12 意外な面でも優秀な師匠。
1日1話投稿中です。
明日も午前6時台の投稿予定となっています。
姉弟で本気の喧嘩をして、早数週間。
アンファング村中央広場には、1台の馬車と人込み――という程の規模ではないが――があった。
「皆、元気でね! 魔術の練習はルンちゃんと頑張るんだよ?」
「クー姉! 本当に行っちゃうの?」
「ルングより、クーねえのほうがいい!」
「「「うわあぁぁぁん!」」」
「だ、大丈夫。長期休みには帰ってくるし、ルンちゃんも優しいから」
「「「ルング、へんだもん!」」」
「あ、あははは……」
人込みの中心では自慢の姉のクーグルンが、失礼な子どもたちと話している。
……いよいよ今日は、姉さんが魔術学校へと出立する日だ。
姉は村の人々――周囲には子どもが多いが――の間を、ゆっくりと歩く。
懐かしむ様に。
愛おしむ様に。
一緒に過ごせて幸せだったと、伝えるように。
1人1人に話しかけ、話しかけられながら、少女は人の花道を歩く。
……遠目からでも、強く輝く晴れやかな表情だ。
そこにはもう、数週間前に寂しいと叫んでいた悲痛な姿は残っていない。
「クー姉、元気になって良かったですわね」
「少し元気になり過ぎだと思うけどな。
この数週間、大量の実験に付き合わされたし」
姉を連れて行く馬車の前で彼女を見守っていると、馴染みの赤毛の少女がいつも以上に可愛らしい出で立ちで並び立つ。
騎士見習いにして、友人のリッチェンだ。
彼女の表情も、いつも以上に柔らかい。
「……リッチェンは、姉さんの所に行かなくて良いのか?
子どもたちと一緒に姉さんに甘えて、駄々をこねたいだろう?」
「あのですね……子ども扱いしないでくださいます?
この期に及んでクー姉を引き留める程、幼くないですの」
リッチェンは咎めるような視線をこちらに向ける。
……子ども扱いもなにも、子どもだろうに。
少女は俺と同級生。
年齢でいうと9歳。
まだまだ大人と呼ぶには程遠い。
しかしそれを口にしてしまえば、自分のことを棚に上げるなと怒られそうなので、黙っておく。
言わぬが花。沈黙は金。
「ルングこそ、父上たちみたいに泣きたいんじゃありません?」
揶揄うような少女の視線の先には、2人の男たち。
父ツーリンダーと村長だ。
整った顔立ちの男と、熊のように大きな男の2人組。
いつもなら父が村長に説教されるという、お馴染みの組み合わせなのだが、今日はどうも様子が違う。
2人とも泣いて――それも大号泣して――いるのだ。
声を出すのだけは耐えながら、いい大人が滝の様に涙を流す様子は、シュールレアリスム。
人だかりの中、コンビがいる場所だけ空白地帯となっている。
「もう……2人とも泣かないの」
唯一その空白地帯に足を踏み入れている母は苦笑いを浮かべながら、その2人のお世話に勤しんでいる。
「……父さんたちと一緒にするな。俺が泣くわけないだろう」
「ええ⁉ 姉弟喧嘩では号泣だったじゃないですか!」
声は隣のリッチェンから……ではなく、背後の馬車から聞こえてくる。
「……師匠、訂正してもらいましょうか。号泣はしていません」
中からぬっと出てきたのは、黒いローブ姿。
特徴的な桜色の髪が揺れ、同色の目の下には、何故か大きいクマ。
姉弟の師匠こと王宮魔術師レーリン様だ。
「そうですかあ?
ルングが泣くのは、普通の人からすれば号泣だと思うんですけどお」
間延びした口調は、明らかに俺を茶化そうとしている。
……バカにされてたまるか。
「それを言うなら、普通の人の定義から明らかにすべきですね」
「とりあえず、貴方じゃないことだけは分かりますけど?」
「それは、統計を取っていないので分かりませんよ?
