7 少年の嫉妬
1日1話投稿中です。
明日も午前6時台の投稿予定となっています。
「アンス様、素晴らしい魔術です!
日に日に完成度が上がっていますね!」
「ありがとうございます……先生」
貴族教育や剣術の授業をこなし、本日最後の魔術の授業も終える。
……先生は褒めてくれるのだが。
残念ながら私の耳には、それが社交辞令にしか聞こえない。
だって――
……姉上なら、こんなものではないはずだから。
姉上――レーリン・フォン・アオスビルドゥング。
アオスビルドゥング公爵家に生まれた天才。
私と同じ年の頃には特別家庭教師枠を得て、王宮魔術師の頂点であるシャイテル・ドライエック様から教えを受け、王宮魔術師の一員となることを確実視されていた俊英。
魔術学校に入学後、火と風属性の混合魔術の分野において凄まじい実績を残し、挫折を知らずに最難関ルートを歩み続ける怪物だ。
その姉上ならと考えてしまうと、私への称賛の言葉など、空虚なものでしかない。
「アンス様、貴方は本当に凄いんですよ?
王宮魔術師にだってなれるかもしれません!」
その言葉がチクリと胸に刺さる。
……私が王宮魔術師になれる器かどうか。
答えは分かりきっている。
……無理だ。
その根拠となるのが、先述した特別家庭教師枠。
姉上の受けていた「特別」の証明。
私が10歳になる年――つまり今年――に合わせて申請したそれの結果は、未だに届いていない。
年度の始まる春が過ぎ、早数ヶ月。
返事が来ないということは、そういうことなのだろう。
「先生、それは置いておいて……もっと強力な魔術を覚えたいのですが」
……そんな浅学非才の身であるからこそ、這い上がらなければならない。
父上の期待に応えるために。
そして、姉上に追い縋るために。
不甲斐ない私のために、次期公爵の座を譲った姉と、それを認めた父への恩にせめて報いるために。
急いている私の要望を、先生は今日も断る。
「アンス様……向上心は素晴らしい事ですが、急ぎ過ぎるのは良くありません。
まずは今、貴方が扱える魔術を完璧にすることが、最優先だと私は思います。
何度仰られても、私のその方針は変わりません」
先生の言いたいことは分かる。
新しい魔術は魔法円を覚えることから始まる。
しかし既習の魔法円をものにできていなければ、新しく学ぶ魔法円と混ざることが多く、魔術が発動しないどころか、想定外の事象を引き起こしたりすることがあるのだ。
少し火傷するくらいならまだマシ。
命に関わる怪我をする者も少なくないと聞く。
先生は、私の身を案じて止めているのだ。
……だが姉上は。
私の年齢で既に、風と火の魔術で学べるものは、すべて学び終えていたはずだ。
「ですが――」
「ですがも何もありません。
私は大切な教え子に、危険な真似などさせません。
アンス様が傷つけば、私は絶対に悲しみます。号泣しますから。
アンス様は、私に悲しい思いをさせませんよね?
させるわけないですよね?」
先生の笑顔と言葉には、有無を言わせない圧力が込められている。
……結局。
こういう物言いをされてしまえば、引かざるを得ない。
……ただの私の我儘にしか過ぎないと、分かっているからだ。
「分かりました……」
渋々頷く私に向かって、先生は微笑む。
「アンス様――次期アオスビルドゥング公爵様。
貴方なら絶対立派な魔術師になれます。為政者になれます。
貴方の努力や苦労を全て推し測ることはできませんが、それでも貴方の周囲の人は皆、貴方のその姿を見ています。
だからこそ貴方のことが好きで、心配になるのです」
……でも、領民たちのことを思うのなら。
「姉上が公爵の座を継ぐべきではないのか」という考えが、私にはどうしても捨てきれない。
頭脳も、魔術の才覚も、人格も。
何もかもが素晴らしい姉上が継ぐべきだと。
「……先生、ありがとうございます。
先生や皆さんの期待に応えられるよう、もっと頑張ります」
自身の想いを呑み込み、どうにか言葉を絞り出す。
「……無理はし過ぎないように。いいですね?」
先生の確認の言葉を、
「はい」
嘘で埋める。
……私の顔は今、ちゃんと笑えているだろうか。
私の笑顔に先生が騙されてくれていると良いなと、純粋にそう思った。
「アンス、明日レーリンが帰って来るからね」
そう父上から聞いたのは、夕食を両親と共にとっている時のことだ。
「本当ですか⁉」
胸が弾む。
……姉上が久しぶりに帰って来る!
