4 公爵家の父と娘。
1日1話投稿中です。
明日も午前6時台の投稿予定となっています。
バタン
乾いた木の音が背後から聞こえる。
……いよいよこれで、退路が断たれてしまった。
無事に生きて村へと帰るには、貴族との面会を丸く収めるしかない。
……何か生き残るためのヒントになるものはないか。
そう考えて室内をキョロキョロ見回す。
……広い部屋だ。
シンプルなデザインの廊下に準じて、部屋の中もまた落ち着いたデザイン。
大きな複数の窓から柔らかな陽光が差すことで、部屋の静謐な印象に温かみが加わっている。
来客用の濃紺のソファが、1台のテーブルを対面で挟み、その奥には造りのしっかりとした執務用の机。
おそらく領主用邸宅と同じ型の執務机のはずだが、その様相は最早別物だ。
書類や筆記具は四角四面に並べられ、元からその位置だと決められていたかのように、ピタリと収まっているのが遠目にもわかる。
部屋の主は間違いなく几帳面だ……誰かさんと違って。
そんな美しく整った執務机の隣に、部屋の色味とは一線を画した存在があった。
物ではない。
……人だ。
真っ赤な服に身を包んだ男性が1人、立っているのだ。
赤の長いコートとブリーチズ。
赤の布地をかき分けてチラリと顔を出す、銀のウエストコート。
各コートの袖や表地には、金の刺繍が施されている。
年齢はおそらく30代後半程。
背丈は父ツーリンダーより、少し大きいくらいだろうか。
鍛えているのかその身体は引き締まり、線の細さを感じさせない。
男性の最も印象的なのは、燃える様な赤い髪と、強い意志を携えた鋭い瞳。
精悍な面構えが服装も相まって、男性の持つ気品を一層引き立てている。
遠目でも伝わる品格と威厳。
……絶対この人だ。
この人が公爵だ。
頬を嫌な汗が伝う。
「ルング、あちらが公爵様です。挨拶をしてください」
師はしれっとしているが、その口元の笑みを隠せていない。
きっと、俺の焦りを見抜いているのだろう。
……人が悪い。
というか純粋に性格が悪い。
「アンファング村のルングと申します。
姉のクーグルン共々、お世話になっております。
私たちの様な者に、特別家庭教師枠を当てていただき、ありがとうございました」
深く頭を下げる。
……生き残りたいという気持ちは、もちろんあったが。
俺たちが特別家庭教師枠を貰えたのは、村長と領主様……つまり目の前の公爵様の推薦のおかげでもある。
故に、会う機会があるのなら、是非感謝は伝えておきたいと思っていたのだ。
……こんな威圧感のある人だとは、知らなかったが。
「ルング君、顔を上げなさい」
ビクリ
低く落ち着いた声に顔を上げると、精悍だと思われた顔が、ほんの少しだけ緩んでいる。
……笑っているのだろうか。
「立ち話もなんだ。そちらに座りなさい」
そう言って、手でソファーを示される。
物言いは淡々としているが、声もほんの少し温かみを帯びているような気がする。
「……ありがとうございます」
そう言って、おずおずとソファに移動し腰かけると、
「じゃあ、私も――」と座ろうとする師に向かって公爵が告げる。
「レーリン。お前は立っていなさい」
「どうしてですか⁉」
……こうして俺は――
公爵との初対面を果たしたのであった。
「師匠、公爵令嬢だったんですか。どうして教えてくれなかったんですか?」
「え……面白そうだから? なんなら私、長女ですし! クーグと同じ立場です」
シュゲレング・フォン・アオスビルドゥング。
それが、アオスビルドゥング領の主であり、俺と対面で座る渋いおじ様――といっていいのか分からないが――の名前らしい。
威厳に満ちたその姿に物怖じしてしまったが、実際話してみると気さくな人だった。
……相変わらず、表情は硬いのだが。
そしてそこで、師匠――王宮魔術師レーリン様のフルネームも初めて聞く。
レーリン・フォン・アオスビルドゥング。
俺たちの師匠レーリン様は、驚いたことに公爵家の御令嬢だったらしい。
愉快犯の王宮魔術師は「えっへん」と、自身のサプライズの成功に胸を張っている……立たされたまま。
「ああ。娘は相変わらずの得手勝手のようだね。
屋敷を焼け野原にしてきた子ども時代と変わらない」
公爵様の渋い声に苦みが混じる。
どうやら師匠から被害を受けたのは、俺たちだけではなかったみたいだ。
「ええ。俺たちも酷い実験に何度か巻き込まれました」
……少なくとも。
燃やされそうになった数は、片手で収まらない。
「ちょっと、ルング⁉
実家の件は兎も角、実験に関しては貴方だって共犯でしょうに!」
「師匠、今はそんな話はしていません。
主題は、師匠に人としての倫理観がないという話ですよ」
「アンファング村でもずっとそうなのかい? 家庭教師なのに?」
ギロリと公爵様は娘を睨みつけるが、
「いやいや、そんなわけないですよ!
お父様? 仮にも私、王宮魔術師ですよ?
倫理観がないと、そんな立場になれるわけないですよね⁉
私を疑うということは、私を王宮魔術師に指名した陛下を疑うも同然ですよ?」
反省の様子はない。
むしろ責任転嫁しようと必死だ。
……我が師ながら醜いと言わざるを得ない。
「ルング君、レーリンが村でどんな風に過ごしているか、教えてもらえるかな?」
「ええ。師匠は村でも大暴れで、特に今は領主用邸宅が――」
「ルング、話し合いましょう! 私は何も――」
カサリ
師匠の悪行を報告しようとした所で、手元の音に気付く。
そこにあったのは勿論、報告書と陳情書。
アンファング村に出現する魔物についての報告書と、それに伴う魔術師派遣の陳情書だ。
……そうだ。俺は、領主様――公爵様にお願いがあって来たのだ。
師匠の素性の衝撃ですっかり忘れていたが。
自身が何のためにここに来たのか、ようやく思い出す。
そしてそんな俺の視線の動きを、公爵様は目敏く気付いたらしい。
「ルング君、レーリンの失態の報告は後回しにするとして、その書類は何かな?
良ければ、見せてくれないかな?」
そう言って、がっしりした手を差し出される。
気の利いた言葉――それも平民相手に下手に出る言葉だ。
話を切り出しやすい様、誘導する気遣いには、嫌味がない。
……これが、人を統べる貴族のあるべき姿か。
気品と威厳。
気安さと気遣い。
ここに来て、まだ1時間も立っていない。
しかし、少ないやり取りだけでも、なんとなくわかる。
おそらく公爵様は、領民に慕われているはずだ。
何より俺自身、この短時間で公爵様の人柄に惹かれ始めている。
それにしても――
ちらりと壁にもたれかかる王宮魔術師に目を向ける。
……つくづく、師匠の父親とは思えない。
特に性格が。
「はい、勿論です。どうぞよろしくお願いします」
持ってきた陳情書と報告書を手渡す。
「うん、ありがとう。
ちょっと読ませてもらうが……できればルング君からも、どういった内容なのか教えて欲しい」
「では――」
俺の説明を聞きながら、公爵様は書類に目を通し始める。
書類を捲る速度が速い。
相槌を打ちながら、要点をまとめつつ次々と頁を捲っていく。
その集中した横顔は、どこか見慣れた魔術師とそっくりで――
……性格は全然違うけど、やっぱり親子なんだな。
そんなことをふと思った。
――性格は違っていても、能力や顔立ちは似ている父と娘。
主人公のルングはどうやら生き残ることができそうです。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!