師匠が普通ではないことだけは、自明ですけどね」
「どうしてこんな特別な日に、いつも通り喧嘩できますの……?」
「え? 喧嘩なんてしてませんよ?」
「この程度、喧嘩の内に入らないぞ?」
「仲良しじゃありませんか……」
呆れた様にリッチェンは言うが、断じて仲良しではない。
「それにしても、クーグは人気者ですねえ」
濁った桜色の瞳が、羨ましそうに姉を見つめている。
師匠の実家は貴族のはずなので、こういう見送りは経験がないのかもしれない。
……いや、どうだろうか。
師匠のことだから、この場の村民の魔力を計測したいなどと、斜め上のことを考えている可能性もある。
「そうですの! クー姉は村の人気者ですのよ」
リッチェンはそんな魔術師の機微に気付かず続ける。
「教導園だけではなくて、色々な人のお手伝いもしてましたし!」
誇らしそうな少女の言葉の通り、子どもたちや予定が空いている大人だけでなく、仕事中の大人たちもわざわざ広場に顔を出しては、姉に声をかけて仕事へと戻っていく。
「どうしてこれで、自分だけが寂しいと思ってたんだろうな」
「それは、本当にそうですわね」
姉が村を出れば、皆が寂しがる――姉ロスに陥るのは、火を見るよりも明らかなのに。
……案外皆、自分のことなど分からないものなのかもしれない。
チラリと姉に目を遣ると、ちょうど両親と村長に挨拶をしていた。
姉の頭を撫でながらドバドバ涙を流す村長。
姉に抱き付く父母と、2人を強く抱擁し返す姉。
全員の目元には、もれなく光る粒が見える。
「胸の温かくなる光景ですねえ」
ギョッ
とある王宮魔術師の発言に身構える。
……これは恐怖だ。
正体の分からない存在に抱く恐怖。
リッチェンに至っては、驚きのあまり身体強化の魔力の輝きが若干灯っている。
「……師匠、そんな人間的な情緒があったんですね」
恐る恐る絞り出した言葉に、師は心外そうに応える。
「失礼過ぎません⁉ 私が今日この日のために、どれだけ身を粉にしてきたと思っているんですか!」
実際、彼女はこの数週間大忙しだったようだ。
元々の仕事に加え「魔術学校には行かない」と言っていた姉の急な方針転換。
それによって生じた諸々の手続きと、各方面への連絡を一手に担ってくれていた。
……というかそもそも。
姉の魔術学校に行かない宣言を、この師は信じていなかった節がある。
魔術学校に通わないのであれば破棄するはずの書類や手続きを、あえてギリギリまで処理せず残していたようなのだ。
まあ、それでも数日の睡眠不足は避けられなかったようだが。
……なんだかんだ最高に優秀な師匠である。
「それは……そうですね。師匠、本当にありがとうございました」
心からの感謝と敬意が溢れ、自然と頭を深く下げる。
そんな俺に対して、
「……ルングがお礼⁉ 貴方、感謝って概念知ってたんですか⁉」
知る限り最悪の言葉が返ってくる。
……俺の師への評価も大概だが、師匠の俺への評価も気になるところだ。
「師匠、俺はこれでも道徳を教えているんですよ?
感謝の概念や定義くらい知っています」
「どうですかねえ?
ルングと比べれば、私の方が向いていると思いますよ? 道徳の授業」
そんな師弟のやり取りを聞いていたリッチェンが呟く。
「何でまた争ってますの……。
それに、どちらの道徳の授業も受けたくないですの……」
「リッチェン、聞き捨てならないな。どういう意味だ?
まさか君、それで俺の授業を受けていなかったのか?」
「ちょっとリッチェンさん⁉
絶対、私の方がルングよりも上手だし、まともですよ?」
「いや、それはないです」
「ルングは黙っていてください!」
醜く取っ組み合う師弟と、それを諦めた様に見つめる少女騎士。
「ルンちゃん、リっちゃん、先生」
そんな3人を、可憐な声が呼び止める。
本日の主役。
村の人気者こと姉が、皆への挨拶を終え、遂にこちらへとやって来たのだ。
――この師弟は、人の気持ちがあまり分かっていないだけで割かし優秀です。
姉が去った後、この2人に倫理観が残るのでしょうか。
ちなみに姉の方針転換によって、師匠は実家に借りができてしまいました。
次章では、それも原因でルングも働く羽目になる予定です。
次話が9歳編最後のお話です! お楽しみいただけると嬉しいです。
本作『どうして異世界に来ることになったのか。』をお読みいただき、誠にありがとうございます!
今後も頑張って投稿していく予定ですので、引き続きお読みいただけると嬉しいです。
ではまた次のお話でお会いしましょう!