王宮魔術師の姉上は忙しい。
基本的に公爵邸にいることはない。
どうやら、王宮を拠点として各地を飛び回っているらしい。
そんな多忙の姉上が帰って来る。
……であれば。
お願いしたいことは多々ある。
魔術を教わりたい。
私の腕前を見て欲しい。
なんなら、手合わせでもいい。
そうすることによって――
……天才の姉上に、少しでも私は追いついているのか。
私は進めているのか。
それを確認したい。
「うん。朝から来るらしいよ、2人で」
……2人?
私の疑問は顔に出ていたらしい。
父上と隣り合って座る母上が、私に語りかける。
「男の子みたいよ」
心底嬉しそうな母の様子。
これはひょっとして――
「遂にですか⁉」
父上と母上は、両名共に優しく寛大だ。
領民や国民――平民たちの間で自由恋愛が広まっていく中、未だ貴族間では政略結婚が多い。
貴族に子弟が生まれた段階で、既に結婚相手は決まっているなんて当然の様にある。
そんな中、私の両親は子どもたちの自由恋愛を許可してくれていた。
……まあ、あくまで許可でしかないわけだが。
両親は自由恋愛を許可する代わりに、見合いや婚約相手を薦めてくるのだ。
尊敬する両親ではあるのだが、それだけはほんの少し困っている。
……訓練時間を少しでも減らしたくはないのだ。
でも、父母の思いやりにはできる限り応えたい。
そんな思いから、私も既に何人か婚約者候補との会合や見合いを経験している。
しかし、姉上は違った。
両親があらゆる相手を薦め続けて幾星霜。
書類段階で断ったり、実際にお見合いの場に出向いては魔術を炸裂させてぶち壊したり、優しい2人の配慮を鋼の意志で断り続けていたのが姉上だ。
そんな腕っぷしの強い姉上が遂に、自ら結婚相手を連れてきたのだろうか。
……となると、明日来るのは未来の義兄上?
そんな人とお会いするとなると、さすがに緊張する。
「それで、どんな――」
「マターバ、アンス。期待させてしまって申し訳ないが……」
盛り上がりつつあった母上と私の会話を、父上が遮る。
少し間を置くと、父上はおもむろに告げる。
「そんな艶のある話ではないよ……残念ながらね。
来るのはレーリンの教え子だ」
……姉上の教え子?
それはつまり――
「ああ、特別家庭教師枠の子なのね!
確か……ブーガの村の2人姉弟の子たちよね?
来るのはじゃあ、弟君1人かしら?」
「姉の方はもう魔術学校の大位クラスに通っていて、忙しいみたいだからね。
明日は、まだ村に残っている弟――ルング君が来るらしいよ」
「その子が直接貴方に会いにくるの? 弟君は、アンスと同い年よね?
……貴方に文句でもあるのかしら?」
「……怖いことを言わないでくれ。おそらく村の守りのことだと思うよ?
同様のことを、ブーガからも相談されたしね。
それに多分、レーリンが――」
父上と母上の話が進んでいく。
けれどもう、私の耳には何も入らなかった。
……姉上の教え子――特別家庭教師を受けられた子ども。
それも平民ながら魔力に目覚め、齢5歳から姉上の教えを受けている天賦の才の持ち主。
……私とは比べものにならない才能。
暗い感情が胸に灯る。
分かっている。
そんな天才と己を比べるのは、愚かなことだと分かっている。
ましてやその子どもは、アオスビルドゥング公爵領の民なのだ。
自領の民。
領民にこんな感情を抱くのは、間違っている。
……それでも。
姉上から教えを受けられることが。
その子の来訪を、父上が心から喜んでいるのが。
母上が嬉しそうに話しているのが。
悔しくて、羨ましくて、妬ましくて。
そんな私自身の浅はかさが恥ずかしくなる。
……食事の味がしない。
公爵家の料理人が、心を込めて作ってくれた美味しい料理。
いつも頬が落ちそうなくらい美味しくて、先程まで確かに美味しかったのに。
もう、味がしない。
真っ白になった私の中に、夕食の時間でただ残ったのは、
「アンス。明日君も彼と会うといい」
父上のその言葉と、私の胸に灯った暗い輝きだけだった。
――アンスは努力家で、レーリンのことが大好きで、尊敬していますが、レーリンが天才故の劣等感を抱いています。
ちなみに尊敬しすぎて若干認識がおかしい部分もあります。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!