第十三話 勧誘
進化者は孤独ではない。
彼らを導くという組織──エヴォルドの存在が、弥生の口から語られる。
勧誘の言葉は理想に満ちているが、そこに潜むのは不安と疑念。
力を持つ者として生きる道を選ぶのか、それとも拒むのか。
田辺夫妻の前に広がるのは、進化者同士の「引き合い」と、組織に属するという新たな選択だった。
読んで頂けると幸いです。
リビングには静かな空気が流れていた。
暖房の音が微かに響き、窓の外では12月の冷たい風が木々を揺らしている。
弥生はソファの端に腰を下ろし、両手を膝の上に揃えていた。
その姿勢は、緊張と礼儀が混ざったような硬さがあり、彼女の呼吸は浅く、肩がわずかに上下していた。
「本当に……色々すみません」
弥生は、今までの警戒や突然の訪問、そして三重県での接触のすべてを踏まえて、深く頭を下げた。
声には震えがあり、言葉の端に焦りが滲んでいる。
「いきなり謝られても困ります」
「きちんと説明してください」
敦子の声は冷静だったが、硬さが残っていた。
哲郎には、弥生が本当に申し訳ないと思っている音が聞こえていた。
その音は、低く、湿ったような響きで、嘘ではないことを示していた。
一方で、敦子の心からは警戒の音が鳴り止まず、まるで警報のように耳に残る。
「色々とご迷惑をお掛けしてしまいました」
弥生は再び深々と頭を下げる。
その姿勢は、形だけの謝罪ではなく、心からのものだった。
「まず、私は新藤 弥生と言います」
「三重県では、大変失礼を致しました」
哲郎はじっと彼女の目を見つめた。
そして、能力を使って彼女の心の音を探る。
そこに嘘はなかった。
言葉と感情が一致していることが、音の調子からはっきりとわかる。
「私は……エヴォルドという組織の一員です」
その言葉に、哲郎と敦子の表情が一瞬でこわばった。
「組織」という響きが、何か事件や陰謀に巻き込まれるのではないかという不安を呼び起こす。
「すみません。『組織』なんて言うと、怖いですよね」
弥生はすぐに言葉を補った。
二人は無言でうなずいた。
進化したとはいえ、哲郎も敦子も、ただの一般人だ。
特別な訓練を受けたわけでもない。
力を持っただけで、世界が変わったわけではない。
「私たちは、進化した人たちがこの世界できちんとした生活を送れるように導くための組織です」
その言葉は、理想論のようにも聞こえた。
哲郎の頭には、思わず「中二病か?」という感想が浮かぶ。
だが、すぐに我に返る。
自分も敦子も、一度死に、そして進化して力を得た。
現実がすでに非現実になっているのだ。
「私たちエヴォルドは、『イヴォルヴド・オーガニズム』——進化した存在を意味する言葉の略称です」
その瞬間、哲郎と敦子の前に、突然人だかりが現れた。
!?
哲郎は反射的に敦子の前に立ち、身構える。
「驚かせて申し訳ありません。これは駅で哲郎さんに見せたものと同じです」
「私の能力——蜃気楼です」
弥生は手を広げ、穏やかに説明する。
「何かができるわけではありません。ただ、イメージした映像を映し出すだけです」
哲郎は恐る恐る手を伸ばし、目の前の人影に触れようとした。
手はすり抜け、何も感じない。
次の瞬間、ふっと人だかりは消えた。
「私は、お二人に危害を加えるために会おうとしたわけではありません」
「三重県では、私の考えの甘さでお二人に不快な思いをさせてしまいました。本当に申し訳ありません」
弥生は再び頭を下げた。
その姿は、先ほどよりも深く、長かった。
「それで、新藤さんは私たちに何を求めてらっしゃるのでしょうか?」
哲郎が静かに尋ねる。
「田辺哲郎さんも敦子さんも——進化者は引き合う。そして、進化者は誰が進化者かわかるようになるということをご存知でしょうか?」
「いや、そういったことは……」
「私もわかりません」
二人は首を振る。
弥生は頷きながら続けた。
「進化した人は、自身の力を使いこなす練習を重ねるうちに、誰が進化者かを自然と判断できるようになります。そして、進化者同士は、なぜか引き寄せられるように出会うのです」
「その力と、私たちとどういった関係が?」
哲郎が疑問を投げる。
「田辺哲郎さんと敦子さんは、能力で引き合って一緒にいるのではないのですか?」
弥生は逆に問い返す。
「いえ、私たちは……そういう感じの出会いではないです。結果的に二人とも進化してますが」
哲郎は、今さら進化したことを隠しても意味がないと判断し、素直に答えた。
「そうなんですか。失礼しました。てっきり、進化してから出会われたのかと思ったもので」
「いえ、いいですが……それで、私たちにあなたの組織に入れということですか?」
「結論から言えば、そうなります。ですが、いきなり言われても納得されないと思います」
「そうですね。正直、怪しい気がして……」
「そう思われても仕方ないですよね」
「私も勧誘されたときは、なんて怪しい組織だって思いましたから」
その時、敦子がキッチンからコーヒーを持ってきて、弥生の前にそっと置いた。
「え、あ……ありがとうございます」
弥生は驚きながらも、丁寧に礼を述べた。
「なんだか長くなりそうだしね」
「あなたも外で寒かったんでしょ。少し温まって」
敦子の声は、先ほどまでの硬さが消え、穏やかさを取り戻していた。
心の音も、平坦な通常音に戻っている。
哲郎はそれを確認し、少し安心した。
そして、弥生が嘘をついていないことも、哲郎にははっきりとわかっていた。
だが、だからといって、二つ返事で「入ります」と言えるほど、軽い話ではない。
哲郎はコーヒーを口に含みながら、静かに考える。
敦子の能力——それは、記憶を消したり、ほんの少し書き換えたりすることができる。
だが、激しい精神的ショックを受けると解除される。
敦子自身が解除することもできる。
さらに、最大で10名まで同時に記憶を改ざんできるようだ。
このような能力を、敦子に安易に使ってほしくはない。
その力は、使い方次第で凶器にもなる。
そして、彼女自身の心を蝕む可能性もある。
進化とは何か。
力を持つとはどういうことか。
そして、組織に属することが、どんな意味を持つのか——。
哲郎は、カップの中の黒い液体を見つめながら、静かに思考する。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。次回も楽しんでもらえるよう頑張ります!
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