。まるで恋に落ちた女のように。

夫婦であんな風になるものなのか──。


弥生は駅裏のビルに到着すると、階段を下りた。報告会の会場は地下の居酒屋。なぜ毎回居酒屋なのかはわからないが、経費で酒と食事が出るのはありがたい。とはいえ、山本の圧は苦手だ。

それでも今日は足取りが軽い。何といっても、うまくいったからだ。


カラン──。

扉を開けると、店員が迎える。

「いらっしゃいませ~」

「予約している山本ですが」

「お連れ様でしたら奥の席にいらっしゃいます」

案内されて席に向かうと、前回と同じメンバーが揃っていた。

「お疲れ様です」

「お疲れ様」

「おつかれ~」


席につき、まずはビールを注文する。

「どうやら今回はうまくいったようだね」

山本が弥生の顔を見て確認する。

「はい。今回はきちんと話を聞いてもらいました」

「やるじゃん、やよいっち~」

梨音が肩を叩いてくる。いつもの調子だ。


「それで?」

「はい。今週の土曜日に名古屋支部へ連れて行く予定です」

「わかった。支部の方の準備はこちらで用意しておく」

その言葉に、弥生はほっと胸をなでおろした。

「河合さん、支部での案内を頼めるかな」

「りょ」

梨音は敬礼のようなポーズで短く答える。

「あと、当日はきちんとした言葉遣いでお願いしますよ」

「りょ」

また敬礼。山本は頭を左右に振り、あきらめたようにため息をついた。


「さて、彼らが仲間になる可能性はどうですか?」

「可能性は高いと思います。旦那のほうは多少疑っている感じもありますが、それでも嫌々という雰囲気ではありませんでしたから」

「なるほど」

「それよりも気になることがあって」

「何かな?」

「進化すると性格って変わります?」

「いや、そのような事例は今まで確認できていないが……」

「ですよね~。気のせいかもしれないんですが、旦那が資料のようななよなした感じではなかったんですよ」

山本は腕を組み、少し考え込む。

「今日、交渉したメインは奥さんの敦子さんでは?」

「いえ、旦那の哲郎さんです」

「私も最初は敦子さんと交渉する予定で考えてたんですが、最初から最後まで哲郎さんでした」

山本は再度考える。何かが引っかかっているようだった。

「河合さん、支部での案内では絶対に彼らを仲間にするように」

「りょ」

梨音は短く答える。

山本は、これはもしかすると──本部案件かもしれない──そう思った。

弥生は交渉を終えて、静かに安堵の息をついた。

うまくいった──それが率直な実感だった。

哲郎と敦子が組織に加われば、進化者が社会に適応する仲間がまた一組増える。

能力を持つ者が孤立せず、役割を持って生きていける未来へ、一歩近づいた気がした。

今日の成果が、確かな希望に変わっていくのを感じながら。


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!

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